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2024年12月

2024年12月26日 (木)

年末恒例コンサートに行ってきた。二週連続でブラスの響きを堪能したよ!すぎなみ彩楽よかった!

 一つ目は杉並を拠点に活動する社会人と学生の一般吹奏楽団「すぎなみ彩楽ウインドシンフォニー」の定期演奏会だ。この楽団に縁戚の者が所属しており、今回も演奏者の一人だった。

招待され、名演奏に浸ることができた。

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荻窪駅に降り立った。クリスマスも近い。ところどころでクリスマスツリーがまたたき始めていた。

Img_25790_20241225170901Img_25789_20241225170901会場はリニューアルされたばかりの杉並公会堂。

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吹奏楽の演奏は身内が学校の部活に参加していたこともあって、何回か聴いていた。

でも、今回のような市民による楽団で、なおかつ18年もの歴史を積み上げたメンバーによる演奏は初めてだった。

最初に感想を言っておくと別格の感動ものだった。

彩楽(しゃらく)音楽監督の福田洋介さんによれば、今回のプログラムのテーマは「天体・空・星で、優しくロマンティックな音楽を繰り広げる」とのことだった。

演奏中は写真撮影は遠慮してくださいとのお願い事項があったので開始前に会場の様子を撮影させてもらった。

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なかなか立派なホールであり、満席の客だった。

テーマに沿った選曲はどのようなものだったか。

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音楽に導かれ大宇宙へ!

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1stStageはまさに期待通りにテーマに応えた選曲だった。

なかでもあらためて感じ入ったのは「天馬の道」だった。

演奏も見事だったが、この楽曲の作曲者が日本人:片岡寛晶さんだったことだ。素晴らしかった。

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The PlanetsもSunnyも馴染んできた曲だけど。本格的な演奏を生で聴くといいね。

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STAR WARS-introduction-は圧倒的迫力だった。見事!

「見上げてごらん夜の星を」は会場内の皆が歌った。私も歌い始めたのだが、高音部で声がかすれてしまった。

最近めっきりカラオケに行っていないからダメなのかな。

それにしても素晴らしい演奏だった。

演奏してくれたのはこんな方々でした。(写真撮影禁止のため、パンフレットより)

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ホールが新装したことも手伝ったのかもしれないが、客席に音がたっぷり届いた。

往々にして高音、低音がどちらかにのまれてしまう演奏もあるのだが、この日はメリハリが効いていた。

私にとって特によかったのはパーカッションのメンバー8人による演奏だった。

 

二つ目の演奏会は、年数回開催する「酔いながら乗れる」居酒屋ライブだ。

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この日のメインはサックス演奏だった。いつも伴奏やら独演を披露してくれたキーボード奏者ニコチンスキーさんが出演できず残念だったが新しいピアニストが伴奏してくれた。この方もテクニシャンだった。

新しい趣向ということでは、歌手の皆さんが3人もいらっしゃったことだ。

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ジャズスタンダードを中心とした第一部からスタートした。

Fly me to the moon, Georgia on My Mindで始まりお馴染みのスタンダードナンバーへ。

枯葉の後にお目見えしたのがこのお姉さん歌手。素晴らしいMoon Riverを奏でてくれた。

休憩後第二部で登場されたのがこちらの方。

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歌を交えて君は我が定めから始まり、黒いオルフェ、オー・ソレ・ミオ、ダニー・ボーイ、酒とバラの日々、聖者の行進と続き、そしてアンコールをテキーラで締めた。

途中、もう一人の歌手として紹介されて出てきたのが、おじさんで、なぜか詩吟を披露された。

詩も歌であり、吟じるも歌唱と思えば、いいか。

でも、良かったよ。それほど広くない店に、料理とお酒が並べられているのだから、もったいないけれど多くの客を招けない。この日の観客総数20数名だった。年に何度かの贅沢な時間だ。

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美味しく楽しいライブでした。

早いもんだね、あと6日で2025年だものね!

良いお年を!

 

 

2024年12月19日 (木)

博物館で「はにわ」に会ってきた。彼らは人気者なんだね。凄い人出だった!

