ウェブページ

2022年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

2022年8月 5日 (金)

ウクライナの人々は蒙古(モンゴル帝国)に対しても勇敢に戦ったんだ!

21世紀も20年余が経ったというのに、外敵の侵略と戦わざるをえないウクライナの人々。

前世紀のナチスともそうだったが、さらに800年も遡った13世紀、蒙古とも戦っていた。

映画「ライジングホーク 猛軍襲来」(2019年 ウクライナ、アメリカ)で描かれていた。

Dsc02613-2

「ライジングホーク猛軍襲来」2022年7月27日WOWOW放送より

舞台は13世紀のウクライナ西端の山村。

モンゴル帝国はチンギス・ハーン以来、版図を広げ続けヨーロッパにまで至った。

日本でも1274年の文永の役、1281年の弘安の役の二度の蒙古襲来があった。鎌倉時代だ。

Dsc02607-2

NHKBSプレミアム「最強の王は誰だ」(2022年2月6日放送)より

1237年~1238年、モスクワは焼き払われ、1240年キエフ(ルーシー)も陥落した。この戦いの中でキエフの人々の一部は西のはずれにあるカルパティア山脈に生活の場と安全を求め逃げた。

※(カルパティア山脈) ウクライナ、ルーマニア、ハンガリー、スロバキアにまたがる山脈

※(ソ連時代) スターリンはこの蒙古による侵略の恨みを忘れないぞとモンゴル人民共和国に対して「チンギス・ハーン」の名を語ることを許さなかったそうだ。でも、モンゴルの人たちはチンギス・ハーンを忘れることがなかった。

※(上の地図の遺伝子とは) モンゴル人の遺伝子を持った人々が侵略ルート上の地に今でも2000万人もが健在だそうだ。残留兵の子孫と凌辱の痕跡か。

映画は、この山の中で蒙古軍の先遣隊を跳ね返したウクライナの人々の戦いを描いていた。

山間の台地を切り開き、谷をせき止め水を確保し、農業と狩猟で生きながらえていたが、一方で同族であるにもかかわらず二つの集団が反目しあい、それぞれの共同体を作っていた。

それぞれの集団は各長(おさ)のもとに共同生活を送っていたが、一方には「領主」を自認する者がいて武装集団を従えていた。蒙古軍が近づいているとの情報のもとにこの「領主」に対してもめ事は後にして共に力を合わせて戦おうと一方の長が呼びかけるのだが、結局「領主」は同意しないばかりか裏切り、蒙古軍の道先案内となってしまった。

Dsc02619-2

蒙古軍先遣隊の頭領

 蒙古軍は「逆らえば殺戮と破壊を平然とやってのける」という一面を持ちながら宗教や人種の違いには寛容だったようだ。それどころか優秀であれば異人種、異民族、異教徒であれ抜擢して幹部に据えたそうだ。

そのことが版図を広げることのできた一要素であったと言われている。

1_ch01_sub01_01_jp_01

国立公文書館「13世紀の日本モンゴル関係」より

1274年の元寇の前にフビライ・ハーンが日本によこした親書「蒙古國牒状」でも次のような事を書いてきた。

「これからは国と国の交わりを通して親睦を深めていこう。私はすべての国をひとつの家だと考えている。」

平和主義者にしか見えないではないか。

しかし、時の執権北条時宗はこれを無視した。すると手のひらを反すように1274年蒙古軍と高麗軍が4万人の兵士と900艘の軍船で攻めてきた。対馬の人々の多くが犠牲になった。

さらに、1281年蒙古軍は南宋を攻めつつ南宋の降兵も含め14万人以上の大軍で攻めてきた。

まさにヨーロッパの人々がタルタル人と恐れた蒙古人の本領を発揮した。(タルタル人とはタルタロス=地獄の意味から)

先に登場した「領主」はこの「蒙古軍の本領」を恐れ、蒙古の寛容を期待したのか。

Dsc02627-2

手前が「領主」・・日本の戦国武将にそっくりな鎧を身にまとっている

でも、蒙古軍の頭領は「領主」を自認する彼の本質を見抜いていた。

「領主」は頭領に言われた。

「お前は真の権力を得られないだろう。民をまとめないからだ。我々の偉大なるチンギス・ハンは民を統一した。お前たちと違い、私たちは生き残りを賭けて戦う。食うためだ。お前は民のことなど気にかけていない。驚くべきことだな。お前のような奴が領主と言われ、死よりも屈辱を選んだ。」

寝返って付き従っているにもかかわらず見透かされて、こんなことまで言われるなど恥辱もいいところだ。

蒙古軍が攻めこんできた。部落の長の妻が殺された。

Dsc02623-2

長の妻の火葬が執り行われた

集落の人々は作戦を練った。女性、子供、高齢者を裏山に避難させ、残ったものが戦い、蒙古軍を峡谷におびき寄せたところで溜め池を決壊させて水攻めにしようと。

Dsc02633-2

手作りで武器を準備した

「領主」がモンゴルに組したことに怒った実の娘は父親と袂を分かち村の人々と共に戦うことを決意した。

その中で、長(おさ)の次男との間に愛が芽生えた。

作戦は成功した。

Dsc02637-2

「領主」も土壇場で蒙古軍に逆らったものの命を落とした。

単純な物語ではあったが、戦闘などのアクションからロマンスまでを入れ込んだストーリーは見ごたえがあった。ネット上の評価は賛否両論あったけれどね。

Dsc02635-2

面白い映画だった。併せてモンゴル、スラブなどの歴史も少し読み返すことができ、ちょっと分かった気にさせてくれた。

ウクライナの戦争が早く終わることを祈念します!

