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2019年4月

2019年4月26日 (金)

二十代の頃にバンテアイ・スレイに立つことができていたなら、マルローの本も面白く読めただろうな!

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二十代だったろうか、かつてなく本を読むことに励んだ時があった。

でも、実際はページをめくるに忙しかっただけみたいだった。

なんにも身についてはいないのだ。

そんな本の一つにアンドレ・マルローの「王道」もあった。

もし、その時点でバンテアイ・スレイに行っていたなら少しはきちっと読んでいただろうにと今思う。

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「東洋のモナリザ」と称される像の1つ

マルローはこれら「モナリザ像」の一部を盗掘し逮捕されたようだ。

インドシナがフランス植民地だった頃だ。

アンコールワットのレリーフも見事だったが、こちらは彫りが深く緻密さを感じた。

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クメール人の国を歴史の流れの中で見ると面白い。

元々は今のカンボジアとそんなにずれてはいないところに興り、その後インドシナ半島全域に版図を広げていった。

次に行くベトナム・ホーチミン市などもクメール人の王国の中にあった。

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レリーフから伺える王侯貴族の暮らしは煌びやかだ。

しかし、支える庶民というか農奴というか、彼らにはきらびやかさなど縁がなかった。

歴史書を見ると、紀元1~4世紀には西方の文明に影響されて、王権はインド化し神格化されていったのだそうだ。

また、一方で統治の諸制度はシナ化(現在の中国化)され、これらが相俟って商業も発展したようだ。海路も重要だったようだ。

これは後のベトナム人による国にも引き継がれていく。

しかし、そのような発展の恩恵を受けたのは王侯貴族だけで、大衆はそれら上層階級とは全く分離された古来の貧しい存在だったようだ。

建物の入口に座す門番のような像を見ると面白い。

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猿のような像。

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仏像のような像。

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これも猿かな。

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これはカッパか烏天狗か?

これらの全く違う顔貌の門番が狭いところに一緒にいるのだ。

次に向かったのはタ・プローム。

ジャングルに埋もれていた遺跡が発見当時のままに保存されている。

石やレンガの建造物が太い樹木の根のようなものに絡みつかれているのだ。

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自然の力を感じる不思議な光景だ。

さて、現実に戻ろう。

遺跡の外では楽団が演奏していた。

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戦争で負傷し、障害を負った人々だそうだ。

一方で南国の暮らしを満喫している人々もいた。

どこにも、ハンモックで体を休めている人がいた。

それも一様ではない。

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蚊帳のようなハンモック。

しっかり寝ていた。

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気持ちよさそう~!

街は以前より賑わいが出てきたようだ。

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市場を覗いた。

活気に溢れていた。

さあ、一休みして、夕食後にベトナムに向かうのだ!

 

2019年4月19日 (金)

桜の季節が終わるぞ。          遺跡群は悠久の流れにゆったり身を任せ不動だが、桜花は「明日ありと思う心の徒花」なのだ。再び、カンボジアからひとっ飛び!長野・高遠へ!

カンボジア三日目は、生命力そして自然の凄さを目の当たりにできるタ・プロムへ!というところなのだが、日本の関東、東海地方は早、桜が散り始めたとの情報。

そこで、話半ばだけど、年初から決意していた「今年こそは高遠へ行くぞ」とのことを実行した話を時空を飛び越えて先に記す。

高遠では我が住まい周辺の桜吹雪をよそに、まだ三分咲きだという。チヤンスとばかり赴いた。

その前に、先ずはシェムリアップのホテルからタ・ブロムへの道すがら印象に残った光景をアップしよう。

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南国だね!

人が干渉しなければ、こんなお付き合いもあるのだ。

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白い鳥が水牛とお話している。

まあ、のどかだね。戦争が嘘のようだ!

この続きは、次のブログに記そう。

  

 

何はともあれ、瞬間移動!

シェムリアップのローカルロードから新東名高速道路へ飛ぶのだ!

インターから程近い朝霧高原で見事な富士山が目の前に迫った。

日本だ!

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遠眼に見える富士山とは違い厳しさも伝わってくる。

富士五湖・精進湖では春うらら、釣り人がのんびり糸を垂らしていた。

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真冬に通ることがあっても、この時期には、ほとんど来ることがなかったかな。

贅沢な余暇・趣味の時間の過ごし方だ!

中央高速を北に向かった。

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走っていると、いつも八ヶ岳の美しさに見とれてしまう。

ゆっくり眺めてみたいと長野からの帰り道に上りパーキングに入ったのだけど木々に囲まれていて全くその姿を見ることができなかった。

そこで、今回は下りパーキングに入った。

正解だった。

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ゆっくりその姿態を拝むことができた。

諏訪南インターで降りて、茅野市から高遠を目指した。

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日光のいろは坂や箱根・小田原を結ぶ国道一号現道のような緩やかだけど、くねくね大きく曲がる坂を登っていく。

登りきったところに「杖突峠」の茶屋があった。

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腹ごしらえすることにした。

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蕎麦を食べた。ちょっと太くて固めなのだが美味しい。

駅のホームで、たまに立ち喰いそば食べるのだが、正直、美味しいと感動することはめったにない。

それはともかく、座って外を見ると、景観が素晴らしいではないか。

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遠く向こうに諏訪湖が見える!

