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2026年9月 3日 (木)

東京都庭園美術館に行ってきた!Lucie・Rieの器に会ってきたよ!

山手線目黒駅から徒歩7分のところにある東京都庭園美術館。

これまで、一度も訪れたことがなく、いつか行こうと思っていた。

そして、ようやく行く機会ができた。当初、庭園と名の付く美術館であることからイメージしていたのは、庭園のあれやこれやを学べるところぐらいに捉えていた。

ところがちょっと違った。主体は美術館そのものであって、和風、洋風の庭の中に美術館があるというのが実際だった。でも、この日の「ルーシー・リー展」は、それはそれで良かったので満足。

結果、本日のメインは都内の庭園・公園の紹介になっちゃうかな!

 

庭園や公園は都内にいくつもある。若い頃よく行ったのは、日比谷公園、明治公園、そして代々木公園かな。おまけに加えれば清水谷公園か。いろいろな集まりがあって皆でたむろしたものだ。

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代々木公園

その後、たまの寛ぎの場になったのは井の頭公園。

ここは、つれ合いの実家に近いこともあって吉祥寺駅での乗り降りの際にちょっと足を運んだ。

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井之頭公園

あと、ここ東京、つまり江戸は将軍のお膝下。

幕臣のお屋敷やら、藩主の江戸屋敷があった。その中のいくつかに今も庶民の憩いの場として残る場がある。所謂、○○○園などだ。

これまでも、それらの何カ所かに幾度か寄って遊んだ。まあ、しょっちゅうとはいかないけどね。

浜離宮もいいね。ここは甲府徳川綱重の別邸だった。

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まさに都会のオアシス。池がいいね。

季節が変わり、春になると、こんなに華やかに!

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浜離宮 3月の風景

六義園もいい。

元禄年間の老中、柳沢吉保の別邸だった。

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六義園

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なにか風情のある庭園だね。

次に見る清澄庭園もいい。ここは武家でなく、豪商だった紀伊国屋文左衛門の屋敷跡だったと言われている。

そして何代目かの所有者となった岩崎弥太郎が造園して現在に至るようだ。

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清澄庭園

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石の上で亀もくつろいでいた

和風と洋風がバランスよく園内に配置され、インバウンドの外国人に人気なのが新宿御苑。四谷方面から新宿に向けて歩き、途中で何回か寄ったことがある公園だ。

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新宿御苑

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さて、東京都庭園美術館のお話だ。冒頭にも触れたが、最初は庭だけ見ることができれば良いなどと考えていたのだが、結局、入場券を購入し鑑賞することとした。

これが、素晴らしい偶然だったのだ。

実は、一か月とちょっと前の7月26日に録画しておいた日曜美術館「陶芸家ルーシー・リー 繊細でたくましい器」(NHKEテレ)のルーシーの作品展示会だったのだ。

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東京都庭園美術館の建物

作品の一部

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ルーシーのことをもう少し知ってから、感想を書いてみよう。

庭に出た、彫刻が展示されていた。

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2026年8月28日 (金)

VIVANT が再開された。低視聴率が続くTV ドラマの中でも群を抜く数字を見せた!ただ、別班が気になるけどね!

VIVANT、前シリーズは10話で終わった。でも、大団円を迎えたという印象はなかった。やはりであった。今回の開幕は、続きとなる11話からだった。(ただし、タイトル下には第2シリーズ第1話と示されていた)

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今回も放送日程を知り、早々に録画予約をセットしておいた。「VIVANT」の我が家での視聴は全話終了後にゆっくりと見させてもらうこととする。

でも、視る前に、なぜコメントを書き始めたかというと、「VIVANT 」の今年度版が開始された直後にYahoo!を覗いていたところ、一般評価と違った視点で論評しているものがあったのだ。

「集英社オンライン」でライター神山さんが書いた記事が目に入った。そのタイトルは次のようだった。

〈「VIVANT 」なぜ盛り上がらない?〉視聴率15%超でも、漂う"物足りなさ"の正体・・・前作にあって今作には「まだない」もの・・・というものだった。

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シーズン2の冒頭の1画面

この時、神山ライターの記事本文は読んでいなかったけど、家人に『「VIVANT 」がこんな風に言われているけど』と伝えたところ、「でも視聴率はトップみたいだったよ」と返事があった。

早速、番組視聴率が載る毎週金曜日の朝日新聞のビデオリサーチ「TVランキング」を数週分振り返った。

「VIVANT」は7月26日(日)21時からTBSで始まった。ランクインすれば視聴率発表はその週の金曜日 7月31日だ。載っていた。個人視聴率12.1%、世帯視聴率18.8%でトップに輝いていた。

第2話は8月7日発表。この日は個人視聴率が「ニュースウオッチ9」と同率で10.4%の1位だった。ニュースウオッチは7月28日の熊本県の大地震を伝えていた。私たちも熊本の震災情報が一番気になっていたものね。

第3話は8月14日発表。個人視聴率9.7%で1位。第4話は8月21日発表。個人視聴率10.6%で1位。

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本日、8月28日ランク発表、第5話(通算15話)も1位をキープ。個人視聴率9.8%、世帯視聴率15.2%だった。    

ちなみに「風、薫る」は3位、「豊臣兄弟」は15位。今回はストーリー性のあるものとして7位にアニメ「となりのトトロ」(日テレ)が入っていた。

それにしても民放ドラマが1位を続けるなど最近では全く例外事件だ。

因みに、VIVANTの放映開始前の7月24日のランクを見ると1位はサッカーW杯のフランス×イングランド戦だった。2位はNHK 朝ドラの「風、薫る」。そしてバレーボールネイションズリーグ、ニュース、大相撲と続き、14位に大河ドラマ「豊臣兄弟!」がランクされていた。