 

2022年7月29日 (金)

猛暑!夏負け・夏バテ対策には、やはり土用のウナギかな?

この日は待ちに待った吉日、ではなくて土用の丑の日だ。

家族会議で今晩は外食だと即決し出かけることになった。

Dsc_6386-4Dsc_6388_kindlephoto643622453_20220729103301

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外を歩くと、そこここに幟旗が「いらっしゃい」と叫んでいた。

つい、惹かれて入ってしまった。

Dsc_6370-2

それなりに風情があるではないか。

早速注文!

Dsc_6371-2_20220729104101

どこであっても「最初はビール」。一気にジョッキ二杯、ではない。連れ合いの分だ。

こんなに大きなジョッキは久しぶり。思いっきりごくごく飲んだ。

夕食時なのだがコメは控える。本来鰻丼としてタレの染み込んだ御飯がうまいと思うのだけれど飲むときはコメを食べないのだ。

Dsc_6375-3_20220729104801

飲むがメインとなると、もう少しつまみが欲しい。

Dsc_6372-2

やはり、刺身だ。

さらに、というと普通はシーザーサラダを頼むだがここは和食屋さん。お新香を注文。

Dsc_6378-2

てなことで、美味しく何杯かお代わりした。

ところで、先週中だが、我が家に鰻を食べることを盛んに促すチラシが何枚も放り込まれた。

2_20220728170001

Img20220728_16005151-3_20220729105901

Img20220728_16015165-2

そもそも土用の丑の日とは?

土用の丑の日にウナギを食べるといったことは、物心ついたころから聞いていたけどな?

でも記憶がぼんやりということは、巷間、そんな話があったにせよ、所詮私の口には縁遠かったからかな。

まあ、だいたい無信心な私は、バレンタインやホワイトデイとかハロウィンなど、イベントを楽しむことは厭わないが、由来やらご利益などというものは根っから信じていなかった。

Dsc_6383-2

床の間に生け花・・和食屋さんらしくていいね!

土用とは、暦法でいうところの立夏、立秋、立冬、立春の各日の前18日間をいうそうだね。

そして丑の日とは、古来伝えられてきた干支(えと)で日を表されたもの。子、丑、寅、卯、辰、巳・・・の丑だね。細かいことは飛ばして、土用の丑の日とはとりわけ立秋の前18日間にある「丑の日」を指すようだ。今年は7月23日と8月4日の二日間。ウナギは美味しいだけでなく栄養が豊富であったことからか江戸時代末期からよく食べられていたそうだ。そんなに古い慣習ではなかったのだ。

Photo_20220729112301

でもね、食べろ食べろと宣伝するもののウナギはちょっと高級食材になりつつあるね。

ウナギが絶滅危惧1B種として国際自然保護連合のレッドリストに掲載されて以来、稚魚のシラスウナギの採捕量に制限が加えられるようになったようだ。つまり簡単には食卓に出せなくなりつつあるのだ。乱獲と生育環境の悪化が原因のようだけれどむずかしいね。

チラシをよく見ると生産地が書かれている。宮崎県、鹿児島県、愛知県それからチラシには出ていないが静岡県の浜名湖。さらに中国などからの輸入だ。生産地といっても養殖場の所在地だと思うけれど。

そんな不安言を喋りながらも、今回の土用の丑の日には久しぶりに外で賞味させてもらうことになったわけだ。

2_20220729163401

絶滅危惧種を食べていながらも少し心配になっていたところ、少し安心できそうな情報が見つかった。

一つは「ウナギの稚魚を人工的に量産へ 入手容易な新たな餌を開発」(東京新聞Web 2022年1月)というもの。

国立研究開発法人水産研究・教育機構がウナギを人工ふ化した仔魚(しぎょ)から稚魚にに成長させることに成功したというもの。これまでのネックは仔魚に与えるエサだったのだが鶏卵の黄身を原料にして開発できたようだ。

Images_20220729171201

ウナギの仔魚(newswitch.jpより)

二つは「北海道でニホンウナギの稚魚・幼魚みつかる 生息地が北上か」(NHK NEWS WEB 2022年7月21日)

これは吉凶禍福相俟ったニュースだ。「凶」の面でいえば地球温暖化の影響がここまで及んでいるということであり、「吉」の面では、これまでの日本での生息北限が青森県であって、その限界領域の中でウナギが見当たらなかったといっても絶滅しつつあるのでなく、さらに北の北海道でも生息できていたということだ。

太平洋の遥か南のマリアナ諸島沖で生まれたウナギの稚魚が黒潮の流れの強まりと海水温の上昇で回遊ルートを北上させ北海道に到達したようだ。手放しでは喜べないけれど頑張って子孫を残してくれることを期待したいものだ。

ビールがおいしかった!

2022年7月22日 (金)

武術の技・形が言葉で表されている。その通りにやってみると、それらしく、又実に効き目があるのだ。面白い!

