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2025年2月13日 (木)

ハリウッドアングルでの NIPPON サムライ集団、結構面白かった! 47RONIN

エミー賞、ゴールデングローブ賞がきっかけで、録画するばかりでなく映画をしっか観ることができた。

二本目として「47RONIN」(2013年作品) を視聴した。

アメリカ版忠臣蔵だ。真田は大石内蔵助を演じた。

それにしてもアメリカの監督が忠義と仇討ちに興味をもつなんてね。

ま、全編英語だったけどね。日本人の俳優たちも流暢に喋っていた。(真田広之、浅野忠信、菊地凛子、柴咲コウ、赤西仁)

ただ赤穂の四十七人の義士が吉良を討つために誓った覚悟の血判状には各々漢字で名を記した。

冒頭から幻想的城郭と城下が眼前に展開した。

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そして、美しい森での狩だ。

そこに現れるのが決して日本の江戸時代には存在したはずのない怪獣。

そして、闘うのはバイリンガルのサムライたち。でも、いでたちは大陸的な印象。

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その中で差別されていたのが容貌は白人だが天狗の子と恐れられているカイという名の男。(キアヌ・リーブス)彼こそネイティブな英語使いなんだけど

結局、怪獣は腕の立つことを自負するサムライでなくカイが倒した。

後半で彼の出生が明らかにされる。赤穂にそれほど遠くない所に「出島」と呼ばれる地がありそこは異国の帆船の寄港地だった。そこにいた船乗りと日本人の母の間に生まれたのがカイだった。

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六つ目の怪獣

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人間に襲い掛かるときの姿。恐ろしい!

観はじめると、確かに日本を舞台に日本史上の一時代が描かれているように見えるが、ちょっと違うかなという印象も持つ。

だからと言って、つまらないわけではない。

いわばインディ・ジョーンズやらハリー・ポッターのような冒険活劇だね。これまでもファンタジー映画などで描かれたアジア各地も多分そこに住む人々が見たら同じような印象を持っただろうと思える。

日本の本当の姿は何なんだ?と言うことにとらわれず侍の格好をした人たちによるアクションだと思い観賞する分には十分楽しめた。

映画の中に現れたカットを見て日本ってこんな所なのと思ってしまうのは次のような場面。武士団が移動していく途上の海と丘。そして着いた場所。

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47RONIN より

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昨年9月15日「SHOGUN 将軍」がエミー賞の18部門を制した際、プロデューサーも務めながら主演男優賞に輝いた真田広之さんはインタビューで次のように語っていた。「東洋と西洋が出会った、夢のプロジェクトでした。」(9/17 朝日新聞 社会面27ページ)

制作主体は米国だったが、日本のスタッフも加わり、時代考証を丹念に行い、セリフの大半も日本語だったとも報道された。そして、同じ紙面で真田さんのこれまでの20年を次のような見出しで表現し紹介した。

「奇妙な日本描写 闘い20年」(9/17 朝日新聞 社会面 見出し)

そこに紹介されていたのは「真田さんのこの20年は、外国作品、とりわけハリウッドにおけるキテレツな日本の描写との闘いの歴史だった」と。

転機があったのは2003年のラストサムライへの出演だった。

当時語っていたことが紹介されていた。真田さんは「自分の世代で、おかしな日本人像を払拭したい」と語り、刀の扱いや着物の着付けなど多岐にわたり意見を述べ、ラストサムライは随分まともになったそうだ。それでも、まだ違和感が残ったようだ。今回取り上げた「47RONIN」でも日本人を演じたのは観てのとおりだったが、日本の描写を正す努力をしたそうだ。そのような経緯もあって、実を結んだのが今回の「SHOGUN 将軍」だった。

まあ、兎にも角にも吉良の首を取った。四十七義士の内、大石の息子、主税だけを除いて皆「名誉」の切腹となった。

そう言えば菊地凛子も不気味な妖術使いを演じ存在感があったな。

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前回のブログの最後に水俣病絡みで泉谷しげるさんを取り上げ、2月6日のTV番組SONGSに出演されることを書いた。

しっかり録画し、視聴した。

番組は阪神淡路大震災(1995年)の際に泉谷が被災地支援のための路上ライブをやったが、それから30年ということで企画され、当時演じた場所でその時に熱唱した曲を再び披露するというものだった。

ここで初めて知ったのだけれど、泉谷は災害支援のため路上ライブでの募金活動を1993年7月の北海道南西沖地震の時から始めていた。

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日ごろから役者としても乱暴な言葉を吐くことを演じているのをよく見てきたが、この路上ライブでも「お前ら、募金しろ!」と大声で言っていたらしい。

人に陰口言われる前に自ら「これは売名行為だ」とか「一日一偽善」ともいいながら呼びかけたんだって。

そして、一年前の能登半島地震まで続けているというから感心したよ!

というか見直した!

2025年2月 6日 (木)

真田広之さんが切っ掛けで観たのだけどジョニー・デップもすごいね。映画「MINAMATA 水俣」!

