ウェブページ

2021年7月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

旅行・地域

2021年6月18日 (金)

箱根・芦ノ湖はドライブコースの立ち寄り所だったが、じっくり湖畔に佇み、散策するもいいな!

箱根はこれまで一、二年に一度はドライブの途上に寄らせてもらった。

其処此処に人気スポットがあるにも関わらず、当地にじっくり逗まり、散策するということは少なかった。

前回紹介した大涌谷もそうであるし、仙石原やら、数多くある美術館などにも、ほとんど行かず仕舞いか、行っても一度、二度という塩梅だ。

ただ、芦ノ湖畔には必ず寄って湖を撮影したり、海賊船を眺めてはきた。

Dsc_4414-2

元箱根港に停泊する海賊船

私、この「海賊船」に未だ乗船したことはない。

今日は諦めたけれど、次はきっと乗るぞ!

視線を右に動かしていくと見えてくるのが鳥居だ。

Dsc03810-2平和の鳥居

この佇まい、なんとも厳かではないか。

箱根には三つのパワースポットがある。

1、箱根神社 2、箱根元宮(箱根神社の奥宮)3、九頭竜神社 だ。

1のスポット箱根神社の正参道が湖水まで続いていて、その先に立っているのがこの「平和の鳥居」だ。

建立は1952年。サンフランシスコ講和条約締結を記念したものだそうだ。

今回は遠景で良しとするのでなく、周辺を散策してみた。

Dsc03845

この先に湖畔に降りる道が左に、そして社に続く石段が右にある。

まずは左に。

Dsc_4445

湖に沿った遊歩道だ。

Dsc03850

Dsc03855

鳥居についた。

Dsc03854

コロナ禍でなければ、ここは撮影スポットとして行列になるそうだ。

そして夜も更けると。

058-2

と言うのは事実じゃない!構造はそっくりだけどね。

これは、厳島神社大鳥居。(2009年10月 広島に行った折のナイトクルーズにて撮影)

箱根神社が源頼朝を筆頭に関東武士の崇敬を受けた神社だったのに対し、厳島神社はまさに好敵手だった平清盛の創建だものね。

さて、本殿に行ってみるか!

Dsc03843

右にあった本殿に続く石段。

そして、湖畔からはさらに急な石段。

そして、見事な並木。

Dsc_4425

中途に手水舎があって、そこの鳥居をくぐりさらに登る。

Dsc03820

そして本殿だ。

Dsc03824

Dsc03827パワースポットとして3番目に九頭竜神社を上げた。

九頭竜神社本宮は、この箱根神社から湖畔沿いに北西に向かい4kmほど行ったところにある。

でも・・・・・である。

恥ずかしながら、ここで初めて知ったのだが、同じ境内に九頭竜神社新宮があったのだ。

Dsc03828九頭竜神社新宮

別の神社が何故同じところにあるか?と思い訊ねたところ次のようだった。

九頭竜神は箱根大神が生み出す「生命の根源である水の力」を守護神として司ってきたのだ。

だから、御一緒していいのだ。そういうことなのだ。

この九頭竜神は強力なパワーがあるのだが、とりわけ衆生にご利益を与える分野は「縁結び」なのだそうだ。

それで、知る人ぞ知る「良縁祈願」の聖地的存在なのだ。

私の場合、既に「良妻賢母」を自認するお方が伴走しているので、ここはコロナ禍の速やかなる収束を祈願するだけにして帰途についた。

 

2021年6月11日 (金)

噴煙・灰から逃れた猿たちはまだ戻っていなかった!箱根・大涌谷にて!

Dsc_4402

大涌谷駐車場からの富士山の眺め

5年ぶりに箱根大涌谷を訪ねた。

前回は2016年だった。前の年から箱根の噴火情報が出ていたのだが怖いもの見たさで様子を見に行った。

実は、さらに何年か前に爆裂火口を見ようと向かった時、ある集団と思いがけぬ出会いがあった。

来、彼らのことが気掛かりだった

車で曲がりくねる道を進み、大きくカーブしたところで彼らとバッタリ出会ったのだ。

ガードレールの上にお猿様が十数匹座っているではないか。

物怖じせず「いらっしゃーい!キャッキャ、キャッキャ!」と迎えてくれているかのようだった。

102-3_20210604144001箱根からずっと南下した伊豆波勝崎にお住まいのお猿様(2013年7月撮影)

そして5年前の噴火直後に行った時は当然だったのだろうが一匹たりとも姿を見せなかった。

火口周辺は火山灰らしきものに覆われ山が白くなっていた。これじゃお猿さんは生活できない。

Dsc09495-22016年7月1日の大涌谷

そこで今回、彼らの復活がなったのかと赴いたわけだ。残念ながら会えなかった。

ところで、冒頭の富士山を見て感激した。まさか、ここで富士山を拝められるとは思っていなかったのだ。なかなか美しい姿!