ショッピングセンターで日中国交正常化50周年を祝う催しがあり、小中高生が中国武術の演武を披露した。

太極拳の演武
Dsc_6359-2

撮影はフリーでしたが念のため黒メガネをかけました。

太極拳については多和田葉子さんの新聞小説「白鶴亮翅」(朝日新聞朝刊連載)を読む中で関心を持った。

ちょっと横道にそれるけど、今も日々連載「白鶴亮翅」を読み進めているのだが「新聞小説」の持つイメージが微妙に変化してきたかな。

小説というと純文学だ、大衆小説だ、といった区分けから始まり、恋愛小説、推理小説、時代小説、空想科学小説といった諸ジャンルもあり、日本独特と言われる「私小説」等も出てくる。     

多和田さんの小説は「私小説」ぽいのだが単純には括れないな。

ネット上の論評をちょっと見ていたら上手いこと言っている一文があった。

かいつまんで要約すると、大正、昭和の始めにかけて日本の作家連に自然主義の影響が及び作家達はいかに「自然の事実を観察し、真実を描く」かに腐心した。その結果彼らは「虚構虚飾を否定し、私の事実を書く」ことに没入した。それが私小説と言われるものに昇華した。ところが評論家の小林秀雄さんは次のような意味合いで日本の私小説を評価しなかった。二十世紀の始め「西洋の『私』は社会化されていたが、日本の『私』は社会化されていなかった」と。 なるほどなるほど。分かった気になった。

4g6rfcnuq79hmkxebe4cf6lwxyvi-2

自然主義文学者 島崎藤村

その点で多和田さんの小説は「井戸端会議」的であり「私小説」的であるものの、ちょっと違っていたのだ。「私」が社会化(?)されているのだ。確かに日々の出来事を追いながらもスケールが大きい。ウクライナ侵略にも繋がるヨーロッパの歴史的事実やスラブも含めた民族問題も登場し重層的展開をしつつ話が進んでいる。新聞小説として面白いかも・・・・横道でした。

そんな中でも一貫しているのが太極拳にまつわることだ。

Dsc02543-2_20220718153701

とは言うものの、太極拳について多くの行数を使い語られるのは連載60話に至ってだ。65話で太極拳気功学校の初心者体験入学のために出かけ、66話で若い中国人女性の先生による初心者指導が始まった。

Dsc02556-4

ここで、タイトルに書いたように先生の技指導で使う言葉に感心したのだ。

先ずは基本形。

「脚を肩の幅に開いて、足の裏をしっかり床につけて立ってください」

「爪先や踵に片寄らないように、足の裏全体に平均的に体重をかけてください。それからゆっくりと膝を曲げて腰を少し落として」

「背中はそりかえらせず、まるめずに。肩の力を抜いて」

Dsc02547-2

私が感心したことを作中で主人公が(と言うか多和田さんが)上手く表現している。

「先生が『肩』と言えば肩に意識が宿り、『背中』と言えば背中に意識が移る。意識を向ける場所を頭で操作出きるのは当たり前のことなのに普段してないことなので軽い驚きがあった」。そうなんだよね。

正規の指導が始まった75話では立ち方について語られる。

「つむじから一本の糸で吊り下げられているような気持ちで立って見てください」と先生が指導すると、主人公は「糸で上から吊り下げられているので、倒れる心配はない。私はかなり動いても倒れないことを痛快に感じ、大胆になっていた」と反応した。

Dsc_6338-5

極め付きの表現が第115話に出てきた。この時点では はやニ四式太極拳の指導が始まっている。

太極拳では人間の生命エネルギーを「気」と捉え、気が通る道を「経絡」と呼ぶ。この経絡を二十四の動きで刺激して気の流れをよくし、全身に気を巡らせるのがニ四式太極拳なのだ。

先ずはスタート。形と動きは伸ばした腕を前に持ち上げて、また下ろすというものだけど、先生の表現は分かりやすく、自らやってみるとまさに「なるほど」というものだった。

Gettyimages455467073612x612

「地面の底に含まれている力を吸い上げるように掌(てのひら)を上に向けてゆっくり腕を上げていってください。腕が地面と水平になったら、今度は掌を下に向けて、大きなボールに肘をのせるように腕の重さを任せながら、ゆっくり下していってください。最初に下りていくのは肘です」

「お尻は突き出さないでください。背中を真っすぐにして、上半身の体重を均等に骨盤にのせてください。前屈(まえかがみ)になってはいけません。後ろにふんぞり返ってもいけません」

なるほどなるほど!

これなら私だって物にすることができそうじゃんと思った。しかし、それも束の間だった。

Dsc02577-2

二週間前に開催された「全日本武術太極拳選手権大会」で優勝争いをした選手たちの演武が放映された。(NHK BS 1  7/18)

これを見て武術を侮ってはいけないとしみじみ感じた。

Dsc02584-2_20220719185501

南拳優勝者の演武

Dsc02586-2

言葉だけでなんとかなるのは入り口だけだった。

日々の鍛練による筋力、柔軟性、敏捷性、平衡感覚等々を養うことを前提としながら、途中でめげない性根がなきゃね。

反省!

多和田さんの連載はこの金曜日で167話を迎えた。バスタブの中に現れる幽霊の話が進行中。

2022年7月15日 (金)

咲いた~、並んだ~、赤、白、黄色、どの花見ても、綺麗だな! 蝉も嬉しそうに鳴いている!

