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2026年4月

2026年4月30日 (木)

ただいま桜前線は北海道内を北上中。我が庭に咲く草木も次から次へとバトンを渡し花を楽しませてくれる! 小動物たちも蠢き始めたよ!

 

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野花も美しい・・・梅の木の下で咲いた

桜前線は4月中旬には北海道に達し、現在北上中。道南から道央、道北で開花し満開を楽しめるそうだ。

そんな時、連れ合いの友人たちが、花見は今こそ北海道だと、函館に向かった。五稜郭の満開桜を目指したのだ。

「北海道、三陸沖後発地震注意報」が出ている最中だったので、ちょっと心配になった。でも、彼女達はサクラを満喫して26日無事帰途についた。その翌朝だった。震度5強の地震が北海道を襲った。函館は震度4だった。もし滞在中だったら、さぞかし驚いただろうな。まあ、良かった。

地震もそうだけど、山火事も酷いね。岩手県大槌町では一週間も続いたが、地元の方々や応援の懸命な消火活動と「慈雨」によってなんとか収まりそうで良かった。

ところで我が家でも満開が続いている。

ソメイヨシノに遅れること数週間となったが、先ずは桜桃が開花した。

2604081001401167 この桜桃、植栽してからはや10年ほど経ったろうか。最初はなかなか花を見せてくれなかったのだが、この数年漸く花をつけ、サクランボも見られるようになった。

とりわけ、今年は元気に花を咲かせた。これから紹介するが、温暖化の為かそれとも剪定が良かった?のか分からないが、どの花も例年以上の花を見せた。

桜桃が散り始めたころ、見事に咲いてくれたのがツツジだった。

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ツツジは、桜桃のすぐ下で育ってきた。

短い期間であったがコラボレーションも見せてくれた。

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次に満開となったのが、満天星(ドウダンツツジ)だ。

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そして、モッコウバラ。この花は我が家では最も多く花をつける。

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明日からはもう五月だ。咲きはじめて満開を迎えようとしているのが、シャリンバイ。

この花も、漢字で書けば車輪梅とウメが着くのだがバラ科だ。先般紹介した雲南黄梅もウメ種ではなかったけどね。

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シャリンバイは以前にも紹介したが、鳥が種を運んできて蒔いてくれたものだ。

最初ハクモクレンの樹下で芽を出し伸びてきた。そして、今は数カ所で花を咲かせているが一カ所は親株であり、ハクモクレンの幹を取り巻くように育っている。

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繁殖力が旺盛なのか、風に乗りやすいのか種をまいた覚えがないのに4か所で枝を伸ばした。一つは元の木よりも10メートル以上も離れたところで花を咲かせている。

発芽しやすいといえばヤツデもそうだ。春先から今頃にかけて、庭を見ると新しい芽が出て育っているのが見つかる。現在3か所で育っているがこれ以上は増やさないようにしている。また、上にも伸ばさないよう剪定する。以上が今年に入って現在までに、木本で花を咲かせてきたものだ。

成長途上でこれから庭を覆い始めるだろう木本種が、3種控えている。アジサイ、ランタナ、タイタンビカスだ。

他にも現在こんな花々が咲き競っている。

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ミヤコワスレ

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クリスマスローズも数か月咲き続けている

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カランコエも長く咲いてくれる

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毎年同じ場所に出現する 紫蘭 (シラン)

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ハタケニラ 花が着くまでただの草のようだけど美しい

小動物たちも蠢き始めた。

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蜘蛛も縄張りを広げようと奮闘している

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桃の葉の上で、二種の昆虫が何をしているのやら

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カメムシ 悪臭を出すので有名だが、世界で4万種も、いるんだって

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伸び始めたアジサイの葉に早速上り、作業を始めた蟻たち

日頃は警戒心旺盛で、人の影を見るとすぐに物陰に隠れる爬虫類のトカゲなのだが、昆虫たちに負けてはおられんと、活動が目立ち始めた。

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私が近づいても、どういう訳かジッと動かなかった。竦んでしまったわけじゃないよね。昔よく見たトカゲと彩色模様が全く違う。

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二匹目のトカゲ、最初の写真の一匹目とは種類が違うのか、保護色による違いなのか、どうなのかな。

でも、後者のトカゲの目は優しそうに見えるね。

それにしても、以前より爬虫類らしくなってきた。

今年もどうやら猛暑がやってきそうだ。

人間も、小動物も、花々も暑さにめげず頑張ろう!

