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2021年11月26日 (金)

首都防衛の要塞がこんなところにあった。東京湾入口の無人島・・猿島!

いつであっただろうかテレビを見ていた時、ニュースだったか旅行番組だったか東京湾に無人島の元要塞があるとレポーターが話した。知らなかった。機会があれば行ってみようと計画した。そして満を持して実行した。猿島だ。

猿島は江戸末期1847年に首都「江戸」防衛のために日本で初めてお台場(砲台)が築造された島だ。

有名な品川沖の御台場は1854年一部築造であるから7年も早かったのだ。猿島ではその後、明治中期になって陸軍省・海軍省などにより新たな砲台が造られた。しかし、品川も猿島も実戦の場にはならなかった。

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猿島遠景(2021年晩秋)

島に渡る船は横須賀港から出ていた。東京湾の入り口といえばそうだな。出航!

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進行方向右手の馬堀海岸沖あたりかな、新しく就航した東京九州フェリーの「はまゆう」か「それいゆ」と思われる巨船が停泊していた。15,515トンだ。でかい。

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島が見えたぞー! 無人島と言いながらも実は陸に近いのだ。乗船して10分で着いてしまう。

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見ての通り海は穏やかだった。でも揺れた。ちょっと怖さを感じるぐらいだった。

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まあ。こんなに小さな双胴船だったからね。横波が揺らしたのかな?

桟橋に近づいた。

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いざ、上陸!

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 確かにここで生活する人はいないようだが、無人島なの?

観光客は毎日訪れるし、迎えるスタッフの人々もいる。かつては兵隊が生活しながら砲台の守備に当たった。明治になってからの陸軍省・海軍省の管理時代だ。

アジア太平洋戦争敗戦で占領軍が接収して軍人はもとより一般人も当然入ることのできない場所になった。その辺あたりから無人島と言えばいえないことはなかったか。

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初上陸であったこともあり、お姉さんガイドに付いて行くことにした。

ユーモアたっぷりに案内し、島のあれこれを話してくれた。

小島とは言え起伏に富んでいる。

こんな切通しを上った。

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要塞らしさが漂ってきた。

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レンガ造りの建造物が現れた。

小窓ありが兵舎。

ないものは弾薬庫だ。

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ここは弾薬庫。

そしてこちらは・・・・

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トイレなのだ。

これら施設が建造されたのは明治時代中期だったのだが、その後の急速な飛行機の発達や長距離砲の進化で使いみちもなく時が過ぎた。それでも幸か不幸かアジア太平洋戦争で復活して砲台などが造られた。

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このような高射砲が設置された。

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台座跡や連絡トンネル。

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そして、今度はほんとうに幸運にも戦火に見舞われることなく終戦を迎えた。

紆余曲折を経ながらも今は市民の憩いの場にもなっている。

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こんな浜もあり海水浴もできるようだ。

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海の向こうに横浜のビル群が蜃気楼のように見えた。

ガイドさんの案内も終わり昼食をとった。

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対岸に見えるのは横須賀の町

青天井のテラス席で食事。

ここに来たらやっぱり「よこすか海軍カレー」だね。

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美味かった!食後は自由散策して帰途についた。

 

2021年11月14日 (日)

いや面白いもんだ ! ひょんなことで探し物に出っくわす。突然「スローなブギにしてくれ」が現れた。

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我が家の紅葉・黄葉 ①(タイタンビカス)

訪ね先に約束よりちょっと早めに着きそうだったので、時間調整で書店に入った。

そろそろ来年用のダイアリーを買ってもいいなと店内を回った。目に入ってきたのが角川文庫の棚だった。「そうだ」と思い著者別の陳列「か行」の段を探した。

なんと「片岡義男」があるではないか。しかも「スローなブギにしてくれ」だ。

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早速購入。奥付けをみたら、ごく最近の出版だった。初版は平成13年(2001年)と20年も前なのだが我が手に入った文庫は今年6月発行の第8版だった。絶版でなかったのだ。

数日後の話になるが、新聞を見ていた連れ合いが「12月に山崎豊子の『女系家族』が放送されるんだけど、監督が鶴橋康夫で以前『白い巨塔』を監督した人みたい。「巨塔」では岡田准一が主演したんだけど録画してなかったっけ?」と尋ねてきた。その記事では鶴橋監督は俳優達に高く評価されていた。それもあり、彼の監督作品を観たくなったようだ。

あちこちに収納されているDVD・BDを探した。1960年代に映画化された山崎作品の録画はいくつか見つかった。

「女系家族」(1961年大映制作、監督 三隅研次、出演 若尾文子、高田美和、京マチ子、田宮二郎等)も「白い巨塔」(1966年大映制作、監督 山本薩夫、出演 田宮二郎、東野英治郎、藤村志保等)もあった。

しかし、TVドラマ化された「白い巨塔」は見つからなかった。

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2016年5月録画「スローなブギにしてくれ」他

ところが、なんと「スローなブギにしてくれ」の録画BD が出てきたのだ。すっかり忘れていた。再生もされずに眠っていた。この日を待っていたのか。

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録画したのが2016年5月。5年も前だ。

映画が制作されたのは1981年4月。40年前。出演は浅野温子。彼女の初主演作だった。彼女が19歳の時だ。小悪魔として登場し、この後スターダムにのしあがっていく。

 先ずは小説を読んでみた。

文庫は短編集だった。表題は「スローなブギにしてくれ」だったけど、「スロー・・・」は61ページの短編で他に4本、「モンスター・ライド」「ハートブレイクなんて、へっちゃら」「マーマレードの朝」「さしむかいラブソング」が収まっていた。