30分前に小休止した展望台からは静かな佇まいの芦ノ湖は見えたものの、富士山は雲に覆われ姿を見せていなかった。

Dsc03683-2「箱根峠 道の駅」から少し先の展望台より見た芦ノ湖

噴煙は収まっていたが、山は荒涼とした風景が広がっていた。

Dsc03726Dsc03800-2 Dsc03708

前回の時はこのロープウエイも運行を停止していた。Dsc03789-3

ここも、かつては地獄だった。というか「地獄谷」とか「大地獄」と呼ばれていたそうだ。

それが、明治になって天皇と皇后が訪れるということになり、二人を地獄に招くなど恐れ多いということで改称され「大涌谷」になったそうだ。

私など地獄を何度も見てきた。

2013年に所用で九州に行った折、別府温泉に泊まった。その際地獄めぐりをした。

Img_2984-2

山地獄だ!

立派な門のある地獄もあった。血の池地獄だ。

Img_3010-2

地獄の守り人もいた。

Img_3002-2

 こんな地獄なら何度行き来してもいいけれど、実社会の地獄のような出来事やら場所にはあまり近づきたくないね。

そう言えば、書店で知ったのだけれど「邪馬台国」って、別府にあったんだってね。

小学舘新書「邪馬台国は別府温泉だった!」酒井正士著が平積みされていたっけ。

それはともかく、「地獄」を後にするに当たり、入り口の祠に鎮座する地蔵尊に願掛けて湖畔に向かうことにした。

Dsc03718

Dsc03720

 

2021年3月12日 (金)

海越しも、川越しも、そして天空からも乙だよ富士の山!

Dsc01259_20210310174301

静岡県沼津市の海岸から駿河湾越しに見える富士山

富士山の魅力は、季節の移り変わり、拝観場所などで七変化することだ。

今までで最も感動した富士山の姿が脳裏に浮かぶ。

沖縄旅行の帰りに飛行機の中から見えた富士山だ。季節は真冬だった。

沖縄には2度訪問したことがあるが、利用した空港は夏に羽田空港、そしてもう一箇所は真冬の富士山静岡空港だ。

雪に覆われた富士山の姿が見えたのは富士山静岡空港着陸の少し前だった、

異国の旅人が長い航海の後、船上から初めての富士山を見たとき、さぞや感動したことだろうとつくづく思った。

Dsc01251

今回、アップした写真はわざわざ出かけて撮ったものではない。この間の富士五湖巡りなどの際に少し足を伸ばして写したものだ。そのため雪をかぶっているもの、いないものとまちまちだ。

伊豆半島の西海岸を車で走るのは久しぶりだったが、道路の整備が進んでいた。

道幅が広がったばかりか、山を貫きトンネルができ、以前の海岸線をくねくね走るという区間が少くなった。

旧道はどうなったかというと、道はそのまま残され新たな舗装や整備はされないものの車も人も自由に歩き走れるフリー空間のようだった。釣り人には格好の場所になっていた。

Dsc01310

伊豆半島の西海岸は沼津市から始まるが、少し南下すると今度は大きく右にカーブし、大瀬崎までは西に海岸が伸びる。

結果として、東海道と並行となり北側の海の向こうに富士山が見えるのだ。

Dsc01350-2

高台から見える大瀬崎

沖には釣り船がいた。

Dsc01278

再び北上した。

伊豆長岡温泉にほど近い三津の海岸からの富士も格別だ。

Dsc01530

Dsc01714

さて、沼津を後にして東名高速を西に進むと迎えてくれるのが富士川サービスエリアだ。

ここの上りSA に富士川楽座(富士市)がある。ここからの眺めがよい。

東名下り車線でここまで来ても、そのままではたどり着けないのでご注意。スマートIC(ETC専用)で外に出る必要がある。でも、出口を出てすぐ上りスマートICから入ったとするとサービスエリアを横目に見ながらそまま上り車線に直行することになる。SAには入れず、すぐサヨウナラとなってしまうのだ。

東名を出たら富士川楽座の一般道路沿いにある駐車場に止めなければいけない。そして歩きでサービスエリアに入る。そして帰りには上りスマートICを利用し上り東京方面に乗ればOKだ。

西方面から来た場合は、SAに入ればそのままで楽座、そして帰りはスマートICから出て下り車線に入ればOK.

