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2024年9月

2024年9月26日 (木)

お彼岸の、寺の屋根上、仰ぎ見て、秋を感じる、雲達の群れ。だけどもね、猛暑が続く!

お彼岸だ。墓参りしてきた。

お盆には雑草を抜くのが大変だったが、今回は全く草は生えていなかった。

テレビでも、猛暑で野菜が育たず出荷できぬ農家の悩みを伝えていた。雑草と雖も酷暑に参ってしまったのかな。まあ、墓前の砂利には、私たちが訪れた時しか水を撒かないから雑草も水不足だったかもね。

結局、この日は枯れ葉を掃き集めるだけで済んだ。

それでも汗がにじみ出てきた。寺の上空を見上げた。やはり9月下旬。何となく秋を感じさせた。

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シャツは汗でグッショリだったけどね。

天気予報士のお姉さんに依れば、日本列島各所で猛暑日(1日の最高気温が35°C以上の日)の観測最遅日が更新されているそうだ。人間界のみならず植物界でも戸惑っているのかな。

我が家の庭を覗くと、野菜の育ちの困難に相反するかのように何種類かの花々は近年みられなかったような勢いで背丈を伸ばし、花を咲かせている。

モッコウバラなど、一晩で30センチ以上枝を伸ばしているかのように見える。

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アジサイやランタナ、そしてタイタンビカスも尋常でない背丈の伸び様だった。

一方で、暑さなど関係ないよとばかりに、暦通りに伸び、花を咲かせる植物たちもあった。

彼岸花。

芽が出てきたなと思ったら数日のうちにスーッと茎が伸びて、花を咲かせた。

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玉すだれも、順当に蕾を付け、あっという間に満開となった。

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花々に合わせるように昆虫たちも姿を現した。

いつも、どこから現れるのか不思議な思いをさせられるのが玉すだれを好物とするこの幼虫。

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そのままにしておくと、あっという間に玉すだれが食いつくされてしまう。

やむを得ず他の場所に移ってもらった。その数30数匹。

あと面白く観察させてもらったのがバッタの親子。

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花の終わったクリスマスローズの葉の上に子をおんぶして現れた。

このこと自体が面白かったのだが、なんと数十分この形でじっとしていたのだ。

私が近づいてもピクともしないのだ。外気が凄かった。10分も立っていると熱中症になるのではと思われる暑さだったので部屋に戻った。

一時間ぐらいたって覗きに行くと、この親子がまだそのままいた。そればかりか子が増えていたのだ。

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ランタナもいつもと違った。

倍以上に背丈が伸び、横にも広がった。

そして花を咲かし続けている。

でも、違うのは、花の横にはしっかり実が付いているのだ。

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それらに虫たちが集まる。

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蝶も。

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蛾も。

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トンボも飛来した。

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このハグロトンボ、毎年夏場になるとどこからかやって来る。

でも、セミのように集団でなく、必ず一匹でヒラヒラと低空飛行をしている。

このトンボ別名があるそうだ。なんと神様トンボだって。

羽を開いたり閉じたりする姿が人が神社などで手を合わせて願い事をする姿に似ているからだって。

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外界で雨露やら酷暑をしのぎながら生きる彼らと違って、いつも空調の効いた室内で過ごしているのが金魚たちだ。

玄関の上り端で毎日門番のような役割を果たしているのだがね。

彼らは2014年3月からここを根城にしている。

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祭りの金魚すくいで我が家に来たものたちは短命だったがペットショップで選ばれて我が家の住人になった者たちはさすがしっかりしている。もう10年になった。体長も3倍ぐらいになったかな。

金魚の生態について不勉強だったのだけど、どうも、彼らは人間を認識し、しかも何をしてくれるのかも理解ができているようだ。

朝晩、水槽の前に人が現れると、2匹揃って動きを激しくして、ガラスにすり寄って来るのだ。

花を見せてくれ!  でなくて餌をくれと言うことだけどね。

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秋分の日も過ぎて、再来週ぐらいには気温も落ちくのかな。それとも一気に冬か?

 

それにしても、能登での地震や火災に続く豪雨被害、本当に悲惨だ。

地震被災者の仮設住宅への浸水と再びの避難や復旧工事現場での土砂崩れと作業者の犠牲、なんとかならなかったのかな。

謹んで哀悼の意を表します。

2024年9月19日 (木)

富士山頂でなくても雲海を見ることができたよ!伊東市の大室山。締め括りは熱海で海上花火!