「主人公」は「ゴロー」と「さち乃」、わきを固めるのはムスタングの男やスナックのマスターなどの人物そして「子猫達」だ。

ゴローは18歳で転校させられた高校生。理由は成績の悪さと素行の不良のため。さらに新しい高校でも気が向いたら学校へ行き、そうでない日はオートバイに乗ってぶらぶらして過ごしていた。乗るバイクはHONDA CB500。

さち乃は高校二年生の時に家出して、それ以来家に寄りついていない猫好きの女の子。

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映画「スローなブギにしてくれ」より

物語のスタートはゴローが第三京浜をバイクで走行中に前方を走っていたムスタングから猫とさち乃がほうりだされるところからだった。

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猫が中空を舞った

猫に振り回されながらも生活を一緒にするようになった(神奈川県大和市にて)が結局彼女の猫好きが高じたところで、ゴローが癇癪を起し猫もさち乃も捨てることになった。それもドライブ途中の静岡県三島市でだ。だが、最後にさち乃が戻り、働いていたバーのマスターがリクエストに応え聴かせてくれた曲が「スローなブギにしてくれ(I want you)」(作詞:松本隆、作曲、歌唱:南佳孝)だった。小説も映画もプロローグとエピローグはほとんど共通していた。

小説のほうは、自分とは違う生き様の若者達だと強く感じたが、まださわやかな印象を持った。

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さち乃はムスタングに乗せられ海岸まで来た(映画より)

映画はちょっと違った。ゴローも成人の男で、全体としてドロドロしたところが混じり、エピローグのさち乃が戻るところなどは似た展開だったがさらに続きがあった。山崎努演じる事業に失敗した中年男、ムスタングの男なのだが小説と違って深く絡んでいた。もう一人関わってきたのが室田日出男が演じたスナックのマスターだった。

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最後にムスタングは海に突っ込んだ!山崎演じるムスタングの男は生き延びたけど同乗していた女性は死んでしまった。

実は、映画の脚本では「スローなブギにしてくれ」に加え片岡作品から「ひどい雨が降ってきた」と「俺を起こして、さよならと言った」の二作品の内容を織り交ぜていたのだそうだ。

まあ、タイトルが同じでも小説・映画とそれぞれ違った印象を持った「スローなブギにしてくれ」だったが偶然が導いた作品との出会い。よかったよかった。

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我が家の紅葉 ②(もみじ)

 

2021年11月12日 (金)

天気晴朗なれど台湾海峡波高し! 俺(戦艦三笠)まで出動?

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横須賀市 三笠公園 戦艦三笠

習近平中国国家主席は中国政権党の結党100周年の演説で台湾問題解決を「歴史的任務」と言った。

中国軍は2017年以来台湾周辺に戦闘機を飛ばし、昨年の秋からは台湾の防空識別圏に20機以上の軍機を侵入させもしている。他国から見れば「冒険主義的・挑発行為」を繰り返しているわけだ。

また、11月3日、米国防総省がアメリカ議会向けに公表した年次報告書の中で、中国が2030年までに1000発の核弾頭を保有する意向だと分析した。自力でロケットを宇宙空間に飛ばしてもいるしね。

 

何か、今にも中国が台湾侵攻するかの雰囲気だ。マスコミもあまり異論を挟まない。

 

そんな中、退役したはずの戦艦三笠に待機命令が下された。

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1905年の日本海海戦以来、主砲に弾を込めたことないんだよな~!

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ちょっと錆も出てきたしな!

でも、艦内では「自分たち軍人は重い砲弾にへこたれず日々奮励しております」と頼もしい雰囲気に充ちていた。

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指揮官も「勇猛心を持って訓練・指導に努めておる」と・・血気盛んだ!

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ミサイルだって魚雷だって我が砲の標的だ。撃ち仕留めるぞ!

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いざ、出陣!

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 1905年5月東郷平八郎率いる大日本帝国連合艦隊はロシア・バルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめした。

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1969年東宝映画「日本海大作戦」より

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・・・・夢だったか、昔を思い出した。うつらうつらしちゃったな。・・・三笠の弁

なんというかね、21世紀も20年も過ぎたというのに世界を見渡すと、いつまでも戦火が絶えず悲しくなるね。

 

ちょっと前の党首選で、近畿地区から名乗りを上げた女性候補者がアジっていた。

「日本を守る責任」を果たす為、「防衛費を欧米並みにする。ならば防衛費はGDP2%、金額で10兆円規模にしなければいかん」と息巻いた。さらに「敵基地攻撃能力」にまで言及した。

戦端を開き一発命中したとして、あとはどうなるの?報復攻撃はされないの?