川越しの富士山も良し。

Dsc01375

丘のような小山の手前を流れるのは富士川。穏やかな流れを見せているが、いざとなると激流になるのだ。

最近のSAは様々なものを用意し運転手の疲れを癒そうとしている。

ここには観覧車がある。

御殿場を過ぎた足柄SAには日帰り温泉やらドッグランの施設があるからね。

Dsc01370

そして極めつけは富士山より高いところからの眺めだ。

014-2

Dsc05793-3

成田で搭乗すると目的地によっては富士山上空を飛ぶのだ。

天空からの眺めも乙だ。

ところで昨日は、東日本大震災から10年目の「3.11」だった。

海越しに富士山が見えた地と同じように東北の海岸線も美しい景観が広がっていたのだろう。

また、今、同じように美しさをとりもどしているのかもしれない。

でも、災害は突然襲いかかる。気象庁の想定によると静岡県から九州にかけて将来大地震が襲うと言う。南海トラフ大地震だ。それによると今回の富士山を撮影した沼津市は震度で6強、富士市は震度7という凄い揺れとなり、予想される津波は10メートルの高さを越えるという恐ろしいものだ。なんとか「後手後手」にならず安全策を講じてもらいたいものだ。

2021年2月26日 (金)

富士五湖を制覇した!西湖は雪国にあった。🗻

Dsc01489

朝霧高原からの富士山

富士山に雪が舞った。

昨年10月下旬から始めた富士五湖巡りも年内には四湖を訪れることができた。その証となる富士山と各湖のツーショットを撮ってきた。残るお相手は西湖だ。しかも次は雪化粧の富士山と決めておいた。

寒波が襲来し富士山周辺にも雪が少しだけれど降った。さあ行くときだ。

でも、雪道だとだめだ。恒例の長野白馬スキー行きがコロナ禍で見送りとなったため、例年今頃にはノーマルから切り替えてスノータイヤを履いているのだが未だ夏仕様。そこで、行くのは道路の除雪が済んでからだと見計らい一週間後の日曜日に出発した。

朝霧高原からの雪も見たいと思い新東名に入り新富士インターから北に車を走らせた。

Dsc01492

朝霧高原にも雪が残っていた。

ちょっと心配になってきたぞ。

でも、ここまで来たら行くのだ。

しばらく前進し、精進湖を通り過ぎた。

右手に樹海が広がり、もうすぐ西湖入口に着く。

道の両脇に雪が多く残っている。

Dsc_2039-2

こんな感じなら大丈夫。西湖入口についた。

Dsc_2040-2

なんか道の上にも雪が残っているぞ。

まあ、経験から判断すると坂道でさえなければスピードとブレーキに注意して走ればなんとかなりそうだ。

そして、湖手前の野鳥の森公園に着いて驚いた。

そこは、雪国だった。

Dsc_2056

Dsc01476

でも、こんないいところがあったのだ。

初めて知った。

Dsc_2066

ここを訪問できただけでも来たかいがあった。

Dsc_2058

さあ、いよいよ西湖。

Dsc01448

なかなかいいぞ!

Dsc01452

静かな佇まいを見せていた。富士山は南側(静岡側)より北側(山梨側)に雪が多く見えた。

逆さ富士も見えた。

Dsc01466

他湖と違った美しさを感じさせてくれた西湖だったけど、実は大昔の話になるが、今から1157年前のこと、ここは「せの海」という広大な湖だったとさ。それが富士山の貞観大噴火(864年)があって、溶岩流が流れ込み、湖を二つに別けたのだそうだ。そして西湖と精進湖がうまれたのだという。それまでは富士四湖だったのだ。

それはともかく、来てよかった!

 西湖データ  面積 2.1平方キロ、水深71.7メートル

2021年2月13日 (土)

氷河崩壊!洪水で180人超不明。なんとガンジス河支流だったんだ!  そして何故かBeatlesへ!