そうそう、猛暑は自然の力、でも、中東やら東欧のイクサは人間の意志で止めなきゃね!

2026年4月23日 (木)

「酷暑日」が正式な予報用語となったけど、まだ4月だというのに「夏日」どころか「真夏日」もやってきた。 だからか、植物の生育が例年と違う!

年明けから、庭先に咲く花々の育ちがいい。

でも酷暑日が常態とまで言わずとも、発現率が高まったとしたら、生育どころか枯野になることも無きにしも非ず。素人でも分かる現在進行形の気候変動は、春と秋が短く、夏から冬へ、そして、すぐ夏へと言う変化を実感できることだ。

それはともかく、変動過渡期の現在は、温帯にある日本列島などでは草木にとっては酷寒よりも育ちやすい条件かもしれない。わが家の庭でも、野花や野草が育っている。

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昨年あたりから、クローバーが突然咲き広がってきた。

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野芥子(のげし)か?

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ハルジオン(春紫苑)

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「モチノキ」の根元に群生している可愛らしい小花。グーグルの写真検索でチェックしてみた。カタバミ(酢漿草)だった。まさに見てとらえたとおりの答えが出ていた。ハート型の小葉と黄色い5弁の花、そして夕方や日陰になると、花を閉じる睡眠運動を行うとあった。その通り。朝撮影しようと近づいたのだが、まだ睡眠中で花は閉じていた。しばらくして、開いた。再度挑戦し撮影。

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続いて改めて「モチノキ」を撮影検索。なんと結果は「クロガネモチ」とでた。解説内容はまさに目の前で立ち上がっている木そのものを描写しており、疑問にも答えていた。

この木、伸びてきたのを発見した直後、やはりグーグルで調べたのだが、その際は「モチノキ」と答えがでた。

伸びを見つけるしばらく前まで我が家に同居していたフレンチブルドッグの名が「モチ」だった。

すでに天国に召された後だったが、この語呂の偶然を生かして木の呼び名を「もっちゃんの木」とした。

クロガネモチが正確な名かもしれないが、引き続き「もっちゃんの木」と呼ばせてもらおう。

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ほぼ新葉に入れ替わったところ

この木について、昨年の春から少し疑問に思っていたことがあった。

常緑樹と聞いていたのだが、4月に入るか入らない頃から葉が黄変し落葉するのだが、同時に枝先に新葉が芽生えるのだ。そして旧葉が落ちるころ新葉はすっかり大きくなっていて、入れ替わり、裸になることなく輝きを増した姿になっていた。

グーグルにはしっかり答えが出ていた。

「春4月に新葉を吹き、葉が交替する」と。

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今年4月7日撮影の新葉

そして、この株は雌株だということも判明した。11月から2月に実が赤く熟すとあった。

まさに、赤い実がついていた。

この木、私自身植えたつもりはなかった。その答えも出ていた。

「野鳥が種を運び、庭などに野生えする」と。

そして、この木は各地の「公共団体の木」となっているらしく、近い所では「横浜市港南区の木」だそうだ。

九州まで行くと「福岡市」「久留米市」の木でもあるそうだ。

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栽培しているつもりはないのだが芥子の仲間も自生し花を咲かせた。

この花、毒性を持っており、肌が弱い人が触れるとかぶれるとか、他の植物の生育を抑制する物質を根から出すので駆除せよとも出ていた。まあ、風や鳥が運んできて、芽吹き花を咲かせたのだろうけど、自然の営みはなかなか面白い。

本当は、ここで我が家で満開となった花々を紹介しようと思っていたのだが、それらは次としよう。

 

2026年4月17日 (金)

甲府城!と言えば やっぱりオベリスクと満開桜かな!

カーナビをセットし、甲府城を目指した。

甲府城、別名舞鶴城を訪れるのは2度目だ。

調べてみたら、前回から早9年も過ぎていた。2017年2月の訪問だった。

走りながら街の様子を窺うと、以前に比べ大きな建物が増えたように感じた。

すると石垣が目の前に出現。

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2017年時に撮影、ここは今も変わらず

さらに駐車場を探しながら進むと、右手にJR線のものと思われる架線が見えた。

甲府駅の傍まで来たのだ。あったぞ地下駐車場の入り口。

進入した。でも、駐車チケットを得るゲートに行きあたらぬままに駐車スペースに着いてしまった。

表に出ると、そこはヨドバシカメラの店舗駐車場だった。

大きな爬虫類が歓迎し、送り出してくれた。

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客用の無料駐車場かな等と思ったのだが、戻ってきて分かった。