外に出ると展望台があった。

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何か工事中みたいな雰囲気なのだが、入るとすばらしいパノラマがあった。

感動ものだ。

桜は三分咲きとそれほど期待していなかったので、この景観を見ただけで来てよかったと得心した。

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この全景を一望できるのだ。

満足した。お店の中に高遠桜のポスターがあった。

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高遠城址公園に着いた。

案の定!見頃はもう少し先なのだが、駐車場は満車に近かった。

でも、こんなに咲いている木もあった。

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出店をのぞき、遠景を見て帰路に着いた。

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この日は、杖突峠のパノラマで全て良しとなったドライブだった。

我が家の桜桃も開花した。

それはそれなりに美しいのだ。

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サクランボの花だから鈴生りなのだ。

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年毎に花が付いてきた。

今年は実を食べれるかな?

ポチッとよろしく!

2019年4月12日 (金)

カンボジアの長い一日だ~!

素晴らしく、幻想的な日の出から始まったカンボジア第二日、長い一日が始まった。

いつでもそうだが、旅に出ると普段の日の数倍”生きた”という感覚が生じる。

確かに、普段よりも密度の濃い時間を過ごし、歩数も数倍になる。おまけに酒の量も会話も間違いなく多い。事実として一日が濃密なのだ。

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リゾート気分を盛り立ててくれたホテルのプール

日の出を堪能したあと、各回廊、中央祠堂などをめぐった。一旦ホテルでリラックスタイムを過ごし、午後から夜にかけてアンコールトム、そしてビッフェの食を楽しみながらのアプサラダンス鑑賞となった。

時空間を無視して一日を振り返ろう。

上の青い水、飛び込みたくなる。今回は水着を持参することを思いつかなかった。

これまでの旅でも何回か水に浸かってきたのだが残念。

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右に見える建物にマッサージルームがある

しかし、友人はしっかり泳いでいた。その代わりではないのだが、ホテルの特別サービスでマッサージを利用できるというので早速申し込んだ。

女性三人は足裏マッサージ、私は肩のコリをとることをお願いした。

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足蹴にされているのだが、いじめられているわけではない。

それなりにツボを押さえ気持ちよかった。

数年前にタイ・バンコクで本格的なタイ式マッサージをお願いしたことがあるが、そのときは大変だった。先ずは冷房が効きすぎなのに上半身裸にされ、さらにマッサージが生半可でなく「これでもか」と捻られるように痛めつけられ、寒さと痛さで震えてしまった。

さて、アンコールワットに戻ろう。

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第一回廊の見事なレリーフに感嘆しながら十字回廊に向かった。

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見事な石造りだ。

クメールの王朝はインド文明の影響を強く受け、宗教としてはバラモンから始まり、ヒンズーがこの地で成熟したようだ。しかし、王朝が滅亡したあと仏教徒が建造物を使い始めた。仏教徒といっても日本的大乗仏教でなく上座部仏教、昔は小乗仏教と「大乗」から言われていたものだ。

現在も健在だ。

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ただ座っているわけではない。

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しっかり庶民の悩みを解決しているのだ。

第二回廊から中央祠堂を目指し、第三回廊との間にあるテラスに出た。

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中央祠堂に登るつもりであったが、この日は月に4日ある仏日にあたり入ることができなかった。

15年前は登ったのだ。

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ここを登り、上から見るとすごいのだ。

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なかなかスリル満点だった。

こんな人間の楽しみを、じっと見ているものがいた。

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遺跡の中を自由に駆け巡るサルたちと鳥たちだ。

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全然物怖じせず堂々としていた。

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合わせて遺跡周辺で暮らす動物たちを紹介しよう。

猿と言えば犬だ。

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この犬の休み方、日本で見る犬たちと少し違う。

これはカンボジアに限らず、東南アジア一帯で見られる犬の寝姿だが、多分暑いのだろう。そして体を冷やすために石畳やコンクリートに密着するように寝るのだろうか。

そして、日本では見られない自由奔放な牛たちだ。

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どちらまでお帰りですか、おすまいは?

アンコールトムに向かった。

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王都の入口だ。

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なかなか個性的!

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アンコールトムと言えばやはりこの像。

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そして、宗教儀式や宮廷の祝い事で舞われていたアプサラダンス。

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夕餉のひと時舌鼓をしながら鑑賞した。

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ほろ酔い加減でホテルに戻った。

 

 

 

2019年4月 5日 (金)

早起きは気持ちがいいものだね!  アンコールワットの日の出!

