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2020年2月

2020年2月28日 (金)

荒涼として、乾ききった地、まさに死者の町だ!

モーニングコール午前4時30分。

朝食午前5時。

そんなに早く?と時間だけ聞くとすごく過酷に聞こえる。でもうまい具合に体内時計は整いつつあり起床コールの前には目が覚めていた。

出発午前6時、死者の町に向かう。

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途中、田園風景が広がっていた。さすが大河のそば、農地が拓けているのだ。

ロバに引かれてのんびり野良に向かう人が私たちに挨拶した。

明るくなったけれどまだ陽は上っていない。

死者の町に近づいた。もうすぐ日が昇りそう。

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気球が舞い上がった。

死者の町を鳥瞰しようとする人が中空に吊るされた籠から見下ろしているのだ。

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日の出だ。

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死者の町、まさに名が示す通りの場所。荒涼とした光景が広がっていた。

でも朝日に照らされた大地は意外に美しく感じられた。

先ずは王家の谷へ!

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この場所に多くの王達が眠っている。

私たちは電気自動車が牽引するトラムで王家の谷に入っていった。

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ここにツタンカーメンの墓があり、なんとミイラが横たわり、拝むことができた。

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下車すると墳墓の入口があった。

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人を寄せ付けないような乾燥した荒野の地下に至宝が埋もれていた。

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何千年も眠っていたとは思えぬ鮮やかな壁画だ。

その先にツタンカーメンが眠っていた。

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ツタンカーメンのミイラ(詳しくは最終日の考古学博物館で)

 

この王家の谷に限らなかったのだけれど、面白いことがあった。

写真撮影についてだ。

カメラで撮影したい時は300エジプトポンド(1ポンド6~7円)を支払いカメラチケットを購入すれば可能になるのだが、不思議なことにスマホのカメラ機能を使った場合は無料なのだ。

今ではスマホカメラの性能はコンパクトカメラに比べても遜色がないのだがね。

それどころかワイド画面では勝るかも知れない。

私は墓の中などはすべてスマホで撮影した。

次は王妃の谷へ。

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ハトシェプスト女王葬祭殿だ。現代建築だといっても通用しそうな造り。

さすが古代エジプト初の女性ファラオ(在位 BC1479~BC1458)。

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立地条件は過酷だ。

「すごいなー」と夫婦で写真を撮っていると、現れたお兄さんがいた。

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満面に笑みをたたえ近づき、私達を撮影してくれるというのだ。

何枚か写し終わったところで自分を撮影しろと言ってきた。(上の写真)

結局、有料だった。まあ、いいか。

でも癖にするとまずいよな!この遺跡にとっても、日本人観光客にとっても。

反省。

何処の観光地でもそうだが、土産物屋の客引きは懸命に声をかけてきた。

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我々の風貌を見て、日本人か中国人と判断する。

大阪弁で「おおきに、安いよ」と日本語で言ったかと思うと「ニーハオ」と声をかけてくる。

共通しているのが「ワンダラー」だ。売っているものが必ずしも1ドルでないはずなのだが、客が通ればワンダラーワンダラーと叫んでいた。

ま、エジプト風物の楽しい思い出だ。

クルーザーに戻る前に寄ったのは「メムノンの巨像」。

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なかなかの迫力だった。古代エジプト黄金期の第18王朝の王の一人アメンヘテプ三世の象だ。

西岸・死の町からクルーザーの停泊する東岸に戻る。

帆船ファルカーに乗船し全員が救命胴衣を身につけ渡河した。

ナイルは穏やかに流れていた。

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さあ、戻り乗船すればアスワンに向けてのクルージングが始まるのだ。

クルージングの航海?(航河)日記は一休みし、次々回から再開として、ひとまず暖冬・コロナの日本に戻るぞー。

 

2020年2月21日 (金)

宵闇迫るルクソール神殿、そして再びライトアップされたカルナック神殿へ!

