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2020年4月11日 (土)

そこに立ちそこで考えたエジプト4500年の歴史、すごかった!

7日目。いよいよエジプトの最終日となった。

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朝6時30分:ホテルの部屋からの眺め

エジプトではどこも晴れわたり、殊に朝陽、夕陽に照らされる風景は絶品だった。

この日は一般開館前のエジプト考古学博物館に朝一番で特別入館できた。(旅行社の手配)

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エジプト考古学博物館正面

今、ギザに新規建造された大エジプト博物館がオープン前の大詰めに入っているところだ。この新博物館には古代エジプト考古遺物が10万点以上収蔵展示される。現在考古学博物館に収蔵されている遺物が移送されるのだ。そんな事を聞いていたので果たして現行の博物館に何が残っているのかと気になっていた。

しかし、大丈夫であった。ツタンカーメンの黄金のマスクも他の財宝もまだあった。

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オープンを待つ大エジプト博物館

ツタンカーメンについて私などがイメージできるのは恥ずかしながら黄金のマスクだけだった。だいぶ前、上野の森美術館でのツタンカーメン展に行ったが当時は噂になっていた呪いに惹かれただけだったかも。(2012年開催)

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考古学博物館入場券

マスクだけでも凄いと思うのだが、実際に遺跡を見て、また未盗掘で発見された宝物を見て17歳でなくなった王の、というよりも当時の王家(ファラオ)の凄さを思い知った。

驚いたのは玄室にあったという厨子だ。

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ツタンカーメンの柩・ミイラが納められていた厨子

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厨子が四重の入れ子構造であるばかりでなく人型棺も三重の入れ子なのだ。

しかも、見てわかるように金箔といい、構造といい今の時代に作られたといってもうなずける出来だ。

これが紀元前1352年に王が亡くなった後に作られたのだから3500年も前の製作品だということだ。

ツタンカーメンが同時代で異端視されていたがゆえに名も抹消され盗掘者にも気づかれず私たちが目にすることができるのだが、そうなると他の盗掘された正統派の王墓にはいったいどんなものがあったのかと思いを巡らしてしまう。

今となっては想像するしかないのだが。

でも、発掘された造形品には魅力的なものがたくさんあった。

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現代のアニメに登場してもおかしくないね。

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この像など縄文土器に似ているではないか。

他にも動物のミイラなども展示されていた。

ゆっくり館内をめぐり、昼食後にピラミッドに向かった。

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近づくと。

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なかなかすごい。私たちはこの岩を登りピラミッドの中に入った。

狭い上昇通路を抜けると大回廊に至った。なかなかの急坂で大変であった。

帰り道で狭いところにさしかかり頭を二回も打ち付けてしまった。(まあ、思い切りでなくひょっと頭をもたげた時だけど)

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馬や駱駝が一生懸命働いていた。

ここで旅行社の計らいがあって民族衣装ガラペイヤが配られ羽織ることになった。

アラブの民となったのだ。

その時、思わぬことが発生した。

近くにいた姫君たち三人が次々一緒に写真を撮ってくださいと願ってきたのだ。

ここのところ女性からそんなことを言われることは久しくなかったのだが、まさにエジプトの青天に鳴り響く霹靂(急激な雷鳴)だった。

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まあ、自分で見ても現地の人だね!

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じっくりギザを楽しみ勉強して、最後の夜はカイロ市内の市場で過ごした。

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コロナ禍が寸前に迫っていた時だった。

それにしても、世界で、日本で大変な事態が展開している。

しばらく徘徊は自重しよう!

