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旅行・地域

2021年11月26日 (金)

首都防衛の要塞がこんなところにあった。東京湾入口の無人島・・猿島!

いつであっただろうかテレビを見ていた時、ニュースだったか旅行番組だったか東京湾に無人島の元要塞があるとレポーターが話した。知らなかった。機会があれば行ってみようと計画した。そして満を持して実行した。猿島だ。

猿島は江戸末期1847年に首都「江戸」防衛のために日本で初めてお台場(砲台)が築造された島だ。

有名な品川沖の御台場は1854年一部築造であるから7年も早かったのだ。猿島ではその後、明治中期になって陸軍省・海軍省などにより新たな砲台が造られた。しかし、品川も猿島も実戦の場にはならなかった。

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猿島遠景(2021年晩秋)

島に渡る船は横須賀港から出ていた。東京湾の入り口といえばそうだな。出航!

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進行方向右手の馬堀海岸沖あたりかな、新しく就航した東京九州フェリーの「はまゆう」か「それいゆ」と思われる巨船が停泊していた。15,515トンだ。でかい。

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島が見えたぞー! 無人島と言いながらも実は陸に近いのだ。乗船して10分で着いてしまう。

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見ての通り海は穏やかだった。でも揺れた。ちょっと怖さを感じるぐらいだった。

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まあ。こんなに小さな双胴船だったからね。横波が揺らしたのかな?

桟橋に近づいた。

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いざ、上陸!

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 確かにここで生活する人はいないようだが、無人島なの?

観光客は毎日訪れるし、迎えるスタッフの人々もいる。かつては兵隊が生活しながら砲台の守備に当たった。明治になってからの陸軍省・海軍省の管理時代だ。

アジア太平洋戦争敗戦で占領軍が接収して軍人はもとより一般人も当然入ることのできない場所になった。その辺あたりから無人島と言えばいえないことはなかったか。

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初上陸であったこともあり、お姉さんガイドに付いて行くことにした。

ユーモアたっぷりに案内し、島のあれこれを話してくれた。

小島とは言え起伏に富んでいる。

こんな切通しを上った。

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要塞らしさが漂ってきた。

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レンガ造りの建造物が現れた。

小窓ありが兵舎。

ないものは弾薬庫だ。

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ここは弾薬庫。

そしてこちらは・・・・

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トイレなのだ。

これら施設が建造されたのは明治時代中期だったのだが、その後の急速な飛行機の発達や長距離砲の進化で使いみちもなく時が過ぎた。それでも幸か不幸かアジア太平洋戦争で復活して砲台などが造られた。

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このような高射砲が設置された。

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台座跡や連絡トンネル。

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そして、今度はほんとうに幸運にも戦火に見舞われることなく終戦を迎えた。

紆余曲折を経ながらも今は市民の憩いの場にもなっている。

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こんな浜もあり海水浴もできるようだ。

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海の向こうに横浜のビル群が蜃気楼のように見えた。

ガイドさんの案内も終わり昼食をとった。

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対岸に見えるのは横須賀の町

青天井のテラス席で食事。

ここに来たらやっぱり「よこすか海軍カレー」だね。

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美味かった!食後は自由散策して帰途についた。

 

2021年11月12日 (金)

天気晴朗なれど台湾海峡波高し! 俺(戦艦三笠)まで出動?

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横須賀市 三笠公園 戦艦三笠

習近平中国国家主席は中国政権党の結党100周年の演説で台湾問題解決を「歴史的任務」と言った。

中国軍は2017年以来台湾周辺に戦闘機を飛ばし、昨年の秋からは台湾の防空識別圏に20機以上の軍機を侵入させもしている。他国から見れば「冒険主義的・挑発行為」を繰り返しているわけだ。

また、11月3日、米国防総省がアメリカ議会向けに公表した年次報告書の中で、中国が2030年までに1000発の核弾頭を保有する意向だと分析した。自力でロケットを宇宙空間に飛ばしてもいるしね。

 

何か、今にも中国が台湾侵攻するかの雰囲気だ。マスコミもあまり異論を挟まない。

 

そんな中、退役したはずの戦艦三笠に待機命令が下された。

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1905年の日本海海戦以来、主砲に弾を込めたことないんだよな~!