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東京国立博物館に行ってきた。

「『埴輪 挂甲の武人』の国宝指定50周年を記念する特別展『はにわ』」だ。(12/8まで開催されていた)

何故か今、古墳ブームだそうで、各地の古墳に絡めたイベントは盛況だそうだ。(10月14日朝日新聞)。

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この日は休日で天気もまあまあだったこともあって、博物館は久しぶりに行列だった。長蛇の列の最後尾についてから館内に入るまでに20分もかかった。

これから埴輪見学体験を記すけれど、その前にネット情報に頼りながら埴輪について少し整理してみよう。

埴輪の誕生はどうやら古墳時代のようだ。西暦で言えば3世紀中盤から6世紀にかけてだ。

縄文、弥生に続く時代で、いわゆる飛鳥時代の手前だ。およそ350年間続いた。

列島における支配の力関係を見ると、この時代はいわゆるヤマト王権が成立しつつあった頃だ。

ヤマトは3世紀後半には西日本から東海まで勢力を延ばし、4世紀には関東、北陸まで勢力圏を広げた。そのころ前方後円墳なども築造された。その古墳の上や周囲に立てられた素焼きの土製品が埴輪だ。中には1メートルを超える大きなものもあったようだ。

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重要文化財「円筒埴輪」メスリ山古墳出土

この円筒のもの、埴輪の中でも最も出土している種類だそうだ。驚くのはその数。

群馬県の保渡田古墳群の八幡塚前方後円墳には6000本以上の円筒埴輪が張り巡らされていたとのこと。

写真の円筒埴輪は奈良県のメスリ山古墳のもので日本最大級であり、高さ2.4mもある。

今回の催しで配られた目録によると展示埴輪は182もあった。

先ず会場で迎えてくれたのはソーシャルダンスを楽しんでいるようなポーズの埴輪だった。

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この埴輪、日本で最も有名だそうだ。いわゆる「踊る人々」だ。

右が男性で隣が女性だそうだが、今のところ、学会では踊っているのではなく馬を引いている姿だという説が有力らしい。男女の区別で言えば一見右側の像が女性ではとい思いがちなのだが、右側の髪型が男性特有の「美豆良(みずら)」だそうだ。

踊っているようなポーズの埴輪は他にもあった。

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ノリノリで、まるでサタディ ナイト フィーバーだね。

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陳列を目録の章立てで見て行くと第一章が「王の登場」ではじまり、続いて二章「大王の登場」、三章「埴輪の造形」と続くのだけど、何といっても目玉は「挂甲の武人」だ。

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リーフレットの写真を使わせてもらった

挂甲の武人5体が一堂に集められたのは史上初めてだそうだ。すべて群馬県での出土だ。国宝は一番左手のものだ。左から三番目の像はなんとアメリカからやって来た。(シアトル美術館蔵)

国宝の埴輪をしっかり見てみよう。

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兜の造形がなかなかリアルだ。

武人像は群馬以外でも発掘されている。

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左の武人像は大阪府の今城塚古墳での出土だ。右は女性像で「捧げ物をする女子」と名付けられている。出土は同じく今城塚古墳。なにか表情が3DCGアニメみたいだな。

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彩色復元された武人

1500年以上前に造られたものだけど最初にお披露目されたときはこんなに派手だったんだね。

展示品182体を全部紹介するわけにいかないけれど、一通り観て感じたのは学校時代に学び覚えた埴輪とはずいぶん印象が違ったことだ。

素朴なことは間違いないけれど、人物像でいえば表情がいい。穏やかであり、癒される。

動物もそうだ。建造物埴輪もかなりリアルで精巧だ。

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人物埴輪について新聞に面白い記事が出ていた。

千葉県の山倉1号墳からの出土埴輪について市原市埋蔵文化財調査センターの研究で明らかになったことが報じられていた。

埴輪の仕上げに関わった作業あとや工具などから、この古墳で埴輪づくりに関わった工人が少なくとも13人いたというのだ。なかでも1人のエースがいて「手のかかる人物埴輪などを一手に引き受けていた」のだそうだ。それでは他の工人の方々は何をしていたかと言うと、先にも出ていた円筒埴輪を作っていたようだ。人物埴輪の写真も掲載されていたけれど、たしか皆、良い表情をしていた。(朝日新聞12/13付 文化欄)

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楽器を奏でたり、跪いて挨拶したりと所作も表情も多彩だ。

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鳥たちが、こんなに生き生きと表現されている。

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見返り美人じゃないけれど、鹿たちが振り返り何を見ているのか?

建築物もこんなに見事な建物があったのかと驚かされる。

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たまたまだけどテレビを見ていたら、ちょうどこの時代に関わることが話題になっていた。「下戸 げこ」=(酒が苦手)のDNAについてタレント達が盛り上がっていた。

日本人の成り立ちの中で、従来の縄文人、渡来弥生人、そして混血と言う定説でなく、いわゆる3系統あるいは三重構造の混血の中で日本人が誕生しており、その中で酒の弱い遺伝子を渡来弥生人が持ってきたという話だった。

理化学研究所の研究グループによれば、縄文人となった人たちは2万から1万5千年前に大陸から渡来した人たちで、彼らホモサピエンスはアフリカを出発して前進し、途中で出会ったネアンデルタール人やデニソワ人とも交雑しながらDNAを引き継ぎ進化した(旧モンゴロイド)。大陸を横断しきって、海を越えて列島に到達した。