前回ガンジス河での沐浴の見聞を記したばかりなのだが、突然凶報が入った。

2月7日、ヒマラヤの氷河が崩壊して氾濫を招いたというのだ。それがガンジス河支流だというので驚いた。

日本では信じられないような災害だ。

発生場所はデリーの北東に位置するウットタラカン州の標高約2000メートルの地点。そこにある二つのダムが破壊された。犠牲者の多くは水力発電所工事の現場労働者だった。

 

リアルタイムにこのような惨事が発生してしまったのだが、お悔やみをしつつもインド旅の話に戻らせてもらおう。

私は、ペナレスをあとにしてサルナートに向かった。ガンジスの河畔から北へ10キロメートルほど行った地点にある仏教の聖地だ。

Fh030018

ダーメーク・ストゥーパ

ここは釈迦が悟りを開いてから、初めて教えを説いた故地だ。

ヒンドゥー教徒が敬虔な祈りの中で身を清めているガンジスのガートから遠くない所にこんな仏教遺跡が有り、なおかつ破壊されずに存るとは教徒の寛容な心の表れかとも思うのだが。

ところが、実はヒンドゥー教のあり方から来るようだ。ヒンドゥー教は布教がとても巧みなのだ。周辺で信仰の対象とされているものを取り込んでしまい異教徒であった者もヒンドゥーの神々の中に従前の祈りの対象がいることを発見し同じように祈れるのだ。・・・あまり正確な知識でないかも・・・。

釈迦も例外でなくヴィシュヌ神の化身となっていた。

そんなことで、私は巡礼者と思われる一団について聖地に入った。

Img_2987

Img_2986

このようなことを書き始めたら2月8日の新聞に仏教に関して面白いことが書かれていた。(2021年2月8日朝日朝刊)

「災の時代に 日蓮の教え」という表題で日蓮が法然の専修念仏を批判をしていることを取り上げていたのだが、結論部分でビートルズが突然出てきて、日蓮とジョン・レノンは共通点があるというのだ。

面白いではないか!

法然は「南無阿弥陀仏」そして日蓮は「南無妙法蓮華経」。

私など異端者である者の理解は呪文の違いでしかなかったのだが、実はそんな単純なものではなかった。

019

東芝EMI(株)   imagine      John Lennon

 

南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀仏の南無とは帰依するという意味なのだ。

以前何かの本で読んだときの南無は「さん」と言いかえればいいのだと書いてあった。なるほど「阿弥陀さん」かと分かったつもりでいた。しかし、帰依とは「神・仏などすぐれた者に服従し、すがること。」(広辞苑)なのだが、この記事では帰依の対象が違うことで意味が大きく違ってくると言っている。身延山大学の木村中一教授は次のように仰っていた。「阿弥陀仏に帰依し救済を求めるのは他力本願だが、法華経に帰依、つまり信仰するのはあくまでも自分。日蓮は、あの世ではなく、この世を釈迦が住む永遠の浄土と記している。この世で救済されようというのが日蓮の根本理念」だそうだ。

そうか、阿弥陀仏に帰依するのは「仏さん何とかしてください」。

それとは違い、法華経に帰依するとは経典を自ら学び自ら精進することなのだ。

わかりやすい。

それではその日蓮とジョンレノンのどこが共通するのだ。

それは、日蓮が「あの世でなくてこの世」を良くしなきゃといったのと重なるようにジョン・レノンがイマジンの中で「天国はない」と言ったことだという。

020-2

もっとも法然や親鸞はかつての仏教が金を持つもの、つまり貴族のように寄進できるものだけが極楽へ行けるというその当時の仏教に反発し、「そうじゃないよ、南無阿弥陀仏を唱えれば、身分に関係なく極楽へ行けるよ」と言ったそうだけれどね。

ビートルズに因んで振り返ると、忘れてはならないのがインド楽器・シタールを使った曲だ。

ジョージ・ハリスンがシタールを演奏しジョンとポールが歌っている。「ノルウェイーの森」・・・私は大好き。

018

NORWEGIAN WOOD  George on Sitar

ビートルズ6枚目のアルバム(英国版)のRUBBER SOUL 14曲のうちの一曲だ。他によく知られているのでは「ミッシェル」や「ガール」、「ひとりぼっちのあいつ」などが収録されている。