 

2020年4月 3日 (金)

コロナの猛威はエジプト・ピラミッドをも閉鎖させた!そこに私たちは少し前にいた。

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エジプト6日目。

私たちはアブシンベルから車でアスワンに戻り、空路カイロに向かった。

夕食後、ギザのホテルにチェックインした。

その夜、ピラミッドを舞台にした音と光のショーを楽しんだ。

ピラミッドやスフィンクスにライトやレーザー光線を照射し画像や文字を浮かび上げらせるものだ。

荘厳な一時を過ごすことができた。

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ところがである、WEBNEWS(3/24)で驚かされた。

エジプト当局はコロナ対策のために3月23日からピラミッドを含む観光施設を閉鎖したというではないか。

31日のニュースではピラミッドが私たちの楽しんだ光と音の舞台ではなくレーザー光線による「コロナウイルスと闘う人々との団結と連帯」のメッセージが投影・照射されるスクリーンとなった。

(メッセージは以下の文章)

[Stay Home、Stay Safe、Thank you to those keeping us safe]

エジプトでの新コロナ感染者の最初の一人は私たちが滞在した2週間後に発表された。そして二人目は3月2日。このふたりは外国人だった。3月5日になって初めてエジプト人の発症者が出た。そして3月末には発症者数は656人にもなってしまった。3月25日からは夜間の屋外移動禁止が発表された。これに違反したということで数百人が逮捕されたというから驚く。

少し時間を巻き戻そう。

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アスワンに向かうハイウエーは砂漠を貫ぬく一本道

アブシンベルからアスワンへは280kmの道のりを3時間30分かけて走った。

その間、ほとんどが砂漠であった。砂漠といっても写真のとおりで乾燥した大地が広がり、所々に岩山だろうか小高いところがあった。

しばらく行くと道路脇にパトカーを止めて軽機関銃を構えた兵士のような人たちがいた。

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日常では「軽」とはいえ機関銃など間近に見ることのない日本人は法を犯していなくても緊張する。

一見強面の彼らだったが、すごくフレンドリーだった。

カメラを向けるなどとてもできないと思っていたところツーショットをオッケーしてくれたり、嬉しそうにモデルになってくれた。さらに蜃気楼のビューポイントを教えてくれ、一緒に眺めた。

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向こうに見えるのは川でも、湖でもない、蜃気楼なのだ。

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アスワンハイダムを見学し、飛行機で最後の滞在地カイロに向かった。

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さあ、エジプト滞在は明日までだ!

 

2020年3月28日 (土)

昇る太陽も、沈む太陽もなんと美しいことか!やはりアッラーの成せる技か・・・。

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ナーセル湖の日の出・・・アブ・シンベル大神殿前からの眺望

モーニングコール朝5時。荷物出し5時45分。3泊したクルーズ船をチェックアウトした。

これから二日間かけてアスワン、アブ・シンベルを回る。

時間は前後するが、なんといっても感動したのはナーセル湖で見ることができた日の出だ。(クルーズ船下船の翌日)

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アブ・シンベル神殿に早朝行った。

あたりが仄かに明るくなってきた頃、どこで寝泊まりしていたのか野犬が数匹飛び出し、一斉に湖畔に向かった。

日の出を待つかのようにフェンスのコンクリートに足をかけ湖に臨んだ。

それを機に日が昇り始めた。

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犬たちは日が昇るのを認めるとどこかへ立ち去った。

朝日に照らされるアブ・シンベル大神殿。

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旅5日目のこの日、クルーズ船から遊覧ボートに乗り換えナーセル湖を巡った。

イシス神殿を観光しアスワン・ハイダムに向かった。

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船着き場でエジプト猫が迎えてくれた。

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乗船だ。

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神殿が見えてきた。

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イシス神殿はナーセル湖に浮かぶフィラエ島(旧名アギルキア島)にある。素晴らしいロケーションだった。

この神殿もアスワンハイダム建設に伴い移設された。

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ここでも猫神のお迎えか?

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そして中に入ると。

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猫神はやはり神殿の主だった。

 

晴れ渡る空、そして神殿とナーセル湖。

素晴らしかった。

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ひとまず遊覧船を下船し、車でアブ・シンベルに向かった。

砂漠地帯280キロのドライブだ。

途中エジプトランチとなった。

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コメと味噌煮のようなおかずが出てきた。

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でもSAKARAには良いつまみとなった。

アブ・シンベルに近づいたところで再び遊覧ボートに乗船した。

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そして湖から神殿に近づいた。

底に沈むはずだった神殿がこのように移転復活されているのだからすごい。

ここにも夕闇が迫った。

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私は知らぬ間にこんなに大きくなった。

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この日は近くのホテルにチェックインして、夜、ライトアップされた神殿を見学に来た。