いつ頃からかドラマでランクインするのは朝ドラと大河の二番組のみという状況になっていた。もう一週前を見ると、特別な催しや事件が無いときの典型的ランキングのようだ。

1位が「風、薫る」。2位にニュースが二つ同率で並び、次の4位が「豊臣兄弟」。そして、続いたのが大相撲だった。

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このような書籍も出版された。

さて、冒頭で書いた「一般評価と違った視点の論評」とはどんな内容だったか。

読んでみた。先に言ってしまえば、ちょっと違った視点で現在進行中のドラマを視ての感想であり、最終的には今後の展開を期待するというものだった。タイトルに「漂う物足りなさ」などと出ていたので辛辣な評価をしているのかと思ったけどそうでもなかった。

指摘していたのは、前回と視聴率の延び具合が違うというもの。

前回は11.5%(世帯視聴率)から始まり最終回で19.6%に達した。ところが今回はトップと雖も上昇することなく、ほぼ同率で推移しているのは何故かとの問いかけがあった。

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アゼルバイジャン?

そして、原因として言及しているのが豪華な出演者を用意しながら、その豪華なメンバーが顔を揃える場面がなく豪華さを感じないと言うもの。

もう一つ指摘していたのは堺雅人演じる「乃木」が2023年放送シリーズでは「追われる側」だったのだが、今年のシリーズでは「追う側」にあり、さらに、「凄腕のハッカー」や「AI」などの強い味方がいるのだそうだ。その辺に違和感があるようだ。

でも、「第一シーズンで人気を集めた要素の多くを、まだ十分見せていない。まだ、隠し玉を隠したまま」だろう。「VIVANT らしい魅力が、いつ爆発するのか、その瞬間を期待したい」と期待で締めくくっていた。

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それでは、視聴率のランクを掲載している朝日新聞は、どんな評価を紹介していたか見てみよう。

朝日では冬、春、夏、秋とクールごとに記者ドラマ座談会が紙面に載る。

今回は夏ドラマについての座談会だった。(朝日新聞8月6日夕刊)

今回から採点対象に大手配信サービスのドラマも加わったとのこと。この中で1位となったのは「Tシャツが乾くまで」(蒼井優と松山ケンイチ、夏帆と中島歩が二組の夫婦を演じる)、2位、3位が配信サービス系でVIVANT は4位につけた。

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この映像も登場するみたい!

ここで記者の皆さんが「VIVANT」に関して率直な意見を交わしていた。

Iさん「期待を裏切らない出来でした」「豪華キャストや海外ロケの映像が魅力のVIVANT ですが、続編の初回は『初見の視聴者をおいてけぼりにする作り』がすごかった。登場人物の説明もない。複雑な物語でもあり、私は復習して臨んだのについていけなかった。でも、面白いんですよね」

Tさん「大手の配信ドラマに対抗できると感じました。主人公の乃木憂助(堺雅人)は、自衛隊内の秘密諜報機関『別班』のメンバーという設定です。」

K さん「新たに別班を支える人工知能『AI ハヤト』が登場。声優の高山みなみが声を演じていることも話題になりました。ただ、制作現場でパワハラ問題があっただけに、作品を楽しみつつ複雑な気持ちも・・・」

Mさん「自衛隊のある部門が市民の思想心情に関わる情報を組織的に調査・収集しているとみられると、熊本日日新聞が最近報じました。本作は、乃木を国家を守る人物として描いています。エンタメではありますが、無邪気に楽しむのは危ういのでは、と感じてしまいました。」

私は、まだ視聴していないけれど、大筋で記者の皆さんのご意見に共感できるかな。

詳しくは10月ごろに視ることになるだろうけど、その時感想を書くね。

いずれにしても、このところの為政者の言動は「懐古調」「復古調」。どこかに利益がながれていくようなあれこれ。日の丸、皇室典範、武器輸出、敵基地攻撃能力そして国家情報局創設等など、ちょっと見過ごせないかな。最近自然も、人間によるものも異常だね。昨日見たネパールの土石流も怖かったね!戦争などしているどころじゃないよね!

2026年8月21日 (金)

今年も行ってきた!ここ数年の必須参加行事となった三嶋大祭りへ!

 三嶋大祭りは毎年8月の15日、16日、17日の三日間に渡って開かれる。

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だが、以前から人づてに聞いていたジンクスがあるのだ。

それは、開催期間の内一日は必ず雨が降るというもの。確かに一昨年も一日は雨だった。

ところが、なんと今年は三日間ともに晴だった。

しかも、主催者にとって、期待できそうな日の並びだ。

初日が土曜日、最終日が月曜日だった。お盆休みが終わるころであるのだが、出かけるには好都合な日の並びだ。人混みが予想された。

静岡県内のお盆は地域によって異なるようで、県庁所在地の静岡市などは7月13日から16日で、県東部の三島近辺では8月13日から16日のようだ。

と、ここまでは良いのだが、耐えがたい猛暑が続いていた。私は頼朝公旗挙げ行列の拝観が毎回のメインなので、その日は早めに出かけた。暑さに加え、予想通りに溢れんばかりの人波が待っていた。熱気と活気が凄かった。21日になって入った情報によれば、人出は50万人だったそうだ。

三島駅前のしゃぎり・祭囃子からスタートだ。

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このところ目立つのは、屋台の上で、笛や太鼓、鉦を奏でる女性たちだ。

なかなか粋だ。

町内会ごとに屋台を揃えているようで、行く先々で屋台からの楽しいリズムが聞こえてきた。

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三嶋大社に到着。頼朝公旗挙げ行列出陣式の行われる舞殿を目指した。

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境内にも出店が立ち並んでいた。

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先に進むと、なにか涼やかな音色がチロリン、チロリンと耳に届いた。

何と、手水舎の屋根下に連なる風鈴が風に揺れていた。

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さあ、そこの内門をくぐると舞殿だ。

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出陣式が始まった。

Img_65212あっ、見つけたぞ。言い方がちょっと無礼か?