待ちにまったタイタンビカスの赤花が咲いた。

7月13日朝7時、今日はどうかなと見に行ったところ蕾から赤花の先っぽが覗いていた。三つもだ。Dsc02450-2

となると明朝には赤白揃い踏みとなると期待した。花の横綱級だもね。そして14日、開花した。

白色開花に遅れること10日だった。

Dsc02459-2

7月14日午前6時ごろ

Dsc02496-2

白花の毎朝の開花は蜜好きの虫仲間にはよく知られているのか、蜂や蝶がちょくちょく遊びに来る。

Dsc02437-2Dsc02435-2

Dsc02512-2

黄花はランタナ三番手の黄色系の開花だ。ランタナもこれまでオレンジ系、青・紫系の二系統が開花し、これらは今や盛りで秋まで続くのだが遅れて黄色系が咲いたのだ。系と書いたのはそれぞれ単色に止まらず千変万化の七変化をするからだ。

Dsc02454-3

多様な植生に恵まれた日本なのだが、個別的に見るとそれぞれとても不思議な育ち方をしている。

ランタナも昨年は、黄色系が一番力強く枝を伸ばしていた。ところが今年はオレンジ系が親分的な存在なのだ。昨年中はオレンジはどちらかというと黄色系の枝の下から、なんとか顔を出すように花を咲かせていたのだが今年は黄色系を従えているかのようだ。

そんなことを考えながら観察していると早朝だというのに騒がしいことに気が付いた。

ハクモクレンの樹上から「シャーシャーシャー」とあたりを轟かすような鳴き声が聞こえてきた。

Dsc02491-2

クマゼミだった。蝉の鳴声を自覚して聞いたのは今年初かもしれない。

もしかしたら、我が家のどこかで地中生活を送ってきて外に出たのかな。

幼虫の抜け殻を探した。あったー。

Dsc02530-2

ハクモクレンの下の金柑の葉の裏にぶら下がっていた。

彼らもすごい。クマゼミで言えば幼虫としての地下生活が6年から7年、そして地上に出て羽化する。

成虫となった蝉(オス)は地上生活4日目ほどして鳴き始め、10日から20日ほどで一生を終えるのだそうだ。

命に限りあるのは人であれ虫であれ同じなのだが、何の為に生まれた等と問うも憚れる不思議な生涯だ。

Dsc02505-2

2022年7月 8日 (金)

台風襲来目前にタイタンビカスもランタナも開花した! 被害もなくホットした。 なのに奈良で銃撃テロ! なんだなんだ!

台風四号が偏西風と太平洋高気圧の押し合いによりコースをねじ曲げられ列島を縦断しようとしていた。

タイタンビカスもランタナも台風到来前に花を咲かせてくれないかと気を揉んでいた。

※開花確認:7月4日午前7時

Dsc02250-2

背丈だけでなく顔も大きい。後ろには先発したアジサイもヒマワリも。

実は、タイタンが思いの外に成長が著しく、身の丈が二メートルを超えたのだ。過去最高背丈だ。これでは暴風雨に襲われたら一溜まりもない。開花前に倒れてしまうと心配だった。でも台風直前に咲いてくれた。そして、台風は熱帯低気圧に変わった。タイタンは今、この世を謳歌しているかのようだ。

梅が成長したことで陰に隠れてしまっていた赤いタイタンも今年は同じ花壇に移植した。開花は少し遅れているが蕾も膨らみ来週には並んだ姿が観れるかな。

 

それにしても人間社会はどうなっているんだ。

SF的出来事でしかなかったパンデミックが突然現実ものとなり、あり得ない隣国からの侵略で市民が殺され、そして参議院選挙中に銃撃テロが起きた。ヤクザやテロリスト、さらには警官であれ暴力は絶対反対だ。

この間の一連の状況の中でインフラの脆弱性やら生活基盤の危うさも露呈された。

真っ最中の選挙はこういう状況についてどうするのか、どうしたいのか国民が意思表示するまたとない機会なんだけど、どうなるのかね。わたしは、はやばやと期日前投票してきたけれどね。

開花第二弾 7月5日午前5時30分 花二輪

Dsc02294-2

開花4日目(7月8日 本日 午前5時)花六輪

Dsc02398-5

横顔も美しい。

Dsc02260

などと言っていると、寒くなれば室内に移動するなど、まさに温室育ちのハイビスカスも負けじと横顔を見せた。

Dsc02265

 この花々、生まれも育ちも違うのだが、共通していることがある。横顔も似ているが共に短命。朝開花し、夕方には萎み一生を終える。ただ、花木本体は次から次へと蕾を付けて花は絶えることがない。

Dsc02202

ランタナ(七変化)

もう一つはランタナ。こちらは花木の生い立ちがタイタンに似ている。生まれたその年中に枯れ木と化す。ランタナは枯れ木部分を大きく切り戻すと翌年晩春には残った枯れ木部分からごく小さな芽が出てくる。タイタンは枯れ木そのものからではなく枯れ木の隣りに新しい芽が伸びてくるところが違うけどね。

ランタナは花後に沢山の種を付け、放っておくと辺りに散撒く。今年もあちこちから芽が出てきた。

Dsc02208

ランタナは同じ木にもかかわらずバラエティな顔を見せてくれる。

Dsc02364-2

Dsc02334

Dsc02403-2

まさに「七変化」だ。

虫たちも暑さを避けながら花巡りを始めた。

Dsc02388-2Dsc02395-2

虫たち!精一杯、遊んでいってね!

人間界も年内には落ち着いてくれないかな! 侵略も、コロナも!

2022年7月 1日 (金)

美味しい看板料理で腹ごしらえして、竹細工の展示場に向かったよ!

