文展から百十余年の歴史を引き継いだ新「日展」。戦時中など大変な時期もあったんだねー。
お腹も満たし、身体も休めた。さあ、洋画から鑑賞再開だ。
日展に足を運び始めた昔、日本画展示会場から洋画の会場に移った際、日本画で得た感動はそのままであるが、それまで自ら思い込んでいた和洋の違いはなんだったのかと戸惑いを感じた。それは描かれる対象についてだった。
前にも触れたが、子供のころの感覚で言えば、日本画は浮世絵や山水画さらには屏風画等など歴史教科書で紹介された作品群のイメージだった。それが描画対象だけで言えば和洋共に「・・でなければならない」と言うものがないことに気付いたのだ。
その時点で調べ理解したのは伝統技法や画材(日本画で言えば墨、糊粉、岩絵具、膠、絹、和紙など)の違いで分けられると言うことだった。
この辺りのことは、年々の変化著しく、和洋融合しているところもあり、美術館によっては区別せずに共に絵画とし、彫刻等他の美術作品と分けているところもあると聞いた。
今回は日本画も、洋画も出品作品が多く描く対象も多彩だった。
それにしても洋画も凄い。
Smorzando 西房浩二さん
内閣総理大臣賞
ベランダ 橋浦尚美さん
特選
会場で「日展ニュース」パンフをいただいた。
パンフ冒頭で日展理事長の宮田さんが挨拶していた。
「コロナ禍が少し落ち着いた今、触れ合い可能なイベントができその解放感は計り知れない」
「この時にこそ、文化の力、芸術の力、美術の力をもって、世にときめきを発信する大きな役割が日展にある」と語っていた。
本当にそうだね。大いにときめきをいただいた。
木造船 ‘23 吉田定さん
特選
パンフに広島大学名誉教授の金田晋さんが寄稿していた。
戦争で中断した日展がアジア太平洋戦争終戦の翌年3月には早くも再開されたことについてだ。
その時尽力された方として南薫造さんが紹介され、そのお話に考えさせられた。
南さんは終戦前年1944年に戦局で困難になりつつあった東京での生活からの退避と、自らの「絵画のぎりぎりのところから生き直そうとする決意」(原文通り)のもと故郷の広島県安浦町に帰った。
そこはオランダ軍医のシーボルトも絶賛した瀬戸内の多島美が眺望できるところだった。
ところが、軍は「軍事機密漏洩防止のため」瀬戸内海の描画を禁止していた。そこを通過する呉線列車の海側の窓は外を見れないように遮蔽されていたという。
南さんは故郷で絵筆を持つことができなかった。(日展ニュース6頁)
そして広島に原爆が投下された。
そういうことも手伝って日展再開に尽力したのだろうか。
(第1回は文部省美術展覧会「文展」として1907年にスタートし、「帝展」「新文展」「旧日展」そして現在につながる。)
ロマネスク追憶 松井茂樹さん
特選
輝きの朝 白井秀夫さん
入選
漁港の朝 出口貴子さん
入選
軍部は「漁港の朝」のような海の風景を描くことさえも禁じたのだ。
現在世界を震撼させているロシア、ウクライナ、そしてイスラエル、ガザ、さらにはミヤンマーなど軍が政治を牛耳る所では、結局は人々の生活など顧ることなく軍の論理が優先してしまうのだな。ましてや美術工芸などを語れば反軍思想だとされ抑えられかねない。
ちょっと気を引き締めるか!
さて、あとは彫刻と書。
まなざし 石膏 窪信一朗さん
パンジーは俯瞰する 石膏 田原迫華さん
特選
うん、いい!美しい!でも読めない!
討伐 筈井淳さん
特選
彪如 石川靑邱さん
特選
書の会場は3階だった.
そこから1階のカフェ バントリーがこんな風に見えた。
雨も上がったので、正面玄関から表に出て美術館の外周をぐるーっと回るように歩いて地下鉄駅に向かった。
半日かけた鑑賞となったが、なかなか見応えがあった。
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