弥生時代には北東アジアに起源をもつ集団(新モンゴロイド)が、また古墳時代には東アジアの集団が渡来して混血が進んだ。

研究グループの発表によると縄文系遺伝情報の割合(祖先比率)は沖縄が1番高く28.5%、次いで東北で18.9%と出ていた。それが故、その地方には下戸が少ないんだ。

※旧モンゴロイドはアルデヒド脱水素酵素2の正常活性を持つ遺伝子型のNN型。白色人種や黒色人種はすべてNN型。だから縄文人系は、ヨーロッパ人などと同じく酒が強い。一方弥生人系・新モンゴロイドはND型(NN型の1/16の活性しかない)かDD型(活性が全くない)で酒が弱いか全く飲めない・・・のだそうだ※

そう言えば我が家族は、基本的に皆飲兵衛だということは、弥生系の遺伝子割合が低いのかな。

時代を越えて渡来し、日本民族を形造ってきた彼らだけど、たぶんそのころは列島はすでに大陸と地続きでなく、多分、筏や舟でやってきたのだろうな。

そんな彼らの船の発展途上を示す埴輪もあった。

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いや、埴輪についての認識を新たにすることができて、あわせて縄文、弥生、古墳時代についてもおさらいができた。面白かった。

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上野公園 博物館前広場の噴水

 

2024年12月13日 (金)

西田敏行さんが逝き、火野正平さんも亡くなった!近頃名を知る著名人の訃報をよく聞く。気がつけばみな戦後生まれだった。

西田敏行さんが2024年10月17日に急逝した。

このところ人気者が次々と、というくらい亡くなっている。

コロナがじわじわと蔓延し始めた2020年に報ぜられた志村けんさんの感染死(70歳没)には驚かされた。

それから4年となるが2023年には坂本龍一さん、谷村新司さん、八代亜紀さんとお亡くなりになった.

皆75歳前だった。

今年で言えば、西田さん死去のおよそ一か月後の11月14日、火野正平さんが追いかけるように亡くなった。

西田さんは11月には77歳になるところだった。火野さんは5月に75歳になっていた。

こんなことを書き始めた12月6日、突然、中山美穂さんの訃報が伝わってきた。なんと54歳だった。

彼ら皆、著名な俳優でありミュージシャンだった。ファンも多かっただろうと思われる。そんな活躍が際立ったタレントが亡くなると往々にして使われてきたのが「往年の名優・歌手」などであった。それは相応の活躍をされ余生を過ごした後の往生だったからだろうが、先に触れた彼らはまさに皆現役だった。

そして、みな戦後生まれだった。(1945年8月以降生まれ)

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何を感じたのか例年の二か月も早く開花した我が家の梅(12/12撮影)

西田さんと火野さんに話を戻そう。

西田さんが亡くなると、新聞で大きく報道されるとともに、テレビ局で急遽追悼番組が編成された。

昔懐かしいドラマからドキュメントまで何本も放映された。釣りバカなどは亡くなる前から各局でたびたび再放送され、テレビ東京などでは毎週放送されていたが、ここでWOWOWの再放送もあった。

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火野さんの出演作品は、亡くなる前からドラマがBSで再放送されていた。今も放映中の『にっぽん縦断 こころ旅「とうちゃこ」』では現役のリーダーとしての活躍が見られた。

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腰部骨折で体調を崩したあとも番組は終了せず代役を担ったタレントがピンチライダーとして自転車で走行した。長野、山梨から始まってリレー方式でバトンを受け継ぎ東海の各県を回った。今も本人が登場する回想番組が続いている。それに加え、再放送されている番組は主としてちょんまげを結った時代劇だから面白い。「剣客商売」「長七郎江戸日記」「八丁堀捕物ばなし」等など。

そのように亡くなる前から登場ドラマが放送されていた為か、火野さんは追悼という形での放送は現在までのところ無いようだ。

西田敏行さんの場合は亡くなった直後から追悼特集が組まれたことは先に触れたとおりだが、私は例のごとく可能な限り録画した。

そして何本かを視聴した。

西田さんの演技で最近強く印象に残っていたのはドクターXで演じた大病院の幹部役だろうか。

特に大名行列のような教授回診の先頭を行く姿が目に浮かぶ。

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11月30日に放映された「ドクターY 外科医・加地秀樹」の番組紹介の中で病院長を演じる西田について触れていた。

「ドクターXでは、(西田は)セリフのほとんどを即興で演じていたという。今作でも、迫力とおかしみが同居する西田(蛭間重勝役)の魅力は健在、あの場面も、この場面もアドリブなのだろうか。」と論評されていた。(朝日新聞11/3 番組欄 照井琢見さん記)

今回の追悼特集で視聴した内二本が印象に残った。

一つが田辺聖子さん著作の「ひねくれ一茶」が元になった「おらが春~小林一茶」(2002年NHK)。

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二つ目が植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」を原作にした「植村直己物語」(1986年東宝)。