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アブ・シンベル小神殿。

そして翌朝、冒頭の日の出となる。

 

2020年3月20日 (金)

歴史はゆったりと、しかし複雑に流れながら多様な今を創った。メイヤメイヤ!(アラビア語:とてもいい)

エスナを通過し、私たちが眠る間にエドフの岸壁に着いた。

行儀よく横に並んだクルーズ船。

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岸辺では馬車が列を作り客待ちをしていた。

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異国を感じる瞬間である。

馬車もそうであるが、建物も気になった。

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これは未完成の建物ではないのだ。

階下ではしっかり生活が営まれている。

この建物だけでない。

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屋上に当たる部分に鉄筋丸出しの柱が立っている。

このような風景を移動中に所々で目にした。

聞く所によると、仕事に励み、蓄えができたところで階上に増築するための建築手法だそうだ。

雨もほとんど降らぬという気象条件から鉄筋も錆びないのだね。

日本人の私、というか我が家では有り得ぬことである。また柱があまりにも細いことに不安になる。

一昨年、香港で見た高速道路の橋脚の細いことにもびっくりした。

 

煉瓦や、ブロックを積み上げることが基本の建築物は日常は問題なくとも地質にもよるだろうが脆い。

実際1976年に発生した中国・唐山大地震では住宅全壊率が94%と、恐ろしい被害だった。

また記憶の新しいところでは2015年のネパール・カトマンズ周辺の大地震でも多くの建物倒壊があった。

あまり気にするとどこへも行かず、引きこもることになってしまうから運を天に任せよう!

 

午前6時45分、ロビーに集合。さあ、私たちも馬車で出発だ。目指すはホルス神殿!

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我が馬車を牽引するのは名馬「モニカちゃん」だ。懸命に走ってくれた。

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朝日に照らされて疾駆するモニカのシルエットが美しい。

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街を駆け抜けて、遺跡へ!

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着いた!ホルス神殿だ。

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カイロからかなり南に来た。(矢印のところ)

ホルスとはハヤブサの神だ。

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なかなか威厳がある!どっちも!

ハヤブサは空を飛ぶ、それで天空の神様だそうだ。

神殿は200年近くかけてコツコツと造り続けられたようだ。左右の対称性が美しい。

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なによりも感心するのは紀元前の遺跡(BC237年~BC50年頃)であるにも関わらず、いたるところ、文字(ヒエログリフ)に埋め尽くされ、出来事をリアルに語っていることだ。

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柱頭の多様なタイプにも注目。

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再び乗船してコム・オンボに向かった。

その間、デッキでの昼食となった。

なかなか気持ちいい!

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禁酒の教えがあまねく行き届いているこの国だけど、最近はお酒を嗜む人々がふえつつあるとテレビで言っていた。

当然、私も飲む。本日はハイネケン。

ちょっと食べ過ぎだ。

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丘に遺跡らしきものが見えてきた。

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コム・オンボ神殿だ。

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この神殿はハヤブサの神に加え、ワニの神の2神に捧げられているとのこと。

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だからか、クロコダイル・ミュージアムがあり、なんとワニのミイラを見学した。

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ワニのミイラに別れを告げ、私たちはアスワンに向かった。

乗船後にヒエログリフの特別講座を受講し、授かった知恵をTシャツのデザインに生かした。

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デッキでゆったり過ごし、夕食後は民族衣装のガラペイヤパーティを楽しんだ。

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今日も、長い・・・でもなかなか充実した一日だった。

 

2020年3月12日 (木)

コロナを危機一髪で避けられた私たち!すばらしかった、ナイル川クルーズの旅!

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ナイルを南に遡上するクルーズ船団!

ちょうど一か月前、私たちはナイル川を南に向け遡上していた。

ゆったりと、移ろいゆく景色を愛でながら、アフリカをしみじみ感じつつクルージングを楽しんでいた。

ところが、一ヶ月後の現在、なんと、「ナイル川クルーズ船、45人感染、新型コロナ」(3/9朝日新聞朝刊)と報道されたのだ。

まさに危機一髪。感染症は外洋航路の大型クルーズ船だけだと思っていたのに!