”まことにかたじけない”

寺島進さんだ、いや、頼朝公だ!

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なかなかのお姿!

さて、街に繰り出すぞ!

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旗手が行き、徒士(かち)が続く。

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そして、真打登場!

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そして、政子様も続いた。

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”寺島頼朝”はなかなか好評だったようだ!

あまりにも、暑い!帰途につくこととするが、境内でいくつか面白いものを見た。

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宝物館隣に建つ芸能殿では制剛流抜刀術が真剣で披露されていた。

見ているだけで本気が伝わってきた。

その先にある神門の横に立てられていたのが、何と、この看板!

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将棋の竜王戦がこの地で開催されるのだ。

このところ、藤井さんに一人勝ちを続けさせるのを良しとしない若手の棋士が力をつけてきている。

いい勝負を期待しているよ!Img_66412

駅に向かっていると、途中に流れる清流桜川で我も負けじと行列を始めた鳥達がいた。

まけるなよ!

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2026年8月13日 (木)

久しぶりに「男はつらいよ」を観た。分かっちゃいるけど面白かった

熊本のショッピングセンターのガス爆発にはビビった。

おかげで、ここは大丈夫かと日頃寄る買い物先まで訝しく思ってしまうのだが、そうも言っておられず通ってはいるけれど。

先日もショッピングセンターに出かけ、買い物の合間に喫茶コーナーで休んだ。

置かれていた新聞に目を通した。身辺雑記風のコラムに伊豆諸島の式根島に触れたものがあった。担当したコラムニストの祖父が昔住んでいたようで、子供の頃行ったきりで久しぶりの訪問だったと記していた。

伊豆諸島と下田を結ぶフェリーが就航10周年を迎え、それを記念して特別に用意された日帰り臨時便に乗船し式根島で遊んだと言うもの。フェリーは各島を巡り、七時間後に迎えに来てくれる。

海は感動するほどに透き通っていて、波打ち際で湧き出す温泉や白い砂浜を満喫したようだ。

その話の中で紹介されていたのが「男はつらいよ」のロケが、ずっと昔、島内で行われていたことだった。

調べてみた。

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41年も昔、1985年12月28日に封切りされた第36作「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」だった。

年末の公開日程を見て古いことを思い出した。

昔、正月になると映画館には大きな看板が並べられ、人気作品を二本立てで上映していたっけな。この映画もそうだったんだな。

式根島のことを知りたくなった。寅さんの行動も見たくなった。

わが家のライブラリーを探した。ここ十数年、テレビで映画上映が予定されると、チェックし、好みの役者や記憶にあるもの、また見逃していた「名画」等を録画してきた。「寅さん」は必ず録画したような気がする。

やっぱりあった!

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2012年1月9日にWOWOWシネマで放送されたものが録画されていた。14年以上も経つのだけどブルーレイに収まり、劣化は一切なかった。

ところで、私がこれまでに伊豆諸島の島々で下船し、その地を踏んだのは大島だけだ。

昔、まだ会社などの慰安旅行やら、大所帯の社員が泊りで忘年会を開催するということが当たり前だった時代のことだが、同一部署のメンバー30人ほどが熱海港から大島に向かい、観光し、夜は熱海で泊りの宴会だった。

あと、友人たちと小笠原に行った際、何かの補給の為だったのか八丈島に寄港し、上陸はしなかったものの島の人たちの歓迎アトラクションに船上から拍手を送ったことを覚えている。

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竹芝桟橋近く

竹芝桟橋を午前10時台に出航して、八丈島に着いたのは午後6時30分ぐらいだった。結構な距離だね。

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八丈島

伊豆諸島を訪ねる方法は船と飛行機。

船の場合は次の各港から乗船できるようだ。以前より増えたのかな? 6港あるね。他の図を見ると伊東と下田の間にある稲取からの便もあったな。

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東海汽船 航路図より

寅さんは、下田港から式根島に向かった。

ここに至るまでの映画の筋は細かくは伝えられないが、「とらや」の隣の工場に「タコ社長」がいて結婚している娘「あけみ」がいる。事の起こりはその娘夫婦が何らかの事情で喧嘩し、あけみが家出してしまったことから始まった。

家出先は下田だった。寅はタコ社長に哀願され彼女を連れ戻しに来たのだ。二人は会えたのだが、結果、式根島に行く流れになった。

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そんなことで島に渡った二人だが、寅は船の中で知り合った若い衆=島での同窓会に行くという人たちと懇意になり、結果、いつものことであるが宴席に入り込み彼らの恩師である先生に惚れてしまった。その先生とは、栗原小巻さん演じる若く美しい女性教師だった。

