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歴史・地域

2021年3月19日 (金)

東日本大震災から6ヶ月と23日過ぎた日、被災の地に立った・・・・東北旅の途上にて!

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気仙沼から西に向った途上で  2011年10月4日撮影

今月11日は東日本大震災からちょうど10年目の日だった。この日を挟んだ2週、被災について「忘れてはいけない」と肝に銘ずる日々だった。テレビや新聞が珍しくコロナのことでなく3.11に時間やスペースを割き特集を組み報道をした。

一か月前の2月13日深夜に発生した東北の震度6強の地震が、図らずも当時を思い起こさせた。我が家で感じた揺れは場所は違えど3.11に体感したものとそっくりだった。

まあ一方で、世間の心配・不安をよそに、この間も「ガース親子」やら総務省やらと賑やかだったことも確かだけれど。

10年というと特別なのだろう。新聞でもテレビでも東日本大震災に関わる記事やら特集を見ない日はなかった。

私もそれらをチェックしながら録画や切り抜きをした。

驚くことに、この間の大震災に関わるTV録画だけで100ギガディスクがいっぱいになった。大震災がテーマなのだがドキュメントやらルポルタージュのみならずドラマや映画まであった。

ひとつの事件、そしてその後10年の情報が一市民である私にこれほど多く入るのだからすごい。歴史的出来事をテーマにした番組が放送されるが明治時代ごろまでの史料は現代史料に比べれば格段に少ない。しかし、それであっても百家争鳴のごとしだから面白い。先般の明智光秀像の実像を巡ってもそうだった。震災・原発も激論を交わしながら教訓を引き出しつつ利権を排除し具体策を進めてほしい。

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気仙沼の港に残っていた傷跡 

石巻や気仙沼の震災当日の津波映像は私を震撼させた

ところで、3月13日付の朝日新聞に作家の川上弘美さんの寄稿が掲載されていた。

それを読んで、2011年の秋に友人たちと訪れた東北のことを思い出した。

川上さんは福島原発のメルトダウンの報道を見ながら感じたことを語った。

「建屋の水素爆発を見ながら『東京もきっとダメだろう・・』と漠然と思っていた。チェルノブイリの人々が土地を離れざるを得なかったのと同じように東京を離れるしかないだろうか。・・・日常は、ある日突然、取り返しようもなく変化してしまうものだなあ・・でも結局は避難を行うこともなく、被害もほとんど受けず・・・震災の数ヶ月後には『変化した日常』ではなく。『元と同じ日常』を送るようになる。・・・・震災の一週間後は原発事故の『当事者』だと思っていた。けれどいつの間にか私は『傍観者』になっていた。」等など。

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※※ 写真があるのだけれど、立ち寄った市町の名が分からなくなっていた。何枚もの写真を見ているうちに道路標識やビルの看板などの文字に気がついた。道路むこうの二つのビル。そこの看板の臼福本店と(株)勝倉漁業が目に入った。調べてみた。なんと震災を乗り越え現在も当地で活躍されていた。二社ともに漁船を何隻も保有する遠洋漁業を営む会社だった。そこから気仙沼市だと分かった。(両社におかれましては社名を使用させていただき失礼しました。ご活躍を嬉しく思います。)※※

今回の各報道と地震体験によって期せずして傍観者化しつつあった己を省みることになった。

SDGs(持続可能な開発目標)も現在の知見からそうだと思うが、昨年からの大型台風や大雪も温暖化の影響のようだし、回遊ルートが変化した魚の不漁もそうみたいだ。原発はいうまでもないが、やたら人為的に海に土や石を投げ入れている辺野古の基地造りも生態系を乱し自然にとっては有害だな。まあ、マントルの活動と地震はそういう次元ではないけれどね。でも天災と言っても必ず人災的面があるよね。

まずは震災6ヶ月目に撮影した現場写真を見ることから始め、追って今回録画しスクラップしたあれこれの感想を記してみよう。

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安達太良山

2011年10月3日から友人達と二泊三日の東北ドライブ旅行を敢行した。

福島に入って安達太良サービスエリアに立ち寄った。

まだ、震災の爪痕を見ることはなかった。

安達太良山が聳えていた。あの山の向こうには磐梯山がひかえ、その麓には猪苗代湖が広がる。

ここで食べた鴨蕎麦は絶品だった。蕎麦が良かったのか、汁か、それとも鴨肉か。

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この日の目的地は秋田角館だ。

武家屋敷跡などを散策し地酒を楽しみながら一泊し翌日には日本海側から列島を横切り太平洋側、宮城に着いた。

ここで、いくつかの被災現場に立ち寄ることになった。

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このような建物が道路脇に残されていた。

気仙沼と柳津区間の鉄路が寸断された。

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建物も襲われた。

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そして粉々に破壊された!

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東日本大震災の六ヶ月後の状況だった。

この後、私たちは山形県銀山温泉に向かった。

 

2019年6月21日 (金)

新大久保で三・一独立運動を考えた!