ナイル川クルーズ船に乗船・チェックインして昼食となった。

レストランは乗降口を一階とするとB1階だ。

丸窓が喫水線ぎりぎりのところにあり、ナイルの水しぶきが見えた。

広々とした食堂だ。

ビュフェでは口に合わないものはなかった。まずまずだ。

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大河はこれまでもいくつか訪れた。でも何日もかけてクルージングするのは初めてだ。

ラオスでメコン川に繰り出したのは中型のボートだったし、上海では外灘から黄浦江と長江をめぐる遊覧船に乗船した。せいぜい3時間から4時間だった。

ナイルも中流域まで来ると大河と雖も、接岸の場に大きな桟橋があるわけではない。

防波堤のようなところに一艘停泊させると、それでスペースをすべて使ってしまう。

数艘が同時に停まろうとするときは上写真で見られるように、川岸から順次船首を進行方向の上流にむけて並ぶように停泊するのだ。そして川の中央に近い端の船から出航していく。旅客が端の船に行くには岸壁の船から乗り、通り抜けていくのだ。

壇ノ浦海戦における義経の八艘飛びのごとく飛び渡った。

この時、我がクルーザーは翌日までの停泊予定もあり一番岸寄りに接岸していた。出航時にはすでに川中央に移動していて、観光後の乗船の際八艘を飛び越えたのだ。

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ナイル川東岸から見える西岸

さあ、ルクソール遺跡だ!

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ルクソール神殿はカルナック神殿の副殿だ。建設にかかわったのは王で言えばアメヘテプ3世とラメセス2世。

時代で言えばBC1300年代から1200年代。それにしても今から3000年以上昔の話。

でもすごい。

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そして宵闇が迫った!

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ルクソールに火が灯り、遺跡が浮かび上がった。

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何十体ものスフインクスが参道をなしていた。

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オベリスク上に上弦の月。なかなかいい。

ちなみに、かつて対になって並び立ち上がっていたオベリスクのもう一つは、現在フランスパリのコンコルド広場に屹立しているのだ。

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これから、カルナック神殿での光と音のショーの観賞だ。

バスで移動した。

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ショーは参道入口から開始された。

当初イメージしていたものは「光と音」だというので遺跡をレーザー光線などの照明機器で浮かび上がらせ、そこにダンサーとか歌手が登場しパフォーマンスを披露してくれるものと思っていた。

ところが、そんなに安直なものではなかった。

光と音を使いながら遺跡を浮かび上がらせるまでは良かったのだが、その続きはナレーションが入り歴史を語るものだった。

ダンサーなどいない、まさに光と音による歴史劇だった。

若干期待はずれのところもあったがそれはそれで学ぶことができた。

それにしても、寒かった。

北半球でもあり、冬であることは承知していたが、昼間の陽光の下では暑く夏そのものだった。ところが夜はまさに冬だ。

アドバイスもあったのでアトラクションに参加するにあたって日本の冬支度で出かけた。それでも寒かったのだ。

砂漠特有の温度変化だろうがすごい寒暖の差であった。

そしてクルーザーに戻った。

ショーが待っていた。

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ベリーダンス。

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どこかのナイトクラブのような奇をてらうものでなく純粋に民族舞踊として舞っていた。

続いての演目は少年演者による回転ショー。

彼は20分ぐらいだろうかひたすら回転し続けた。

トルコの旋回舞踊「セマー」なのかな?

一説によると、万物は回転しているのだということを基底にした教え(宗教?)で、分かりやすく説くと、地球が太陽の周りを回ることや自転しているように、さらには、人間の体の中でも血液やリンパ液が体内をぐるぐる回っているように、基本は回転なのだそうだ。しかも、これらは神の采配であるから、人間も邪念を捨て、神との一体化を求めるのならば回転をするのが大事だというのだ。(かなり雑な私の解釈)

面白い。

踊っている彼もまさに、回転しながら次第にトランス状態に入っていき、神と一体になっているかの恍惚とした表情に変わっていった。

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その中でこんな変化を見せた。

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神業の妙技だ!