楽しみにしていた中秋の名月。
宵の口、空を仰ぐと厚い雲が覆っていた。月は気配さえ伺えない。
時々空を見た。21時、22時は相も変わらず。
寝る直前、何となく外が明るく感じた。
見えた。雲の切れ間から眩しい光を放っていた。

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雲の流れは早かった。

ちょっと待ったら、綺麗な満月が姿を現した。

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中秋だ。陰暦8月15日の夜のことでした。(陽暦 9月17日深夜)

 

話は変わってちょっと前のこと。伊東、熱海を巡ることになった。

三嶋大祭りの時とは違うメンバー四人。内二人が大室山に登ったことがないというので、それじゃ行ってみるかと、先ずは伊東市に向った。

とりあえずは腹ごしらえ。海鮮物が良いねと一致。

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美味しかった!

腹ごなしをしなきゃと歩いた。

山や海岸を歩くのは爽やかだ。自然は季節の移ろいとともに容貌を変化させてくれる。

そして、今回は滅多に体験できない自然現象に遭遇した。感動ものだった。

山道を進むうちに辺りがうっすらと白いものにおおわれてきた。

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最初は何かの煙が流れてきているのかと思った。

しばらく行って分かった。霧が流れて来ていたのだ。大室山に登頂してさらによく見えてきた。霧というよりも我々は雲の中入り込んだのだ。

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大室山の麓に着いたときは、山全体が霧に包まれつつある感じだった。

でも、自然の動きは激しい。時にはとんでもない変化を目の当たりにする。

先ずはリフトで山頂を目指した。

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登りはじめはまだこんな感じだった。

進むにつれ、霧は何処へやら青空が広がってきた。

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上りきって噴火口の内側・お鉢を見ても、はっきりと全体を見渡せた。

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驚いたのは、その直後。

雲が動き始めた。凄いのだ。

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海側の斜面の下、つまり眼下を雲が手のひらを広げるように進んできた。

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あれよ、あれよと言う間に山頂すれすれに迫った。

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そして、私たちは飲み込まれたのだ。

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藁をもつかむ思いで、鳥居にすがりついた!・・・てなことはしなかったけど。

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大室山ではめったに経験できない雲中に浸ることができたのだ。感謝!

でも、この日は本物はもっとすごかった。下界からも見えた富士山の雲海だ。

しかも、山頂の爆発的造形雲が素晴らしい。2409101710477567

熱海の花火も加勢した!2408241425134989

動画も見れるかな?

 

2024年9月12日 (木)

次郎ちゃんと、うん十年ぶりの再会だ。「次郎物語」面白く読み直し、そして映画を観た!

8月末にNHKBSで映画「次郎物語」が放映された。

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1987年制作 東宝 監督 森川時久

共演 加藤剛 高橋惠子

小説「次郎物語」(著者 下村湖人)が原作だ。懐かしい。

この小説、うん十年前、私は高校一年生の時に読んだ。

物語は元々好きで、いわゆる講談物に近い「猿飛佐助」や「霧隠才蔵」、さらにグリムやイソップ、アンデルセンそして一気に宙に飛びスペースオペラ物を楽しく読んでいた。

所謂、教科書に載っているような読み物など教師や親が勧める漱石や鷗外も目にすることはあったけど、そういうものを好んで読むようなことはなかった。いわばそれら「文学本」は「教科書」と同類と見なしていたと記憶している。知らないばかりにね。

父親は、昔、武蔵野の地で働いていたことからか、国木田独歩の「武蔵野」やら、なぜかしら田山花袋なども薦めた。

まあ、大学に入ってから再度読んだ田山花袋などは、中学・高校時代とは全く違った印象、読後感を持ったことも確かだけど。

ところが、「次郎物語」は日ごろよく読んでいたものと少し毛色は違ったものの、ちょっと違っていた。高校一年生でも面白く読めた。全五分冊を一気に読んだ。そしてそれは今でも本箱に並んでいる。

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多分、物語家族の子たちが男三人兄弟だったことなど、私に似た境遇に共感し、主人公次郎の成長談に引かれたのかもしれない。でも、全体の話の展開はうろ覚えに残ってはいるものの、大方は忘れてしまっていた。