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式根島の美しい浜

一方あけみは泊まった宿の若旦那に見初められて、求婚までされてしまった。

彼女は「私は人妻です」と逃げるのだが、結果柴又に帰らざるを得なくなった。

寅も当然帰らなければいけない。結果、寅が一方的に期待して胸膨らませていた先生とのことを諦めなければいけなくなった。ここから「恋やつれ」で生気を失った寅の日々が始まる。

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京成バス 東京EDO観光より 柴又

 この後の展開が面白かった。

とらやの「おいちゃん」や「おばちゃん」が気を配り、皆に寅が女先生を諦められるように、思い出すような言葉を口にするなと戒めるのだが、話の流れで出てしまい寅の恋煩いを深めてしまった。

結局思いを果たせず、フィナーレはいつもの通りどこかの屋台で寅は元気に的屋商売に奮闘するのだった

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正月 浜名湖の遊覧船乗り場で

この物語で感じたのは山田監督の眼力だ。渥美清さんのキャラクターをよく見つけ、「寅」として成長させた

また、今シリーズで言えば、さくらの息子「満男」を演じた吉岡秀隆が将来を髣髴させる演技を見せていた。この時15歳の中学生だった。

もう一人、気になったのが、女先生と再婚することになったロシア語翻訳者を演じた川谷拓三さんだ。彼のイメージは、どちらかと言うとヤクザ者とかチンピラのような役だった。実際1960年に東映の大部屋俳優として採用されたものの、切られ役として日に三回も死ぬ役をやったという。人呼んで「3000回殺された男」だったそうだ。

その川谷さんが仕事でロシア語翻訳に打ち込んでいる姿や、女先生と会ったときのスーツにネクタイ姿を見て印象が変わった。

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会う場所について娘と電話していた場所がまた良い。電話ボックス越しに見えていたのがロシア正教のニコライ堂だ。先日話題にした御茶ノ水駅近くだった。こんな偶然と言うか、縁が面白いな。

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浜名湖舘山寺温泉

渥美清さんは1996年8月に68歳でお亡くなりになった。

「男はつらいよ」は2019年12月に公開された「お帰り寅さん」で50回となった。

 

 

 

2026年8月 6日 (木)

九州の大震災。刻々と被害の実相が明らかになってきた。その時、知人が熊本にいた。

ボランティア活動で顔見知りとなっていた知人が2026年7月28日に熊本市に滞在中だった。

彼の実家は市内にあり、十年前にも親の病で帰郷していた。そして大地震に見舞われた。

家屋の被害もあったが負傷することはなかった。

10年前の地震からしばらく経って、ボランティア仲間で被災した彼の「励ます会」を開いた。

そんなことが2016年熊本地震直後の当ブログに書いてあった。すっかり忘れていた。

その際、文章に並べて挿絵的に地震発生3年前の2013年に旅しながら撮影した九州各地の名所・旧跡を載せた。

二番煎じになるが、今回もやってみよう。

Img_33878_20260731152001熊本城の石垣 再び崩れたようだけど無事であってほしい

その後、親の病状は一進一退が続き、兄弟で分担し交代で親の看病・世話をしていた。

今年の年明け早々親御さんがお亡くなりになった。

先々週久しぶりに彼と会い、そんな話を聞いたばかりだった。

ただ、これからしばらく実家の片付けもあって、熊本に行ったり来たりだと言っていた。その矢先だった。二度目の大揺れとの遭遇となったが、実家は今回も揺れたものの被害はなかったようだ。

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まさに天下の名城

28日当日のニュースで、製紙工場の煙突が倒れたことやショッピングセンターで何らかの爆破事故があったことなどが、ヘリコプターから撮影された映像と共に報じられていた。

しかし、その時点ではその現場にけが人や死者がいることなどは明らかになっていなかった。

その後、夜を徹しての救助活動が進む中で刻々と被害の実態が見えてきた。

7月31日時点で死者が35人と発表された。

10年前の4月の地震では直接的死者が50人で、関連死はその4倍を超える228人だったという。

酷暑が続く中、水道が止まり、冷房も十分とならず、さらに土地の亀裂や隆起などがある中で大雨の心配もある。救助活動に奮闘されている皆さんには頭が下がる思いだが、手を尽くし、ぜひ関連死を未然に防いでいただきたい。

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それにしても、感心したのは、当日は眼にすることがなかった映像が短時日のうちに多く寄せられ、テレビ各局で放映されていることだ。

揺れの真っ最中の現場やショッピングモールのガス爆発の瞬間、高速道路の橋げたのずれ、貨物の脱線転覆、住宅の倒壊などなど。

街の各所にある防犯カメラや、ドライブレコーダーの映像など、すごいね。

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吉野ヶ里遺跡にも寄った

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 震災から5日目の2日朝刊に主な被害状況(8/1 午後2時時点)がまとめられていた。

死者は36人に達し、住家被害が3429棟にも及び、そのうち全壊が181棟にもなるというから大変なことだ。そして酷暑日が予測されているなかで断水が6万9千400戸で続いていた。さらに停電もまだ解消されていなかった。

そして、熊本城にも再び被害が及んだことも明らかになった。石垣40カ所が崩れ、建物の壁の崩壊など8カ所もあったそうだ。

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かつて、レンタカーで阿蘇も廻った。そこにいた牛や馬たちは元気でいるかな?

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上掲の鎮魂碑は阿蘇山中に立つ第二次世界大戦で犠牲になった馬1445頭の魂を鎮める「愛馬鎮魂之碑」だ。

動物たちも様々な所で人間と共に苦労しているんだね。いや、人間の犠牲になっているのか?

