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2016年10月14日 (金)

中国残留孤児について考えた!             感謝中国養父母(シンポ横断幕より)

中国残留孤児に関わるシンポジウムが両国の江戸東京博物館であった。
ホールで映画を鑑賞してパネリストのお話を聞いた。
 
Dsc01947
 
           江戸東京博物館
 
たまたま知人からこんな催しがあるよと声をかけられた。
今ちょうど眠る間際に布団横でまどろみの友としている小説が満州(中国東北部)などユーラシア大陸を舞台にしたものであることから頭が反応した。
床につくや毎晩、頭の中は満州国に瞬間移動する。
昨日も時空を漂い1930年代にいた。
そんな時空間倒錯もありシンポに行くことを決めた。
 
この本、冒険小説家船戸与一さんの遺作「満州国演義」だ。
全9巻とかなりの長編だ。この間1ヶ月から2ヶ月に一度ぐらいの間隔で各巻が発行されてきた。各巻とも700ページ近い。
昨年の8月1日に第一巻満州国演義「風の払暁」の第一版が発行された。
早速読み始めた。
 
Funado1001
 
そして今年2016年8月1日 第九巻「残夢の骸」発刊で完結した。
 
Funado1002
 
私はまだ追いついていない。第六巻の途上だ。なかなか長丁場だ。
一巻の書き出しは戊辰戦争の会津での戦い場面であり、日清日露を経て、ノモンハン事件まで来た。
この間 5・15、2・26、柳条湖事件から満州国、そして上海事変から南京侵攻と進み、統帥権の名のもとに軍部の独走と謀略が始まった。勿論、利益を得ようとする集団との二人三脚だったが。そして多くが満州が舞台であった。
 
その中を日本人四兄弟が活動し、数奇な運命をたどる。
これらについては読了したならば、あらためて感想などを記してみたい。
 
さて、残留孤児に関心があったのはそれだけではない、先日見終わり、前回のブログでも触れたドラマ「沈まぬ太陽」も背を押した。
原作者は山崎豊子さんでありドラマの主人公は上川隆也さんだった。
このコンビが私を中国残留孤児に関心を持たせた原点なのだ。
と言うのは、このコンビとの最初の対面がTVドラマ「大地の子」(著者 山崎豊子)(主演 上川隆也)だったのだ。(1995年NHK作品) 
中国で日本人残留孤児となった陸一心を主人公としたドラマだ。
 
Funado1003
残留孤児を演じた上川さんは流暢な北京語を披露してくれた。
それ以来「遥かなる絆」や「開拓者たち」などのいくつかのドラマで満州が取り上げられた。
 
帝国陸軍・関東軍の防衛線後退と南方転進があり、ソ連軍侵攻時には開拓民が盾とされた。
ドラマでは国策開拓民であったにも関わらず棄民とされた満州開拓団の人たちの艱難辛苦と悲劇が公にされることになった。「開拓者たち」では日本帰国後も那須開拓などで大変な苦労をされたことも知らされた。
 
残留孤児と聞いてもイメージが沸かない人が最近では多くなっているかもしれない。
ひところはテレビも新聞もよく取り上げていた。
最近はあまり見ることもない。
 
満州国は1932年中国東北部に「建国」された。
当時の日本は疲弊し農村では子女を売り飛ばし口減らしすることもあった。
そんな時、国は満州を新天地だと喧伝し、決意した農民が開拓団に組織され満州に送られた。
しかし、意気揚々と開拓の夢を持って渡満したのだが、実はそこは未開墾地ではなかった。そこを古里とし耕作を続けて豊かな地にしてきた中国人農民から奪い取った土地だった。そうであったが「開拓団」の人々は仔細を知らぬままに農業に励んだ。
その日本人開拓民の子供たちが戦争末期から終戦の混乱の中で親とも離れ離れとなり日本に帰れず残留せざるを得なかったのだ。
今回のシンポジウムは辛酸をなめた残留孤児のみなさんの生の声を聞く良い機会であった。
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       中国民族楽器による合奏をする帰国者及び二世、三世のみなさん
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          舞踊劇・・・日本人孤児が中国人養父母と出会う場面
 
お話を聞く中で初めて聞くことがいくつかあった。
残留孤児だった方も、戦後70年を経て最年少者でも70歳代に達した。
配偶者となった中国人を伴って帰ってきた方も大勢いた。
そして、今や二世、三世と呼ばれる子や孫も育った。
能力を発揮して大学の教授として頑張っておられる方もいる。
 
皆さんは一様に中国の養父母への感謝を語っていた。
ドラマでも見ることがあるのだが、養父母は日本兵の暴虐には憎しみを持っていた。
しかし、それでも目の前の孤児を見捨てず、たとえ「日本鬼子」(リーベンクイツ)の子であっても人間性豊かに接し養った。
敵国の子供を育てることには周囲の目も厳しかった。
とりわけ文化大革命時にはひどい目に遭うこともあった。
 
そんな父母に孤児の皆さんは感謝をしている。そして日本国としてもしかるべき位置づけをするべきだと主張された。
標題にある「感謝中国養父母」は、続く「感謝中国政府和人民」で全文となる。登壇した残留孤児の皆さんが掲げた横断幕の言葉だ。
 
中国側の発表でも日本人孤児は4000人を超えるようだ。
そして驚くべきことにその内1500人が未だにルーツが判明していないという。
さらに、悲しいことに親族だと分かっていても諸事情で名乗り出ない日本人親族もいるのだそうだ。
あと、考えさせられたことは、現在も生存され中国で暮らしている中国人の中に日本軍によって実の父母を殺されて孤児となった方が多くおり、それは日本人残留孤児の数をはるかに凌ぐということだ。
日本人残留孤児の皆さんも、そのような事実を度外視したらまったく片手落ちだと強調されていた。
Dsc01994
 
9月に熱戦が繰り広げられ大いに沸いた両国国技館もこの日はいつもどおりの平和な佇まいをみせていた。
 
 

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