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ちょっと錆も出てきたしな!

でも、艦内では「自分たち軍人は重い砲弾にへこたれず日々奮励しております」と頼もしい雰囲気に充ちていた。

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指揮官も「勇猛心を持って訓練・指導に努めておる」と・・血気盛んだ!

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ミサイルだって魚雷だって我が砲の標的だ。撃ち仕留めるぞ!

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いざ、出陣!

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 1905年5月東郷平八郎率いる大日本帝国連合艦隊はロシア・バルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめした。

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1969年東宝映画「日本海大作戦」より

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・・・・夢だったか、昔を思い出した。うつらうつらしちゃったな。・・・三笠の弁

なんというかね、21世紀も20年も過ぎたというのに世界を見渡すと、いつまでも戦火が絶えず悲しくなるね。

 

ちょっと前の党首選で、近畿地区から名乗りを上げた女性候補者がアジっていた。

「日本を守る責任」を果たす為、「防衛費を欧米並みにする。ならば防衛費はGDP2%、金額で10兆円規模にしなければいかん」と息巻いた。さらに「敵基地攻撃能力」にまで言及した。

戦端を開き一発命中したとして、あとはどうなるの?報復攻撃はされないの?

アメリカの武器商人を潤し、バックマージンが袖の下に見えるのだけど、軍事戦略はなにも見えない。

第49回衆議院議員総選挙の結果も出て国会における勢力図も定まった。衆議院では改憲賛成三党・・と言っても中身は多様・・で三分の二を占める現状もある。まさに彼女の言っていることが実現してしまいそうだ。

でも、ここで戦争が勃発したりしたら、どの国にとっても勝ちも負けもなく、巷間心配されている温暖化の自然災害どころでない深刻で悲惨な結果を残すだけだろうにね。コロナ1つで経験し、目にした脆弱な現実なんだから。 

実際、圧倒的国民は悲惨を感じる間もなく、核の餌食となってあの世だと思うがね。

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ところで、話が飛ぶようだけど、実は、以前から行ってみたいと思いながら実現できていなかった戦艦三笠の見学をしてきたのだ。

この戦艦、横須賀市の現在地に1926年(大正15年)に記念艦として係留固定され、その後何回か改造されたが1961年(昭和36年)に現状のように復元された。

イギリスの造船所で1902年に竣工された15,140トンの艦船だ。その時点では無敵の最新鋭軍艦だった。日本海海戦での戦闘と戦果は映画・TVでも何回か取り上げられた英雄的存在なのだ。

既に100年以上も前のことなんだね。

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2017年12月横須賀港停泊中のアメリカ空母ロナルドレーガン

(軍港巡りの船上にて撮影)

確かに、私だって感じることがある。

中国の脅威、そして毛沢東、鄧小平に並ぶ権威になりつつある習近平さんの言動やら、その強面の得体の知れない怖さだ。香港、ウイグルを持ち出すまでもなくだ。

けれど、中国にしてみれば自国のそばに写真のような空母が配備され、虎視眈々と狙らいながら、ジェットエンジンを吹かしているのだから、強がりを言わなければ弱腰だと見られちゃうよね。

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2016年1月沖縄普天間にて

すぐ近くの沖縄にこんな基地もあったりするのだから、ますます脅威だね。

逆に、中国の核装備された空母がサンフランシスコ沖などに停泊していたらアメリカはどうするんだろう?