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真田さんの出演作観賞の第一作に「MINAMATA水俣」を選んだ。

観終わった。一番強く私の脳裏に刻み付いたのはユージン・スミス(William・Eugene・Smith)の壮絶な生涯だった。

彼が高校生の時、父親は散弾銃で自殺した。第二次世界大戦が勃発し、ユージンは得意な写真撮影を生かし従軍記者になった。沖縄戦従軍の際に日本軍の迫撃弾で負傷し、その後遺症で生涯悩まされた。1947年以降ライフ誌などでフォト・エッセイ形式の写真発表をしていた。1971年になり、さまざまな繋がりの中で水俣と関わるようになる。翌72年チッソ五井工場での座り込み抗議で暴行を受け、完治することのないケガを負った。結局それが死の遠因となった。(59歳没)

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ユージン役を務めたジョニー・デップは「あの海賊と同一人物なのか?」と思わせる見事な演技だった。

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パイレーツ・オブ・カリビアン 2003年 第一作より

こんなにキリッとした海賊と、ウイスキーのボトルを寝ても覚めても離せない者を同一役者が演じているなんて。

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MINAMATAより

やはり素晴らしい役者だね。なによりも水俣病とその闘いに着眼したのが凄い。

主演者として登場しているけれど製作者でもあった。

映画は水俣病について改めて考える機会となった。

水俣病については新聞や雑誌に掲載された患者の写真や石牟礼道子さんの「苦海浄土」などで表面的に知ってはいた。

國村隼の演じるチッソ社長の弁舌を聴いて、公害も含めて周辺住民に被害をもたらしている企業などの責任者の言うことはみな似通っているなと感じさせた。

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社長はユージンに向かって言った。「微量な異物は何処にも混じっている。大金を投じて作ったサイクレーター(排水の浄化装置)」に異物が残っていると言われているが「私が自ら、その水を飲み、安全を証明した」との言い訳だった。福島の汚染水処理と東電の言い訳と全く同じだ。

社長の話はまだ続く。先の言い分などが通じないと見るや開き直った。「だがこう言っては何ですが、彼ら(水俣病の人々)は”ppm"(わずかな量)にすぎません。社会全体の利益の前では無に等しい」と。まあ、本音だね。トランプさんの「石炭どんどん燃やせ」と五十歩百歩かな。

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汚染された海なのだが映像は美しい。

実は現在の日本では70年代の不知火海のようなロケーションを見つけるのは困難だという判断で旧ユーゴスラヴィアのセルビアとモンテネグロで撮影されたとのこと。上の写真はモンテネグロのティヴァトという街の海岸線。水俣湾とそっくりだそうだ。

ところで、この映画、真田広之さんの演技やら果たした役割を見せてもらうために観たのだが、このMINAMATAを監督したアンドリュー・レヴィタス監督の「日本人以外が日本人を演じることは一秒たりとも考えなかった」という意向から真田らが起用されたようだ。

そして、真田はこの映画撮影時点での演技の高評価は言うまでもなく、「SHOUGUN」撮影時にプロデューサーとして力を発揮した「日本の描写や日本人の演じ方の助言」でも、この映画で早、頼りにされ評価もされていたようだ。

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補償を求める運動の先頭に立ったヤマザキ役の真田

ジョニーのユージンの演技や真田のヤマザキの演技を見た当時を知る水俣の人々から、そろって「ユージンがそこにいる」「(ヤマザキのモデルとなった方に)そっくりだ」という声が上がったようだ。

様々な切っ掛けや興味から様々な映画を観ようとなるのだが、そんなことを通して色々なつながりが出てくるから面白い。

MINAMATAを観始めて冒頭に近い画面に出て来た人に驚いた。ゴールデングローブ賞でSHOGUN助演男優賞を獲得した浅野忠信さんだった。

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確かに日本の俳優でも海外からオファーが来ている国際派は結構いるようだ。

浅野忠信さんもその一人で、これまで五か国の映画に出演したようだ。

先に出た國村さんもその代表格の俳優で、なんと7か国の映画に出ていた。

たまたま、このブログを書きながらTVの番組表を観ていたら嬉しいことに國村が出演する韓国映画「哭声・コクソン」(2017年日本上映)が2月8日にBS松竹東急で放映されることが分かった。早速録画セット。

國村はこの映画出演で韓国最大の映画祭典である青龍映画賞(チョンニョン映画賞)で男優助演賞と人気スター賞をダブル受賞した。(第37回映画賞にて)外国人初のダブル受賞だというからすごいもんだ。

もう一つ繋がった面白いこと。

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朝日新聞の連載に「語る 人生の贈りもの」があることを時々紹介してきた。

現在進行中なのが泉谷しげるさんだ。

2月3日の語りで20歳ころの事が書いてあった。世の中が騒然としていたころ、1970年ごろで、部屋にこもってばかりもいられないと外に出たそうだ。東大の赤門なんかの学生集会に行って、たまたま水俣病のことが出てきた。アジ演説の学生が大学の責任を論じ、東大が医学的に公害として認めないから、こんなことになった何て話を聞いて「へえ」と思ったんだって。ただ、アジの中で感じたのは彼等のエリート意識で、「我々が労働者を救うんだ」みたいなことを言っていたようで、泉谷はどっちかというと労働者の方だから「こいつらちょっと嫌かな」と感じて集会にも行かなくなったそうだ。

ま、いろいろなアプローチがあるな。そんな泉谷しげるさんの番組が今晩(2月6日)22時からのNHK地上波「SONGS」で”泉谷しげる30年目の神戸で吉田拓郎の名曲熱唱”だって。

いろいろ繋がっていくもんだね!