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二本ともに面白く見ることができた。西田さんの若かりし頃からの演技は地なのか、Xのドクターとは全く違う印象だが、こんな人いそうだな、と思えるキャラクターを自然に演じていた。

ドラマ展開も面白かったけど、この視聴で私にとってプラスになったことは、なによりも登場人物である「小林一茶」と「植村直己」の認識が改まったことだ。

小林一茶は名だけは小学生のころから教科書などを通して知っていた。いくつかの句も様々なメディアを通して聞いていた。でも、学校ではその生活実態やら性格などは教えてくれない。

植村直己も希代たる冒険者だという認識があったが「こんな人だったのか」と改めて親近感をもたらしてくれた。西田を通してだったけれど、小林一茶と植村直己をもっと知りたくなった。

そこで、植村さんの著作を書店で探した。どこにも見当たらなかった。

アマゾンで検索した。あった。しかし、数少ないのか、注文したのだがまだ届かない。

届き読み終わったらまた感想でも書いてみよう!

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朝、まだ未完成のブログに思いついたことを少し書き加えて出かけた。そして先ほど帰宅した。

なんと「青春を山に賭けて」(文春文庫)が郵便受けに入っていた。

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よし、今年の年末はゆっくり読ませてもらうか。

そして、感想を一茶的に五七五でまとめてみるか!

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ところで、もう少しするとトランプさんが大統領に就任する。

それだけでも戦々恐々としていたのに、このところそれを先取りするような事件が相次ぎ、驚かされた。

韓国の尹錫悦大統領による「非常戒厳」とシリアのアサド政権崩壊だ。

アサドが早々にロシア・プーチンの下に駆け込んだと思ったら、ネターニャフがシリアに猛烈な爆撃だもんね。世界はどうなるんだ!

くわばらくわばら!

 

 

2024年12月 5日 (木)

我が家のカエデがやっと色づいた。そこへ修禅寺庭園四年ぶりの公開で紅葉見物との報が入った。

今年は夏が長く、秋短く、そのまま冬みたいなちょっと異なった季節の移り変わりだった。

まあ、これが始まりであり、以後ずっとこんな感じかもしれないけれど。

台風の発生やら動きもそうだったし、海の生き物たちの回遊の変化も報じられていたね。

我が家の庭もそうだった。我が家のカエデは昨年はシーズン到来とともに、綺麗な紅葉をみせてくれた。

ところが今年は11月の初めごろに、葉が紅変することなく枯れるものが現れた。

諦めかかっていたのだが、中旬過ぎたころか、少し寒くなったなと感じたところ、色づいた葉が目につき始めた。そして下旬、遅まきながら写真のようになってくれた。

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そんな時、伊豆市の修禅寺の庭園が一般開放されるというニュースが飛び込んできた。

四年ぶりだそうだ。

境内までは一度入ったことがあったが、普段は非公開になっている庭があるなど知らなかった。

この度は、庭内のカエデなどの紅葉も見られるというではないか。思い切って行って見ることにした。

修禅寺は鎌倉幕府二代将軍源頼家が執権北条義時との政争に敗れ、幽閉、暗殺された場所としても知られている寺だ。

到着!

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修善寺の温泉場はとても賑わっていた。それも、インバウンド客と思われる人々が多かった。

温泉街の狭い道を車が行き交い駐車場が何処も満車だった。なんとか停めて寺に向かった。

寺の門前には「独鈷の湯」がある。

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桂川河畔にある独鈷の湯、

空海が霊泉を湧き出させたと伝えられている

Img_15890人力車での回遊もいいかも

山門を入ると左手に大きな鐘楼がたっていた。

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正面に本殿がある。

その右側に別棟と結ばれた渡り廊下のようなものがあり、その床下高さ1メートル50センチにもならないところを「頭をぶつけないでくださいね」と案内の方に言われながらくぐると庭園があった。

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庭園は千聖(せんしょう)の森に続く裏山を生かし造成されて、池には達磨山山麓の水が引かれている。

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造営された庭は、それ自体は広大なものではなかったが借景とされた裏山が奥行きを感じさせ自然と人工が混然一体となった素晴らしいものだった。

本殿の向かって左側には、弘法大師立像が佇んでいた。

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その後部左手に檀信徒会館があり、そこには地蔵が並ぶ。

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竹林もいい雰囲気を醸し出している。

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日本海側は雨だ雪だと大変な思いをされていたのだが、太平洋側は好天に恵まれ、伊豆縦貫道から続く伊豆中央道の「道の駅ゲートウエイ」近辺での富士の眺めと川の流れはとても良かった。

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思い立ったが吉日・・・小トリップだったけど、なかなかいいものになった。

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