017

ビートルズアルバム RUBBER SOUL    EMIミュージック・ジャパン

サルナート仏教遺跡がビートルズ談義になってしまった。

Fh030015

仏さんにご挨拶を済ませ、私はデリーへの帰途についた。

Fh010020

夜行列車で行く。デリーにつくのは明朝だ。

駅では子供達が靴磨きなどで働いていた。人懐こっく声をかけてきた。

Img_2906

Img_2908

電車もバスと同じく満員状態だった。

Img_2910

翌日は一日中気ままににデリーを徘徊した。商店を巡ったり、映画も観た。夜にはインド流ライブハウスにも寄ってみた。

Img_3028

Img_3050

Img_3049

街中だというのに、この木の枝には相当数の猿が遊んでいた。

映画館にも入った。日本と少し異なっていたのは料金によって入口が違い、たどり着くフロアーが別なのだ。

私が入ったところにはファーストフード店やら店がいくつか有り、休憩施設も整っていた。

Fl030032

コロナ禍が収束したらもう一度インド旅に挑戦しょうかな!

2021年2月 5日 (金)

ガンジスの流れの中で小舟は揺れた!ここは異界だ!

Fl030006

沐浴の場は想像以上の所だった。

車を降りてガンジス河に向かった。

軒が重なる狭い通路を通った。そこにも人は大勢いた。

今で言う、三密どころでない。

Fh010035

Fh010036

ちょうど太陽が昇り始めたところだった。

Img_2935

私は異教徒。というよりも無宗派の異国の者。

沐浴は遠慮させてもらい、邪魔せぬように船上から皆さんの敬虔な祈りを拝見した。

でも、祭りの縁日と同じかのように商売に徹する方々も多くいた。

Img_2926

ガート(階段状親水施設)はずっと神聖な場だと思い込んでいた。

沐浴や葬礼が執り行われる場所であることは間違いがないが、多様に活用されているのが実態だ。物売りやら洗濯から始まり、異教徒としては躊躇してしまうのだが炊事の支度まで行われる場所のようだ。

Img_2927

ここから乗船だ。

Img_2931

ゆったりとした流れ。

清流とはいかない。

実際に水葬された遺体が流れてきた。布に包まれた長い塊のようなものがプカプカと。

一般的には火葬された遺灰を流すのだそうだけれど、貧しい方々や、毒蛇にやられて死に至った場合などは遺体がそのまま流されるそうだ。

ちょうど火葬の準備が出来たところがあった。

Img_2975

Img_2977

我小舟の漕ぎてはこの船頭さん。

Img_2952

川面には多彩な船が浮かんでいた。

Img_2942_20210205164001

Img_2954

それにしても、庶民の質素な家に比してなんと豪壮な建築群であることか。

Img_2960

ガートが(ガースではない)階段状になっているのはガンジスの水位が変化しようがいつでも沐浴ができるために考案されたとのことだ。

Img_2940

Img_2949

Img_2947

異空間をさまようような一時だった。

21世紀もはや20年が過ぎた。伝統的な生活スタイルも意識も変わりゆくようだ。

先週、1月28日にNHKBS1で放映された「お葬式破産」(2017年インド)を観た。

ヒンドウー教徒が火葬から13日目に行う葬送儀礼「弔いの宴」により土地を手放すなど財産を失うだけでなく子供を人身売買するなど家族を破滅に追いやる人々がいるのだそうだ。これを良しとせず庶民の意識改革に努力する人が居ることを特集していた。決してゆとりがあるわけでないのに「家の誇り」を保持するために何千人にも招待状を出し振舞うのだそうだ。そのために借金して破産するというのだ。

また、翌日1月29日の朝日新聞朝刊で「スリランカ 火葬強制の闇」という論評がされていた。

スリランカは人口2200万の国で、そのうち仏教徒が7割、イスラム教徒が1割いる。スリランカ憲法では仏教を第一の地位に与えながらも、信教の自由を保障している。しかし、政府はこのコロナ禍の中、イスラムで禁じている火葬を強制し始めたのだ。

この記事の中でそうなのかと驚いたのだが、過激派仏教組織が裏で蠢きその策を推進しているのだそうだ。仏教の不殺生の教えが高じて牛肉処理をするイスラム教徒への反発からのことのようだ。

世の中、最近では過激派というとすぐイスラムと結びつけるようだがそうではないのだ。仏教徒の中にもいる。

そう言えば我が国でも平安から戦国にかけて僧兵が過激だったな。

ちなみにインドに戻るとヒンドウーにも「戦闘的反ムスリム運動組織RSS」が活動している。

イスラエルも過激だしな!宗教人が武装対峙するなど怖いね。

なかなか世の中複雑さが深化してきているみたいだ。

015_20210205182801

ンド出発前に目を通したヒンドウーに関する書籍の一つ

旅に戻れば、私は次はサルナートの仏教遺跡を訪問し、オールドデリーでインド最後の日を過ごすのだ。

 

 

 

 

2021年1月29日 (金)

インドといえば、やはりタージ・マハル、そしてまつわる悲話だね!

