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2020年2月 7日 (金)

戦(いくさ)が回避された!エジプトへ出発だ!

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イランとアメリカの駆け引きというか、政治評論家でも方向性の論評が難しいやりとりだが、平和を望む一般市民としては戦争を免れホッとした。そしてアフリカ・エジプトへの旅が確定した。

でも、「一難去ってまた一難」というか、成田空港の第一ターミナル南ウイングでは、ほとんどの出国予定者がマスクで顔を覆っていた。

コロナウイルス対策だ。

まあ、大型クルーザー内でもないし香港のような武装警官の襲撃を想定したマスクでないだけまだいいか。

 

これから14時間25分の空中生活だ。

離陸が 21:30 であるから単純計算で言えば日本時間明日 午前11:55 カイロ着だ。

エジプトと日本との時差がマイナス7時間であるので、到着時は現地カイロ時間で早朝4時55分。

まだ真っ暗だ。 二日目の予定で言えばそれから17時間ぐらい動き回ることになる。

つまり、日本でそのまま動いていたとすると次の日の朝五時まで遊びまくり朝帰りをする感じだ。

となると、搭乗したらすぐ寝て8時間ほど眠り、あとは備え付けのディスプレイでも見て着陸を待っていれば時差ボケにはならないことになる。

であればアルコールに少し力を借りなければと思うのだが、イスラム国の航空会社であるため、アルコールは御法度なのだ。当然機内では選択飲料に含まれない。

そこで、添乗員さんにどうすればいいのかお尋ねした。

応えは明快だった。出国手続きを済ませ免税店でビールでもワインでも購入すれば、それは持ち込みも可能であるし、飲むことも許されるということだ。

そうだよ!イスラムはアメリカや西洋列強(古い言い方か?)のプロパガンダにより過激で怖いものとされてしまっているが、元々は寛容なのだ。

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という訳で免税店で飲料を探した。店頭に並ぶのは大きなワインやウイスキーなどのボトルだけ。辛抱よくさがした。

見つかったのが梅酒の100ミリリットル三本セットだった。大きく見えるが缶コーヒーより小さいのだ。

搭乗して2時間、第一回の機内食が運ばれてきた。

Dsc03673

ウインナーとか卵、まあ、つまみになるかと,おもむろに梅酒をだし飲み始めた。少し甘めだが大丈夫!

そういえば,この搭乗した飛行機エジプト航空なのだが、機体はシンガポール航空だった。

いわゆるスターアライアンス加盟会社が協力共同で運用しているのだ。

でもスタッフはエジプトの方々だった。

ありがたくいただいたのだが、安眠とはならなかった。

14時間を越える飛行となると、おすすめは、ゆとりがある方だけだがビジネスクラスでリクライニングが存分に使えるシートだ。

それでも、あれこれ工夫しているうちに、エコノミーで何が快適かがわかってきた。シートに頭をつけて寝ようとするよりも、頭を垂れて眠るようにしたほうが肩がこらずに眠れることだ。それに靴は脱ぐこと。できれば簡易のスリッパを用意したほうがいいね。

なんやかんやでうつらうつら寝たり起きたりで気が付くとカイロに迫っていた。

事前の連絡時の添乗員さんとの話ではイラン上空を飛ぶといわれ戦々恐々としていたのだが、それはジョークだった。

ディスプレイを見た。

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カスピ海を横切り、黒海南のトルコを掠め地中海に抜けていた。

標的にならずに済んだのだ。

離陸直後画面を見ていた時は飛行機は日本海を渡り中国瀋陽の北上空からロシアに入っていった。

イタリアに行った時もそれこそ憧れのシベリア鉄道を空から辿るような思いをしたものだが、今回も似たようなコースだった。

違ったのは前回はそのままフランクフルトまで行ったのだが、今回はカスピ海に入る直前カザフスタン上空を飛んだのだ。

ここは旧ソ連時代からのバイコヌール宇宙基地がある国だ。基地は現在もロシアが租借しているとのこと。

こんなことがなければカザフスタンとは縁もないのだが調べると面白い。国土は広い。

アジアでは中国、インドについて三番目の広さがあるのだ。全く知らなかった。

日本との関係では相互に大使館を置いている。そして驚いたことがひとつあった。カザフスタンでは現在首都を移転、つまり遷都の準備をしているのだがその計画に先立って都市計画案についての国際コンペがあった。

そしたところなんと一位に輝いたのが日本の黒川紀章さんだった。現在開発計画が続けられているとのこと。

そうこうしているうちにカイロに到着。

ここでビザを取得し軽朝食をすませて直ぐ国内線でルクソールに向かった。

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エジプト航空のエアバスだ。

タラップを降り、エジプトルクソールの地を踏んだ。朝7時40分。(現地時間)

Img_6155

エジプトを実感する光景だ。

太陽が上がったばかりだった。

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今年の初日の出は厚い雲に覆われしっかり拝めなかった。

ところがエジプトでは行く先々で見事な日の出を見ることになった。

第一日目は移動日だった。

さあ、遺跡に向かうぞ!

 

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コメント

wakokuoujiさん、こんばんは。

いよいよ出発出来てよかったですね。一時はイランー米国間の緊張があり心配しておりました。

機内ではどう休むかが1番の問題ですね。私も足置きや枕の調整などで少しでも快適に出来るように工夫をしていました。若かりし頃に両隣に巨大な(体重が)外人さんには挟まれ、身動きが出来なくて大変だった事を思い出しました。

私は30年程前にエジプトには行きましたが、仰せのようにイスラムの世界、特に当時はスリや犯罪などは殆どなく旅行するにはヨーロッパよりも特段安全でした。

これから数千年の歴史、人類の歴史そのものとも考えられる巨大な建造物への旅が始まるのですね。

王の中の王と言われた「ラムセス2世」の凄さも分かる建物も多かったと思います。実際に観て歩くとその凄さが分かる気が致しました。

これからの旅行記を楽しみにしております。

omoromachiさん、コメントそしてご心配頂きありがとうございます。
ラムセス二世のみならず私の既知のエジプト理解を改める機会になりました。
機内での出来事で言えば以前マレーシアからの帰途に前席の、やはり巨体の外国人が席を倒し狭苦しい中でエコノミー症候群のような事態になり苦しんだ記憶があります。客室乗務員に水を求め事なきを得ました。30年前のエジプトは今とはまた別物だったでしょうね。私も1990年初頭と10年後の2000年初頭に北京を訪ねたとき街や風俗の違いに驚きました。思い立ち可能ならば行くと旅の醍醐味を味わえますね!

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