アメリカの武器商人を潤し、バックマージンが袖の下に見えるのだけど、軍事戦略はなにも見えない。

第49回衆議院議員総選挙の結果も出て国会における勢力図も定まった。衆議院では改憲賛成三党・・と言っても中身は多様・・で三分の二を占める現状もある。まさに彼女の言っていることが実現してしまいそうだ。

でも、ここで戦争が勃発したりしたら、どの国にとっても勝ちも負けもなく、巷間心配されている温暖化の自然災害どころでない深刻で悲惨な結果を残すだけだろうにね。コロナ1つで経験し、目にした脆弱な現実なんだから。 

実際、圧倒的国民は悲惨を感じる間もなく、核の餌食となってあの世だと思うがね。

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ところで、話が飛ぶようだけど、実は、以前から行ってみたいと思いながら実現できていなかった戦艦三笠の見学をしてきたのだ。

この戦艦、横須賀市の現在地に1926年(大正15年)に記念艦として係留固定され、その後何回か改造されたが1961年(昭和36年)に現状のように復元された。

イギリスの造船所で1902年に竣工された15,140トンの艦船だ。その時点では無敵の最新鋭軍艦だった。日本海海戦での戦闘と戦果は映画・TVでも何回か取り上げられた英雄的存在なのだ。

既に100年以上も前のことなんだね。

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2017年12月横須賀港停泊中のアメリカ空母ロナルドレーガン

(軍港巡りの船上にて撮影)

確かに、私だって感じることがある。

中国の脅威、そして毛沢東、鄧小平に並ぶ権威になりつつある習近平さんの言動やら、その強面の得体の知れない怖さだ。香港、ウイグルを持ち出すまでもなくだ。

けれど、中国にしてみれば自国のそばに写真のような空母が配備され、虎視眈々と狙らいながら、ジェットエンジンを吹かしているのだから、強がりを言わなければ弱腰だと見られちゃうよね。

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2016年1月沖縄普天間にて

すぐ近くの沖縄にこんな基地もあったりするのだから、ますます脅威だね。

逆に、中国の核装備された空母がサンフランシスコ沖などに停泊していたらアメリカはどうするんだろう?

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沖縄のグスク上空を飛行するオスプレイ

そういえばキューバ危機って言うのがあったっけね。

喉元にドスを突きつけられたような恐怖を感じたんだろうね。フロリダ半島のちょっと先に合衆国全土を射程にいれたミサイルが配備されたのだものね。大騒ぎして世界大戦寸前だったそうだよな。

ちなみに、アメリカの核弾頭は現在3750発。(2021年10月発表)

どっちもどっちだ!

そろそろ、そんなやりとりやめてくれないかな~!

2021年11月 5日 (金)

久しぶりに小説を一気に読んだ! 片岡義男作品だよ!

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東京湾浦賀水道近くに浮かぶ大型船 2021年10月

先週、片岡義男さんが登場した新聞連載「語る~人生の贈りもの~」を紹介した。この連載、私がよく目を通す一つだ。

この欄で片岡さんの前に掲載されていたのは映画評論家の山根貞男さんのインタビューだった。

何編か彼の映画評論を読んだかな。

山根さんもなかなかだ。

映画雑誌「キネマ旬報」で映画時評を34年以上こなし、今年刊行した「日本映画作品大事典」などは22年間もかけて発刊にこぎ着けている。御年81歳。たいしたものだ。

 

「人生の贈り物」欄では登場者がインタビューに応えながら、それぞれの語り口で人生の喜怒哀楽やら艱難辛苦、現在の心境、仕事のことなどを自由に語る。

 

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2021年9月20日朝日新聞掲載

 片岡さんの語りとエピソードに興味を引かれながら読み進めたけど、彼の言ってきたこと、やってきたことが少し分かったような気になった。

片岡さんのイメージは前回触れたところだけど、関心を持ったきっかけは「青空文庫」で彼の作品を見つけたことからだ。

✳青空文庫は、著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品のテキストを公開しているインターネット上の電子図書館。(wikipedia より)

私は「文庫」では著作権が消滅した作品だけが公開されるものと思いこんでいたので突然現役作家が紛れ込んできたのかと驚いた。著者検索で「カ行」の誰かを探していた際にヒットしたのかも知れない。

もう一つ不思議に思ったのが、書店に行っても彼の本が見つからないことだった。

なんと、ほとんどが絶版になっていた。見つからないはずだ。

 古本屋でようやく見つけたのが「文房具を買いに」(平成22年5月初版 角川文庫)だった。

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「青空文庫」はインターネット環境があれば誰でも読むことができる。

我が家でも結構重宝している。映画や演劇を観た時、ネタは何だろうと調べると以外にもいわゆる文豪であったり、一世を風靡した作家の著作であったりする。原作を読みたくなった時など書店の棚で見つからなくとも「文庫」には所蔵されているのだ。坂口安吾などもそうだった。

 

片岡さんの作品が「青空文庫」で何故読めるのか本人の弁があった。

「載せませんかと言われて『はいどうぞ』と了解した。 僕は無料で貰うのはあまり好きではないけれど、無料で人が自由に使うと言うのは非常に好きなんです。」と応えていた。(book  shorts プロジェクトのインタビューにて)