私たち夫婦は今も元気でいるし、また、同じ旅をして空路九州にお帰りになったご家族もいたが、発症したというニュースは届いていない。私たちが旅していた時には、コロナ菌はまだ拡散していなかったのだろう。

旅の前にはイラン・アメリカの一触即発状態があり、そして今、コロナウイルスのパンデミック現象。

幸不幸は紙一重。

まさに今振り返れば私たちの旅はアクシデントの間隙を縫うことで実現した幸運な一時だったかも。

ルクソール西岸観光の後、船内にもどって昼食をとりエドフに向けて出航した。

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ナイルの川面は穏やかだった。

進むにつれ、両岸の風景が変化していった。

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砂漠だ!

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放牧された牛と牧童。

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なんだこれは、水位が変化して桟橋?の高さまで来るのかな?

わかりません!

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こんな風景をデッキの上でゆったりと眺めた。

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空が茜色に染まり始めた。

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抜きつ抜かれつ!

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集落があるところにはミナレットがいくつも建っていた。

そして時にはコーランの朗誦が風に乗って届いた。

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泳ぐにはちょっと寒かったかな!でも、イタリアのご婦人は堂々と水着姿で横たわっていた。 

この時、乗船客の半分はイタリア人だった。現在の報道だけで見るとナイル川クルーズとイタリア人となるとイコール・コロナとされちゃいそうだね。

右舷側から「ワンダラー」が聞こえてきた。

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ボート商人だ。主として上写真のような布地を売る。まずは商品を提示し、それを丸めてデッキまで投げ入れるのだ。慣れているというか、水面に落とすことがない。それから価格交渉が始まる。もちろんワンダラーではない。

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身振り手振りで価格交渉!まあ、大したものだ!

暮れなずむなか、エスナの水門に近づいた。

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大型クルーザーが上流まで安定して航行できる為に水門の向こう(上流)は水位が6メートル高い。

ここで運河を通過するときのように一艘ずつ水位調整槽(閘門:こうもん)に入る。

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そしてマイターゲート方式の水門が締められると水が入ってくる。

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そして、門が閉じられ、みるみるとは言えないけれど水が溜まり、今までより6メートルも高い所へ船体が垂直移動、そして先に進むことが可能となった。

夜が更けつつあった。

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明日はエドフ・ホルス神殿だ!

2020年3月 5日 (木)

暖冬だといっても、白馬の山は期待に応えてくれた!

暖冬で雪が降らず、スキー場関係者はやきもきしていたことだろう。

事実、長野のスキー場も含め、春を待たずに営業を休止するところが出ていた。

それが、3月に入っての報道では、残念なことに廃業、倒産となるスキー場さえでてきた。

山の雪不足は、シーズン中のスキーやボードの楽しみを奪うだけでなく、春から夏にかけての雪解け水が少なくなるということでもあり、その影響も心配になる。

加えてコロナウイルスの影響で客足が遠のき、キャンセルが続いたホテルが廃業の事態に至ったという情報も入ってきた。

でも、私たちが訪れた長野白馬ではゲレンデには人が少ないものの十分な雪があった。

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ゲレンデ下部でもこんなに見事。

テレキャビン(ロープウエイ)に乗って上に行くとさらに見事な冬山が待っていた。

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今年もこの地にやってきた。何年も続いている白馬での同級生たちとの再会だ。

各地、四方八方から同じペンションに集結して、夕刻からの酒盛りと温泉を定番とする。もちろん日中はスキーとスノボーを楽しむのだ。

まあ、何十年になるだろうか、この地に通ったのは。

雪の多い年、心配になるほど少ない年、多々あった。

でも、その都度それなりの光景が展開し私達を喜ばせてくれた。

今年も特別だった。

一つは、これまで見たこともなかった雲海が眼前に迫った。

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皆見とれるよね!

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そして、雪山とはいえ、いつもより気温が高かったからか、虹がゲレンデをまたいだ。

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素晴らしいね、自然のパフォーマンス!