長八美術館を出たところで遅い昼食をとることにした。

道路を挟んだ向かいに料理屋さんがあった。

Sakura01-2

 

食べたのは、まさに看板メニュー「磯めん」。そして「ところ天」、こちらは無料の食べ放題サービスだった。

Dsc01045

 

蕎麦が用意できるまでの間、「ところ天」を客が自由に盛り付け食べたいだけ食べることができるのだ。

久しぶりに食した「ところ天」だったが、この原材料は地元のさらし天草(てんぐさ)だ。美味しかった。

Dsc01049-3

海藻が練りこめられた麵、その名が磯めん。コシがあり磯の香りが漂う。かき揚げは、かりっとなかなかの味。これらを食べることができただけでも来た甲斐があった。

腹ごしらえができて竹細工の展示場「伊豆文邸」に向かった。

「伊豆文邸」は松崎町が管理する築112年の歴史建造物だ。

Dsc02141-2

伊豆観光公式サイトより

かつては呉服屋さんだったそうだ。

たしかに、入ると時代劇に出てくるような土間があって上がり端は呉服が並べられるようなスペースが広がっていた。ま、その奥に算盤をもった番頭さんが座っていたんだろうな。

Dsc00971-2

側面はなまこ壁に覆われていた。

この6月14日、たまたま竹細工についてのTV番組があった。

NHKBSの「イッピン」。2018年の再放送だがタイトルは「ピーンと張って 優雅に曲がる~大分 竹細工~」。

財前直見さんがリポーターとなって九州大分の竹細工を紹介していた。なかなか美しい工芸品だ。和傘の伝統を活かした和傘行灯、竹で作られたイヤリングなどなど。ここでは真竹が使われていた。イヤリングなどはなるべく真っすぐに伸びた若い竹を選んで素材としていた。

Dsc02148

寺の裏山の竹林

Dsc02159

一方、「伊豆文邸」に展示されていたのは150点もの竹細工だった。大分に決して引けを取らない。しかも、この作品群、松崎在住で御年77歳の斎藤さんという方の創作。40年前に趣味で始めてコツコツ作ってきたというから驚かされた。

その長い間の試行錯誤の結果なのか材料が竹であることには違いないのだが、独特だった。

古い民家の建材として使われてきて囲炉裏の煙にいぶされ続けた「すす竹」なのだ。

それでは作品群を観賞しよう。

Dsc00992-2

やはり竹行灯はいいね。

放射状に映る影もいい。Dsc00999-2_20220628183401

Dsc00986-2Dsc00976-2_20220628183701

白川郷のミニチュア。これも光が灯る。

日用品もある。

Dsc00991-2

そして美人像。Dsc_6247-2

これらの作品、展示最終日に希望される方々に無料で譲られたとのこと。

粋な趣味人だね!

2022年6月24日 (金)

西伊豆松崎町へ!漆喰と竹細工の技巧を堪能! 感心したなー‼

伊豆半島西側にある町、松崎町を目指した。

Dsc01074-2_20220521151501

松崎町への途上にある「恋愛パワースポット 恋人岬」(伊豆市小下田)で一休み。

展望デッキの「愛の鐘」を3回鳴らしながら愛しい人の名前を呼ぶと愛が実るという霊験あらたかな地。

『🔔○○○、🔔○○○、🔔○○○』 💖 ❗

Dsc01076-2

我が家の奥方の情報収集で、松崎町を訪れることが決まったのだ。

「西伊豆、松崎町に住んでいる方が趣味で始めた竹細工が公開展示されて評判みたい。とても素敵だから行ってみよう」と車運転の要請をしてきた。

そこまで行くんだったら「長八美術館」や「岩科学校」等の名所も覗いてみようかということで話がまとまり出かけることになった。

コロナ前までは年に一回は仕事など所用で下田を訪れていた。

伊豆半島の先端に行くルートは主として三つある。

一つは熱海から国道135号線の東海岸を南下する道。

二つ目は沼津・三島から136号線を通り、途中で414号線に移り天城越えをする道。

三つは沼津からずっと海岸線、あるいは136号線で土肥から海岸線に出る道。

おまけに加えれば小田原から箱根峠を超えてそのまま伊豆スカイラインに入る方法だ。

101-2

海は終日霞がかかり、時折太陽が顔を出す感じだった

この日は136号線で伊豆半島西海岸に出た。

下田に行っていた折は帰り道では様々なルートを通った。松崎も通過点だった。何回も通りながらも実は観光の目的地としたことが一度もなく今回が初めてだった。

驚いたのは伊豆中央道を通過して修善寺温泉への登り口にあるトンネルを抜けた時だ。

全く違った光景が広がっていたのだ。

Dsc02086

以前ならトンネルを抜けるとそこは下田へつながる昔ながらの街道だった。ここをのんびり進もうと思っていたのだが、なんと眼前には高架とトンネルが続く自動車専用道路が伸びていた。(伊豆縦貫道の一部、天城北道路)日進月歩だ。

この新しい道路はコロナ危機の中、工事が進められ開通にこぎつけたようだが伊豆縦貫自動車道の一部区間だ。この自動車道が全区間開通すると東名高速沼津インターから下田まで従来なら150分かかっていたものが60分まで短縮されるとのこと。あと何年かかるのかな?

