パンデミック映画「復活の日」の録画があるはずだと探していた!あったのだ!
2月中旬ぐらいから、パンデミックという言葉が聞こえていた。そして想起したのが以前録画してあったはずの映画「復活の日」だった。
探したが見つからない。
三年前に我が家の耐震補強改築工事の際、あれこれの荷物をダンボールやらに詰め込み、弟のマンションなど、あちこちに分散した。
その中に録画されたディスクもあったはずだった。根気よく探した。そして、ついに見つけたのだ。物置にしまってあったディスクケースの中から出てきた。2012年5月に録画したものだった。8年も前だった。
今年も実った。我が家の桜桃の実。
今、角川映画「復活の日」が、他のパンデミック物と併せて注目されているようだ。
どこかの映画館で再上映されているとも聞いた。
映画を見てから改めて分かったのだが深作欣二監督の作品だった。深作監督といえば「仁義なき戦い」で有名だ。ただし、恥ずかしながら私はヤクザ抗争の実録ものはあまり好きでないので見ていない。「復活の日」映画化は1980年。物語の時代背景は1982年。公開当時の近未来だ。
そして原作は小松左京さんだ。驚くことに1964年に発表されている。凄い想像及び創造力。SF小説は好きだったので小松さんの作品は「日本沈没」他、何冊か読んだ。
映画オープニングタイトルの副題が「ウイルス」と先見性は見事。
物語はトランプさん名付けの武漢ウイルスとは違うが研究途上の「細菌ウイルス兵器」争奪戦による漏れと増殖だった。
このウイルスの特徴は気温により増殖率と毒性が変化するというもので零下10度前後から増殖が始まり、摂氏5度以上で毒性を持ち始めるのだった。結果として、全世界に蔓延してしまい人類は滅亡寸前までに至った。現実と不思議な関連だけれど、この映画でもイタリアで最初に大きく感染が広がり、映画上で当初「イタリア風邪」と呼ばれた。
しかし、南極にはウイルスは到達しなかった。そのため南極の基地にいた各国の隊員は無事だった。
映画「復活の日」より
そして、今回の現実のコロナ禍ではクルーズ船や米国海軍の艦船で感染者が多発したのだが、映画では浮上することなく潜航していた原子力潜水艦の乗組員は無事だった。
映画「復活の日」より
南極で生き残った人々が人類の再興についてともに歩むことを決意したのだが、北米に地震の兆候が表れた。
地震だけで済むのであれば、もはや無人となったところが破壊されるだけで終わりだ。
しかし、何処にも軍の論理だけで動く者がいて、人であるとか地球上に生息するあれこれには思いがいたらぬままに軍事を優先させてしまう。
その米国軍人は感染死する前にミサイルの「全自動報復装置」を起動させてしまった。
地震の揺れが核攻撃と同レベルの場合は自動反応しミサイルを発射してしまうのだ。
1980年当時は冷戦の只中で、アメリカの標的はソビエト連邦だ。
一方ソ連の防衛システムは敵ミサイル着弾と同時に報復ミサイルが自動発射される仕組みだ。
南極に残ったメンバーが起爆装置を解除しようとワシントンに向かったのだが間に合わなかった。
世界中の都市が核で破壊された。そして南極の基地も軍事基地とみなされていて報復ミサイルが炸裂した。
庭を彩り始めた紫陽花の花々
草刈正雄さんの演じる主人公はワシントンに向かった一人だった。
システム解除に失敗したものの生き延びた。
そして南に向かった。
南米には座礁していた砕氷船に乗りミサイルから避難した人々がいるはずだった。
草刈はボロボロになりながら南に向かい、ついに再会することができた。
めでたしめでたし!
ガクアジサイも多彩なのだ!
この映画を観て、三回「さすが!」と思った。
第一は深作欣二監督だ。
ちょうど40年前の作品なのだが、筋立てやロケーションなど現在の映画とも遜色のないものを作り上げているなと思った。
どうしても冗長であったりマンネリ的などこかで見たような展開になりがちだが、この映画はそうではなかった。
ただ、ところどころでサービス精神旺盛なのか、何故ここなのという場面があったことも確か。
たとえば、草刈がワシントンから南米をめざして何万キロも歩くのだけれど、途中マチュ・ピチュが出てきた。
飢えに苦しみながら歩く人がペルーの海岸線からわざわざ標高2500メートルの高地に登るかー?という愛嬌もあったけれどね。
「復活の日」より
さすがの第二は角川春樹さん。
角川さんはこの映画に24億円とも32億円とも言われる大金(1980年当時)をつぎ込んだ。結果、南極なども含めロケ場所に躊躇することもなく、またキャスティングもすごかった。ハリウッドの俳優陣が出演していた。ジョージ・ケネディ、チャック・コナーズ、ロバート・ボーンそしてオリヴィア・ハッセー。日本からは夏木勲、千葉真一、渡瀬恒彦、緒形拳そして草刈正雄だ。昨年秋に遅まきながら朝ドラ「なつぞら」を視聴したのだが、その時の草刈の演じたおじいさんぶりに感心したばかりだったので画面上の若者・草刈と比べてしまった。
また、草刈は185センチメートルもの上背があるのだが、自動発射装置解除に共に向かったカーター少佐ことボー・スヴェンソンはさらに一回り大きい193センチメートルで、南極の基地で争う二人がまるで大人と子供のように見えた。
ガクアジサイも多彩だ
さすがの最後は、やはり小松左京さん。SF作家という枠に収まらない多彩な活動をされた方だったようだ。
「復活の日」の後に「日本沈没」などが出版されたのだが、映画ではで草刈が地震予知学者を演じ、執筆時にそのキャラクターを作るにあたって地震などを深く学び、それが「日本沈没」の発想につながったらしい。
まさかのパンデミックの渦中にあって、改めてその凄さが分かった!
あと、何かと偶然が多い今日このごろであるが、録画を見終わった翌日の朝刊(5月26日付朝日新聞朝刊)に「南極越冬隊員が病気緊急帰国」という見出しが目に入った。病気になったのは日本・昭和基地の隊員で、たまたまロシアの基地沖に停泊していたロシア船に支援を求めたところ応じてくれケープタウンまで搬送されたそうだ。映画の中ではロシア(ソ連)の潜水艦が登場し、艦内で病人が発生していたのだが助けることができなかった。でもアメリカもソ連も、日本も協力して未来に向かった。
ウイルスの制御そして核の廃絶、やり遂げなければいけない大きな課題だ。
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