なんであれ、出かけなければ出会いもないからね。

帰りしな、青木湖のとなりの木崎湖を写した。

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ちょっと地味な湖なのだが、ウインドサーフィンなどが盛んなのだそうだ。

手前の線路はJR大糸線。松本から糸魚川までを繋ぐ。

木崎湖最寄りの駅は「海ノ口」駅。

電車でゆっくり旅するのもいいな!

また来年!

 

2020年2月28日 (金)

荒涼として、乾ききった地、まさに死者の町だ!

モーニングコール午前4時30分。

朝食午前5時。

そんなに早く?と時間だけ聞くとすごく過酷に聞こえる。でもうまい具合に体内時計は整いつつあり起床コールの前には目が覚めていた。

出発午前6時、死者の町に向かう。

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途中、田園風景が広がっていた。さすが大河のそば、農地が拓けているのだ。

ロバに引かれてのんびり野良に向かう人が私たちに挨拶した。

明るくなったけれどまだ陽は上っていない。

死者の町に近づいた。もうすぐ日が昇りそう。

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気球が舞い上がった。

死者の町を鳥瞰しようとする人が中空に吊るされた籠から見下ろしているのだ。

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日の出だ。

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死者の町、まさに名が示す通りの場所。荒涼とした光景が広がっていた。

でも朝日に照らされた大地は意外に美しく感じられた。

先ずは王家の谷へ!

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この場所に多くの王達が眠っている。

私たちは電気自動車が牽引するトラムで王家の谷に入っていった。

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ここにツタンカーメンの墓があり、なんとミイラが横たわり、拝むことができた。

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下車すると墳墓の入口があった。

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人を寄せ付けないような乾燥した荒野の地下に至宝が埋もれていた。

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何千年も眠っていたとは思えぬ鮮やかな壁画だ。

その先にツタンカーメンが眠っていた。

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ツタンカーメンのミイラ(詳しくは最終日の考古学博物館で)

 

この王家の谷に限らなかったのだけれど、面白いことがあった。

写真撮影についてだ。

カメラで撮影したい時は300エジプトポンド(1ポンド6~7円)を支払いカメラチケットを購入すれば可能になるのだが、不思議なことにスマホのカメラ機能を使った場合は無料なのだ。

今ではスマホカメラの性能はコンパクトカメラに比べても遜色がないのだがね。

それどころかワイド画面では勝るかも知れない。

私は墓の中などはすべてスマホで撮影した。

次は王妃の谷へ。

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ハトシェプスト女王葬祭殿だ。現代建築だといっても通用しそうな造り。

さすが古代エジプト初の女性ファラオ(在位 BC1479~BC1458)。

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立地条件は過酷だ。

「すごいなー」と夫婦で写真を撮っていると、現れたお兄さんがいた。

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満面に笑みをたたえ近づき、私達を撮影してくれるというのだ。

何枚か写し終わったところで自分を撮影しろと言ってきた。(上の写真)

結局、有料だった。まあ、いいか。

でも癖にするとまずいよな!この遺跡にとっても、日本人観光客にとっても。

反省。

何処の観光地でもそうだが、土産物屋の客引きは懸命に声をかけてきた。

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我々の風貌を見て、日本人か中国人と判断する。

大阪弁で「おおきに、安いよ」と日本語で言ったかと思うと「ニーハオ」と声をかけてくる。

共通しているのが「ワンダラー」だ。売っているものが必ずしも1ドルでないはずなのだが、客が通ればワンダラーワンダラーと叫んでいた。

ま、エジプト風物の楽しい思い出だ。

クルーザーに戻る前に寄ったのは「メムノンの巨像」。

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なかなかの迫力だった。古代エジプト黄金期の第18王朝の王の一人アメンヘテプ三世の象だ。

西岸・死の町からクルーザーの停泊する東岸に戻る。

帆船ファルカーに乗船し全員が救命胴衣を身につけ渡河した。

ナイルは穏やかに流れていた。

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さあ、戻り乗船すればアスワンに向けてのクルージングが始まるのだ。

クルージングの航海?(航河)日記は一休みし、次々回から再開として、ひとまず暖冬・コロナの日本に戻るぞー。

 

2020年2月21日 (金)

宵闇迫るルクソール神殿、そして再びライトアップされたカルナック神殿へ!