踊り終わって拍手喝采を浴びたのだが、彼はふらりともしなかった。

私など5回転もするとまっすぐ立っていられないだろうと思うのだが。

長い一日だった。

さ、あすは死者の町だ!

 

2020年2月14日 (金)

ナイル川を挟む生者の都と死者の町。先ずは東岸の生者の都テーベ(現・ルクソール)へ

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ルクソールの街を通りながら人々の装いを見て、異次元に紛れ込んだかの感に囚われた。

当初、いわゆる観光立国エジプトの国民的義務のようなものとして伝統装束が奨励(強制でなく)されているのかと思った。

とりわけ観光名所・遺跡などでは督励されているかのようにも見えた。

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確かに、馬車屋さんや物売りの皆さんは意識して民族衣装をお召になっている。

旅人にとっては「エジプトに来た!」と実感できるからいい。

でも、街行く人を見ると古色な衣装が目を引く。普段着あるいは晴れ着として日常的に着ているようでもあった。

 

さて、遺跡訪問第一番はエジプト最大の神殿カルナックだ。

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広い!ナツメヤシが彩りを添える。

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牡羊の頭のスフインクスが門前を守護する。スフインクスはライオンだと思っていたのだが獅子は胴体だけで顔・頭は多彩なのかな?

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柱が太い。

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まだ遺跡の中に足を踏み入れて幾ばくも経ていないのだが、はや己の古代認識がいかに浅薄であったかを知った。

柱の太さも高さも想像をはるかに超えていた。

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巨石に驚かされただけでない、エジプトでは文字記録が今から5000年前(紀元前3000年頃)にも遡りあることにあらためて感嘆した。いわゆるヒエログリフ(聖刻文字)と言われる象形文字だ。

始めてエジプト史に接した中学生の頃パピルスに残された文字だと一生懸命暗記したのだが、この文字が遺跡のいたるところに刻まれているのだ。

この文字の解読については1799年のナポレオンのエジプト遠征の際に発見された「ロゼッタストーン」が有名だ。

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柱や壁、そして天井にまで刻み込まれていた。

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観光初日ということで、この神殿だけでもかなりのデジカメのシャッターを押した。

ここで載せたもの以外にさらに云百枚あるのだ。

 

昼前にこの遺跡を後にしてこの日から宿泊ホテルとなるクルーズ船に乗船・チェックインした。

小ぶりなクルーザーで、今コロナで注目を浴びている外洋を航行する大型クルーザーに比べると何十分の一だけどとても快適だった。

そんなクルーザーであるけれど、私が乗船したというと、コロナウイルスに罹患した者であるかのような目で見る人がいたのには驚いた。

風評に惑わされてはいかんね!

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乗船、現地時間午前11時45分。日本ではもう夜の7時近い。でも、寝てはいられないこれから観光は始まるのだ。

このクルーザーで昼食を採り次にルクソール遺跡を訪れた。

日本時間で言えば二日分の行程だ。午後の記録は次の日記に回そう!

 

2020年2月 7日 (金)

戦(いくさ)が回避された!エジプトへ出発だ!

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イランとアメリカの駆け引きというか、政治評論家でも方向性の論評が難しいやりとりだが、平和を望む一般市民としては戦争を免れホッとした。そしてアフリカ・エジプトへの旅が確定した。

でも、「一難去ってまた一難」というか、成田空港の第一ターミナル南ウイングでは、ほとんどの出国予定者がマスクで顔を覆っていた。

コロナウイルス対策だ。

まあ、大型クルーザー内でもないし香港のような武装警官の襲撃を想定したマスクでないだけまだいいか。

 