入り口ですぐ理解させられた。料金の精算設備があり、ディスプレイに駐車開始の凡その時間を入力せよと指示があった。次に車両ナンバーを書けと出てきた。

入力するや、なんと、我が愛車のナンバープレートが映し出されたではないか。入庫時刻まで表示された。

間違いなければ金を投入せよとでた。まさに監視社会。どこで我が身が盗撮されているかわからないね。

まあ、そのことで様々な犯罪者がつかまり、犯罪防止にもなっているのだからやむを得ないか。

でも、今どこかで画策されている「国家情報局」創設=日本版CIAはいらないよな。

駐車場のAI化とでも言おうか、初期投資は大変なんだろうけど、人手不足の折、また人件費などの経費削減にもつながるのだろうね。まあ、仕事を奪うなとも言いたくなるけどね。

このようなシステム、私は2度目の経験だった。地元で時々利用する公的施設でこの方式が採用されていた。だんだんと何処でもこうなっていくのかな。

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さて、舞鶴城公園 甲府城跡に着いた。「内松陰門(うちまつかげもん)」から入城した。

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突き当たりに見えるのは稲荷櫓(いなりやぐら)。ここは、江戸時代には武具蔵として使われていたとのこと。現建物は平成16年に再建された。

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自由に入館できた。ここには、城跡からの出土品やパネル展示があった。

石段を上ったところで、振り返ると公園の主要構築物が目に入った。

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天守台やオベリスクが望める。

碑の土台が16.4mと高く、加えて碑身自体が18.18mもある。城内のみならず、甲府市内の各方面からも見える。

建造されたのは大正11年(1922年)。石和でも各所で見た明治40年(1907年)の大水害に因む建造物だった。

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桜越しに見た鉄門と謝恩碑。桜もなかなか見事であった。

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家族連れなのか、あちこちでシートに座り花見を楽しんでいた。

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ここ甲府城(舞鶴城)は2000年代に入り整備事業が進められ、2006年に日本百名城の一つに選ばれた。

武田信玄が活躍したこの地であるが、この城は武田氏滅亡後に秀吉の命により築城されている。

江戸時代に入ると江戸城の防衛線として位置づけられ、徳川家から城主が送られたり、信頼のおける諸大名が城主となり甲斐国の統治拠点としてきた。明治に入ると建物が取り壊されることもあったが、昭和に入って復元事業が始まり、現在のような形で残ることができたようだ。

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遠くに雪山が頭を出していた。

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天気にも恵まれ、美しい桜も観ることができ、素晴らしい時を過ごすことができた山梨滞在だった。

2026年4月10日 (金)

久しぶりの名所旧跡訪問、先ずは武田神社!

「石和びゅうーほてる」、なかなか良かったよ!

で、何故ここを宿泊場所として選んだのか?

料理がいい、温泉がいい、アクセスがいい等などもそうだけど、実は集合メンバーの中にお犬様がお一人(一匹)いたのだ。最近はどの地でも、インバウンド客増などへの対応もあって、様々な点で寛容精神に触れることが多いのだが、動物共々宿泊となるとおいそれとOKにならぬのが実情。

よって、こちらのお宿はよろしかったのだ。

Img_33667_20260408171901  ペットと共に泊まれる和室が一室あったが、それなりの条件を示されたようだ。

三つの条件。①トイレの躾がしっかりできている。②無駄吠えしない。③噛み癖がない。

もっともな条件だ。

勿論、和風ホテルとしての良さもあった。

「趣のある和の粋に、雅な時が薫る」とのコピーを見た。

カウンターで手続きして振り返ると、ロビーの先に「雅」があった。

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中庭の池だ。鯉が優雅に泳いでいた。

露天風呂のある風呂場脱衣所から出ると池にかかる木道に通じ、傍に行くことができた。足を一歩踏み出すと、すかさず鯉が寄ってきた。

魚たちは私たちの姿がどのように見えているのやら。

わが家でも、上り端にちょっと大きめの金魚鉢を置いてあるのだが、その中で長生きし巨大化した金魚が二尾生息していて、朝方私達が傍に行くと、跳ねるように大暴れするのだ。「餌くれ・・・!」と。

与えると競うように食し、その後は当たり前のように知らん顔をされる毎日だ。

屋上から外を眺めるとこんな風景が目に映った。

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さて翌朝、出かけたのは武田神社。我が家族にとって初めての訪問となった。