ナイル川クルーズ船に乗船・チェックインして昼食となった。

レストランは乗降口を一階とするとB1階だ。

丸窓が喫水線ぎりぎりのところにあり、ナイルの水しぶきが見えた。

広々とした食堂だ。

ビュフェでは口に合わないものはなかった。まずまずだ。

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大河はこれまでもいくつか訪れた。でも何日もかけてクルージングするのは初めてだ。

ラオスでメコン川に繰り出したのは中型のボートだったし、上海では外灘から黄浦江と長江をめぐる遊覧船に乗船した。せいぜい3時間から4時間だった。

ナイルも中流域まで来ると大河と雖も、接岸の場に大きな桟橋があるわけではない。

防波堤のようなところに一艘停泊させると、それでスペースをすべて使ってしまう。

数艘が同時に停まろうとするときは上写真で見られるように、川岸から順次船首を進行方向の上流にむけて並ぶように停泊するのだ。そして川の中央に近い端の船から出航していく。旅客が端の船に行くには岸壁の船から乗り、通り抜けていくのだ。

壇ノ浦海戦における義経の八艘飛びのごとく飛び渡った。

この時、我がクルーザーは翌日までの停泊予定もあり一番岸寄りに接岸していた。出航時にはすでに川中央に移動していて、観光後の乗船の際八艘を飛び越えたのだ。

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ナイル川東岸から見える西岸

さあ、ルクソール遺跡だ!

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ルクソール神殿はカルナック神殿の副殿だ。建設にかかわったのは王で言えばアメヘテプ3世とラメセス2世。

時代で言えばBC1300年代から1200年代。それにしても今から3000年以上昔の話。

でもすごい。

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そして宵闇が迫った!

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ルクソールに火が灯り、遺跡が浮かび上がった。

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何十体ものスフインクスが参道をなしていた。

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オベリスク上に上弦の月。なかなかいい。

ちなみに、かつて対になって並び立ち上がっていたオベリスクのもう一つは、現在フランスパリのコンコルド広場に屹立しているのだ。

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これから、カルナック神殿での光と音のショーの観賞だ。

バスで移動した。

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ショーは参道入口から開始された。

当初イメージしていたものは「光と音」だというので遺跡をレーザー光線などの照明機器で浮かび上がらせ、そこにダンサーとか歌手が登場しパフォーマンスを披露してくれるものと思っていた。

ところが、そんなに安直なものではなかった。

光と音を使いながら遺跡を浮かび上がらせるまでは良かったのだが、その続きはナレーションが入り歴史を語るものだった。

ダンサーなどいない、まさに光と音による歴史劇だった。

若干期待はずれのところもあったがそれはそれで学ぶことができた。

それにしても、寒かった。

北半球でもあり、冬であることは承知していたが、昼間の陽光の下では暑く夏そのものだった。ところが夜はまさに冬だ。

アドバイスもあったのでアトラクションに参加するにあたって日本の冬支度で出かけた。それでも寒かったのだ。

砂漠特有の温度変化だろうがすごい寒暖の差であった。

そしてクルーザーに戻った。

ショーが待っていた。

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ベリーダンス。

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どこかのナイトクラブのような奇をてらうものでなく純粋に民族舞踊として舞っていた。

続いての演目は少年演者による回転ショー。

彼は20分ぐらいだろうかひたすら回転し続けた。

トルコの旋回舞踊「セマー」なのかな?

一説によると、万物は回転しているのだということを基底にした教え(宗教?)で、分かりやすく説くと、地球が太陽の周りを回ることや自転しているように、さらには、人間の体の中でも血液やリンパ液が体内をぐるぐる回っているように、基本は回転なのだそうだ。しかも、これらは神の采配であるから、人間も邪念を捨て、神との一体化を求めるのならば回転をするのが大事だというのだ。(かなり雑な私の解釈)

面白い。

踊っている彼もまさに、回転しながら次第にトランス状態に入っていき、神と一体になっているかの恍惚とした表情に変わっていった。

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その中でこんな変化を見せた。

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神業の妙技だ!