 

8月3日の朝刊一面トップの見出しに「車中避難の70代死亡 初の災害関連死か」と出ていた。危惧していたことが起きてしまった。記事によれば、ガソリンが切れ、車のクーラーは止まったままだったと記されていた。

4日になり朝刊に3日午後2時時点の被害状況が示された。

それを見ると、断水などの改善は進んでいるものの、被害の実態がさらに深刻なものであることが見えてきた。

断水は24,120戸が正常化し45,280戸となったものの、死者は38人、全壊・大規模半壊は519戸も増加して720戸となり、半壊・一部損壊は4,822戸も新たに確認され6,466戸となった。

大事故となった製糸工場の煙突倒壊についても状況が明らかにされてきた。落ちた場所は事務室で、そこで働いていた方たちが巻き込まれたようだった。

8月6日の新聞で新たな問題の指摘があった。

これまでの多くの被災の経験の中で全国どこであろうと他人事と思わず支援物資を用意し現地に送る方や組織が増えている。ところが必要とする方々に届いていないようだ。

新聞の見出しが次のようだった。

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大宰府天満宮で復興を祈願しよう

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大宰府天満宮の御祭神は菅原道真公だ。学業・豊穣の神として祀られている。でも、実際の所、多種多様な面で信仰されていて、厄除けにもよろしいとのこと。なんとかなりますように!

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2026年7月30日 (木)

先輩が入院した!とても重篤だという。見舞いに駆け付けた!

先輩とは長い付き合いだ。山登りが好きで、たまに誘ってくれ、共に歩き一緒に汗をかいた。

このところはラインでのやり取りが主になっていた。

最近は、世の中が物騒と言うか先が見えない状況もあって、政(まつりごと)のよもやま話や、「文学」の話をしていた。

「文学」などと言うと何か高尚な印象を与えてしまうのだが、今回はたまたま先輩が物書き仲間と作る同人誌に小説を寄稿したことを話題にしていたのだけどね。私も読ませてもらい感想などを伝えてあった。

それが、突然の入院話になったのだ。

入院先は東京科学大学病院。

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切迫した病状を伝え聞いていて心配だった。お会いしてみれば、横たわり痩せた姿は一瞬見紛うようであったが、変わらぬ笑顔を見せてくれた。

「昨日もアポなしで見舞ってくれた人がいた。今日もか」と笑いながら言った。私も「アポ取ろうとすれば拒まれるからね」と返した。奥さんもいらっしゃって、一時間近く世間話ができた。しっかり養生することを約して病院を出た。

ところで、この病院の所在地は以前には東京医科歯科大学病院があった所だ。

友人の家族が入院して見舞いに来たこともあった。

東京科学大学とは2024年10月に「東京工業大学」と「東京医科歯科大学」が統合してできた国立大学だ。

結果付属病院は以前の病院名を変えるだけでそのままの場所にある。まあ、追加工事や増設はあったかもしれないが。

ここへは電車で向かった。

御茶の水駅で降り、線路脇を流れる神田川を下に見て、お茶ノ水橋を歩いて渡るとすぐA~D棟までの四棟の大きな病棟が目に入る。

先輩はこのビル群のA棟15階の部屋に入っていた。眺めは良かった。

Img_6113 ただ、とても驚かされたのは、御茶ノ水駅がすっかり変貌していたのだ。隣の水道橋や秋葉原、そして飯田橋などは下車し街を歩くことがあったが、御茶ノ水は下車することも意識することもなかった。

電車を降りて改札への階段を目指したのだが、何か今までとは違う。

階段を上ったところで視界に入ってきたものに本当に驚かされた

まさに未来へタイムスリップした思いだ。

眼の前に展開した景観は頭の中にあった御茶ノ水駅像とは大きくかけ離れていた。

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以前はホームからの登り口が二か所にあって、秋葉原寄りの階段を上ると、どちらかと言うと狭めの聖橋口改札になり、水道橋寄りの階段を上ると御茶ノ水橋口改札となっていた。ところが、ホームを覆うように建物ができ両側の改札を広い通路が繋げていたのだ。それでも御茶ノ水橋口を出た所は古い面影が残っていた。

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ところが聖橋口は全く変わっていた。

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聖橋から駅舎を眺めてみた。

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入ってきた中央線の電車の真上に、大きな建物が横たわっている。

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まだ河岸工事が続行中だ。御茶ノ水橋から聖橋の方を見ると次のようだ。

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ホーム上の二階建ての建物はエキナカ商業施設で「エキュートエディション御茶ノ水」との名称で昨年2025年5月に10のショップがオープンしたとのことだった。知らなかったー!

ところで、駅に関するこんな経験はこの数年で他に二回あった。一つは地下鉄銀座線の渋谷駅で降りた時だ。地下鉄ホームなのに下方に渋谷の街が見えたのだ。

もう一つは上野駅の公園口で降りた時だ。改札前の自動車道路が無くなっていた。

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上野駅公園口 2023年8月 撮影

でも、今回の御茶ノ水ほどの衝撃はなかった。

都心の変貌は凄くて、面白い。

でも、28日の熊本の震度7と破壊には驚かされた。

こんな変貌はクワバラ、クワバラだね。

 

2026年7月24日 (金)

茹だるような暑さ、セミも早々に引き上げる。でも、花々は暦どおりに咲き誇る!

