「風と共に去りぬ」が配信停止されていたんだって。アメリカは人も多彩で土地も広いな!
我が家に蝶たちが遊びに来るよ!
先週、アメリカ銃社会の理解を深める手段の一つとして映画を上げ、アメリカ合衆国独立・建国から南北戦争前後までが描かれた作品をピックアップしてみた。
その中に「風と共に去りぬ」があった。
ところで、一昨日(6月26日)の新聞を見て驚かされた。
全米の人種差別反対運動がかってなく大きく盛り上がってきている最中で「風と共に去りぬ」が注目されていることが報道されていたのだ。
人種差別映画の悪例としてだ。
新聞紙上では、このブログでも引用させていただいた町山智浩さんの作品評価についてのコメントが出ていた。
曰く「風と共に・・・」は「南部の擬似的な貴族社会を美化し、奴隷制度の残酷な面を描いていないという批判は原作が書かれた時代からあった」のだと。
そして、批判を浴びたことを察知したアメリカの動画配信サービスがこの映画を配信停止した。
しかし、ここからがアメリカと日本の違い。
日本では、少し批判が出ると映画であれ美術作品であれ上映や展示の会場がヘイトスピーチ的組織によって攻撃され、そのうち公的機関までが萎縮して催しを中止するということがあったが、下記のようないきさつもありアメリカでは再配信されたのだ。
再開の理由と方法が素晴らしい。
「過去の偏見を消し去るのでなく、より公平公正で包括的な未来を築くために、まず歴史を認め、理解しなければならない」としてアフリカ系映画評論家のジャクリーン・スチュワートさんが本編開始前に約4分半の解説動画をつけ再配信したのだ。
そこで、私も改めてビデオを再生して鑑賞してみた。
3時間47分の大長編だ。結局、土曜日の午後の大半を映画鑑賞で過ごすこととなった。
勿論、4時間近く見続けるというのは面白いとしても肉体的に辛い。区切りの良いところで外に出て庭の花を見ては一息ついて再度観始めた。
今日はこんな鮮やかなグラジオラスが姿を見せた!脳疲労には効く!
映画は南北戦争前の大地主の邸宅風景や富豪や軍人などの園遊会やら舞踏会から始まった。
日本で言えば昭和14年の作品だ。その時代の日本人的先入観からすると信じられないような美しい場面が続く。
絵画的といってもいいような映像だ。
黒人の使用人も登場する。
彼らは、主人に対しても率直な物言いをする。
批判によれば、そもそもそのこと自体が非現実的だというのだ。確かに残酷な奴隷制度が背後に追いやられ消されている。
北部との戦争について話題になるが、極めて楽観的な議論が展開されていた。
たまたま居合わせたクラーク・ゲーブル演じる男がそんな議論に対し異議を申し立て「北軍の装備は南よりもはるかに優っている。造船所も炭鉱も港を封鎖する艦隊もある。一方、南軍にあるのは綿と奴隷とおごりだけだ」と嗜めるのだが人々の怒りを買った。
結局は南軍は初戦に勝つことはあったが敗退の連続であった。
街には死傷者が溢れた。
この光景、リゾート地の浜辺で日光浴をしているわけでなく、野戦病院に収容しきれなくなった死傷者が地面に横たわっているのだ。
負傷兵の三分の二が亡くなったそうだ。
アメリカは独立戦争以後、休む間もなく戦争をし続けた。最近でも、ベトナム、アフガン、イラクへと派兵され、多くの米国人、そしてなによりも戦場となった国々の人々が亡くなった。
そんなアメリカなのだが、南北戦争での死傷者が現在のところ米国史上最多なのだ。
南北合わせての戦死者が61万8千人。映画の中でも疫病の死者も出ていたが戦死者のうち病死が34万人なのだそうだ。
悲惨な戦争であったことは間違いない。
終戦を迎え物語はTHE ENDとなるのだが、肝心の人種差別・女性差別はどうだったか。
主人公のスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)とレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)の登場場面で伺える。
女性の尊厳というところを見ると、あるパーティで戦費調達のための募金を募るとしてダンス相手を探すのに女性をセリにかけて高額を提示した者がパートナー選択権を得られるというものがあった。
この時、スカーレットはレットに150ドルで競り落とされた。他の方々の提示額は軒並み20ドル前後だった。
黒人差別ではセリフの中でいくつか見られたが、一番ひどかったのは、スカーレットが製材業を始めた際に従業員確保で人材派遣業のような人物に依頼したところ戦争捕虜なのか鎖に繋がれ衰弱した囚人達が連れてこられた。それを見たスカーレットが「囚人よりも黒人を雇うほうがやりやすい」と。
後いくつか挙げれば、産気づいた友人を助けるため黒人のまだ子供であるメイドに医者を連れて来いと命令するのだが、北軍がせまり硝煙が漂う中出かけることを拒んだその子に対し「行かないならお前を売ってしまうよ」と脅かした。そして更なるやり取りの中で殴ってしまった。
もう一つスカーレット自身が出産した赤ちゃんのお祝いに駆けつけた人が「赤ちゃんは皆青い目よ」とためらい無しに言うなどの場面もあった。歴史的事実であり、差別というよりも人権のない奴隷としてしか存在・生存できない黒人の人々であった。
戦火で荒廃した地に立つスカーレット・・でも絵画的
主人公であるスカーレットについて云うと、まさに擬似的貴族社会におけるお姫様的存在の象徴であり、私などはもし同時代に生きたとしても絶対に受け入れられない女性だった。
絶世の美女かもしれないけれど、悪口を並び立てれば、自己過信の鼻持ちならぬ存在であり、現実に無知な身勝手な自己中女性で気まぐれ・・・・と尽きない。映画の中でそのような己を振り返る場面でもあるかと思ったけれどついになかった。
ただ救われるのはスカーレットを演じたヴィヴィアン・リーが主役に抜擢されて脚本を読んでいくうちに「こんなメス犬のような役は自分にはできない」と断ったそうなのだ。
彼女もこのキャラクターを嫌っていたのだけれどあえて俳優として演技したのだった。良かった。
あとついでに南北戦争について言うと、北部の大統領リンカーンは実はトランプさんと同じ共和党員だったのだ。
最初は奴隷解放戦争等でなく連邦政府から離脱する南部の州を引き止める戦いだったのだ。
そのうち南部の奴隷主が民主党として政府に対抗し、結果として奴隷解放戦争のようになっていったみたいだ。
現在のアメリカ政党事情とちょっと違うね。
でもわからんぞー。人種差別を煽るがごとき言動を繰り返すトランプさんに対し暴露本を書いたボルトン前大統領補佐官のみならず共和党の一部からも嫌われているという風評が日本にも伝わってきているからね。
ま、戦争だけはやめてほしいよ!
最近のコメント