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沖縄のグスク上空を飛行するオスプレイ

そういえばキューバ危機って言うのがあったっけね。

喉元にドスを突きつけられたような恐怖を感じたんだろうね。フロリダ半島のちょっと先に合衆国全土を射程にいれたミサイルが配備されたのだものね。大騒ぎして世界大戦寸前だったそうだよな。

ちなみに、アメリカの核弾頭は現在3750発。(2021年10月発表)

どっちもどっちだ!

そろそろ、そんなやりとりやめてくれないかな~!

2021年10月29日 (金)

湘南というと桑田佳祐、加山雄三が浮かぶが、片岡義男もそうかな?と思ったけれど!

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神奈川県三浦半島手前の葉山あたりの海岸 2021年10月

事故渋滞で車が進まない。海を見たら上掲の光景が目に留まった。早速カメラに収めた。

湘南というと、そこをモチーフにした曲や映画が浮かぶ。アーチストでは先ずは桑田佳祐・サザンオールスターズかな。

彼らの1970年代末から現在までの活動はすごいもんだ。初期の作品の「勝手にシンドバット」など歌詞の中に湘南がちりばめられている。

🎵「砂まじりの茅ヶ崎、人も波も消えて」 ♬「いつになれば湘南、恋人に逢えるの」 ♫「江の島が見えてきた 俺の家も近い」等々。

写真の右端に見える島影は江の島だ。

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加山雄三は茅ヶ崎育ちだそうだが、湘南というよりも、もっと広く「海、クルーザー」という印象だな。

でも、すでに84歳になられ、病気が発症したり、所有していたクルーザー「光進丸」が火災にあうなど不運なことが続いた。また、静岡県の西伊豆にある1998年に開館した「加山雄三ミュージアム」も2022年8月31日に閉館することになっているようだ。

「海よ その愛」(2004年 発表)では ♫「海に抱かれて 男ならば たとえ破れても 燃える夢を持とう」(岩谷時子作詞)と歌った。老いたとはいえ今もなお、若大将というイメージそのままだ。そう言えば10月26日に文化功労者に選ばれたんだね。おめでとうございます。

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それでは、なぜ片岡義男が浮かんだ?

彼の作品に「波乗りの島」がある。サーフィンだ。だから湘南かと言うとそうじゃなかった。タイトルの「島」はハワイのオアフ島だった。でも、波の描写はすごい。

波は波でも湘南じゃなかった。

気になったので劣化しつつある知恵を絞った。思い出してきた。どうもイラストレーターの「わたせ せいぞう」さんの絵のイメージと重なっていたみたいだ。絵の醸す雰囲気と片岡の小説のタイトルがつながってしまってた。そして湘南だろうということになってしまってた。

彼の絵をゆっくり観賞したことがあった。

用向きで九州に行った時、最後の宿泊地が門司だった。

ホテルの近くに「わたせ せいぞう ギャラリー門司港」という作品展示の場があり、ゆっくり観賞した。

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旧大阪商船ビル(門司)

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2013年10月 門司港ギャラリー入口

絵の素養がない私などにも分かりやすく、洒落たものを感じた。

それがどういうわけか、海の描きかたからなのか、描かれたカップルのムードからか、片岡義男さんのイメージに掏り替わっていたのだ。この時点で片岡作品は全く読んでいなく、まさにイメージ先行だった。

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ギャラリー近くの船上居酒屋

そして、たまたまであるけど9月に新聞の連載「語る ー 人生の贈りもの ー」で片岡さんが登場して15回(9/20~10/8)に渡って語った。なるほどと思った。

彼のことが少し分かった気がして、片岡作品を読みはじめた。

 

2021年9月24日 (金)

温水池とは冷たい湧水を温める所だったんだ!