わが家のハクモクレンと桜桃の枝々に2週間ほど前からセミが立ち寄るようになった。

今年は飛来が遅いなと思っていたところ、一匹のクマゼミが鳴き始めたのが2週間前。

朝6時ごろから、シャ、シャ、シャ、シャーと。

ところが鳴きはじめから2時間もしないうちに静かになる。それが、ここずっとのセミの活動スタイルになっている。違うのはここ幾日かの間に一段と飛来数が増えたことか。

今朝など、鳴きだしはほぼ同じ6時頃だったが、音量が違った。

外で確かめた。ハクモクレンだけで8匹ほどが各枝に止まり鳴いていた。

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レンズに収まった3匹、私を恐れず鳴き続けた

この集団が桜桃の葉陰でも鳴いているのだからすごい音量になるわけだ。

賑やかなのは嫌いでないから宜しいのだが、一つ心配なことは、ちょっと昔は、最初になき始めたのがアブラゼミだった。そして、続いて小ぶりのニイニイゼミが飛来し合唱が始まっていた。

クマゼミなどは滅多に鳴き声さえも聞くことがなかった。今ではクマちゃんだけだ。ミンミンゼミなどは散歩していると何処からともなく聞こえていたのだが我が家近辺では皆無となった。

酷暑化やら、開発の進展による地表面の変化・・・セミは土の質にこだわる所もあるみたい・・なども影響しているのかな。調べたところニイニイゼミは絶滅危惧種のようだ。

ところで先日、都内の公園を歩いていたら「ミンミンミー」の鳴き声が耳に届いた。ミンミンゼミにはふさわしい居場所があるのだ。少しホッとした。

昆虫はどうも温度に敏感のようだ。

かつては花々が咲きはじめるとアゲハなどがいつまでも庭の花から花へと飛びかっていた。

ところが、今朝もそうだったが、姿を見せたものの蝶にしてみれば猛スピードで飛び去ってしまった。

でも、何種かは木陰で休んだり、蜜を夢中で吸っているものもいた。

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Img_62523 このチョウが吸う蜜の花はランタナだ。

今年に入って、各種の花の開花を紹介した。今回は第5弾だ。2月に紅梅、白梅、3月にはハクモクレンや桃の花。4月に入るとツツジやモッコウバラ。今年はかつてなく満開だった。

そしてひと月飛ばして6月にアジサイを紹介した。

アジサイはほぼ使命を果たし退きつつある。今を盛りに咲き誇るは、ランタナとタイタンビカスだ。

ランタナは別名七変化と呼ばれるように多彩な花をつける。

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中には自然な形で自家受粉したのか初めて見るような花色を見せてくれるものもある。

そして、華やかに咲くのがタイタンビカス。

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赤は白の後を追って10日後ぐらいに開花した。

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さらに、庭を賑やかにしてくれたのが、何処からか飛んできたのか知らぬものの子孫達が活躍してくれている鬼百合だ。

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暑い中で、へばって動きを止めていた者がいた。

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玄関の前でじっとしていた。人が近づいても動きがない。死んだものとばかり思って塵取りに入れようとした。なんと動きだしたのだ。その内にいなくなった。

ニホンヤモリのようだ。

さらには、雨が降っても雷が鳴ってもジッと待機しているものもいる。

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夏はやはり、水がいいねと遊ぶ者もいた。アメンボだ。

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家の中に戻り、ふと曇りガラスを見ると何かが張り付いているような影が見えた。

そっと窓を開けると、なんと早朝からの鳴き合戦につかれたのか、網戸に張り付き羽根を休めるクマゼミがいた。

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ゆっくり休んで、また元気に活動してね!

暑さはまだまだこれから、気を付けよう!

2026年7月16日 (木)

懐かしいなマレーシア、身内が久しぶりの海外旅行、東南アジアを満喫だ!!

某国大統領の千変万化とも言えるような言動もあって、期待した戦争収束も覚束なくなった昨今だけど、我が身内は危機を回避しながらマレーシア、シンガポールへの旅を楽しんできた。

中東での戦は東南アジア方面には直接災いが降りかかることはないものの日本と同様にじわじわと生活に影を落としつつあるようだ。

そんな中ではあったが、楽しい旅を終え、お土産と撮影写真を持って寄ってくれた。

私もアジア諸国を何度か訪れているけど、マレーシアは2007年3月に訪ねた。はや19年も経ったんだな!

今回はその時に撮影した写真と直近の写真で現地の様子を見てみよう。

今回の夕景写真には圧倒された。

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マレーシア マラッカの水上モスク

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私もマレーシアで印象に残ったエリアはいくつもあった。

ペトロナスツインタワーもそうだ。1996年の完成だった。

事前に調べで分かっていたツインタワー建設での韓国と日本の企業の競い合いと協力に注目しながら出来栄えを見た。

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2007年撮影 タワー1日本(左) タワー2韓国(右)

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2026年撮影

バツ―洞窟も大変魅力的だった。

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2007年撮影

この長い階段を上ったところに洞窟がある。

現在はヒンドゥー教の聖地となっているのだが、1989年の平和協議まで、この地はゲリラのアジトだった。

今もミヤンマーやタイで続く軍事政権など、決して人々にとって安穏に暮らせているとは言えないものの、第二次世界大戦後から続いたベトナムやカンボジアでの戦争やここマレーシアでのイギリスからの独立戦争や内戦等々は収まり、現在は平和な日々が続いている。1940年代の日本軍の進駐など日本も無関係でないけどね。

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階段の上からふり返って見た

人々がハーハー云いながら洞窟を目指していると左手の岩の下の木陰から覗いているものがいた。

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猿の母と子だ。人を恐れず、また何かをねだるでもなかった。

さて、クアラルンプールでは夜ごとライブハウスでロックを楽しみながら、アルコールも嗜んだ。

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その際のことだけど、たまたまその日その時間は外国人は私だけだったようで、リーダーらしき人がステージから降りてきて、私に声をかけ握手を求めてきた。マレー語でなくて英語でね。わかる範囲でうなずき対応した。演奏後の拍手のタイミングが良かったからかな?