Img_2869

早朝、ジャイブールからアグラに向かった。目的地はアグラ城そしてタージ・マハルだ。

先ずはアグラ城に向かった。

街は人々が仕事に励み、活気に満ちていた。

Img_2897

天秤に商品を乗せて「はい、おまけ!」

Img_2822

店頭は日本のちょっと昔の駄菓子屋みたいだ。店番は少年。

Img_2898

豊富な野菜果実。

Img_2900

店は軒を連ね、駱駝も活躍していた。ほんのちょっと前、2005年時のアグラだ。

アグラ城に入城!

Img_2825

なかなか堅牢な城だ。

赤い城とも呼ばれるこの城は1565年に第三代アクバル帝によって着工された。

この帝の時代に版図を広げ、現在のパキスタンからバングラディッシュまでの広大な地を支配するようになった。

そしてその国名は「ムガル帝国」だ。

Img_2827

この「ムガル」とはモンゴルのこと、つまり「モンゴル帝国」なのだが国教はイスラム教スンニ派であり、公用語はペルシア語だったそうだ。初代皇帝「バーブル」がインドに攻め込んだのがアフガニスタンからだったことからも納得できる。では何故モンゴルか?それはこのムガル王朝を開いた「バーブル」がチムール朝君主の5代目の孫だからだそうだ。

ちなみに日本に攻め入った「元」=モンゴルは1368年に滅びている。アグラ城築城はそれからおよそ200年後のことだ。

Img_2828

なかなか壮麗だ。

Img_2835

公謁殿 白大理石による石造建築

Img_2837

歴史を学ぶ子供たち。

Img_2855

そしてヤムナー川の向こうにタージ・マハールが望める。

Fh000015

タージ・マハールは第五代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死去後建設した廟だ。

悲話はここから始まる。

権力奪取・維持にはどうしても酷い話が伴う。政略結婚もその一つだったが、それどころでない。

シャーが皇帝になる際も殺戮があった。彼は皇位継承権を持つ一族すべての男を殺したのだそうだ。

その因果応報というかシャーの息子達が皇位をめぐって争いとなり、結果、弟が勝ち、兄を支持していた父シャーは弟である息子に幽閉されることになってしまった。

結果、愛妻の祀られているタージ・マハールに赴くことができぬまま川越に遠望するのみで生涯を閉じた。

Img_2847

こんな景観を涙に滲む目で見ていたのか!

私は城を後にして廟に向かった。

Img_2877

Img_2876

Fh010010

Img_2880

参道の石畳の上では動物が戯れていた。

Img_2886

リスが私がそばにいるにも関わらず、じゃれていた。

もう一つ初めて目の前で見たものがあった。

なんとサソリだ。小ぶりで全長が10センチぐらいだったろうか、写真を撮る間もなく草むらに入ってしまった。

こんな人通りの多いいところにも出没するのかと驚かされた。

Img_2868

この日は一人でゆっくり散策できた。

明日はベナレス・ガンジスだ!

 

 

2021年1月22日 (金)

旅先のことを語り始めると、其処周辺で事件が起きる。 何故なんだー? インドのワクチン工場で火災だって!

 怪力と勇気、そして忠誠心と不死のヒンドゥー神「神猿ハヌマーン」も悲しんでいるだろうな。

1月21日インドにあるワクチンメーカー「インド血清研究所」で火災が発生した。

幸いに、などというと死者五人を含む被災者に申し訳ないのだがコロナワクチンの製造には影響がなくすみそうだという。

驚いたのはインドについて語り始めたことに合わせるかのように発生した当地の火災ということや、現在とのつながりで、被災メーカーが製造しているものが地球上のすべての人々をコロナ禍から救うことに繋がるワクチンだということ、そしてそのメーカーがワクチン製造では世界一だ等々、なんとも不可思議なことだ。

謹んでお見舞い申し上げます。

Img_2773

 神猿ハヌマーン

さて気を取り直してジャイブルの話を続けよう。

インド象にまたがりジャイブルの城、アンベールに入城だ!