そんなことで「人生の贈りもの」連載を面白く読ませてもらった。

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「文房具を買いに」表紙帯

連載第一回はオノマトペに触れながら日本語の面白さを語り始めた。「ズキズキ、ズケズケ、ズコズコ」と。

第二回は父母について語った。

お父さんはハワイのマウイ島で生まれ育った日系二世だった。成人してアメリカ本土で働きながら、金がたまると太平洋航路の船で日本に来て東京や横浜で遊んだ。祖父の実家が岩国だった。そこから見合い話が出てきて、結局結婚したのが義男の母となる人だった。1939年に義男が生まれるのだが2年後太平洋戦争が勃発。結局父母はハワイに戻れず日本での生活となった。義男は父の英語、母の日本語に囲まれて育ち、両国語を身に着けた。・・・ここまで知っただけで著作に触れたくなった。

ついでに言えば彼の父もかなりしたたかだ。戦後、GHQで働いたんだそうだ。

こんな風にして15回分を読んだ。

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 カワサキ650 RSW3

 「文庫」には片岡著作が12作品もある。(2021年11月現在)

その中で二作品を選んだ。一つは「彼のオートバイ、彼女の島」これを読み、二つ目は短編集「波乗りの島」に収録された「白い波の荒野へ」を読んだ。久しぶりに中編小説を一気読みした。面白かった。

彼のオートバイは写真の「カワサキ650 RSW3」そして、彼女の島は「瀬戸内の島」。片岡の祖父、母の実家も瀬戸内海に面している町だった。バイクの走りや、メカニックについての描写はさすがだ。

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1999年7月の瀬戸内海---旅の途上にて

「白い波の荒野」の舞台は父の生まれ故郷ハワイだが、島は故郷マウイ島の隣りのオアフ島。

この「白い波・・」は片岡の初めての小説だった。(1974年春「野生時代」創刊号掲載)

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2019年6月4日放映 NHKBSプレミアム「街歩き太平洋の島スペシャル」より

二編を一気に読んだが、片岡の小説表現はイメージをリアルに浮かび上がらせる。

「彼の・・彼女の・・」の二章では長野県上田市内で雨に降られ無料の公共浴場で雨宿りするのだが、その湯船の中で昼に出会った運命の女性に再び会う(混浴と言うか、区分のない湯船だった)。前後の表現が分かりやすくリアルに頭に入ってきた。

続く三章ではカワサキで走行中、悪ガキカップルが運転する車が、面白がって彼のバイクを煽り幅寄せをしてきた。結果はバイクの主人公が断固とした反撃に出た。悪ガキ運転者を同伴者の前でボコボコにし、おまけに車もガードレールにぶつけ大破させた。とても暴力的で、私などとてもできないことだけど現場がクリアーに見えた。

他にも、仕事先の先輩と彼の妹をめぐってバイクを走らせ決闘をした。中世の騎士のごとく馬上で槍を持って闘うようにして決着をつけた。瀬戸内海に浮かぶ彼女の島でのこともそうだった。なんと言うか、ドキュメンタリー的進行に会話を加えながら文学的にしたような印象を持った。

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オアフ島の波・・・パイプライン・・「世界ふれあい街歩き」NHKより

片岡はこのあたりの「文学的極意」について連載第9回で語っていた。

「波乗りも、バイクも好きだった。当時一番面白いと思っていたことを書こうとした」

サーフボート、バイク等々「ある種の道具立てに頼らないと話を作れなかった」

読む端から面白いといえばコミック。コミックを小説で書けばいい」と思った。等々。

この辺、「ゴルゴ」のさいとう・たかをさんが劇画つくりについて語っていた「映画の画面構成そのものを紙の上につくる」ということに、何か通ずるように感じた。

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我が家で咲き始めた菊

「彼のオートバイ、彼女の島」は大林宣彦監督によって映画化された。

映画では最後に上田市の湯船で知り合った女の子がバイク事故で死んでしまう結末だった。小説を読み進む中で、できるならばそんなジ・エンドでなければいいなと思い始めていた。願いが通じたわけではないのだが事故にも合わず、死ぬこともなかった。良かった~!

 

 

 

2021年10月29日 (金)

湘南というと桑田佳祐、加山雄三が浮かぶが、片岡義男もそうかな?と思ったけれど!

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神奈川県三浦半島手前の葉山あたりの海岸 2021年10月

事故渋滞で車が進まない。海を見たら上掲の光景が目に留まった。早速カメラに収めた。

湘南というと、そこをモチーフにした曲や映画が浮かぶ。アーチストでは先ずは桑田佳祐・サザンオールスターズかな。

彼らの1970年代末から現在までの活動はすごいもんだ。初期の作品の「勝手にシンドバット」など歌詞の中に湘南がちりばめられている。

🎵「砂まじりの茅ヶ崎、人も波も消えて」 ♬「いつになれば湘南、恋人に逢えるの」 ♫「江の島が見えてきた 俺の家も近い」等々。

写真の右端に見える島影は江の島だ。

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加山雄三は茅ヶ崎育ちだそうだが、湘南というよりも、もっと広く「海、クルーザー」という印象だな。

でも、すでに84歳になられ、病気が発症したり、所有していたクルーザー「光進丸」が火災にあうなど不運なことが続いた。また、静岡県の西伊豆にある1998年に開館した「加山雄三ミュージアム」も2022年8月31日に閉館することになっているようだ。

「海よ その愛」(2004年 発表)では ♫「海に抱かれて 男ならば たとえ破れても 燃える夢を持とう」(岩谷時子作詞)と歌った。老いたとはいえ今もなお、若大将というイメージそのままだ。そう言えば10月26日に文化功労者に選ばれたんだね。おめでとうございます。

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それでは、なぜ片岡義男が浮かんだ?