市内も散策。

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中華街かな?

セントラルマーケットの中でこんな方ともお会いした。

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マンツーマンのライブもとても良かった。

そしてマラッカに向かった。

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左手はキリスト教会の遺跡だ。

外見はしっかりしている風だけど、中に入ると壁が周りを囲んでいるだけで天井のみならず屋根もなかった。

石造りなので雨が降れど大丈夫なんだね。

そして、右手に立つ方はかの有名なフランシスコ・ザビエルさん。

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近づいて拝顔すると、何か違う。日本の教科書で馴染んできた印象と違うのだ。

たまたま昨年2月に放映された放送大学の「歴史の中の人間 第7回 フランシスコ・ザビエル」の中で教科書でよく見た「ザビエル像」が紹介されていた。

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17世紀初頭に描かれたとされている

そう、ヘアースタイルが違うのだ。マラッカのザビエルは現代人を思わせるダンディなヘアーだ。

日本に来た時とマラッカにいた時では歳が違うのではと思ったのだがそうでもない。

ザビエルは1506年4月生まれで、1552年12月に亡くなっている。46歳だった。若かったのだ。

生まれたのはスペインに併合されたバスク地方。

1541年になり、キリスト教伝道の旅を開始する。リスボンを出港して一か月後にインドのゴアに到着。

1545年9月にマラッカ。この時39歳。

1547年12月にマラッカで日本人アンジローと出会った。日本滞在中はアンジローが通訳を務めた。

いったんゴアにもどり1549年4月、ゴアから日本を目指して出港。43歳だった。

8月15日薩摩に到着。島津家では鷹揚に対応してくれた。

キリスト教への改宗者も増えつつあったが列島全域での布教は実現できずいったん中国大陸に渡った。

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1552年になり中国・上川島で不運にも発病し、12月3日死去された。

マラッカのザビエルと日本滞在中の彼との年齢の差はわずかだ。ヘアースタイルの違いは日本での苦労が大きかった所為かな?

さて、我が身内はシンガポールに渡った。

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マーライオンのお土産だ。楽しい旅、そして無事の帰還良かった!

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2026年7月 9日 (木)

「茅の輪くぐり」って知らなかった。近辺で「茅の輪」探しをしてみたら結構あったよ!

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6月30日の数日前から新聞やネットで「茅の輪くぐり」と言う語が目についていた。

「茅(ち)の輪くぐり」とは神社の伝統行事のようだ。

記事では古来よりの伝統だったものが、少子高齢化などに伴う担い手不足などから実施できなくなってきたことも伝えていた。

なお、そもそもすべての神社が実施してきたわけでもないんだよね。詳しくは知らないけれど、同じく神社と名が付けど系統やら信仰などに違いがあるようだね。

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私には神社はもっぱら祭の場だった!

私などは、幼い頃から最近まで、「茅の輪」も「くぐり」も知らなかった。実施する神社など近くになかった。見たことも聞いたこともなく育ち当然分からないね。

デジタル版新聞で「茅の輪くぐり」と記事検索をしてみた。なんと遡ること12年、2014年の記事までヒットした。各年とも、数件分の記事をまとめ、全国の神社で「茅の輪くぐり」が行われていたことを報じていた。

直近の記事は、地域の人達が宮司の呼びかけに応えて伝統行事としての「輪くぐり」を復活させたことを報じるものもあった。

そこで、我が住まい近在でどのくらいの神社が実施しているかを確認したくなり、ひとっ走りした。

もともと神々からは縁遠いものだった私は、鳥居などが主要道に面していて良く知られている神社は別として、何処にどんな神社があるかなどの知識・情報は無に等しかった。故に探索は一日では済まなかった。

結果、10神社も巡ることになった。

何と、そのうち4神社で輪をくぐることができたのだ。

複数の神々に祈るような、さもしい不埒な行動が怒りを呼んだのか、神罰が下ったかのように、その日の夕方から腰痛が始まってしまった。

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何処の何という神社の名を出すことはやめよう。神々を比較したり、評価したりしたら、さらに神罰が下る。

素朴な印象から神々しいものまで様々な神社の個性を見ることができた。

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 ところで、そもそもこの催事はどんな謂われがあるのか。なぜ「茅の輪」なのか。

或る報道で見たら次のように説明していた。

無病息災を願う「夏越しの大祓」を行うために「茅の輪」を作るのだそうだ。

「夏越」って「なつこし」じゃないんだよね。

じゃあ「大祓」は「だいふつ」でもない。

「夏越しの大祓」で「なごしのおおはらえ」って読むんだって。

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それでは「輪」は何を材料にどう作るのか。

かや=茅を材料にして作るのだ。茅、つまりススキ、チガヤ、スゲなどの総称だ。

だもんで、最初、私は「かや」の輪と読むものだと思った。「ち」なんだ。

ある新聞記事に作り方が出ていた。

それによると「農業用パイプを組み合わせて、直径2mや3mの芯を作って茅を巻き付けるのだ」そうだ。

何故、茅か?