 

 

2025年1月30日 (木)

トランプの言動も衝撃的だけど、大谷、イチロー、そして真田広之も凄いね!舞台はみなアメリカだ!

 1月20日アメリカ合衆国第47代大統領にドナルド・トランプさんが就任した。就任前から物議を醸す発言が目立った。そして、大統領となったその日の言動も案の定だった。Img_27623

トランプ大統領就任を報じる朝日新聞(1/22朝刊一面)

そして、1月25日に報じられたのは裁判所の裁定だった。

トランプさんは就任当日もテレビカメラを意識しながらパフォーマンスを演じつつ大統領令にサインをしていた。

驚いたのは、その一つである出生地主義に基づく国籍取得否定について連邦地裁が「違憲」として差し止めたのだ。

就任前から声高に実行を宣言していた不法移民追放の目玉の大統領令だった。いくつもの州から異論がだされて提訴もされてはいたのだが、連邦地裁の「英断」に驚く。トランプ陣営は報復などを考えないでいてほしいな。

トランプさんはバイデン政権の政策を次から次へと覆すことに重きを置いて、それを「常識の革命」などと呼んでいる。DEI(多様性・公平性・包摂性)を考慮する事を禁止する命令もその一つだ。それには民間企業でも同調するところが出てきている。日本でも展開しているマクドナルドがその一つ。

管理職に占める女性比率や人種的・性的少数者比率の目標を廃止した。同様の動きが広がりつつあるというから怖い。国民の反発もかなり出ているようだ。これからどうなるやら、世界の政情不安や戦争が収束するのか大変気になる所だ。

ただ、民主党ならばいいかというと、そうでもない。ガザ攻撃でのダブルスタンダードを見せられた後の今ではどっちもどっちだと思ってしまうのが現実だ。

私たちとしては手の施しようもないのだが、先ずは日本が戦争加担やら戦争を勃発させないように国民として声を上げるしかないかな。

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ところで、この一年をふり返ると、日本人スポーツマンやアーティストの活躍が凄かったね。

しかも、国際的に高い評価を得ていた。

先ずはドジャーズに移籍した大谷選手だ。

バッターに徹した一年だったが、大リーグ初の50本塁打と50盗塁の同時達成を成し遂げた。

日本中大騒ぎで号外まで発刊された。

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2か月後再び号外だ。同じ人物に連続して号外が出たことなど今まであったかな?

大谷のMVPナショナル・リーグ最優秀選手受賞だ。

そして、先輩であるイチロー!やっぱり号外!

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 イチロー=鈴木一朗(本名)さんもすごいね。今月16日に日本の野球殿堂に入ったばかりだった。

その5日後に米野球殿堂入りだものね。今回はじめて知ったのだが、殿堂入りにはそれなりの厳しい基準があり、選考された人は本当に誇っていいようだ。

先ず選考基準はMLBで10年以上プレイして、引退後5年以上経過しているのが第一の条件。

それを満たし、全米野球記者協会の推薦を受けた者が投票を受ける資格を得る。

いよいよ投票となるのだが、投票者にも資格用件がある。全米野球協会に10年以上所属する記者であることだ。イチローが推薦を受けた時点で有資格記者は394人いた。

殿堂入りが確定するのは記者の75%以上の投票を得た者となる。

厳しいのは得票5%以下の選手はその回限りで終わりとなり、75%以下の得票だった選手は10回75%以下が続くと11回目は候補から外されるのだそうだ。

それがイチローは推薦初回で393票獲得し殿堂入りとなった。

実績とアメリカ球界への貢献が高く評価されたからだ。

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朝日新聞1月23日付朝刊17面スポーツ欄

改めて実績を振り返るとやはりすごい。

2000年のシーズンオフ後に渡米し、2001年のシーズンで最多安打、首位打者、最多盗塁のタイトルを獲得し、さらにリーグ最優秀選手となっている。

2004年に達成した安打は84年ぶりに年間記録を更新する262本だった。

10年連続の200安打にしても、その打率の平均が3割1分1厘であることも驚異的だ。

見事!

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2024年9月17日付朝日新聞15面 「Disney+」全面広告

アーティストでは真田広之さんが凄く評価されたね。

最初に注目されたのは昨年9月17日に報じられたエミー賞授賞式(アメリカ時間15日)で真田広之さんがプロデュースし主演も務めた「SHOGUN」が主演男優賞など18部門を制したことだった。そして、私はその「値打ち」について十分わかっていなかった。

アカデミー賞やらグラミー賞等はそれなりに「値打ち」を知っていたがエミー賞については認識していなかったのが正直なところ。

明けて1月。

テレビから又「将軍」の話が聞こえてきた。最初は、ずいぶん長期にわたって取り上げるなと、9月のエミー賞を正月のめでたい話のひとつとして取り上げているのかと聞き流した。

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ところがだ、1月7日の朝刊を見ていたら「SHOGUN 今度は完勝」との小見出しが目に飛び込んできた。