彼の作品に「波乗りの島」がある。サーフィンだ。だから湘南かと言うとそうじゃなかった。タイトルの「島」はハワイのオアフ島だった。でも、波の描写はすごい。

波は波でも湘南じゃなかった。

気になったので劣化しつつある知恵を絞った。思い出してきた。どうもイラストレーターの「わたせ せいぞう」さんの絵のイメージと重なっていたみたいだ。絵の醸す雰囲気と片岡の小説のタイトルがつながってしまってた。そして湘南だろうということになってしまってた。

彼の絵をゆっくり観賞したことがあった。

用向きで九州に行った時、最後の宿泊地が門司だった。

ホテルの近くに「わたせ せいぞう ギャラリー門司港」という作品展示の場があり、ゆっくり観賞した。

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旧大阪商船ビル(門司)

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2013年10月 門司港ギャラリー入口

絵の素養がない私などにも分かりやすく、洒落たものを感じた。

それがどういうわけか、海の描きかたからなのか、描かれたカップルのムードからか、片岡義男さんのイメージに掏り替わっていたのだ。この時点で片岡作品は全く読んでいなく、まさにイメージ先行だった。

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ギャラリー近くの船上居酒屋

そして、たまたまであるけど9月に新聞の連載「語る ー 人生の贈りもの ー」で片岡さんが登場して15回(9/20~10/8)に渡って語った。なるほどと思った。

彼のことが少し分かった気がして、片岡作品を読みはじめた。

 

2021年10月22日 (金)

エジプトで休止してエジプトで再開した美術館・博物館巡り!

東京富士美術館(八王子市)で開催されている「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵古代エジプト展」に行ってきた

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コロナ禍の中にあってあれこれ活動を自粛していた。

美術館・博物館巡りもそうだ。

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東京富士美術館正面入口

前回、美術館・博物館を訪れたのは、昨年2020年の1月から2月にかけてエジプトを旅した時だった。カイロのエジプト考古学博物館だ。コロナをまだ誰も気にしていないころだ。

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エジプト考古学博物館 2020年2月、私達の訪問時はミイラ等が

新しく建設された国立エジプト文明博物館に引っ越しの最中だった。

ところが、私たちが日本に戻りしばらくしたところ、ナイル川クルーズ船乗客にコロナ発症者が出たとの報道があった。危機一髪だった。

そして、イタリアでの蔓延が始まった。

私たちが乗船したのはその2週ほど前だったかな。クルーズ船の乗客は半数がイタリア人で日本人は30%ぐらいだったかも。それ以来の自粛生活だった。

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今回は一年八ヶ月ぶりの美術館・博物館訪問となった。しかも同じくエジプトにちなんだ古代遺物観賞だ。

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「王に授乳する女神の立像」

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「ネフェルトイティ王妃あるいは王女メリトアテンの頭部」

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これらの造形のすごいことは、推定される創作年代だ。

「授乳する女神」は紀元前664年から紀元前332年の間。そして「王女あるいは王妃」の頭部像に至ってはなんと紀元前1351年から紀元前1334年の間だというからすごい。頭部像はエジプト美術の傑出した彫像の一つとして評価されている。

解説では「自然で理想的な顔の形が入念に成形されている」としている。3500年前の彫像とは思えない出来だ。どこか、日本の女優の波瑠さんに似ているかな。

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東京富士美術館を訪れたのは初めてなのだが、私のように被写体を見つけると直ぐシャッターを押したくなる者には嬉しいルールがあった。動画撮影やフラッシュ使用はだめだが写真撮影はOKだった。昨年は見逃したが、日展も撮影可だった。そんなことで、上記のような写真も撮影できた。

ただもう一つ驚いたことは、これら発掘された考古品が自国でなく、他国に沢山あることだ。

ベルリンエジプト博物館にはエジプトの考古品が40,000点以上そして古代文書が60,000点以上収蔵されているという。

さらに驚いたのは、上野の国立科学博物館で来年1月12日までの日程で大英博物館「ミイラ展」が開催されているが、この大英博物館もすごいのだ。

なんと800万点の収集品があるというのだ。しっかり保全されているから良かったかもしれないが西洋列強植民地主義はすごいものだ。というか恐かったな。

そんなことだからエジプト考古学博物館所蔵品の日本公開でなければエジプトで観賞したものと重なるものはないわけだ。

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エジプト八百万の神々の一つ、ライオン神だ

土器もすごい。

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青色彩文土器 作年 BC1351年~BC1334年

ところで、美術館・博物館めぐりは楽しく感動もさせてくれるが、結構疲れるものだ。

3階のラウンジで休んだ。

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外を見て驚いた。

ラウンジからバルコニーに出たところ、目の前にヨーロッパの宮殿のような建物が忽然と現れた。

後で、分かったことなのだが、このあたり一帯は信仰宗教団体の施設が集中しているところだった。

そして、この美術館もその創設に関係者が尽力していたようだ。

宗教団体が創設した美術館といえば静岡県の熱海市にあるMOA美術館などもそうだ。

でも、共にその宗教に帰依しなければ入館できないとか、呪文を唱えろなどの強制もなく、純粋に貴重な美術品を鑑賞できる場であったので良かったよ!