そこで、思い切ってもう一度読んでみようと決意した。

結論から言えば、読み終えた感想は凄く面白かった。勿論それなりに悲しいこともあったけど。

物語は士族の末裔の家に生まれた三兄弟の次男の成長談だ。

病身の母の乳が出ないため子供は乳母のいるところに里子に出されていた。

次郎が生まれ、それまで預けられていた長男と交代で里子になった。

それからの次郎を取り巻くお話だ。

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元士族だった実家の門構(映画より)

うん十年の歴史を経た文庫本。カバーはぼろぼろに近かった。先ずはセロテープで補修した。

それからおもむろにページを開いた。「えー」だった。文字が小さいのだ。

角川文庫なのだが、1ページ18行で1行43文字だ。変色もしている。

Img_91790_20240908173001少し新しい文庫本と比較してみると、大きな差があった。

新潮文庫の「沈まぬ太陽」(2016年版)は1ページ16行で1行38文字だった。

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そんな比較をしている時、ひらめいた。もしかしたらタブレットで読めるかもと。

基本的には著作権が切れている小説などはタブレットのアプリケーションで読める。現在の著作権法によれば、著作権は「著作者が著作物を創作した時点から著作者死後70年を経過するまで」とされている。

次郎物語は1936年に雑誌「青年」に連載が開始され、本として出版されたのが1941年だった。下村湖人さんが亡くなったのは1955年。今年はまだ死後69年だ。

ところがタブレットで読むことができた。それは当初死後50年だったルールが2018年12月30日に70年と改正され、あわせて以前の規定で消滅した著作権は復活させないという決まりも加えられたからだったようだ。

その、タブレット版が良かった。(青空文庫、青空司書など)

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1ページの文字数はこれだけだ。3つを比べると違いが分かるね。(同じ倍率で表示)

1ページ13行で1行30文字なのだ。ちなみに、次郎物語(1)の文庫版は285ページだったが、タブレット版では514ページと229ページもページ数が多くなっていた。それだけ1ページの文字量が減ったのだ。

読みやすい。しかも使い勝手がいい。次ページに移るには左下の隅をポンとタッチすればいいのだ。戻るには右下ポン。読み終わったら、そのままタブレットのカバーを閉じれば次に読む時、カバーを開けば前回最後に読んだページが出るのだ。

おかげで、514ページを二日チョットで読破した。最近では珍しいテンポだった。自分ながら良く読めたと思うぐらいだからね。

どうも、読解力と言うよりも、物理的諸条件、つまり文字の大きさなど見やすさなどが大事なのかな。

読解力などは、そういう条件の下であれこれ読み進めていけばおのずと身に着くのかもね。勿論内容にもよるけどね。

それにしても、下村湖人さんの文章、昭和の初めの物とも思えない現代的小説のように感じた。とても読みやすかった。あらためて強く感じた。

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母の生家(映画より)

読み終わったところで映画を観た。

ストーリーは小説「次郎物語」(1)にほぼ、そのままだった。

読みながらイメージしていた風景を眼前に展開してくれた。しかも美しく。

時代背景は昭和初期。

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髷(まげ)さえつければ、そのまま江戸時代と言ってもいいぐらいの田舎風景。佐賀の田舎の地だ。

私など昭和生まれにしてみると、そんなに昔と言う印象はないんだけれど、実際のところ再来年2026年は昭和元年(1926年)から100年だからね。子供のころ100年前の出来事と言ったら大昔のことだったものね。

Img_92245 川船も立派な移動手段だった

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登場人物のイメージも小説を読みながら頭のなかで描いていた人達と大きく違わなかった。ただ母親「お民」は演じる高橋惠子さんの若さと病身のやつれた姿の演技が相まって小説で見えた「きつさ」が少々弱まっていたかな。

父(加藤剛さん)は物わかりのいいのは小説のままだった。

父方の祖母は見事な意地悪婆さんだった。

母方の祖父母は映画では登場する場面が余りなかったが優しさは感じた。

乳母役の泉ピン子さんはなかなか良かった。

いつも感心するのは子役達の演技の見事さだ。

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田圃への水揚げかな

この物語は、読んでから観て正解だった。

基本的に小説の筋に忠実だったのだが、読んでいない人には、どうしてという飛躍を感じる場面もあったかもしれない。

私には何の違和感もない流れだったけど。

肺を患い生家にもどって療養していた母親は共に生活をしていた次郎の看病の甲斐もなく亡くなった。

その時、庭の蓮が開花した。

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2024年9月 5日 (木)

猛暑がもたらしたのか、コメ不足の昨今、折よく五穀豊穣祈願の流鏑馬だ! 三嶋大祭り!