Img20220621_17172174

 まず向かったのは、「岩科学校」(国指定重要文化財)。

Dsc01054

岩科とは地名だ。1873年、明治維新から5年たった時、岩科村戸長だった佐藤源吉が「中央の文化に遅れるな」と学校を開設した。校舎は7年後の1890年に完成した。

Dsc01053 Dsc01059-2

正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は時の太政大臣三条実美の書だそうで、その上に浮彫のように掲げられている龍はこの日のもう一つの目的地の名称にもある「長八」の作なんだって。

長八美術館に向かった。

Dsc01019_20220622232301

美術館を訪れるたびに思うことは、展示されている作品もそうだけれど収蔵している建物そのものも立派な芸術作品だということだ。

Dsc01018-2

この建物は美術館ではないね。どちらかというと作品。本格的な「なまこ壁」の蔵だ。蔵の名は「夢の蔵」。この建築に携わったのは松崎蔵つくり隊など左官屋さんを含む有志だ。美術館前の町有地に「なまこ壁技術伝承事業補助金」3,000,000円を資金にして実に19か月もかけて落成にこぎつけた(2010年3月)。「なまこ壁」の本格的蔵が建てられたのは実に70年ぶりだそうだ。失われていく技術というか技(わざ)は色々とあるのだろうけれどこういう取り組みはすばらしいね。

さて、美術館などでは展示されている美術作品は多くが撮影禁止だ。長八美術館でも一部を除いて撮影はできなかった。そこで、美術館の雰囲気だけでもブログに留めておくため建物を角度を変えながら撮影してみた。

Dsc01016-4

さあ、正面から入ろう。

その前に、階段下にある「老人と子供」像を鑑賞。

Dsc01020Dsc01021Dsc01024

入り口を抜けると、両脇がなまこ壁で囲まれた青天井の石畳だった。

Dsc01026

敬虔な祈りが聞こえてきそうな佇まい。

Dsc01029

Dsc01030Dsc01035Dsc01040さあ出口だ。つぎは竹細工の鑑賞だ。

今回のブログ、写真・図が19枚も使ってボリュームが大きくなった。竹細工作品の紹介は次の機会にしよう。

どこであってもそうだろうが、せっかく来たところ、通りすがりの地で終わらせず、とどまり、ゆっくり歩いてみると、結構魅力を感じるものだ!

2022年6月18日 (土)

新聞連載人生談から得た映画鑑賞へのモチベーション第二弾、崔洋一さん!

崔さんが映画監督だということは知っていた。風貌もなんとなくイメージしていた。強面の方だとの印象をぼんやりとだが持っていた。

とは言いながら肝心の作品やら作風については無知に近かった。

Dsc00868

野花も味がある

新聞連載の「人生の贈り物」に崔さんが登場した。(朝日新聞2022年5/10~5/27)

面白い思い出やら撮影エピソードが語られた。連載「人生の贈り物」はこれまでも多くの方が登場し、それぞれの半生を振り返っていた。

ある人は自叙伝的に子どものころから現在までを語り、ある人は現在の成功を「立志伝」風に語っていた。崔洋一さんにおかれては人と映画現場との出会いだろうか。

Dsc00866-2

我が家に風に乗ってやってきたシロツメグサ

人との出会いなどは何が縁になるかなどわからない。

崔さんが10歳のころ、家の近くに映画館ができて、一人で観に行ったそうだ。

タイトルは「太陽の墓場」。子供ながらに思った。「画面からほとばしるダーティなヤバいエネルギーを感じた。この映画を見たことは誰にも言っちゃいけない」のだと。これが大島渚との出会いだった。

1971年、専門学校生時に活動していた学生運動に挫折感を持ち始めていたころ、先輩の紹介があり映画撮影の照明助手の見習いをすることになった。その後、順風満帆とはいかないものの小道具係から演出に転じ、1970年代にはテレビドラマ「キーハンター」などの助監督を仰せつかるところまできた。

そんな中で、若松孝二監督との出会いがあった。若松はその時「愛のコリーダ」のプロデューサーとなっていた。その映画の監督は大島渚だった。

結局、崔さんはこの映画のチーフ助監督をやることになる。この時は藤竜也さんとの深いつながりもできたようだ。縁は異なもの味なもの!

Dsc02000-2

戦場のメリークリスマス タイトル

話は飛んで1999年になって大島監督は病により中断していた新選組をモチーフにした映画「御法度」の製作を再開しようとしていた。正月の2日、大島監督から電話があった。「一軍の将はやっぱり一軍の将が演じないとね」「君、近藤勇」。

というわけで、映画、しかも大島作品に出演することとなった。一軍=新撰組の将として。

 

私もこれが縁と俳優崔洋一出演の「御法度」を観ることとした。我が家に大島作品は「御法度」に加え「戦場のメリークリスマス」「儀式」「新宿泥棒日記」の4作品があった。

 

大島作品観賞は「戦場のメリークリスマス」以来だ。

Dsc01944-2_20220617175801

作品の原作は司馬遼太郎の「新選組血風録」の「前髪の惣三郎」と「三条磧乱刃」。

舞台は1865年の京都。

奇遇だったのは物語の中心的存在である美少年惣三郎をデビューしたばかりの松田龍平が演じたのだ。崔は彼のお父さんの松田優作とは1978年の「最も危険な遊戯」で助監督をやって以来1989年に亡くなるまでの飲み友達というか明友として付き合っていた。その10年後の息子との共演だった。