特別展示を見た後、常設館も覗き、帰路についた。

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久しぶりに堪能したよ!

2021年10月15日 (金)

お彼岸には少し遅れたけれど墓参してきた。静寂に包まれたここは密教寺院!

秋のお彼岸には少し遅れたけれど、久しぶりに連れ合いの実家菩提寺に行ってきた。

早世した義父と義姉が永眠している。

都心からはJR 中央線でも西武新宿線、池袋線、どれを利用しても行ける所だ。

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なかなか立派な門構え。

真言密教の寺院なのだ。

所帯を持つまで密教の法事に参列することなどなかった。

我が古里の菩提寺を見ると、父方は浄土宗で南無阿弥陀仏、母方は日蓮宗で南無妙法蓮華経だった.

法要の際、どちらの宗派も現在では初七日供養までを一日で済ませ、その二度目のお焼香が済み仏事が滞りなく終わるや、住職は参列者をねぎらいながら故人にちなんだ話や、遺族を励ます言葉かけをし、浄土はこうだ、以後日々このように心がけると良い等々の説法をされた。

ところが、真言密教は全く別物だった。結婚後はじめて法事に参加して驚かされた.

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密教はことごとく違った。

最初から終わりまでサンスクリット語、つまり何を朗誦しているのかちんぷんかんぷん。

ノウマク・サンマンダバサラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン・・・・まあ、「真言」が唱えられていることは承知しているのだがね。

そして途中で踊るように立ったり座ったりした。「御勤め」が一通り終わると頭を下げてそのまま奥に引き上げていってしまった。

こちらとしてはありがたいお話を聞かせていただけるかと「期待」していたのだがね。

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ここの宗祖は弘法大師空海だ

日本における真言密教は空海が始祖であったと思うが、彼が生きたのは奈良時代末期から平安時代にかけてだ。(774年~835年)

空海が遣唐使として長安に着いたのは 804年12月のことだった。

学んだことは真言密教。そして当時の唐で接することのできる諸文化だった。

密教は大乗仏教の一派とはいえ、発祥地インドでヒンドウー教やゾロアスター教の影響を強く受けていたようだ。

生半可の情報だけれど、ヒンドウーに似ているなと思ったのは化身という考え方だ。

真言宗は同じ大乗であっても密教以外を顕教として区別し、顕教は釈迦如来を本尊として修行を積まなければ成仏できないのだが、密教はすべてのものは大日如来が姿を変えたものであり、形、見える姿が違って見えるだけだという。

仏も人も本質的には同じであり、人がもともと備えている仏性が表われば、現世における肉体のままで仏なのだそうだ。

即身成仏なのかな。

ただ、現実の自分が仏とは大違いであることは誰でもわかること。そのため、仏と一体となった境地を実感するために修行を積むのだそうだ。上座部仏教に近いような感じもするが、そのへんの理解は和尚さんにもう少し聞くしかないかな。

ところで、このお寺に関わって面白いことを聞いた。


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金剛力士像

面白いと思ったのは真言宗であるから本尊は当然大日如来なのだが、こちらの寺ではもともと不動明王が本尊だったというのだ。

江戸時代に火事で不動明王を焼失してから大日如来になったという。

それでは宗旨換えをしたかというとそうじゃないのだ。

不動明王は大日如来の関係者だったのだ。と言うよりも大日如来の化身だというのだ。

大日如来の姿かたちは私にはパッと浮かばないのだが、柔和なんだそうだ。そこで優しさだけでは通用しない人々を救済するために化身した不動明王は怒りの形相をしているのだと。

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江戸時代から安置されている六地蔵尊

ところで大日如来の名前はこれまでも耳にはさんでいたものの良くは知らない。ただ、まったく非学問的、素人的断片知識での推測でしかないのだが、空海が唐の長安で学んでいた時、そこには仏教寺院だけでなく道教をはじめとしてゾロアスター教寺院や明教(マニ教)寺院、そして景教(キリスト教ネストリウス派)寺院さらに清真教(イスラム教)寺院などもあったらしい。景教などは7世紀にペルシアを経由して入って来て唐王朝(618年~907年)末期には仏教などと共に宗教弾圧(845年~)の対象になってしまったのだが、空海は好奇心旺盛にこれら宗教の教義も学んだんじゃなかろうか。

真言密教は何か太陽神というか一神教にも近しさを感じさせる。

ここで思い出したのが13年前の旅だ。

インドネシアのバリ島とジャワ島を旅した。そこで仏教遺跡に出会った。

大乗仏教のボロブドゥール遺跡だ。ジャワ島だった。

近くにはヒンドゥー遺跡もあった。

 

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バリ島内 ヒンドゥー教寺院 2008年3月

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ジャワ島ボロブドゥール遺跡群

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ボロブドゥール遺跡はイスラム教徒が世界最多を誇るこの国にあっても破壊されずに仏教遺跡として保全され、多くの観光客を呼んでいる。また上座部仏教が主である東南アジアであるにも関わらず大乗仏教なのだ。

比較的身近な菩提寺の話から始めたけれど、自分なりにちょっとだけど、掘り下げたり、周辺のことに触れてみると面白いものだ。

 

 

2021年10月 8日 (金)

ゴルゴ13! 高倉健版&千葉真一版デューク東郷 ! 映画を観た!