「茅(かや)」の由来は物事を清め祓うものと言われ、輪になることで、よりたくましい強い力を持つのだそうだ。

そして出来上がった茅の輪を潜るのだけど、ちゃんとした作法があって左、右、左の順番に「8」の字を描くように3回潜って参拝するのだそうだ。

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それでは「何故、この時期(6月末)」かと言う疑問には次のような答えがあった。

1月以来の半年にたまった罪や穢れ(けがれ)を祓い(はらい)、心身を清め、この後の半年の健康と厄除(やくよけ)を祈願する神事だって。したがって、6か月後の12月末にも執り行われる。

4つの神社の「茅の輪」を撮影し、潜ることができたのだけど、私の無知はともかくとして知らなくて当然でもあった。

4神社の内、一神社は今年から開始、そしてもう一つは昨年からで第二回目だった。

コロナ禍の中で、町内会やら、自治会の集まりなど地域住民の交流が少なくなっているこの時期、神、仏はともかくとして、人々が集まれることは良いことかもしれないな。

2026年7月 2日 (木)

美術館の周辺も中々趣があった。感動しつつ石廊崎へ!

 仏教館の仏像たちの微笑みに見送られて外に出た。

庭の向うに観音像とアーティフィシャルな白糸の滝が見えた。

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周辺は小高い山が取り囲み、木々が生い茂っている。

右手山腹に向陽寺。

オブジェの横に寺への登り口が見えた。

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境内に入って驚かされた。

仏教館顔負けの石仏が立ち並んでいたのだ。

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なにか既視感があった。

3年前に下田公園を訪ねた際、ロープウエイに乗って着いた寝姿山で見た石像群だ。

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2023年6月16日撮影

ここでは石像群は海を見下ろしていた。

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2023年6月16日撮影

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しかも、似ていたのは林立した像ばかりではなかった。

寝姿山の像の傍らには、法隆寺夢殿を模した御堂(愛染明王堂)があった。

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ここでも、同じような御堂があるのだ。先の観音像の左手の小高い所に見えていた。下田達磨大師の建物の一つだ。

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寄ることができて、とても良かった。上原美術館には、改修が終わる2年ほど先にまた訪れてみるか。

仏像たちとお別れし、石廊崎に向かった。

石廊崎は下田市の隣町南伊豆町にある岬だ。

昔、小学生の頃だったろうか、父親の仕事関係の団体旅行で来たことを薄らと覚えている。

その当時は同じ天城越えでも、街道は整備も進んでおらず細い道がくねくねと続き、深い谷ぎりぎりにゆっくり進んだような記憶がある。大昔のことだ。

美術館を出ると、下田駅方面に向かった。駅傍の十字路を熱海方向とは反対に曲がり、数キロ走ったところで川の流れが見えた。流れに沿って下流に向かった。後で調べたら「青野川」のようだ。少し進むと海が見えてきた。

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突堤の先に何かが造られていて人もいたのだが、不思議な感じがした。

そこから、沖を見ると美しい光景が広がっていた。

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帰りも同じ道を来たのだが、行きとは逆方向から見えたのは、弓なりになった砂浜だった。

確信を持って言えないのだが、「弓ヶ浜海水浴場の南端」だったかもしれない。

海を眺めつつ一路、石廊崎を目指した。

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標識を見ながら前進した。最初に着いたところが「遊覧船乗り場」だった。

ちょうど遊覧から戻った船が桟橋に横づけになり客が下船していた。

駐車場の前で停めて様子を見ていると、切符売り場の叔母さんが声をかけてきた、「ここからも歩いて灯台に行けるけど、もう少し先の『石廊崎オーシャンパーク』の方が近いよ」と、わざわざアドバイスをくれた。

街中では、こんな風に気を回してもらう機会は少ない。

礼を言って車を走らせた。

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駐車場に入った。向うに灯台が見える。

石廊崎オーシャンパークだ。

先に触れた父親たちとのバス旅行で訪れ、記憶していた灯台周辺と、全く違う印象だった。

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14時近くになっていた。遅い昼食をとることにした。

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海鮮かき揚げソバだ。美味しく、値段も手ごろだった。

オーシャンパーク休憩棟の入り口の反対側の扉が灯台へ続く遊歩道に続いていた。

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先ずは石室(いろう)神社の鳥居をくぐる。

しばらく歩くと、断崖絶壁と紺碧の海が見えてくる。

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灯台に近づいた。

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1871年にイギリス人建築士ブラントンによって建てられたというから、もう155年も経っているのだ。

さらに進むと、石室神社の社殿がある。

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この階段を下る。

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社殿の屋根だ。

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なかなかの迫力だ。

そして先端まで行った。

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ここには海上安全の神・熊野権現が鎮座しているのだ。

戻ろうと歩き始めた所、なにか神々しいものが目に入った。

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百合のようにも見える花が、土もわずかな岩の間から枝もなしに開花していた。初めて見た岩に咲く不思議な花だった。

上原美術館、石廊崎、とても良かった。

明るいうちに再び伊豆縦貫道に乗り、帰途についた。

そういえば、先日の台風7号、8号襲来の6月27日、所々で被害をもたらしたのだが、石廊崎から半島西海岸を北上した地にある波勝崎で土砂崩れがあったと報道されていた。そこの「モンキーベイ」というエリアに野生のサルたちが生息している。無事だったろうか。石廊崎も大丈夫だったろうか。神々しい花は?ちょっと気になるな。

 

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