崔洋一さんはなかなか堂々と演じていた。

Dsc01997

なるほどと感じたのは、大島監督の画面作りだ。画面の彩度、明度がかなり落とされていた。

夜の宴席の場面でも蠟燭が六本ともるだけの照明で時代の空気を彷彿させた。時代考証をしっかりされているのかなと感じたのだが、一方で新選組メンバー同士での会話では「君はどうした、僕はこうだ」とか「土方君」とか君、僕が使われたり、書物の内容を説明する時「本を読んだら」という表現を使っていた。まあ、事実はどうだかしらないけれど、時代を超えて身近に感じられるけどね。それにバックミュージックを担当したのは「メリクリ」と同じく坂本龍一さんだった。「君」の呼称と並んで従来のチャンバラ映画のイメージとは全く違い良かった。

Dsc01955-2

それにしても、この時代の人々は早死にだね。

先の宴席は近藤勇が長州藩毛利家を敵情視察してきた報告も兼ねていたのだが、その時攘夷について異論を放ち新選組を離れた「伊東甲太郎」は半年後に暗殺された。享年34歳だった。

近藤勇は鳥羽伏見で敗退し1968年4月に武蔵の板橋で斬首されたのが35歳。土方歳三はさらに1年後函館で35歳で戦死した。

Dsc02047-2

1995年の松竹映画の冒頭タイトル

崔洋一さんは父が朝鮮半島出身で母が日本人だ。

インタビューをした記者がその辺を踏まえて代表作は在日コリアンのリアルを描いている「月はどっちに出ている」とか「血と骨」ですかと水を向けたのだが崔さんの答えは違った。

「(自分が)死んだ時に棺桶に入れてほしいのは『友よ静かに瞑れ』と『マークスの山』です」だった。

我が家所蔵の崔作品は「クイール」「カムイ外伝」そして「マークスの山」だった。早速見始めた。

奥様とビールを乾杯しながらの観賞だったのだが、それがいけなかったのか、2時間半の長尺ものであったからか、私は不覚にも眠ってしまった。日を改めて見直した。

Dsc02052-2

マークスの山は高村薫さんの小説で1993年に直木賞を受賞した。

時代背景は学生運動熱が冷めかかった70年代から90年代にかけてだろうか。

親子心中で生き残り、精神を病んだ子供と全共闘の内ゲバにからんだ連続殺人事件が繋がり物語が進む。

映画の中では若い中井貴一、萩原聖人、名取裕子が熱演した。

また、さすが映画というかテレビドラマとは違うリアルな描写が素晴らしかった。

Dsc02051-2

親子心中が図られた雪中の車

「人生の贈り物」の中でこの映画をめぐって高村薫さんと崔さんのやりとりが出ていた。

「高村薫さんからは『血が流れすぎだ』との批判をいただきました。でも、僕としてはまだ血が足りない(笑)。殺人場面を執拗なほど長いカットで取りました。」(連載13回)とあった。

Dsc02056-2

南アルプスのロケ映像も素晴らしかった

出演者はすでにお亡くなりになった方も何人かいたが、現在大活躍の俳優たちの若かりし姿を見れたこともよかった。遠藤憲一、寺島進、岸谷五朗などとともに西島秀俊が30歳の巡査部長役で登場した。役回りの年よりもずっと若く見えて高校を卒業したばかりか現役大学生のような少年的風貌だった。

まあ、新聞記事にきっかけをもらった映画鑑賞だったけれど録画映像をお蔵入りさせずに済んで良かった。

崔さんは現在病を患いながらも日本映画監督協会の理事長を務めておられる。面白いことに10歳で出会った大島渚監督も1980年からこの任についていた。その大島さんが16年間も理事長職を務めていたのだが、崔さんは現在すでに其れを二年も上回って18年間にもなるというから凄い。この協会のホームページに崔さんの理事長挨拶が掲示されていたが共感できた。さあ、次は松田優作さんの映画を何本か観てみるか。

2022年6月10日 (金)

梅雨シーズン!恵みの雨でヒマワリが顔見せた! ヒマワリって実は凄いんだ~!

我が家の花々は多年草、球根、そしてサクラや梅のような木に咲く花がメインだ。

今年は少し違った。連れ合いがヒマワリの種を買って撒いたのだ。

Dsc01927-2

そして発芽し、ここにきて開花した。

朝晩観察する中で、自然の面白さを学んだ。

まあ、最近話題の小惑星に存在したアミノ酸ほどには驚く内容ではないかな。

Dsc01834

種は同じ袋に入っていたものだけれど、成長の度合いに違いがあるのだ。

地に直接種を蒔き発芽したもの6本。鉢で発芽したもの13本。

どういう訳か分からないのだけれど、鉢から発芽したものの方が大きく育っている。

その違いが大きい。背丈で比較すると最高に伸びたものは130センチ。伸び悩んでいるのはなんと未だ32センチなのだ。1メートル近く差がついた。

Dsc01928

花を咲かせたのもやはり鉢物。先行開花は鉢から芽を出した3本だった。

土なのか、肥料なのか、水やりなのか。分からない。まあ、種の親遺伝子の違いかもしれないけれど。

Dsc01897

今朝(6/10)のヒマワリを見ると、やはり種類が異なるみたいに思えてきた。

Dsc01933

育てたからこそ知ったのだが、ヒマワリって「合弁花」なんだってね。

子供の頃からずっと花弁は周りに黄色く見える部分だけで、上の写真でいえば黒ずんだ部分は雄しべやら雌しべのヒマワリらしい形だと信じて疑うことがなかった。

ところが、黒ずんだ部分も花なんだって。調べたところ周りは「舌状花」で中心部は「筒状花」だそうだ。

そして舌状は雄花で種はできず、筒状は両性花で種が付くのだ。

私にとっては小惑星のアミノ酸の発見に等しい学びだった。

下の写真の舌状花は細く尖り、上掲の花は丸みを帯びている。何より違うのは筒状花の部分だ。

Dsc01934

そう言えば、ヒマワリの種って結構いけるよね。

20年ほど昔だけど、中国・上海から杭州行きの汽車に乗った。ゆったりした乗り心地のなかで、乗客の何人かがヒマワリの種を食べていた。種は丸ごと口に入れ噛みながら皮と実を分離する。そこまでは良かった。美味しそうに食べていたのだが、いきなり口の中の皮を通路にペッと出した。びっくりしたけど乗客にとっては当たり前のスタイル・光景だったようだ。