さあ、目指すは温水池。

温水池は冷たい湧水を灌漑にちょうどよい具合に温めるところなのだ。

農業に携わっていれば、言わずと知れたことなのだろうが、勤め人の家に生まれ、自らも勤め人となり、さらには勤め人と一緒になって現在に至るわけで、恥ずかしながら初めて知った。

繁華街を抜けて先に進んだ

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水の流れとともに森の中に入って行くかのようだが、実は住宅街の中なのだ。

近くにはTEC(東芝テック)の大きな工場もある。

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両岸には花が咲き、木が覆いかぶさる。

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NPOの方々が目標として、努力されたことの一つが三島梅花藻(清流に育つ多年生の水草)の育つ川だった。

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流れに美しく映える三島梅花藻

温水池に着く前にこぢんまりとした公園があった。

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公園は流れの右手に広がる

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水の苑緑地と名付けられていた。

ここで小休止。

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池のそばに歩み寄ると出迎えの魚列が姿を見せた。

鯉たちだ。水の中から私たちがどの様に見えているのか知らないが、地元の人にも可愛がられているのだろう。恐れることなく歓迎の泳ぎを披露してくれた。

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ここから流れはJR三島駅から下ってきた道を潜りぬけ、国道1号線の傍に向かう。

そこは箱根芦ノ湖まで車で40分弱で着く所に位置している。

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子供たちが楽しそうに水遊びをしていた。

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気持ちいいね。気をつけてね!

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もうすぐ温水池だ。

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ここで流れは最後の道路もぐりで、国道1号線の下をくぐる。

温水池到着。

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鴨の集団が何故かこの大柄の鳥に仕切られていた。

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道のり1.5キロメートルと、散歩に程よい距離だった。思った以上に自然と接することができた。

このあと最寄りの駅である三島二日町駅に向かった。JR三島駅から3つ目の駅だ。

スマホアプリのY! MAPを使って道を探りながら1キロメートルほど歩いただろうか、無事駅にたどり着き、電車に乗って帰路についた。

この日の歩数は9578歩だった。

2021年9月17日 (金)

ドブ川転じて農業用水、生活用水、そして子供の水浴場に。さらに「平成の名水百選」認定へ!

伊豆箱根鉄道の始発駅駿豆線三島から一つ目の駅、三島広小路駅で下車。

北に少し歩くと蓮沼川が現れる。

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この川も楽寿園の小浜池を源流としており、淀んだドブ川だったものを町内会や市民有志がここまで清らかにした。

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ここから東に少し行くと目的の源兵衛川だ。楽寿園から出た水は裏側の道路下を通って流れ出る。

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大雨、大雪などの気候条件によって湧水の流量は変化し、源兵衛川の水流も増減する。でも市民にとっての憩いの場であることには変わりない。木道や飛び石状の散策路などで川端を歩くことができる。

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流れに足をつければ、よそ者の私だって極楽極楽。

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この日は初挑戦となったが、水の流れ着く中郷温水池までの全行程1.5キロを夫婦で歩いてみることとした。

この川の由来を見ると、今は昔、南の方で田畑の水が足りず困っていたそうだ。そこで湧水を上手く活用しようとなった。水路を造り南部耕地に流し灌漑に使うこととした。それがなんと室町時代だとさ。それを指導したのが、この地の豪族、寺尾源兵衛さんなのだ。

だから源兵衛川さ。

アフガニスタンでお亡くなりになった中村哲さんも大変なお仕事をなさったけれど、600年以上も前に同じく戦乱の世(応仁の乱から群雄割拠へ。)にありながら農地開墾のために、このような灌漑工事を発想し、工事をするとはすばらしいね。「良心を束ねて河となす」「武器でなく命の水を!!」だね。

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流れは穏やかで水位も子供のひざ下ぐらい。

川の両側に民家も見える。

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ここを過ぎると、商店街に入り、大通りに出る。

大通りでは道路下を通り抜け、水が顔を出す手前の歩道上には源兵衛橋という欄干があった。

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流れに沿って歩くと三石神社の境内に入る。

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鐘楼が川に突き出ている。

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脇を歩いていくと、伊豆箱根鉄道の線路にぶつかる。川は鉄道の線路下を潜る。

その手前にこんな像が安置されていた。

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これから、いよいよ繁華街を抜けて、中郷温水池に向かう。

流れに沿ってのスナップ掲載数が早10枚を超えた、そして漸く中間点。

続きは次にしよう!!