踊り終わって拍手喝采を浴びたのだが、彼はふらりともしなかった。

私など5回転もするとまっすぐ立っていられないだろうと思うのだが。

長い一日だった。

さ、あすは死者の町だ!

 

2020年2月14日 (金)

ナイル川を挟む生者の都と死者の町。先ずは東岸の生者の都テーベ(現・ルクソール)へ

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ルクソールの街を通りながら人々の装いを見て、異次元に紛れ込んだかの感に囚われた。

当初、いわゆる観光立国エジプトの国民的義務のようなものとして伝統装束が奨励(強制でなく)されているのかと思った。

とりわけ観光名所・遺跡などでは督励されているかのようにも見えた。

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確かに、馬車屋さんや物売りの皆さんは意識して民族衣装をお召になっている。

旅人にとっては「エジプトに来た!」と実感できるからいい。

でも、街行く人を見ると古色な衣装が目を引く。普段着あるいは晴れ着として日常的に着ているようでもあった。

 

さて、遺跡訪問第一番はエジプト最大の神殿カルナックだ。

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広い!ナツメヤシが彩りを添える。

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牡羊の頭のスフインクスが門前を守護する。スフインクスはライオンだと思っていたのだが獅子は胴体だけで顔・頭は多彩なのかな?

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柱が太い。

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まだ遺跡の中に足を踏み入れて幾ばくも経ていないのだが、はや己の古代認識がいかに浅薄であったかを知った。

柱の太さも高さも想像をはるかに超えていた。

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巨石に驚かされただけでない、エジプトでは文字記録が今から5000年前(紀元前3000年頃)にも遡りあることにあらためて感嘆した。いわゆるヒエログリフ(聖刻文字)と言われる象形文字だ。

始めてエジプト史に接した中学生の頃パピルスに残された文字だと一生懸命暗記したのだが、この文字が遺跡のいたるところに刻まれているのだ。

この文字の解読については1799年のナポレオンのエジプト遠征の際に発見された「ロゼッタストーン」が有名だ。

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柱や壁、そして天井にまで刻み込まれていた。

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観光初日ということで、この神殿だけでもかなりのデジカメのシャッターを押した。

ここで載せたもの以外にさらに云百枚あるのだ。

 

昼前にこの遺跡を後にしてこの日から宿泊ホテルとなるクルーズ船に乗船・チェックインした。

小ぶりなクルーザーで、今コロナで注目を浴びている外洋を航行する大型クルーザーに比べると何十分の一だけどとても快適だった。

そんなクルーザーであるけれど、私が乗船したというと、コロナウイルスに罹患した者であるかのような目で見る人がいたのには驚いた。

風評に惑わされてはいかんね!

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乗船、現地時間午前11時45分。日本ではもう夜の7時近い。でも、寝てはいられないこれから観光は始まるのだ。

このクルーザーで昼食を採り次にルクソール遺跡を訪れた。

日本時間で言えば二日分の行程だ。午後の記録は次の日記に回そう!

 

2020年2月 7日 (金)

戦(いくさ)が回避された!エジプトへ出発だ!

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イランとアメリカの駆け引きというか、政治評論家でも方向性の論評が難しいやりとりだが、平和を望む一般市民としては戦争を免れホッとした。そしてアフリカ・エジプトへの旅が確定した。

でも、「一難去ってまた一難」というか、成田空港の第一ターミナル南ウイングでは、ほとんどの出国予定者がマスクで顔を覆っていた。

コロナウイルス対策だ。

まあ、大型クルーザー内でもないし香港のような武装警官の襲撃を想定したマスクでないだけまだいいか。

 