さいとう・たかをさんが9月24日にお亡くなりになった。享年84歳。

「ゴルゴ13」で知られる劇画家だ。

この7月に「単行本 ゴルゴ13 201巻」が発売され、その巻をもって「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」のギネス世界記録と認証されマスコミを賑わしたばかりだった。

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SPコミックス 「ゴルゴ13」112巻 死臭の聖者 表紙カバー

(1999/4/26 初版第1刷発行)

その二ヶ月前の5月、 WOWOW で「生誕90年 高倉健特集」があり、「鉄道員ぽっぽや」「居酒屋兆治」など計19本が放映された。「ゴルゴ13(1973)」もその中の一本だった。(健さんは1931年生まれで、7年前、83歳で没された。)

我がライブラリーには健さん映画は既にほとんどあったが「ゴルゴ13」はなかった。いや、そもそもゴルゴの実写版があることさえ知らなかった。早速録画した。

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SPコミックス「ゴルゴ13」121巻 贋作工房 表紙カバー

(2001/8/5 初版第1刷発行)

さいとう・たかをさんはゴルゴ(デューク東郷)の人物を作り上げていく上で30歳代の高倉健さんをイメージしたということは聞いていた。(2014年 ダ・ヴィンチ3月号)その辺りの縁もあって、映画も創られていったようだ。

お読みになった方もいらっしゃるでしょうが、ウィキペディアで紹介されているエピソードが面白い。

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1973年版映画タイトル

1973年版映画だから、1971年か72年頃だろうと思うが、さいとうさんが東映に「ゴルゴ」の映画化を打診された。「ゴルゴ」の連載は1968年からだから、まだ3年目か4年目の頃だ。あまり乗り気でなく、無茶なことを言えば諦めるだろうと、条件として「オール海外ロケ」「主演は高倉健」と返事をした。ところが東映は受け入れ、映画製作が始まったのだそうだ。そして高倉版デューク東郷が生まれた。

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東映1973年版「ゴルゴ13」より

映画を観賞した。

健さんゴルゴはカッコよかった。海外ロケはイランだった。

ただ、映画の展開がちょっと冗長だった。オープニングで、ゴルゴが依頼者の前に出現するシーンでも感じたが、最終盤に至り敵のヘリを撃墜するまでは良かった。だが、その後、熱砂をさまよいながら最後の標的を目指して進むのだが、ここが必要以上に長いと思いながら観ていたら、突然ターゲットがライフルの照準器に収まっていた。突拍子もない飛躍があった。

もっとも、当時のイラン・パフレヴィー王朝(当時日本ではパーレビー王朝と表記されていた。)の開発独裁体制の中で思うように撮影が進まなかったと回想されてもおり、多分様々な制約があったことによりシーンも切り刻まれツギハギ的な印象を残すことになったのだろうな。

それから6年、1979年になり、王朝はイスラム教原理主義勢力に権力を奪取され潰え去った。ちなみにアメリカとの対立はこのあたりから深まって現在に至るようだ。

千葉真一版デュユーク東郷も観た。香港が舞台だった。

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ゴルゴ13 九竜の首 1977年公開より

ユーチューブなどで予告編はあったのだが、当然ながら本編はない。

チェックしていたところ、rakuten tvで観られることが分かった。楽天はこれまでもホテルの予約などで利用しており、登録もしてあったのですぐ観ることができた。

千葉真一さんはうまい具合にメーキャップされていた。シーンによって印象は違ったが、劇画から抜け出したかのようにゴルゴそのものになりきっていた。ストーリー展開は4年前の作品よりぐっと良くなり面白く見ることができた。

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劇画も物置から引っ張り出して読んでみた。(観てみたか?)4冊あった。

なかなか面白いではないか。弟たちが見たものか、息子たちが買ったものか分からないが、私自身は劇画と接することはこれまであまりなかった。

ギネスを機にさいとうさんがTV.新聞などのインタビューに応え、ゴルゴが長く続いている要因をお話しされていた。一つはテーマが多彩であることだ。コミックを読み始めてその辺りは、まったくそうだなと共感することが多かった。

7月に大学教授でゴルゴ愛読者である土岐寛さんが新聞に語っていた。(朝日新聞2021年7月5日)

「領空侵犯など、日本が置かれている国際的な緊張関係も取り入れている。常に「現代」に訴える内容が、読者がついていく魅力になっている」「ストーリー展開も巧みだと思います」

そして、これを可能としているのは「作品が共同作業でつくられている」からだというのだ。原作・脚本や作画が斎藤さん一人でなくシナリオ作家から直木賞作家まで含めた多彩な専門家によって担われているのだそうだ。これならマンネリにならないね。斎藤さん自身も3年前の連載五十年に際して語っている。「ドラマを考える才能、絵を描く才能、構成する才能は本来別なんですよ。全部持っていなければいけないってのはムチャクチャですよ」(2018年10月17日朝日新聞)

そうだよね。それに加え画面構成というか割付について劇画という言葉を作り出したさいとうさんならではに語っているのは「手塚治虫先生の「新宝島」に出会い、紙の上で映画ができると衝撃を受けた」(2019年6月 手塚治虫賞受賞時スピーチ)ということであり、映画の画面構成そのものを紙の上でつくることがずっと貫かれてきたことが大きいなと感じた。

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さあ、観始めたコミックスをさらに観続けよう!