*平成の名水百選とは2008年(平成20年)に環境省が選定した全国100箇所の湧水、河川、地下水。

 

2021年9月10日 (金)

猛暑もそろそろ終わりだけど、暑いときには木陰や水辺がいいね 👍!

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爽やかな風が通り抜ける木陰を歩いた

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水面は見ているだけでも汗が引く

ここは奥山の深き森でも池でもない。新幹線も停車する駅前の公園。

静岡県三島市のJR三島駅前に広がる市立公園「楽寿園」の中だ。

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今は緊急事態宣言下、どこへも行くことができないけれど、撮影してきた写真をたどりながら彼方此方往来するのは自由だよね。

今回この公園等を振り返ってみようと思ったのは、早三ヶ月も前になるけれど、朝日新聞の記事に「湧水の街」再生に尽力している「環境NPO法人グラウンドワーク(GW)三島」の活動紹介記事があった。一度は彼らが汗水流して再生した場を全コース散策してみたいと考え、その後実行し、撮影してきたのだ。それを写真でたどってみる事にした。先ずは三島楽寿園から。Img20210905_17312624-2_20210905174501

2021年5月31日付朝日新聞

記事を読めば読むほど、GWの活動に敬服する。

市内のいたるところで富士山の雪解け水「伏流水」が湧き出ていて、それらに繋がる川の流れは清らかだ。

ところが1960年代に富士山の麓にある工場の地下水くみ上げが続き、川の水量は激減し、おまけにゴミが浮かぶドブ川状態となってしまった。そこをなんとかしなければと、GWの前身になる有志の人たちが奮起し、川のゴミ拾いなどを開始したのだ。それが1980年代後半から1990年代にかけてのこと。以来、現在までの30年余、湧水と川は見事に再生された。

代表的な川が源兵衛川(げんぺいがわ)。

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湧水の透明度

それでは、何故この公園か。実は源兵衛川の水源の一つがこの公園内にあるのだ。小浜池だ。

そこで、これから二回に渡って、水源がある楽寿園と源兵衛川のスナップ写真をアップしてみることとした。今回は公園内。(公園は過去にも撮影したことがあるが、源兵衛川全域については初めて)

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駅南口を出て道路を渡るとすぐ入口(2016年撮影)

入園料金もリーズナブルで15歳以上は300円。学生は無料。昔は象やキリンなど、小規模ながらも動物園と呼んでも良いぐらいの時もあったようだ。現在も癒し系のウサギやモルモット、それにアルパカなどとは交流できる。

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ちょっと気取ったアルパカさん

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お休み処を過ぎると水辺だ。

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最近は水辺でよく見る鴨の一家が、特訓に励んでいた。人間などは一人前になるまで親元に20年近くいて、その後自活の道を探るのだが、彼らは親に頼るのはほんの数ヶ月。生きる術、食べる術を早々に身につけなければならない。

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鳥たち以外にも種々の小動物がやって来る。

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忍びの者?


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私にとっては珍しい、初めて見るトンボだ。

こんなものも歩いてきた。パカパカと。

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さあ、源兵衛川の源流に近づいてきた。

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ここから、始まる。さあ、街に出るぞ!

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2021年6月18日 (金)

箱根・芦ノ湖はドライブコースの立ち寄り所だったが、じっくり湖畔に佇み、散策するもいいな!