ここで漸く「SHOGUN」が新たな賞を獲得したと認識した。

 エミー賞はアメリカテレビ業界のアカデミー賞と言われているそうだ。

ゴールデングローブ賞はアメリカテレビ・映画界の最優秀作を決める米国最大級のアワード(賞)なんだって。

どこが違うかというと、MVPもそうだったけど、投票を誰がするかのようだ。

エミー賞はテレビ関係者が投票し、ゴールデングローブ賞は世界各国の記者や評論家が投票するみたいだ。

ゴールデングローブでは真田、アンナ・サワイのみならず、エミー賞では受賞を逃した浅野忠信が助演男優賞に選ばれた。快挙だったね。

真田は主演で評価されただけでなくプロデューサーとしても称賛された。

中でも丹念に行われた時代考証やセリフの大半を日本語にすることにこだわりリアルな日本を創り上げたことも画期だったようだ。アメリカでは映画などを字幕で見るということはあまり歓迎されていなかったようだ。ただ最近は日本製アニメなどが字幕入りで上映されるなど慣れが進んできたことなどが背景にあるようだ。

真田さんは2003年のラスト・サムライ出演を経て2005年ロサンゼルスに拠点を移し以降20年アメリカで活動されてきた。その間、時折名を聞くことはあったが特に気を止めることもなかった。

そんな私だけど真田さんに興味が湧いてきた。

我が家の録画ストックに何本か出演作品があった。アメリカ映画に日本人役として出演した作品もあった。「MINAMATAーミナマタ」「47RONIN」などから観賞してみるかな。

 

2025年1月23日 (木)

どんど焼きは14日、雨が降ったら15日♬♪・・・は昔のこと。今は七草明けの土か日だ。

先般、初島行きで宿泊した時に熱海でも「どんど焼き」が開催され、会場がサンビーチの砂浜になると聞いた。点火される前日の土曜日、車を飛ばした。立派に海を背に作られていた!

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熱海の砂浜に立つ”どんど焼きの櫓(おんべ”)

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バックに熱海城

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反対側を見ればビルが林立している

子供の頃は年明けの楽しい行事が三つあった。

一つが1月14日のどんど焼き。小学六年生がリーダーになって五年生から一年生までを率いて「オンべ」(やぐら)を作った。孟宗竹や笹、筵(むしろ)、そして縄を用意して近くの川原まで運んだ。先ずは孟宗竹を直立させて縄で固定し、その回りに半径1メートルほどの空間を作り、ぐるーっと笹を回し一種の小屋のような構造物を築いた。

勿論だけど大人のフォローはしっかりされていたけどね。

私もチビながらも笹を切ったり、お飾りを集めにいったりしたものだ。その頃は小学生のチビもナイフなどを当たり前に持っていたからね。まあ、鉛筆削りのためだったけど。

集めた正月のさまざまな飾り物は笹で囲まれた空間に入れた。そして、当日まで中に入って遊んだ。14日はまだ薄暗い頃から団子を刺した竹竿を持ち寄って焼いて食べた。

熱海の櫓だけでは物足りなくなった。以前新聞で紹介されていた伊豆の国市の独特な芸術的やぐらを見たくなった。

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2012年1月伊豆の国市にて

こんな立派なものを焼いてしまうのかと感じ入った。

13年ぶりに訪れた。ところが残念なことに、そこは住宅が近くに迫り、広場はあったもののススキが生い茂り、風に揺れていた。

やぐらはない!

担い手の高齢化やら、子供の減少、周辺の再開発など様々な理由によるのだろうけれどね。

残念。

狩野川沿いを走ってみた。あった。

でも、何と小さいのだ。

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それでも、チョットだけ、ほっとした。もう少し探そうと伊豆長岡駅の裏手に回った。

あった。本格的な作りに近いと素人的に感じたやぐらがあった。

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田圃の中に造られた。バックに富士山が見えるが生憎雲が!

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2018年1月に撮影してきた燃え盛るやぐら

楽しみの行事二つ目は初午(はつうま)だ。

今はどのようになっているか知らないけれど、私が小学生の頃は旧家でちょっと広い庭のある家には稲荷の祠があって、旗を持っていくとお土産をくれた。旗は四色の折り紙のような、少し大きめのものを貼りあわせて作った幟旗だ。2月の最初の午の日が祭日となるので毎年日が異なるようだ。ちなみに今年は2月6日だって。

100_03231024x768 久我山稲荷H28年初午 久我山どっとコムより

三つ目は天神講(てんじんこう)だ。

子供の頃は理解していなかったけれど菅原道真の誕生日の2月25日にやられていたようだ。記憶によれば、やったことは少し広めの座敷のある家に小学生が集まり、子供だけの宴会をやった。その頃の感覚としては間もなく小学校を卒業していく六年生の前途を祝う会みたいな催しだった。その時、必ずお開き前にやられたのが電気を消しての度胸試しだった。

この三つが楽しみだった。六年生が凄く大きく見えた。私の場合は父親が公務の関係で小三、小五、中一と引っ越しせざるをえず、移る度に地域の伝統の違いや時代の流れでそれらの行事が見られなくなっていった。

伊豆長岡駅のやぐらだけでは、ちょっと物足りない感が残ったのでさらに向かった。

狩野川沿いの「川の駅・伊豆城山」の広場にはあるのではと期待した。

なんと、テントがずらっと並んでるではないか。

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拡声器で大きく号令の声が響くと犬が飛び出し、何やらやると大きな拍手が響いていた。

何事かと思ったのだが、あとで分かったのだが、「ディスクドッグ・チャンピョンシップ」(NDA=ナショナル・ディスクドッグ・アソシエーション主催)だった。

内容は選手と愛犬の組が一体になって競うゲームで、選手がプラスチック製の円盤を投げると犬が走り出し空中でキャッチするというもの、その技術やタイミングに順位がつけられるようだ。

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 どんど焼き探しから、期せずしてディスクドッグの競い合いの場に出っくわした。

楽しいことがやられていることを発見することができた。

 

2025年1月16日 (木)

空に浮かぶ七色の歓迎アーチの下、熱海港に戻った。宿のご飯は豪勢だった!