 

鉄砲ユリも開花した。

数日前までは頭頂のとんがりが身を守るかのように構えていた。

Dsc01370_20220609181001

それが明け方新聞を出したついでに見たところ、立派な花が姿をみせてくれた。

Dsc01567Dsc01826-2時間帯によって違う雰囲気を醸し出す。

Dsc01855

昼下がり、太陽が真上に上り木の陰になった。

Dsc01738

夕刻、幻想的な姿態を見せた。

今、我が家の賑わいを作っているのがアジサイたちだ。

Dsc_6258-2

墨田の花火

Dsc_6259-2

ダンスパーティー

Dsc_6260-2

ブルースカイ

花ではないけれどビックリさせてくれたのが「ヤツデ」だ。

昨年、アジサイとのバランスを考えて、大きく切り戻したのだが、それがヤツデにはプラスに作用したのか葉が極大化した。隣地にはみ出しそうだったので切り取った。

Dsc_6279-3

これだけでは大きさは判らないけれど比較するものがあると大きさに納得する。

Dsc01813-2

文庫本と比べてみた。大きい!

さあ、次に出番を待つはランタナ(七変化)とタイタンビカスだ。ともに似たような育ち方をする。ランタナはクマツヅラ科の常緑低木なのだけど寒さに弱く冬に枯れてしまう。ところが初夏を前にその枯れたような枝から小さな芽が出てきてたちまち大きくなる。一方タイタンビカスはフヨウから生まれた宿根草で冬に枯れるが春が過ぎるとその枯れ朽ちた茎の間から新芽を出して再び1メートル以上に伸び大輪を咲かす。

すでに両者とも大きく育っている。あと二週間ほどでアジサイにとって代わって賑わいの担い手になりそうだ。

2022年6月 3日 (金)

チラシに釣られて平塚市美術館へ向かった! よかったな!

チラシに釣られて平塚市美術館(神奈川県平塚市)へ行ってきた。

Img20220410_18384347

Img20220410_18394961

作品はもちろん素晴らしく、また面白かったが、表現方法というか手法について大変いい勉強になった。かと言って私が芸術、とりわけ絵画や彫刻に挑戦できる訳じゃないけれど。

昨年の町田市美術館での版画について得た知見もそうであったが視野が少し広がったような気にさせてくれた。

Dsc09952-2

Dsc09904-2美術館自体もなかなか立派だった。

館内もユニークというか、訪れた人を楽しくする着想がある方のコンセプトかなと素人なりに感じた。

受付で迎えてくれたのは等身大のユニコーンだった。

Dsc09908

チケットを購入して展示場に向かった。

Dsc09913

内装もいい!

「リアルの(写実の)ゆくえ」の展示会場の入り口前にリアルなイグアナがいた。

Dsc09940Dsc09936

 生々しく今にも動き出しそうだが金属製なんだよね。

 展示場に入ると作り物ではなく本物かと見まがう作品がいくつも目に入った。

満足した。

この展示については朝日新聞(2022年5月17日付夕刊)の特集「彩る」にベネチア・ビエンナーレの案内とともに掲載されていた。

記事の中で「出品作品のうち7割ほどが立体表現、3次元の対象を2次元に変換する絵画と異なり、モノとしての存在感が見逃せない。立体表現は本物以上の生々しさ」とあった。確かにそうだった。冒頭のチラシの関取の動きやら筋肉の表現もそうだったが、驚いたのは義手が作品として展示されていて、その精巧さには驚かされた。

さあ次は、「けずる絵、ひっかく絵」だ。

Dsc09946_20220602171801

この展示の中で、知人からも勧められていた山内若菜さんの作品に圧倒された。

彼女は「原発事故や原爆で傷ついた『いのち』をテーマに制作を続けている」そうだ。

Dsc09930

山内さんの作品は撮影が許可されていた。

福島原発事故を題材にした「牧場 放(はなつ)」

Dsc09929

長崎をテーマにした「天空 昇」

Dsc_6141-2

広島をテーマにした「刻の川 揺」

Dsc09931

作品の大きさが分かるね!

説明に創作手法が出ていた。

「和紙の上に墨や絵の具を塗り重ね、布で画面をふき取り、洗い流し、紙やすりで削り取るという作業を繰り返して描く」そして「奪われていった命の大きさ、事故の現実が小さくされているからこそ、現実の大きさと同じ感覚で見てもらいたい」のだそうだ。

視野が広がりました。私も引っ掻いたり、削ったりしてみよう!

ちなみに6月12日(日曜日)まで平塚市美術館にて展示中。

 

«新聞の連載物にモチベーションをもらい、やっと溜め取り映画を見たよ!季節はそろそろアジサイが花開く。