箱根はこれまで一、二年に一度はドライブの途上に寄らせてもらった。

其処此処に人気スポットがあるにも関わらず、当地にじっくり逗まり、散策するということは少なかった。

前回紹介した大涌谷もそうであるし、仙石原やら、数多くある美術館などにも、ほとんど行かず仕舞いか、行っても一度、二度という塩梅だ。

ただ、芦ノ湖畔には必ず寄って湖を撮影したり、海賊船を眺めてはきた。

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元箱根港に停泊する海賊船

私、この「海賊船」に未だ乗船したことはない。

今日は諦めたけれど、次はきっと乗るぞ!

視線を右に動かしていくと見えてくるのが鳥居だ。

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この佇まい、なんとも厳かではないか。

箱根には三つのパワースポットがある。

1、箱根神社 2、箱根元宮(箱根神社の奥宮)3、九頭竜神社 だ。

1のスポット箱根神社の正参道が湖水まで続いていて、その先に立っているのがこの「平和の鳥居」だ。

建立は1952年。サンフランシスコ講和条約締結を記念したものだそうだ。

今回は遠景で良しとするのでなく、周辺を散策してみた。

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この先に湖畔に降りる道が左に、そして社に続く石段が右にある。

まずは左に。

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湖に沿った遊歩道だ。

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鳥居についた。

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コロナ禍でなければ、ここは撮影スポットとして行列になるそうだ。

そして夜も更けると。

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と言うのは事実じゃない!構造はそっくりだけどね。

これは、厳島神社大鳥居。(2009年10月 広島に行った折のナイトクルーズにて撮影)

箱根神社が源頼朝を筆頭に関東武士の崇敬を受けた神社だったのに対し、厳島神社はまさに好敵手だった平清盛の創建だものね。

さて、本殿に行ってみるか!

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右にあった本殿に続く石段。

そして、湖畔からはさらに急な石段。

そして、見事な並木。

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中途に手水舎があって、そこの鳥居をくぐりさらに登る。

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そして本殿だ。

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Dsc03827パワースポットとして3番目に九頭竜神社を上げた。

九頭竜神社本宮は、この箱根神社から湖畔沿いに北西に向かい4kmほど行ったところにある。

でも・・・・・である。

恥ずかしながら、ここで初めて知ったのだが、同じ境内に九頭竜神社新宮があったのだ。

Dsc03828九頭竜神社新宮

別の神社が何故同じところにあるか?と思い訊ねたところ次のようだった。

九頭竜神は箱根大神が生み出す「生命の根源である水の力」を守護神として司ってきたのだ。

だから、御一緒していいのだ。そういうことなのだ。

この九頭竜神は強力なパワーがあるのだが、とりわけ衆生にご利益を与える分野は「縁結び」なのだそうだ。

それで、知る人ぞ知る「良縁祈願」の聖地的存在なのだ。

私の場合、既に「良妻賢母」を自認するお方が伴走しているので、ここはコロナ禍の速やかなる収束を祈願するだけにして帰途についた。

 

2021年6月11日 (金)

噴煙・灰から逃れた猿たちはまだ戻っていなかった!箱根・大涌谷にて!

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大涌谷駐車場からの富士山の眺め

5年ぶりに箱根大涌谷を訪ねた。

前回は2016年だった。前の年から箱根の噴火情報が出ていたのだが怖いもの見たさで様子を見に行った。

実は、さらに何年か前に爆裂火口を見ようと向かった時、ある集団と思いがけぬ出会いがあった。

来、彼らのことが気掛かりだった

車で曲がりくねる道を進み、大きくカーブしたところで彼らとバッタリ出会ったのだ。

ガードレールの上にお猿様が十数匹座っているではないか。

物怖じせず「いらっしゃーい!キャッキャ、キャッキャ!」と迎えてくれているかのようだった。

102-3_20210604144001箱根からずっと南下した伊豆波勝崎にお住まいのお猿様(2013年7月撮影)

そして5年前の噴火直後に行った時は当然だったのだろうが一匹たりとも姿を見せなかった。

火口周辺は火山灰らしきものに覆われ山が白くなっていた。これじゃお猿さんは生活できない。

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そこで今回、彼らの復活がなったのかと赴いたわけだ。残念ながら会えなかった。

ところで、冒頭の富士山を見て感激した。まさか、ここで富士山を拝められるとは思っていなかったのだ。なかなか美しい姿!