トランプさんとジョンウンさんのやり取りが注目されて以降、韓国では政府中枢から市民までが待望の半島平和実現を期待した。

その一方で日本と、と言うよりも安倍政権と韓国の関係がギクシャクしている。

報道では竹島問題であるとか慰安婦問題がクローズアップされているが、それも当然として、尚且つ江戸末期からのアジア史を振り返る中で感じるのは、国際的な大きな事件の真相・「事実」報道がどうも各国によって、とりわけ市民レベルに伝えられる情報が異なって(改竄?)いるみたいだということだ。当然世論は大きく異なってくる。

そんな関心から議論の中に時々出てくる五四運動(中国)や三・一独立運動(朝鮮)をネット検索してみた。

そうしたところ、ヒットした。

企画展示「3・1独立運動100年を考えるー東アジアの平和と私たち」高麗博物館。というものだ。

新大久保にある。早速行ってみた。

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最初、高麗   と聞いて、記憶を呼び起こし、たどり着いたのは高麗美術館だった。

前に行ったことがあったな、あそこで開催されているのかあーだった。でも、新大久保ではなかったよなと思いながら、出かけた。記憶では繁華なところでなく建物が木々に囲まれていたような気がした。途中で思い出した。博物館と美術館の違いだった。美術館は京都に行った時に寄ったのだ。

西と東、大間違いだった。

気を取り直し、新大久保の賑わいの中、住所地に向かった。

さすが韓流の街。

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ダンスグループが踊り、ファンが取り囲んでいた。

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賑やか!

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電信柱だけ見ると半島のどこかの街のようだ。

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この日はヘイトスピーチの集団もいなく、国籍を問わぬ老若男女がショッピング・散策を楽しんでいた。

着いた。どちらかというと新宿歌舞伎町に近いところだった。

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チラシをもらった。

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NPOが運営する小さな博物館だった。展示場は小さなビルのワンフロアーでオフィスを改装したような感じだった。

展示もどちらかというと絵解きや現物展示というよりもパネル上の文字説明が多かった。でも、あらためて学ぶ動機付けをしてくれた。

そもそも三・一独立運動とは何か。

1919年3月1日に京城から始まった日本の朝鮮植民地支配に対する朝鮮の人々による独立運動だ。朝鮮の研究者の資料によると3月から5月までの集会に参加した人の延べ人数は202万人にもなり、死者7509名、負傷者1万5849名、逮捕者4万6303名だった。

これに至るまでの簡単な経緯を年表で見ると次のようだ。(放送大学:日本外交史より)

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日露戦争が始まった年の「日韓議定書」から始まり、1910年の韓国併合という流れの先にある1919年だ。

日露戦争自体が満州と朝鮮半島の権益をめぐっての日露の戦いだった。

でも、ことは単純でなく日本は脱亜入欧の証のような日英同盟にこぎつけ、片隅とはいえ帝国主義列強の一員とされるなかでの開戦だった。単純な日露二国間の戦いではなく1914年に始まった第一次世界大戦の前哨戦のようなものだったと言う学者もいる。

そういう中での日韓併合・植民地化だった。

三・一独立運動にもどれば「教材工房」の世界史用語解説によると大変興味深いことが書かれていた。

この運動開始時の日本の首相は平民宰相と言われた原敬だ。

この原敬の日記によれば、原は長谷川朝鮮総督に対し「今回の事件は内外に対し極めて軽微なる問題となすを必要とす。然れ共、実際に於いて厳重なる措置を取りて再び発生せざる事を期せよ。但外国人は最も本件に付注目し居れば残酷苛察の批評を招かざる事十分注意ありたし」と対外的及び日本人に対し、大事件でないように扱うように指示し、一方で事実として大変であるから運動を弾圧せよと行っているように見える。

その結果、日本では「万歳事件」と報道され一部暴徒の示威行動にすぎないものとされた。日本警察は先ほど示した死者数などとは違った死傷者数を発表した。死者357名、負傷者802名と大幅に縮小され、些細な事件とされた。

そういう点で時の支配者のやることは今も、昔も変わらないね。

老後2000万円問題に至るまでのあれこれも同じだね。

ところで、私たちが半年前に滞在したばかりの香港で「逃亡犯条例」をめぐる市民の大きな反対デモがおきたね。

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香港2018年年末

香港旅行ブログに書いたのだが、書籍販売所で「雨傘運動」の本が売られていた。

新聞報道によれば今回のデモで目立つのは、五年前の運動に加われなかった「ポスト雨傘」世代の若者たちだそうだ。(朝日新聞6月18日夕刊)

そして彼らは雨傘運動の教訓を学び、市民の支持を得られないことはやらないと言って「道路の占拠はやめよう!」と呼びかけた。そして、やはり現代っ子、それらの呼びかけをSNSを使って周知徹底しているというから面白い。ハンドマイクなどでは10メートル四方の人々にしか伝わらないのだが、電波に乗れば遠く離れている人にも伝わるものね。しかもどんどん拡散していく。結果、香港政府の行政長官が謝罪した。しかし撤回はせずに、無期限延期方針だということなので予断を許さない。

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安倍政権は、選挙を前にこの件の動向を注視していただろう。場合によっては野党攻撃やら自らの合理化に使ったのだろう。中国の政権は独裁だ。怖い。だから尖閣はなどなど言いながら。

しかし「無期限延期」だとしても当局が住民の声に応えたことは、沖縄などの声を全く無視して工事を進めたり、データーをごまかしながら陸上イージス基地を造ろうとする強権政治には手痛い結果を招くかもね。

高麗博物館企画展、あと二日、6月23日までだよ!