これから14時間25分の空中生活だ。

離陸が 21:30 であるから単純計算で言えば日本時間明日 午前11:55 カイロ着だ。

エジプトと日本との時差がマイナス7時間であるので、到着時は現地カイロ時間で早朝4時55分。

まだ真っ暗だ。 二日目の予定で言えばそれから17時間ぐらい動き回ることになる。

つまり、日本でそのまま動いていたとすると次の日の朝五時まで遊びまくり朝帰りをする感じだ。

となると、搭乗したらすぐ寝て8時間ほど眠り、あとは備え付けのディスプレイでも見て着陸を待っていれば時差ボケにはならないことになる。

であればアルコールに少し力を借りなければと思うのだが、イスラム国の航空会社であるため、アルコールは御法度なのだ。当然機内では選択飲料に含まれない。

そこで、添乗員さんにどうすればいいのかお尋ねした。

応えは明快だった。出国手続きを済ませ免税店でビールでもワインでも購入すれば、それは持ち込みも可能であるし、飲むことも許されるということだ。

そうだよ!イスラムはアメリカや西洋列強(古い言い方か?)のプロパガンダにより過激で怖いものとされてしまっているが、元々は寛容なのだ。

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という訳で免税店で飲料を探した。店頭に並ぶのは大きなワインやウイスキーなどのボトルだけ。辛抱よくさがした。

見つかったのが梅酒の100ミリリットル三本セットだった。大きく見えるが缶コーヒーより小さいのだ。

搭乗して2時間、第一回の機内食が運ばれてきた。

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ウインナーとか卵、まあ、つまみになるかと,おもむろに梅酒をだし飲み始めた。少し甘めだが大丈夫!

そういえば,この搭乗した飛行機エジプト航空なのだが、機体はシンガポール航空だった。

いわゆるスターアライアンス加盟会社が協力共同で運用しているのだ。

でもスタッフはエジプトの方々だった。

ありがたくいただいたのだが、安眠とはならなかった。

14時間を越える飛行となると、おすすめは、ゆとりがある方だけだがビジネスクラスでリクライニングが存分に使えるシートだ。

それでも、あれこれ工夫しているうちに、エコノミーで何が快適かがわかってきた。シートに頭をつけて寝ようとするよりも、頭を垂れて眠るようにしたほうが肩がこらずに眠れることだ。それに靴は脱ぐこと。できれば簡易のスリッパを用意したほうがいいね。

なんやかんやでうつらうつら寝たり起きたりで気が付くとカイロに迫っていた。

事前の連絡時の添乗員さんとの話ではイラン上空を飛ぶといわれ戦々恐々としていたのだが、それはジョークだった。

ディスプレイを見た。

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カスピ海を横切り、黒海南のトルコを掠め地中海に抜けていた。

標的にならずに済んだのだ。

離陸直後画面を見ていた時は飛行機は日本海を渡り中国瀋陽の北上空からロシアに入っていった。

イタリアに行った時もそれこそ憧れのシベリア鉄道を空から辿るような思いをしたものだが、今回も似たようなコースだった。

違ったのは前回はそのままフランクフルトまで行ったのだが、今回はカスピ海に入る直前カザフスタン上空を飛んだのだ。

ここは旧ソ連時代からのバイコヌール宇宙基地がある国だ。基地は現在もロシアが租借しているとのこと。

こんなことがなければカザフスタンとは縁もないのだが調べると面白い。国土は広い。

アジアでは中国、インドについて三番目の広さがあるのだ。全く知らなかった。

日本との関係では相互に大使館を置いている。そして驚いたことがひとつあった。カザフスタンでは現在首都を移転、つまり遷都の準備をしているのだがその計画に先立って都市計画案についての国際コンペがあった。

そしたところなんと一位に輝いたのが日本の黒川紀章さんだった。現在開発計画が続けられているとのこと。

そうこうしているうちにカイロに到着。

ここでビザを取得し軽朝食をすませて直ぐ国内線でルクソールに向かった。

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エジプト航空のエアバスだ。

タラップを降り、エジプトルクソールの地を踏んだ。朝7時40分。(現地時間)

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エジプトを実感する光景だ。

太陽が上がったばかりだった。

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今年の初日の出は厚い雲に覆われしっかり拝めなかった。

ところがエジプトでは行く先々で見事な日の出を見ることになった。

第一日目は移動日だった。

さあ、遺跡に向かうぞ!

 

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