30分前に小休止した展望台からは静かな佇まいの芦ノ湖は見えたものの、富士山は雲に覆われ姿を見せていなかった。

Dsc03683-2「箱根峠 道の駅」から少し先の展望台より見た芦ノ湖

噴煙は収まっていたが、山は荒涼とした風景が広がっていた。

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前回の時はこのロープウエイも運行を停止していた。Dsc03789-3

ここも、かつては地獄だった。というか「地獄谷」とか「大地獄」と呼ばれていたそうだ。

それが、明治になって天皇と皇后が訪れるということになり、二人を地獄に招くなど恐れ多いということで改称され「大涌谷」になったそうだ。

私など地獄を何度も見てきた。

2013年に所用で九州に行った折、別府温泉に泊まった。その際地獄めぐりをした。

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山地獄だ!

立派な門のある地獄もあった。血の池地獄だ。

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地獄の守り人もいた。

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 こんな地獄なら何度行き来してもいいけれど、実社会の地獄のような出来事やら場所にはあまり近づきたくないね。

そう言えば、書店で知ったのだけれど「邪馬台国」って、別府にあったんだってね。

小学舘新書「邪馬台国は別府温泉だった!」酒井正士著が平積みされていたっけ。

それはともかく、「地獄」を後にするに当たり、入り口の祠に鎮座する地蔵尊に願掛けて湖畔に向かうことにした。

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2021年3月12日 (金)

海越しも、川越しも、そして天空からも乙だよ富士の山!

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静岡県沼津市の海岸から駿河湾越しに見える富士山

富士山の魅力は、季節の移り変わり、拝観場所などで七変化することだ。

今までで最も感動した富士山の姿が脳裏に浮かぶ。

沖縄旅行の帰りに飛行機の中から見えた富士山だ。季節は真冬だった。

沖縄には2度訪問したことがあるが、利用した空港は夏に羽田空港、そしてもう一箇所は真冬の富士山静岡空港だ。

雪に覆われた富士山の姿が見えたのは富士山静岡空港着陸の少し前だった、

異国の旅人が長い航海の後、船上から初めての富士山を見たとき、さぞや感動したことだろうとつくづく思った。

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今回、アップした写真はわざわざ出かけて撮ったものではない。この間の富士五湖巡りなどの際に少し足を伸ばして写したものだ。そのため雪をかぶっているもの、いないものとまちまちだ。

伊豆半島の西海岸を車で走るのは久しぶりだったが、道路の整備が進んでいた。

道幅が広がったばかりか、山を貫きトンネルができ、以前の海岸線をくねくね走るという区間が少くなった。

旧道はどうなったかというと、道はそのまま残され新たな舗装や整備はされないものの車も人も自由に歩き走れるフリー空間のようだった。釣り人には格好の場所になっていた。

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伊豆半島の西海岸は沼津市から始まるが、少し南下すると今度は大きく右にカーブし、大瀬崎までは西に海岸が伸びる。

結果として、東海道と並行となり北側の海の向こうに富士山が見えるのだ。

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高台から見える大瀬崎

沖には釣り船がいた。

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再び北上した。

伊豆長岡温泉にほど近い三津の海岸からの富士も格別だ。

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さて、沼津を後にして東名高速を西に進むと迎えてくれるのが富士川サービスエリアだ。

ここの上りSA に富士川楽座(富士市)がある。ここからの眺めがよい。

東名下り車線でここまで来ても、そのままではたどり着けないのでご注意。スマートIC(ETC専用)で外に出る必要がある。でも、出口を出てすぐ上りスマートICから入ったとするとサービスエリアを横目に見ながらそまま上り車線に直行することになる。SAには入れず、すぐサヨウナラとなってしまうのだ。

東名を出たら富士川楽座の一般道路沿いにある駐車場に止めなければいけない。そして歩きでサービスエリアに入る。そして帰りには上りスマートICを利用し上り東京方面に乗ればOKだ。

西方面から来た場合は、SAに入ればそのままで楽座、そして帰りはスマートICから出て下り車線に入ればOK.