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日向灘を震源とする地震発生後、南海トラフ地震想定震源域に巨大地震注意がだされた。

そのためか、お盆休みに旅を予定していた人たちの旅行キャンセルが相次ぎ、ホテルなど観光業界の人々を落胆させた。さらには台風10号と自然の猛威が続いた。

ホームセンターやスーパーで防災用品やら震災用備蓄食品などが棚から消えたとも報道された。

そして、ここにきてコメ不足なんだって。

日本米穀商連合会の発表によれば、第一は猛暑による高温障害でコメの供給量が減ったこと、第二には「コロナ明け」で、とは言っても我が周辺で何人かが新に感染しているけどね、まあ実態はともかく和食の需要がアップしていること、そして第三が「巨大地震注意」の発表を受けてコメを備蓄する人が増えたから、だそうだ。まあ、ついでに言えば国の食糧管理施策も影響しているようだけどね。

そんな折に三嶋大祭りの最終日に執り行われる流鏑馬が、源頼朝の「天下泰平・五穀豊穣祈願」で奉納したことから始まったということで、まさにコメ不足食糧不足の今にグッドタイミング。現地で一緒に祈願することとした。

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JR三島駅前ロータリーに設置された屋台。シャギリで歓迎。

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昨日は、JR三島駅から伊豆箱根鉄道で一駅の三島広小路で下車して、歩行者天国を歩き出店の賑わいを見ながら三嶋大社に向かった。

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この日は駅からメイン道路を南下し、駅の下手にある白滝公園の横を通って行った。

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流鏑馬神事が始まるちょっと前に到着。

特別祈祷は現代風にアレンジされて五穀祈禱から始まるものの、続くのは家内安全そして商売繁盛だ。

戦乱が世界のあちこちで続く今、やはり天下泰平もお願いしたいけどね。

見物客が早い時間から集まって来ていた。馬場沿いのロープ際はすでに立錐の余地がないようだった。

とにかく暑い。34~5度。しかも遮るものもなく直射。

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こんな具合だった。

お披露目が始まった。

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馬を引くのは武者姿ではあるが、若い女性。

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神事を終えて、神主を先頭に本殿横の出走地点に行列が向かう。

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いよいよ武田流流鏑馬のはじまり!

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先頭の射手は見事すべての的を射抜いた。拍手喝采であった。

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私達の眼前をあっという間に駆け抜けるのだが、その速度は1分間に1000メートル以上だそうだ。

競馬で言うギャロップ(全速力)に匹敵するというから、その馬上での弓使いとは見事だね。

何人かの射手の手綱捌きと弓捌きに拍手を送っていたのだが、頭上からの太陽の熱射にいよいよ耐えられなくなった。かき氷屋に駆け込んだ。

Img_80189Img_89445やっぱりかき氷だね。旨い不味いで言えばソフトクリームも良いけれど、この猛暑にはやはり氷。

生き返ったよ!

動物たちのご機嫌もうかがいながら大社を後にした。

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なにか涼やかだね。

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こちら、暑いにもかかわらず、私に近づいてきた。

私でなくて踊りを見たいのか?

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駅に向かった。

白滝公園の横を流れる桜川。

水が透き通っている。

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子どもたちが嬉しそうに川に入り遊んでいた。

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久しぶりに、いくつもの出し物を楽しめた。

明るいうちに帰途に就いた。

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昨日(9/4)の朝刊にお米のことが一面トップに出ていた。

流鏑馬の五穀豊穣祈願が成就したわけじゃないだろうが、新米が店頭に並び始めて品薄の解消が期待されそうだというのだ。ところがだ、なんと値上がりの気配だって。

コメの生産量全国一位の新潟県産コシヒカリが22パーセントの値上げ、高知県産のコシヒカリは43パーセント増額だって。

原因はウクライナ侵攻や円安の影響で肥料価格や光熱費・動力費が増になったからだそうだ。

やっぱり、もう一度祈願に行ってくるかな!

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