初島は熱海市街地から見ると南東の海上約10Kmのところにある小島だ。

海岸線をぐるっと回っても一周4Km。一番高い所でも海抜33.5mの平坦な島だ。

旅客船に乗るとおよそ30分で着く。

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初島の船着き場のテトラポット越しに見た熱海の街

島への定期旅客船を運行しているのは富士急マリンリゾート。

ちょうど今年は富士急グループが初島での事業を開始して60年になるという。

到着しての印象は熱海の海岸線とはちょっと違い、南国ムードの漂いを感じた。

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CM的コピーで表現すると、南方からやってくる海流によって一年を通じて温暖であり、亜熱帯植物などで自然を感じられる・・と言えるところだ。

島をぐるっと回った。

港の傍には海産物を中心とした飲食店が並んでいた。

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ここを抜けると海岸沿いに遊歩道が続く。

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極楽鳥花などに出っくわすとコピーに偽りないことを実感する。

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アロエの花も。

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この花何と言うか、何のツリーか知らないけれど、ダイビンググループの休み処のような場所に咲き、飾られていた。そこには、冬真最中にもかかわらず海から上がったばかりの男女のダイバーが休んでいた。

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遊歩道沿いでは様々な植物を見ることができた。

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ツワブキ

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亜熱帯だ!

突き当りにはプールが控えていた。

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ススキやサボテンも、旅情にひたらしてくれる。

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この突き当りから、道は上り坂になり灯台に着く。とは言っても、知れてるね。海抜33.5mだもの。

灯台が見えた。

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灯台入口にある資料館では会館中にずっと流されている動画で初島や熱海温泉の歴史を学んだ。それから灯台に上った。

すると、湯河原方面から海に向けて虹が伸び始めているではないか。

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風も急に強くなってきた。

港に戻った。

ぎりぎりセーフだった。

私達が乗船しようとしていた次の便が欠航だと放送された。

猛烈と感じるような海風だったのだが、船の揺れは少なかった。

風は強いが、波の高さがそれほどでもないからだった。

そして、虹がつながった。

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ホテルにもどり、のんびり湯につかり、美味しい料理とお酒を味わった。贅沢な時間を過ごすことができた。

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海鳥といい、虹といい、旅での思いがけぬ出会いはいいね!

だから旅はいい。

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風も穏やかになり夜の遊覧が始まった。

2025年1月 9日 (木)

熱海温泉・初島に行ってきた。海鳥が大歓迎してくれたよ!

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2025年1月1日 真鶴海岸 初日の出

熱海市の沖合い、相模湾に浮かぶ島、初島に行ってきた。

初島は遡れば、うん十年にもなるのかな、海に浮かぶ小島としてずっと見知っていた。

しかし、一度も訪れることのないままに現在に至った。

今回は嬉しいことに、身内から熱海温泉ホテル大野屋の「食べ放題、温泉浸かり放題」一宿二飯に招待された。この時だと思い、初島行きを計画した。

出港!目指すは初島!

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海鳥たちが船を取り囲むように群れ飛び始めた。

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出航前、人が乗船し始めると、何か食べ物をくれる人がいるかもしれないと期待が膨らむのだろうか。

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 数十羽とも思える海鳥が押し寄せて来た。

数羽が船客に愛嬌を振りまくようにデッキのあちこちで羽を休めた。

私がカメラを近づけても、怖じることなく澄まし顔だ。

熱海温泉が遠ざかっていく。

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海から望む熱海の街並みは、何か異国の地にいるかのように感じさせた。

カモメが得意になって舞い、競うように追いかけてくる。

そろそろ初島に近づいてきたかな。

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大分近づいた。

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間もなく目的地初島到着!

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到着!

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下船だ。

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さあ、島廻りするぞ!

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灯台を目指して、ぐるーっと廻るぞ!

島の様子はまた今度!

2025年1月 1日 (水)

謹賀新年・祈和平成就!明けましておめでとうございます!

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閑話世相雑感

本年もよろしくお願いいたします

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2025年 元旦

2024年12月26日 (木)

年末恒例コンサートに行ってきた。二週連続でブラスの響きを堪能したよ!すぎなみ彩楽よかった!