Img_2643

現地で、この象たちがどのように呼ばれているかは定かではないのだが、ガイドブックでは「象のタクシー」と呼んでいた。

これに乗り込んだ。私は象の背に乗るのはこれで2回目だ。この時より遡ること2年、タイ・バンコクでタイ象に乗ったのが初めてだった。

今回はインド象だ。でも、実のところタイ象もインド象もアジア象として括られ、大きなアフリカ象と区別されているのだそうだ。確かに少し小ぶりなのかもしれないな。

Img_2619

行列を作り次から次へと坂を上る。行列の前後で乗客がお互いに写真の撮りっこだ。

後続の方、どちらのお国から来られた方か知らぬのだが、象と共に写る私が御自宅のアルバムに貼られていたりして。

まあ、間違いないことは我が家のファイルにはあなた方の写真が収まっていたことだ。

Img_2637

難攻不落の城と見えた。

この城はアンベール王国カチワーハー家の城だったそうだが、ムガル帝国の第三代君主がこの王国の娘と結婚し、結局はムガルの傘下にいれられてしまった。

まあ、血を流すより良かったかもしれないけれどね。

時は1562年。

大河ドラマ「麒麟がくる」が間もなく大団円を迎えるが、光秀の娘、後の細川ガラシャが誕生したのがこの翌年1563年だった。そして信長による「主命婚」により15歳で細川忠興に嫁がされ、1582年の本能寺の変で反逆人の女とされてしまった。死没は1600年、37歳だった。

日本も戦国の世であり、インドと同じく政略結婚がやられていた。

 

アンベール城の城内はなかなか立派だった。

Img_2659

中庭があった。

そしてアジアらしい建築様式というのだろうか。

Img_2653

Img_2655

Img_2688

なかなか美しい。

これを保全するために多くの人びとが働いていた。

Img_2668

快く撮影に応じてくれた。

Img_2678

民族衣装が観光用でなく普段着なのだ。

職人技はすごい。

Img_2697

昼時には少年が舞ってくれた。

Img_2706

素晴らしかった!踊りの後に我がテーブルに来たのだけど、結構茶目っけを見せていた。

 

風の宮殿はガイドブックのイメージとは少し違ってちょっとスケールが小さかった。

Img_2716

夜がやってきた。この日のディナーは、なんと砦の中でだ。

タイガーフォート(砦)の上部だ。

この砦は小山の上にあった。坂道をぐんぐん登っていくと、なんと野生の孔雀が木々の間にいた。

私にとっては野生の孔雀など初めての出会いだ。

それだけでも来た甲斐があった。

砦からはジャイブールの夜景が見渡せた。

Img_2743

城壁の上は広かった。

そこにテーブルを置き、晩餐となった。他に二組ぐらいしかいなかったかな。

勿論、調理場があるわけでないのでつまみはタンドリーチキン&カレーの弁当のようなものだった。

Img_2754

ナンは結構好きだ!

Img_2738

今度こそはインドビールと期待した。キングフィッシャービールが出てきた。

れっきとしたインドのビールブランドだ。インド国内の市場で36%のシェアーを誇る。

日本でも購入可能だそうだが、ただし、どういう流通経路か知らないけれど英国原産とうたわれているみたいだ。イギリス資本なのかな?

旅の道連れの皆さんと乾杯!

Img_2740

冒頭の火事の話に加え、もう一つ本日はインドにとっても今後に影響する日となった。

核兵器禁止条約が2021年1月22日をもって発効した。

ただし、インドは未だ批准していない。インドも核保有国の一つであり、150の核弾頭を抱えている。

確かに隣国との難しい問題が解決していない。

その当時者であるパキスタンは160核弾頭、そして中華人民共和国が320核弾頭の保有だ。

宗教問題や国境線問題もあって簡単ではないだろうがなんとか平和的関係を築いてもらいたいものだ。

同じく隣接しインドから別れたバングラディシュは批准している。

 

そして1月20日にはバイデン・アメリカ大統領が誕生した。

就任演説では「パリ協定復帰」「WHO残留」などを宣言した。トランプさんとは違うことは確かだがまだまだわからない。

希望を持てるとはまだ行かないものの、平和構築のみならず、あれこれを期待はしたいものだ。

 

 

 

2021年1月15日 (金)

万里の長城はインドまで続いていたの?

Img_2695

万里の長城じゃないよ!ジャイガル砦の城壁だ!

