今年はラジオ放送開始百年だって。私、その途中から生きてきたけど、凄い変化を実感!
放送百年を迎えた今年は「放送」が新聞やテレビで特集が組まれるなど話題になっている。
佐藤卓己上智大学教授がコメントを書いていた。(3/27朝日)
「ラジオの普及によって、共通の話題を生む仕組みが、初めて国民全体のレベルでできた。」
そして、テレビが登場し、皆が同じ時間に同じものを見るなど最後の「国民国家メディア」となったと言う。
一週間ちょっと経ったら満開だ!満天星ツツジ
百年後の今、インターネットが広がった。選挙でさえも、フェイク利用ユーザーやらで騒がしい。
でも、教授は言う。「ネットは時間の縛りがなくなり、ユーザーが自由に選んで情報を検索し、見たいときに見たいものだけを見るようになった。」ただし、その結果、「選択による細分化が」強まり、「個人の情報や感覚に大きな偏りが生じ」「社会の分断を生む」恐れが強まっているのだと。確かに身内の若い者をみても自分の歩んだ道や、感覚とずいぶん違うなと感じるものな。そう云えば、今のアメリカもそうなのかな!新しい南北戦争などと言った 物騒な表現もあったな。
モッコウバラもあれよあれよと云う間に!
教授も言う。「生き物である我々は不快よりも快適を求める。」そして「メディアも、より快適なものを目指して発展してきた」。それが現在だ。
先日、海外との連絡の必要があって公衆電話を使おうとした。
あちこちを探した。以前であれば大型ショッピングセンターなどには必ず電話ボックスがあった。
でも、今回は見つからなかった。結局あったのは、役所前とJR駅前だった。
役所前の電話は国内通話のみ、国際電話が可能だったのは駅の公衆電話だけだった。
桜桃も、ソメイヨシノとは一味違うがいっぱい咲いた!
ガラ携の出現から、誰もがスマホを持つ現在までの通信手段の普及は瞬く間だったような印象だ。
私だって、これまでに何台も機種変更してきた。しかし、公衆電話がこれほどまで減っているとは気づかなかった。そんな急激な時代の変化であるが、佐藤教授は断言する。テレビは勿論、ラジオや映画。そして新聞や書籍が「なくなることはありえない」と。
そして、インターネットなどによる分断は続くが「人々が同じ情報を全く共有しない社会は、共同体としては非常に不自然だ。だから、ネット以外の情報共有メディアはあった方が良い」と。
この新聞特集は4月に入ってからも続いていたのだが、10日後の4/7、4/8、二日連続のタイトル「放送100年 “日本語をつくる”」に「なるほど」と思わされた。
カエデとモミジの併存がはっきりしてきたよ!
1925年3月22日にラジオ放送が始まったのだが、元号で言えば大正14年だ。明治維新から58年だ。
特集によれば明治時代に日清、日露の戦争への庶民の動員などを経ながら、国民国家形成が進んでいったようだ。けれど、驚いたのは、話し言葉としての標準語は、まだ列島全体行きわたっておらず、書き言葉としての標準語がようやく固まりつつあったぐらいだったようだ。
やっぱりカエデの花だった!
実際私の体験からも納得できる。
大正時代から数十年経って私が生まれるのだが、私の親の仕事の関係で物心つくまでにも何回も転居があったと聞いていたが、私は標準語を普通に理解し、使うことができていた。(つもりだった。)そんな時、突然であったが、再び親の勤務地の異動があって数十キロ離れた地で生活をすることになった。
そこで驚かされた。新たな場所での同級生の話言葉がちょっと違うのだ。語尾に何かが加わっていたり、物の名称さえ違った。例えば「草履」を見てわたしは当然「ぞうり」と言っていたのだけれど、その地ではなんと「じょうり」と言っていた。勿論振り仮名を書けと言えば「ぞうり」とするのだろうけどね。ラジオ放送開始から半世紀前後過ぎた時でさえそうだった。
なかなか美しいコデマリの花
「放送100年”日本語をつくる”」で興味を持ったのは、「方言」の扱いと「国語教科書」の役割だった。ラジオ放送でも当初は全国共通の放送とは別に、地域向け放送では各地の方言を使うという方式が草案になっていたようだ。しかし、結局は実現できずに地域放送も共通語(標準語)を使うとされたそうだ。
そして、やはり時代を反映してか、「日本語の音声としての標準語化」が強く意識されたのは日清日ロ戦争後の台湾と朝鮮の植民地支配だったという。朝鮮や台湾の人々の「日本国民化」を推し進めるにはまず言語の整備が必要だったようだ。驚かされたのは学校教育の場で「国語」が教科として登場したのだが、その教科書を使ったのは日本本土より先に台湾だったんだって。習近平さんでなくてもビックリしちゃうよね。
1953年にはテレビ放送が開始され、1964年の東京オリンピック開催時にはTVの世帯普及率が9割近くまで来ていたという。このことにより、共通語化が格段に進んだ。でも、じわじわと変化が出てきた。
1968年の大河ドラマ「竜馬がゆく」では本格的に方言が話されたようだ。
ドラマだけでなく、お笑い番組での漫才やコントでは「よしもと」などの力もあって大阪弁が主流みたいに感じたこともあったしね。今じゃ、ドラマでもいろいろな方言が聞けるものね。
でも、先にも触れたように「全国の人々が同じ番組を見るという、かっての放送の力は陰っている」「ネット動画やSNSによって、地元とヨソ、現在と過去、といった場所や時間の境界が溶けた、まったく別の世界が見えてくるかもしれない」(朝日新聞 4/7、4/8 筆者 定塚遼さん)
どうなるんだろうな!100年とは大きな変化があるのだ!
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