 一つ目は杉並を拠点に活動する社会人と学生の一般吹奏楽団「すぎなみ彩楽ウインドシンフォニー」の定期演奏会だ。この楽団に縁戚の者が所属しており、今回も演奏者の一人だった。

招待され、名演奏に浸ることができた。

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荻窪駅に降り立った。クリスマスも近い。ところどころでクリスマスツリーがまたたき始めていた。

Img_25790_20241225170901Img_25789_20241225170901会場はリニューアルされたばかりの杉並公会堂。

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吹奏楽の演奏は身内が学校の部活に参加していたこともあって、何回か聴いていた。

でも、今回のような市民による楽団で、なおかつ18年もの歴史を積み上げたメンバーによる演奏は初めてだった。

最初に感想を言っておくと別格の感動ものだった。

彩楽(しゃらく)音楽監督の福田洋介さんによれば、今回のプログラムのテーマは「天体・空・星で、優しくロマンティックな音楽を繰り広げる」とのことだった。

演奏中は写真撮影は遠慮してくださいとのお願い事項があったので開始前に会場の様子を撮影させてもらった。

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なかなか立派なホールであり、満席の客だった。

テーマに沿った選曲はどのようなものだったか。

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音楽に導かれ大宇宙へ!

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1stStageはまさに期待通りにテーマに応えた選曲だった。

なかでもあらためて感じ入ったのは「天馬の道」だった。

演奏も見事だったが、この楽曲の作曲者が日本人:片岡寛晶さんだったことだ。素晴らしかった。

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The PlanetsもSunnyも馴染んできた曲だけど。本格的な演奏を生で聴くといいね。

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STAR WARS-introduction-は圧倒的迫力だった。見事!

「見上げてごらん夜の星を」は会場内の皆が歌った。私も歌い始めたのだが、高音部で声がかすれてしまった。

最近めっきりカラオケに行っていないからダメなのかな。

それにしても素晴らしい演奏だった。

演奏してくれたのはこんな方々でした。(写真撮影禁止のため、パンフレットより)

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ホールが新装したことも手伝ったのかもしれないが、客席に音がたっぷり届いた。

往々にして高音、低音がどちらかにのまれてしまう演奏もあるのだが、この日はメリハリが効いていた。

私にとって特によかったのはパーカッションのメンバー8人による演奏だった。

 

二つ目の演奏会は、年数回開催する「酔いながら乗れる」居酒屋ライブだ。

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この日のメインはサックス演奏だった。いつも伴奏やら独演を披露してくれたキーボード奏者ニコチンスキーさんが出演できず残念だったが新しいピアニストが伴奏してくれた。この方もテクニシャンだった。

新しい趣向ということでは、歌手の皆さんが3人もいらっしゃったことだ。

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ジャズスタンダードを中心とした第一部からスタートした。

Fly me to the moon, Georgia on My Mindで始まりお馴染みのスタンダードナンバーへ。

枯葉の後にお目見えしたのがこのお姉さん歌手。素晴らしいMoon Riverを奏でてくれた。

休憩後第二部で登場されたのがこちらの方。

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歌を交えて君は我が定めから始まり、黒いオルフェ、オー・ソレ・ミオ、ダニー・ボーイ、酒とバラの日々、聖者の行進と続き、そしてアンコールをテキーラで締めた。

途中、もう一人の歌手として紹介されて出てきたのが、おじさんで、なぜか詩吟を披露された。

詩も歌であり、吟じるも歌唱と思えば、いいか。

でも、良かったよ。それほど広くない店に、料理とお酒が並べられているのだから、もったいないけれど多くの客を招けない。この日の観客総数20数名だった。年に何度かの贅沢な時間だ。

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美味しく楽しいライブでした。

早いもんだね、あと6日で2025年だものね!

良いお年を!

 

 

2024年12月19日 (木)

博物館で「はにわ」に会ってきた。彼らは人気者なんだね。凄い人出だった!

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東京国立博物館に行ってきた。

「『埴輪 挂甲の武人』の国宝指定50周年を記念する特別展『はにわ』」だ。(12/8まで開催されていた)

何故か今、古墳ブームだそうで、各地の古墳に絡めたイベントは盛況だそうだ。(10月14日朝日新聞)。

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この日は休日で天気もまあまあだったこともあって、博物館は久しぶりに行列だった。長蛇の列の最後尾についてから館内に入るまでに20分もかかった。

これから埴輪見学体験を記すけれど、その前にネット情報に頼りながら埴輪について少し整理してみよう。

埴輪の誕生はどうやら古墳時代のようだ。西暦で言えば3世紀中盤から6世紀にかけてだ。

縄文、弥生に続く時代で、いわゆる飛鳥時代の手前だ。およそ350年間続いた。

列島における支配の力関係を見ると、この時代はいわゆるヤマト王権が成立しつつあった頃だ。

ヤマトは3世紀後半には西日本から東海まで勢力を延ばし、4世紀には関東、北陸まで勢力圏を広げた。そのころ前方後円墳なども築造された。その古墳の上や周囲に立てられた素焼きの土製品が埴輪だ。中には1メートルを超える大きなものもあったようだ。

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重要文化財「円筒埴輪」メスリ山古墳出土

この円筒のもの、埴輪の中でも最も出土している種類だそうだ。驚くのはその数。

群馬県の保渡田古墳群の八幡塚前方後円墳には6000本以上の円筒埴輪が張り巡らされていたとのこと。

写真の円筒埴輪は奈良県のメスリ山古墳のもので日本最大級であり、高さ2.4mもある。

今回の催しで配られた目録によると展示埴輪は182もあった。

先ず会場で迎えてくれたのはソーシャルダンスを楽しんでいるようなポーズの埴輪だった。

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この埴輪、日本で最も有名だそうだ。いわゆる「踊る人々」だ。