 

 

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2021年10月 1日 (金)

もの憂げに 彼岸を想う 蛙かな・・・でなくて、実は厳しい食物連鎖の一端だった!

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彼岸花が一斉に咲き始めた。

毎年のことだけれど、いつもアッという間に育つ。

スルスルと茎が伸びたかと思うと翌日か、翌々日には蕾がほころび、そして次の日には美しい全容を見せる。

蛙もじっと見ているかのようだ。

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蛙だけではない。カマキリまでもやってきた。

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蝶々は花から花へ舞っている!

揃って花見かな?

「もの憂げに 彼岸を想う 蛙かな」

まさか、昆虫世界はそんな甘いものではないのだ。

生きるか死ぬかなのだ。

たまたまだけど、その厳しい現実を目の当たりにした。

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狙われているよ!

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標的になっていることに気づかず蜜を吸い続ける

 

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危ない!

自分よりも図体が大きい獲物を簡単に仕留めた。

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この間1~2分の出来事だった。

蝶は数分前にどこかから飛来した。

アジサイの残り花やら七変化などに寄りながら彼岸花にたどり着いた。

カマキリはゆったり移動していた。

そして、前述の通りとなった。

生態系を守るということはこのような酷いような食物連鎖も知らなくてはいけないんだよね。

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しばらくしてから見に来るとカマキリは何事もなかったかのように金柑の枝にぶら下がっていた。

腹ごなしのくつろぎ方なのか?人が近づいているのに身じろぎひとつしない。

他の昆虫たちも餌探しであるか、ただ徘徊しているだけなのかあちこちに居る。

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カワトンボはカマキリのそばにこそ近づかなかったけれどこの日もやってきた。

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虫たちはどうも、アジサイが好きなようだ。

葉が手頃な広さを確保できるのか、滑り止めが効いているのやらわからないけれど。

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いつも不思議に思うのだけれど彼らはどこで生を受け育ち、何の伝で我が家に来るのやら。

彼らは我が家の庭で何か生活の糧を得られるのかな?

まあ、食物連鎖も大事だけれど、生物多様性も忘れてはいけないな。

その点で、我が家は少しは貢献しているかな。

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アジサイの葉の裏を覗いてみた。なんと、こんなペアの抜け殻があった。長い地下生活の中で、「地上に出たら一緒になろうね」と約束し、添い遂げて、納得の生涯を送ったのかな。

 

彼岸花も満開になった。

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そして、彼岸花は今は散り、茎だけが空を仰いでいる。

でも終わりでない。これから長い葉を伸ばしてくる。初めて見る方は彼岸花だと分からないかもしれない。葉は生い茂るように伸びて半年ほど光合成を続け、しっかり地下茎に養分を蓄え、周りには酸素を放出し、来年さらに鮮やかな花を見せてくれるのだ。

 

 

2021年9月24日 (金)

温水池とは冷たい湧水を温める所だったんだ!

さあ、目指すは温水池。

温水池は冷たい湧水を灌漑にちょうどよい具合に温めるところなのだ。

農業に携わっていれば、言わずと知れたことなのだろうが、勤め人の家に生まれ、自らも勤め人となり、さらには勤め人と一緒になって現在に至るわけで、恥ずかしながら初めて知った。

繁華街を抜けて先に進んだ

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水の流れとともに森の中に入って行くかのようだが、実は住宅街の中なのだ。

近くにはTEC(東芝テック)の大きな工場もある。

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両岸には花が咲き、木が覆いかぶさる。

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NPOの方々が目標として、努力されたことの一つが三島梅花藻(清流に育つ多年生の水草)の育つ川だった。

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流れに美しく映える三島梅花藻

温水池に着く前にこぢんまりとした公園があった。

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公園は流れの右手に広がる

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水の苑緑地と名付けられていた。

ここで小休止。

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池のそばに歩み寄ると出迎えの魚列が姿を見せた。

鯉たちだ。水の中から私たちがどの様に見えているのか知らないが、地元の人にも可愛がられているのだろう。恐れることなく歓迎の泳ぎを披露してくれた。

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ここから流れはJR三島駅から下ってきた道を潜りぬけ、国道1号線の傍に向かう。

そこは箱根芦ノ湖まで車で40分弱で着く所に位置している。

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子供たちが楽しそうに水遊びをしていた。

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気持ちいいね。気をつけてね!

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もうすぐ温水池だ。

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ここで流れは最後の道路もぐりで、国道1号線の下をくぐる。

温水池到着。

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鴨の集団が何故かこの大柄の鳥に仕切られていた。

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道のり1.5キロメートルと、散歩に程よい距離だった。思った以上に自然と接することができた。

このあと最寄りの駅である三島二日町駅に向かった。JR三島駅から3つ目の駅だ。

スマホアプリのY! MAPを使って道を探りながら1キロメートルほど歩いただろうか、無事駅にたどり着き、電車に乗って帰路についた。

この日の歩数は9578歩だった。

«ドブ川転じて農業用水、生活用水、そして子供の水浴場に。さらに「平成の名水百選」認定へ!