Img_2695_20210114214101

このような「長城」は中国だけかと思っていたのだが、そうでもなさそうだ。

数年前に周遊したクロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビナでも同じく峰を龍が這い進むかのような城壁があった、

インドの旅2日目と3日目はジャイブル近辺を訪れた。

デリーから260キロほど南下したところにある大都市がジャイブルだ。人口は300万人を超える。

ここではアンベール城、風の宮殿、天文台、タイガーフォート、そしてジャイガル砦など見所がたくさんだ。

Img_2523

城門のようなところを通り抜け、踏切に差し掛かった。

お姉さんが、列車の迫り来る中、遮断機がおりたにも関わらず、平然と渡り始めた。

Img_2590

あわやと思いきや、堂々と渡り切った。そして列車が通過した。

Img_2591

まあ、どうであれ、民族衣装のお姉さんは無事だった。

民族衣装といえばインド舞踊、インド音楽だ。

Img_2527

このような民族ショーはどこに行っても「目的地に着いたぞー!」という思いを強めてくれる。

Img_2552

Img_2531

テンポの良い曲に合わせて舞った。そしてリズムをきざみ、独特なメロディを奏でたのはこの人たち。

Img_2530

Img_2544

そして、私もマスクとサングラス姿で参加した。太鼓のお姉さんが訝しげに見ていたことに今気がついた。

Inkedimg_2548_li-2

そして打ち上げとなった。

Img_2562 

旅はこのお二人と私の三人だった。

インドビールで乾杯!と思ったらどうもオーストラリアからの輸入ビールのようだった。

Img_2564

美味しかった!

 

2021年1月 8日 (金)

世の中騒然としているけれど、一先ずのんびりと懐かしいインドの旅を振り返って見るのだ!

 

Img_2438

シヴァ神が高いところから人間の愚行を見ていた!

新年早々から世の中が騒然としているね。

パンデミックによる緊急事態もアメリカ連邦議会議事堂突入占拠も、今、目の前で起きている。

このような事ごとはこれまではSF小説やテレビ・映画のサスペンスでしかなかった。

しかし、紛れもない現実だ。

以前、アメリカの議事堂を踏みにじったのは1814年の第二次独立戦争時のイギリス軍だった。爾来200年ぶりのことだ。

ただ、感心したり、少し安心したのはトランプさんの愚挙に対して、ヨーロッパ各国の首脳が一斉に批判したことや、共和党の議員が翻意したり、閣僚を辞任するなどしたことだ。

そんな騒然とした状況だけれど、ここでは、しばらくは牛の縁で繋がったインド旅をゆったりと振り返ってみる。

Img_2440

インド旅は15年前の春だった。

「列車で巡る デリー・ジャイブール・アグラ・ベナレス 9日間」というもので一人催行のツアーだった。 

一人旅だったのだが、豪華なツアーに比べ費用もそこそこで、意外に良かった。

二日目から実感した。観光名所には豪華ツアーの御一行様も同じように訪れる。その方々はデラックスバスで移動するのだが、私は四輪駆動のごつい車だった。でも向こうは10人から20人の団体行動、私は運転手と通訳兼ガイドの3人。しかも私の好きなように行動ができた。

9日間といっても初日と最終日は飛行機での移動だった。実質7日間のインド徘徊だった。

既に21世紀も5年も経っていた。にも関わらず、日本という現実から異世界に、しかもタイムスリップしたかのようだった。

インド滞在初日はオールドデリーの古いホテルに泊まった。

二日目のジャイブールへの移動から不思議の国探検が始まった。

Img_2464

Img_2451

出発して間もなく、旗を持った集団に出っくわした。シュプレヒコールが聞こえないし、雰囲気もデモ行進ではなさそうだ。

どうも、巡礼の人々のようだ。

最近見たフイルムフェスティバル(short stories film festival)のドキュメント映画「kamali」の中のヒンドウーの巡礼の一行と同じように感じた。

通りすがりに見た行列はこればかりでない。

Img_2462

羊たちも、そして駱駝たちも整然と歩いていた。

Img_2783

インドは牛様だけでなく、動物天国なのか?

道路で見た驚きはいくつもあったが、あと二つ写真に収めた。

Img_2769-2_20210108180201

満員のバスなのだが、人びとは移動しなければならない。乗れるところには乗るのだ。

そして、人が移動すれば荷物も一緒に運ばなくっちゃ。

Img_2772

まあ、あれこれ好奇心を満たす旅だった。これから何回か訪れたところについて綴ってみよう。

 

より以前の記事一覧