右が男性で隣が女性だそうだが、今のところ、学会では踊っているのではなく馬を引いている姿だという説が有力らしい。男女の区別で言えば一見右側の像が女性ではとい思いがちなのだが、右側の髪型が男性特有の「美豆良(みずら)」だそうだ。

踊っているようなポーズの埴輪は他にもあった。

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ノリノリで、まるでサタディ ナイト フィーバーだね。

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陳列を目録の章立てで見て行くと第一章が「王の登場」ではじまり、続いて二章「大王の登場」、三章「埴輪の造形」と続くのだけど、何といっても目玉は「挂甲の武人」だ。

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リーフレットの写真を使わせてもらった

挂甲の武人5体が一堂に集められたのは史上初めてだそうだ。すべて群馬県での出土だ。国宝は一番左手のものだ。左から三番目の像はなんとアメリカからやって来た。(シアトル美術館蔵)

国宝の埴輪をしっかり見てみよう。

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兜の造形がなかなかリアルだ。

武人像は群馬以外でも発掘されている。

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左の武人像は大阪府の今城塚古墳での出土だ。右は女性像で「捧げ物をする女子」と名付けられている。出土は同じく今城塚古墳。なにか表情が3DCGアニメみたいだな。

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彩色復元された武人

1500年以上前に造られたものだけど最初にお披露目されたときはこんなに派手だったんだね。

展示品182体を全部紹介するわけにいかないけれど、一通り観て感じたのは学校時代に学び覚えた埴輪とはずいぶん印象が違ったことだ。

素朴なことは間違いないけれど、人物像でいえば表情がいい。穏やかであり、癒される。

動物もそうだ。建造物埴輪もかなりリアルで精巧だ。

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人物埴輪について新聞に面白い記事が出ていた。

千葉県の山倉1号墳からの出土埴輪について市原市埋蔵文化財調査センターの研究で明らかになったことが報じられていた。

埴輪の仕上げに関わった作業あとや工具などから、この古墳で埴輪づくりに関わった工人が少なくとも13人いたというのだ。なかでも1人のエースがいて「手のかかる人物埴輪などを一手に引き受けていた」のだそうだ。それでは他の工人の方々は何をしていたかと言うと、先にも出ていた円筒埴輪を作っていたようだ。人物埴輪の写真も掲載されていたけれど、たしか皆、良い表情をしていた。(朝日新聞12/13付 文化欄)

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楽器を奏でたり、跪いて挨拶したりと所作も表情も多彩だ。

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鳥たちが、こんなに生き生きと表現されている。

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見返り美人じゃないけれど、鹿たちが振り返り何を見ているのか?

建築物もこんなに見事な建物があったのかと驚かされる。

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たまたまだけどテレビを見ていたら、ちょうどこの時代に関わることが話題になっていた。「下戸 げこ」=(酒が苦手)のDNAについてタレント達が盛り上がっていた。

日本人の成り立ちの中で、従来の縄文人、渡来弥生人、そして混血と言う定説でなく、いわゆる3系統あるいは三重構造の混血の中で日本人が誕生しており、その中で酒の弱い遺伝子を渡来弥生人が持ってきたという話だった。

理化学研究所の研究グループによれば、縄文人となった人たちは2万から1万5千年前に大陸から渡来した人たちで、彼らホモサピエンスはアフリカを出発して前進し、途中で出会ったネアンデルタール人やデニソワ人とも交雑しながらDNAを引き継ぎ進化した(旧モンゴロイド)。大陸を横断しきって、海を越えて列島に到達した。

弥生時代には北東アジアに起源をもつ集団(新モンゴロイド)が、また古墳時代には東アジアの集団が渡来して混血が進んだ。

研究グループの発表によると縄文系遺伝情報の割合(祖先比率)は沖縄が1番高く28.5%、次いで東北で18.9%と出ていた。それが故、その地方には下戸が少ないんだ。

※旧モンゴロイドはアルデヒド脱水素酵素2の正常活性を持つ遺伝子型のNN型。白色人種や黒色人種はすべてNN型。だから縄文人系は、ヨーロッパ人などと同じく酒が強い。一方弥生人系・新モンゴロイドはND型(NN型の1/16の活性しかない)かDD型(活性が全くない)で酒が弱いか全く飲めない・・・のだそうだ※

そう言えば我が家族は、基本的に皆飲兵衛だということは、弥生系の遺伝子割合が低いのかな。

時代を越えて渡来し、日本民族を形造ってきた彼らだけど、たぶんそのころは列島はすでに大陸と地続きでなく、多分、筏や舟でやってきたのだろうな。

そんな彼らの船の発展途上を示す埴輪もあった。

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いや、埴輪についての認識を新たにすることができて、あわせて縄文、弥生、古墳時代についてもおさらいができた。面白かった。

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上野公園 博物館前広場の噴水

 

2024年12月13日 (金)

西田敏行さんが逝き、火野正平さんも亡くなった!近頃名を知る著名人の訃報をよく聞く。気がつけばみな戦後生まれだった。

西田敏行さんが2024年10月17日に急逝した。

このところ人気者が次々と、というくらい亡くなっている。

コロナがじわじわと蔓延し始めた2020年に報ぜられた志村けんさんの感染死(70歳没)には驚かされた。

それから4年となるが2023年には坂本龍一さん、谷村新司さん、八代亜紀さんとお亡くなりになった.