これから14時間25分の空中生活だ。

離陸が 21:30 であるから単純計算で言えば日本時間明日 午前11:55 カイロ着だ。

エジプトと日本との時差がマイナス7時間であるので、到着時は現地カイロ時間で早朝4時55分。

まだ真っ暗だ。 二日目の予定で言えばそれから17時間ぐらい動き回ることになる。

つまり、日本でそのまま動いていたとすると次の日の朝五時まで遊びまくり朝帰りをする感じだ。

となると、搭乗したらすぐ寝て8時間ほど眠り、あとは備え付けのディスプレイでも見て着陸を待っていれば時差ボケにはならないことになる。

であればアルコールに少し力を借りなければと思うのだが、イスラム国の航空会社であるため、アルコールは御法度なのだ。当然機内では選択飲料に含まれない。

そこで、添乗員さんにどうすればいいのかお尋ねした。

応えは明快だった。出国手続きを済ませ免税店でビールでもワインでも購入すれば、それは持ち込みも可能であるし、飲むことも許されるということだ。

そうだよ!イスラムはアメリカや西洋列強(古い言い方か?)のプロパガンダにより過激で怖いものとされてしまっているが、元々は寛容なのだ。

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という訳で免税店で飲料を探した。店頭に並ぶのは大きなワインやウイスキーなどのボトルだけ。辛抱よくさがした。

見つかったのが梅酒の100ミリリットル三本セットだった。大きく見えるが缶コーヒーより小さいのだ。

搭乗して2時間、第一回の機内食が運ばれてきた。

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ウインナーとか卵、まあ、つまみになるかと,おもむろに梅酒をだし飲み始めた。少し甘めだが大丈夫!

そういえば,この搭乗した飛行機エジプト航空なのだが、機体はシンガポール航空だった。

いわゆるスターアライアンス加盟会社が協力共同で運用しているのだ。

でもスタッフはエジプトの方々だった。

ありがたくいただいたのだが、安眠とはならなかった。

14時間を越える飛行となると、おすすめは、ゆとりがある方だけだがビジネスクラスでリクライニングが存分に使えるシートだ。

それでも、あれこれ工夫しているうちに、エコノミーで何が快適かがわかってきた。シートに頭をつけて寝ようとするよりも、頭を垂れて眠るようにしたほうが肩がこらずに眠れることだ。それに靴は脱ぐこと。できれば簡易のスリッパを用意したほうがいいね。

なんやかんやでうつらうつら寝たり起きたりで気が付くとカイロに迫っていた。

事前の連絡時の添乗員さんとの話ではイラン上空を飛ぶといわれ戦々恐々としていたのだが、それはジョークだった。

ディスプレイを見た。

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カスピ海を横切り、黒海南のトルコを掠め地中海に抜けていた。

標的にならずに済んだのだ。

離陸直後画面を見ていた時は飛行機は日本海を渡り中国瀋陽の北上空からロシアに入っていった。

イタリアに行った時もそれこそ憧れのシベリア鉄道を空から辿るような思いをしたものだが、今回も似たようなコースだった。

違ったのは前回はそのままフランクフルトまで行ったのだが、今回はカスピ海に入る直前カザフスタン上空を飛んだのだ。

ここは旧ソ連時代からのバイコヌール宇宙基地がある国だ。基地は現在もロシアが租借しているとのこと。

こんなことがなければカザフスタンとは縁もないのだが調べると面白い。国土は広い。

アジアでは中国、インドについて三番目の広さがあるのだ。全く知らなかった。

日本との関係では相互に大使館を置いている。そして驚いたことがひとつあった。カザフスタンでは現在首都を移転、つまり遷都の準備をしているのだがその計画に先立って都市計画案についての国際コンペがあった。

そしたところなんと一位に輝いたのが日本の黒川紀章さんだった。現在開発計画が続けられているとのこと。

そうこうしているうちにカイロに到着。

ここでビザを取得し軽朝食をすませて直ぐ国内線でルクソールに向かった。

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エジプト航空のエアバスだ。

タラップを降り、エジプトルクソールの地を踏んだ。朝7時40分。(現地時間)

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エジプトを実感する光景だ。

太陽が上がったばかりだった。

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今年の初日の出は厚い雲に覆われしっかり拝めなかった。

ところがエジプトでは行く先々で見事な日の出を見ることになった。

第一日目は移動日だった。

さあ、遺跡に向かうぞ!

 

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