川越しの富士山も良し。

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丘のような小山の手前を流れるのは富士川。穏やかな流れを見せているが、いざとなると激流になるのだ。

最近のSAは様々なものを用意し運転手の疲れを癒そうとしている。

ここには観覧車がある。

御殿場を過ぎた足柄SAには日帰り温泉やらドッグランの施設があるからね。

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そして極めつけは富士山より高いところからの眺めだ。

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成田で搭乗すると目的地によっては富士山上空を飛ぶのだ。

天空からの眺めも乙だ。

ところで昨日は、東日本大震災から10年目の「3.11」だった。

海越しに富士山が見えた地と同じように東北の海岸線も美しい景観が広がっていたのだろう。

また、今、同じように美しさをとりもどしているのかもしれない。

でも、災害は突然襲いかかる。気象庁の想定によると静岡県から九州にかけて将来大地震が襲うと言う。南海トラフ大地震だ。それによると今回の富士山を撮影した沼津市は震度で6強、富士市は震度7という凄い揺れとなり、予想される津波は10メートルの高さを越えるという恐ろしいものだ。なんとか「後手後手」にならず安全策を講じてもらいたいものだ。

2021年2月26日 (金)

富士五湖を制覇した!西湖は雪国にあった。🗻

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朝霧高原からの富士山

富士山に雪が舞った。

昨年10月下旬から始めた富士五湖巡りも年内には四湖を訪れることができた。その証となる富士山と各湖のツーショットを撮ってきた。残るお相手は西湖だ。しかも次は雪化粧の富士山と決めておいた。

寒波が襲来し富士山周辺にも雪が少しだけれど降った。さあ行くときだ。

でも、雪道だとだめだ。恒例の長野白馬スキー行きがコロナ禍で見送りとなったため、例年今頃にはノーマルから切り替えてスノータイヤを履いているのだが未だ夏仕様。そこで、行くのは道路の除雪が済んでからだと見計らい一週間後の日曜日に出発した。

朝霧高原からの雪も見たいと思い新東名に入り新富士インターから北に車を走らせた。

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朝霧高原にも雪が残っていた。

ちょっと心配になってきたぞ。

でも、ここまで来たら行くのだ。

しばらく前進し、精進湖を通り過ぎた。

右手に樹海が広がり、もうすぐ西湖入口に着く。

道の両脇に雪が多く残っている。

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こんな感じなら大丈夫。西湖入口についた。

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なんか道の上にも雪が残っているぞ。

まあ、経験から判断すると坂道でさえなければスピードとブレーキに注意して走ればなんとかなりそうだ。

そして、湖手前の野鳥の森公園に着いて驚いた。

そこは、雪国だった。

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でも、こんないいところがあったのだ。

初めて知った。

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ここを訪問できただけでも来たかいがあった。

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さあ、いよいよ西湖。

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なかなかいいぞ!

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静かな佇まいを見せていた。富士山は南側(静岡側)より北側(山梨側)に雪が多く見えた。

逆さ富士も見えた。

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他湖と違った美しさを感じさせてくれた西湖だったけど、実は大昔の話になるが、今から1157年前のこと、ここは「せの海」という広大な湖だったとさ。それが富士山の貞観大噴火(864年)があって、溶岩流が流れ込み、湖を二つに別けたのだそうだ。そして西湖と精進湖がうまれたのだという。それまでは富士四湖だったのだ。

それはともかく、来てよかった!

 西湖データ  面積 2.1平方キロ、水深71.7メートル

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