皆75歳前だった。

今年で言えば、西田さん死去のおよそ一か月後の11月14日、火野正平さんが追いかけるように亡くなった。

西田さんは11月には77歳になるところだった。火野さんは5月に75歳になっていた。

こんなことを書き始めた12月6日、突然、中山美穂さんの訃報が伝わってきた。なんと54歳だった。

彼ら皆、著名な俳優でありミュージシャンだった。ファンも多かっただろうと思われる。そんな活躍が際立ったタレントが亡くなると往々にして使われてきたのが「往年の名優・歌手」などであった。それは相応の活躍をされ余生を過ごした後の往生だったからだろうが、先に触れた彼らはまさに皆現役だった。

そして、みな戦後生まれだった。(1945年8月以降生まれ)

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何を感じたのか例年の二か月も早く開花した我が家の梅(12/12撮影)

西田さんと火野さんに話を戻そう。

西田さんが亡くなると、新聞で大きく報道されるとともに、テレビ局で急遽追悼番組が編成された。

昔懐かしいドラマからドキュメントまで何本も放映された。釣りバカなどは亡くなる前から各局でたびたび再放送され、テレビ東京などでは毎週放送されていたが、ここでWOWOWの再放送もあった。

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火野さんの出演作品は、亡くなる前からドラマがBSで再放送されていた。今も放映中の『にっぽん縦断 こころ旅「とうちゃこ」』では現役のリーダーとしての活躍が見られた。

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腰部骨折で体調を崩したあとも番組は終了せず代役を担ったタレントがピンチライダーとして自転車で走行した。長野、山梨から始まってリレー方式でバトンを受け継ぎ東海の各県を回った。今も本人が登場する回想番組が続いている。それに加え、再放送されている番組は主としてちょんまげを結った時代劇だから面白い。「剣客商売」「長七郎江戸日記」「八丁堀捕物ばなし」等など。

そのように亡くなる前から登場ドラマが放送されていた為か、火野さんは追悼という形での放送は現在までのところ無いようだ。

西田敏行さんの場合は亡くなった直後から追悼特集が組まれたことは先に触れたとおりだが、私は例のごとく可能な限り録画した。

そして何本かを視聴した。

西田さんの演技で最近強く印象に残っていたのはドクターXで演じた大病院の幹部役だろうか。

特に大名行列のような教授回診の先頭を行く姿が目に浮かぶ。

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11月30日に放映された「ドクターY 外科医・加地秀樹」の番組紹介の中で病院長を演じる西田について触れていた。

「ドクターXでは、(西田は)セリフのほとんどを即興で演じていたという。今作でも、迫力とおかしみが同居する西田(蛭間重勝役)の魅力は健在、あの場面も、この場面もアドリブなのだろうか。」と論評されていた。(朝日新聞11/3 番組欄 照井琢見さん記)

今回の追悼特集で視聴した内二本が印象に残った。

一つが田辺聖子さん著作の「ひねくれ一茶」が元になった「おらが春~小林一茶」(2002年NHK)。

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二つ目が植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」を原作にした「植村直己物語」(1986年東宝)。

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二本ともに面白く見ることができた。西田さんの若かりし頃からの演技は地なのか、Xのドクターとは全く違う印象だが、こんな人いそうだな、と思えるキャラクターを自然に演じていた。

ドラマ展開も面白かったけど、この視聴で私にとってプラスになったことは、なによりも登場人物である「小林一茶」と「植村直己」の認識が改まったことだ。

小林一茶は名だけは小学生のころから教科書などを通して知っていた。いくつかの句も様々なメディアを通して聞いていた。でも、学校ではその生活実態やら性格などは教えてくれない。

植村直己も希代たる冒険者だという認識があったが「こんな人だったのか」と改めて親近感をもたらしてくれた。西田を通してだったけれど、小林一茶と植村直己をもっと知りたくなった。

そこで、植村さんの著作を書店で探した。どこにも見当たらなかった。

アマゾンで検索した。あった。しかし、数少ないのか、注文したのだがまだ届かない。

届き読み終わったらまた感想でも書いてみよう!

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朝、まだ未完成のブログに思いついたことを少し書き加えて出かけた。そして先ほど帰宅した。

なんと「青春を山に賭けて」(文春文庫)が郵便受けに入っていた。

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よし、今年の年末はゆっくり読ませてもらうか。

そして、感想を一茶的に五七五でまとめてみるか!

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ところで、もう少しするとトランプさんが大統領に就任する。

それだけでも戦々恐々としていたのに、このところそれを先取りするような事件が相次ぎ、驚かされた。

韓国の尹錫悦大統領による「非常戒厳」とシリアのアサド政権崩壊だ。

アサドが早々にロシア・プーチンの下に駆け込んだと思ったら、ネターニャフがシリアに猛烈な爆撃だもんね。世界はどうなるんだ!

くわばらくわばら!

 

 

«我が家のカエデがやっと色づいた。そこへ修禅寺庭園四年ぶりの公開で紅葉見物との報が入った。