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アンコールワットの日の出(朝6時57分の景観)

この日の出を見るため、朝5時10分すぎにホテルを出て、アンコールワットの入場チケット売り場に向かった。

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(5時27分)

チケット売り場に隣接する伝統的建築様式の建物がライトアップで浮き上がった。

これはアンコール・パノラマ・ミュージアムだ。

アンコール王朝時代の人びとの生活や戦争の様子を円形ホールの壁面に3D映像を写して見せるのだそうだ。

私たちは残念ながら寄れなかった。

まだ薄暗い。

出来上がったチケットには顔写真が印刷されていた。(私はワニ)

それを首につるし、常に本人確認できる状態にしていなければならない。

  

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このチケットの正式名称は「2019 ANGKOR PASS」。

10日間有効で、62米ドルだ。結構いい値だ。

ちなみに、カンボジアでは買い物は米ドルで全てオーケーだった。

ただし、つり銭はカンボジア通貨。

  

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この 100リエルのお金、立派だけど日本円で約2.7円。

ハンバーガー一つが約9,900リエルだからね。上の紙幣を100枚近く束ねなければバーガーひとつさえ食べれないのだ。

バーガーは大枚を必要とするけれど、小さな単位のお金が流通しているということは日用品、とりわけ食生活に関わる物価が安いということだと推察される。バーガーは特別のアメリカ製嗜好品だからね。

アンコールワットのお堀の前についた。

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(5時58分)

お堀を左右に分かつ石畳参道は伽藍正面に通ずるのだが修復中で通れなかった。

15年前、最初に訪れた時の写真があった。(2004年3月)

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すごいね、このデコボコ。

まさに修復が必要な状況であった。

合わせてその頃ののどかな風景を紹介しよう。

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ミネラルウオーター売りのおじさん

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このお子様もそろそろ成人かな。

 

さて、現代に戻ろう!

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最初の回廊を通り抜け中央祠堂をめざす。

明るくなり多くの人々が参道を歩き始めた。

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(6時06分) 皆、早起きだねー!

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(6時22分)

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皆が日の出を待つ!

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(6時27分)

 

ところで、この遺跡の成立時期及び文明をわかりやすく説明するのに丁度良い歴史的事例がないかなと考えていた。

クメール人による王朝は1-2世紀の扶南から始まり、同族の戦いの中で真臘の時代となり、そして802年にシャヤヴァルマン二世によってアンコール王朝が建国された。以後630年も続いた。

日本の歴史時代と突き合わせてみると794年の平安遷都からまもない頃となる。

そのころ日本でも平城京(奈良)が唐の長安に見倣って都を作り、758年には東大寺の大仏殿も作られている。

平安京(京都)の都はレンガ・石造りはないものの、壮麗な建造物がいくつも作られ、今も往時を窺う事ができる。

そんなことから平安時代初頭から630年も続いたインドシナの王朝だよというとわかりやすいかなと思っていた。

630年間の栄華を誇りながらも滅び、ジャングルに埋もれたアンコール王朝。

単純計算で王国滅亡は1432年頃だ。応仁の乱(1467年~1477年)が始まる35年前の室町時代の最中だ。

などと頭を整理し始めたところ、「平成」が終わり、今度は「令和」だという報道が始まった。世の中が変に、にぎやかになった。

この「令和」の出典が「万葉集」だそうだ。

これを聞いてこれは使えるかもしれないと思いついた。

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     カンボジア国旗の一部

今、「万葉集」はブームの渦中にあり、テレビをつければどこかの局で「万葉集」を取り上げている。

その「万葉集」の編纂状況を見ると629年の舒明天皇の即位以降の「歌」から始まり、大伴家持最後の「歌」が収録された759年までの130年間にわたり詠まれた歌集であるようだ。ただ、これが「万葉集」として体裁が整ったのは780年頃だそうだ。

アンコール王朝成立の約20年前だ。

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2004年当時の民家と鶏

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書いていながら独りよがり的に時代について、またその時代の東アジア、東南アジアのイメージが沸いてきた。すみません。

とにかく、元号について言えば世評では「安久」などと言う意味深な熟語が上位にあったようだが、そんなものが採用されていたら学者まで忖度かということになりかねなかった。誰それが久しく続くなどへんだものね。

そういえば4月3日の朝刊に報道されていたことだけど、「塚田」という副大臣、「忖度」という言葉が社会的にどのような意味合いで認知されていたのか知らぬのか、世事に疎いのか、「下関北九州道路」をめぐって、無恥にも「忖度」という言葉を使って自慢話をしたそうだ。

このブログをアップする寸前の4月5日夕方のヤフーニュースによるとこの御仁、辞表を提出したようだ。

辞表提出の言い訳がまた面白い。「政権幹部の意向を ″ 忖度 ″ したわけでなく、あくまでも自分自身の判断」だそうだ。

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和やかだね!

でも先の万葉集や元号にもどれば、今の為政者、統一地方選の最中、本質的でないことに耳目を集中させる手練手管はプロ級だね。まあ、プロがしっかり指導しているのだろうけれど。

だいぶ日の出から時間が経ってしまったね。

それこそ閑話休題!

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(6時39分)

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太陽が大分昇った。

朝の遺跡も乙だ。

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(6時47分)

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(7時02分)中央祠堂前

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(7時06分)

シンハが雄叫びを上げた。(シンハとはサンスクリット語でライオンだそうだ。クメール寺院では守護神であり、王権の象徴だ)

さあ、これから中央祠堂を巡るのだ!

 

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