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2017年4月15日 (土)

台湾旅行準備で映画を見る③KANO 1931 海の向こうの甲子園

映画「KANO 1931 海の向こうの甲子園」 2014年 台湾作品

この映画は1931年(昭和6年)に台湾の農林学校野球チームが甲子園で準優勝した実話に基づいている。

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     この時の参加チームは朝鮮半島からも「満州」からも勝ち抜いて来ていた

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「KANO」とは嘉義農林学校(日本語読みで カギノウリン学校)のKAGIの「KA]とNORIN「NO」をとったものでユニホームの胸マークだった。

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前回のブログでこれから見る映画はあと二本だと書いたが、一本がこれで、あと一本が「セデック・バレ」(霧社事件)だ。

たまたまこの二本、我が家の録画ライブラリーにあったのだが、私にとってはなんと奇遇かと驚かされた。

この「海の向こうの甲子園」の制作者であり脚本を書いたのが「 徳聖(ウェイ・ダーション)」氏なのだが、セデック・バレの映画監督でもあったのだ。

また、前回台湾を訪れた際、立ち寄ったライブハウスで演じていたバンドのボーカリストが「セデック・バレ」に出演した俳優でもあった。

本題から離れるが、その時に彼が熱唱したのは「ホテルカルフォルニア」だった。すごく印象深かった。このことは当時ブログにも書いた。

そんなことで関心があったのだが、実はこの映画「セッデク」はかなり長尺物なのだ。

二部に分かれ第一部 144 第二部 132分で合計4時間と36分。

 おいそれとは見られない。自慢じゃないが今日まで観ておらず、これから観るのだ

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          この予選で「KANO]は優勝する

これらの映画、共に魏氏がかかわっているのだが、 親日、反日の両極端のエピソードを題材にしているのが面白い。

「KANO]は親日的、「セッデク」は突出した反日である。

このエピソード、ほぼ同時代の出来事。

「セデック」 = 霧社事件が1930年10月。「KANO]は1931年夏の甲子園だ。

また、ともに「植民地台湾」の出来事であることは紛れもない事実。

1895年の下関条約から35~36年目の事だ。

そのあたりを見ると、「KANO]も親日というよりも皇民化策の到達であり、台湾人視点での帝国主義本国の融和策の実態として描かれたのかも。

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          台湾の街中にもこんな標語が

物語は敗色濃くなってきた1944年の基隆から始まる。

「悲情城市」舞台の数年前の雰囲気が伝わってくるようだ。

日本本土から到着し、これからフィリピンに送られる将兵を列車で台南の港まで移動させる場面だ。

その一群のなかに、13年前の1931年に甲子園で台湾チームと対戦し敗戦投手となった者がいた。その人物の回想を交えながら物語が始まる。

台湾映画なのだが日本人俳優が主人公だった。

野球部の監督を務めるのが「永瀬正敏」。

「大沢たかお」は台湾のインフラ整備を象徴的に描いた灌漑工事の水利技術者として登場。などなど。

なかなかの名演技だった。

農業学校が舞台であったので水利は大事なことだった。

それもあって甲子園での準優勝と灌漑工事完成を成功談として挿入したのか。

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        田んぼの中を走り込み鍛えた。ここの水は担いで運んだ。 

       灌漑工事でその労力が軽減された。

言語状況も当時の実態を描いたと思うのだが、日本語に加え、台湾語、客家語、アミ語による会話が入り交じりストーリーは進んでいった。

台湾予選での勝利インタビューの時、記者の一人に野球部員が日本人、漢人、蛮人(蕃人かも)によって編成されていると馬鹿にされた。(※この記者は高砂族のことを蛮人[蕃人]と呼んだ。高砂族という呼称も日本統治時代の呼称でしかないが)

それに対し永瀬演ずる監督が反論した。

「蛮人は走りで、漢人は打撃で、そして日本人は守備で力を発揮する理想的なチームだ。だから甲子園へ行くのだ」と。

この采配で監督は信頼を得ていく。

選手たちには「勝ちたいと思うな、負けられないと思え、お前たちには無限の力があるんだ。野球は呼吸だ、みんな呼吸を合わせろ!練習はうそをつかん、自分の物にしろ。」等々。

予選に優勝し甲子園に向かうことになった。

街の人々もラジオに釘付けで勝敗を見守った。

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         頑張った選手たちは台湾の人々の誇りとなった

甲子園で台湾チームに勝ったのは中京商業だった。

本当に伝統校なんだね。

台湾チームで活躍した選手たちは戦死した者もいたが戦後、台湾球界を引っ張ったものや母校に戻り教鞭をとった者、そして日本球界で活躍したものもいた。

映画はなかなか後味のいいものだった。

そして日本統治の50年の中での台湾の人々がどうなていったのかということも垣間見たような気がした。

50年もの他民族支配。

台湾とりわけ先住の人々は言うそうだ。

「以前は清・満州族に支配され、次は日本人、今度は中国人・漢民族に支配された」と。

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  暖かくなってきたら満天星つつじが花をつけた。チューリップとコラボ。

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   世間に少し遅れ我が家のサクラン坊桜の花も咲いた

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