コロナ禍が押してくれて、久しぶりに新聞小説を読み始めたよ!
読み始めたのは池澤夏樹さんの小説「また会う日まで」。
8月1日から朝日新聞で連載が始まった。
池澤さんは芥川賞作家であり、かつて、この賞の選考委員も務めたことのある作家だ。
でも、恥ずかしながら私は池澤さんの小説を一篇たりとも読んだことがなかった。
ただ、そんな私ではあるが、この方のエッセイ・コラムにはずっと興味を持って読んでいた。そして、内容に頷くことも多かった。
そのコラムは「終わりと始まり」。
月に1度ずつ掲載されていた。
このコラムというかエッセイについて「そうだそうだ」と感心しながら読んでいたものの、さらに掘り下げてとまでは考えもせず、実行もしてこなかった。
ただ、ここに来て毎朝連載小説にお目にかかることもあって、池澤さんのことをもう少し知りたいなと思うようになった。
幸いというか、我が家では配達される新聞とともにデジタル版も購読しており、パソコンでもスマホでも、さらにタブレットでも読むことができる。
しかも、デジタル版は過去に遡って記事検索ができる。
そもそもデジタル版購読を開始したのはスクラップ機能というものがあり、切り抜いた記事を新聞社のホストコンピューターに保存して、いつでも読み直しができることからだった。ちなみに池澤さんのコラムについて言えば、2015年9月1日から2020年3月4日までの分56本をスクラップしていつでも読めるようにした。
調べてわかったのだが、「終わりと始まり」は知り得る範囲で言えば2009年4月4日からスタートし、2015年にはまとめられたものが朝日文庫となって出版されている。4年分のコラム48本だ。
さらに、2018年4月にはその後の59本のコラムがまとめられ「終わりと始まり 2.0」として出版された。
解説によれば、これらコラムの柱になっているのは「フクシマ」「ミナマタ」「オキナワ」の三柱であり、それぞれ原発・放射能汚染、有機水銀汚染、戦争・米軍基地など別個の問題ではあるのだが通底するものがあり、それは「政府、官僚、産業界の民衆の軽視」だと語られていた。
猛暑の中コリウスの葉が鮮やかな彩を見せている
タブレットで見られる一番古いコラムは2015年9月1日付のもので、亡くなった鶴見俊輔さんを偲んでの内容だ。
鶴見さんの言葉として「無頼の輩どもが、よってたかって、国を壊そうとしている今」とか「企業栄えて民滅ぶ」などを引用しながら綴っていた。続く10月6日では安保法制、11月10日はピカソ。1930年代のスペイン内戦に触れながら「フランコの夢と嘘」について語り日本の現状にも触れている。12月1日にはテロとの戦い。こんな感じのエッセイがずっと綴られてきた。
私などは同意とか共感などと口幅ったいことを言えるわけもなく、なるほどそんな視点があるのかそんな風に表現すると説得力あるなと感心するばかりである。まさに冒頭でも触れたように「そうだそうだ」と思うばかりだ。
そんな思いの延長で連載小説を読み始めたのだ。
そして本日は、はや27回目となった。
新聞小説の良いところは分厚い本に圧倒されることがないこともひとつある。
そして、日毎の掲載分が短いがために読み返すことも比較的気軽だ。
この物語の主人公は実在の人物で池澤さんの親族に当たる人だ。
そして多彩な側面を持った人で、海軍兵学校を出た軍人でありながら、敬虔なキリスト教徒であり、また東京帝国大学で天文学を学んでもいる。
キリスト教徒ということで、話の中で旧約聖書、新約聖書からの引用が出てくる。
そんな時、最初に引用されていた時の文章を読みなおすと、そこから数回進んだ話が意味鮮明になり改めてよく分かった気になる。
「読書百遍義自ずからあらわる」であり、新聞小説はそれがやりやすい。
ところで、突然だけど安倍さんが首相を辞めるんだって?
せっかく最長になったのに・・・・・。
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