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山梨は満開だと聞いていたが、ここも見事であった。境内に入るには周りに巡らせた濠にかかる橋を渡る。その名も「神橋」。実は甲府駅北口から真っすぐ伸びる道を歩くと、この橋に到達するのだ。まるで神社専用駅であり、参道のようだ。名は「武田通り」。

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私達は車でこの通りを抜けたのだが、両側がずっと桜並木となっていて、なかなか見事だった。

参道を進むと、最初に手水舎があった。

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そのそばに、こんな写真入り看板が立てられていた。

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神社から甲府駅に向かう途中に太宰治のかつて住んでいた家跡を示す石碑が立っているとの掲示だった。

それによると、太宰は昭和14年1月から8か月の間、妻と共に住み、いくつかの作品を執筆したそうだ。

そして、いま、私たちが見ている桜を彼も愛でたとのことだった。

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この日は吉日なのか、参拝者が長い行列を作り、また産後一か月前後と思われる赤ちゃん連れの夫婦が何組かお宮参りに訪れていた。さらにめでたいことに本殿では結婚式も執り行われ、賑わっていた。

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神主も巫女の皆さんも大忙しだった。

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神社のあるこの地は元々、武田氏の舘跡であり、神社は後年造られ、比較的歴史は浅い。

武田氏の評価も紆余曲折して、明治時代には信玄を悪人視する動きもあった。しかし、自由民権運動が発生する中で地域の偉人を崇拝する感情を尊重する方向に舵が切られ、大正に入り天皇の即位記念として武田信玄に従三位が追贈されるなどもあって、1919年に神社創建に至ったという。

この神社の御利益は「勝運」だそうだ。

いわゆる勝負事のみならず、「人生そのものに勝つ」「自分自身に勝つ」という御利益だそうだ。

境内は広かったが、社殿など建物はそれほど多くはなく、裏手に回ると、やはり戦国武将の舘跡だなという印象を持った。

社務所の近くに甲陽武能殿と名付けられた舞台があった。

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この名は、甲斐武田氏の軍学書である「甲陽軍艦」から引用されたもので、甲陽とは甲斐の国が輝く様であるとのこと。解説によれば古来より、武芸を嗜(たしな)む者は同時に舞も嗜むのだそうだ。武(ぶ)、舞(ぶ)で能を舞うんだって。初めて聞いた。

地域の歴史も少し掘り下げると面白く、もっと知りたくなる。

さあ、次は甲府城だ。

 

 

2026年4月 4日 (土)

一週間ほど前、山梨で桜が満開と報じられた。三家族で山梨に集合!

中央自動車道を西に進み、笹子トンネルに入った。

何度も通っているのだが、この日はどうしてかトンネルが随分長く、また照明が暗いことを感じた。

このところ新しくできた自動車専用道路をいくつか走ってきた。

山間部に新道路を通すのでトンネルが多いのだ。しかも、結構長い。でも道幅が広く照明もしっかりしていて快適だ。

新東名が典型例。

明るく広いので制限速度120キロフルであろうと怖さを感じない。まあ、それも危険だけどね。

笹子は、それらに比べてトンネルはさらに長く、照明の設置場所も光度も旧来の物だからなのか。

それはそれで年代物故か制限速度も所々で80キロ、場所によっては70キロなどに下げていたが、トンネル内での走行は緊張した。

トンネルを抜けると、暫くしてカーナビが笛吹八代インターを出てくださいと告げた。

一般道を進むとさらに右折せよと指示が出た。

なんと目の前に見事な桜が出現した。

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洋菓子銀座ウエストの山梨工場直売店の来客者駐車場の敷地だった。

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菓子も魅力を感じたが昼時にはまず飯だ。

道路を挟んだ向うに古民家をあつらえたようなレストランが見えた。

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桜を観つつ、レストランに入った。ところが残念、「間もなく、団体のお客様がお見えになるので・・・」と丁寧に断られてしまった。

やむを得ず車で進んだ。でも、カーナビによれば目的地は間近なようだ。

少し走ったところで目的地到着。

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実は、集合場所はここ。

石和温泉のホテル。「石和びゅーほてる」だ。

笛吹市の石和町。石和には何度か来たことがあったが、ほとんどが通過点であって宿泊は初めてだった。

皆との待ち合わせ時間は夕方5時過ぎ。

昼飯をいただきながら暫く散策することにした。

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ホテル本館の裏手にある駐車スペースにこんな観音像が立っていた。

傍にその由来が記されていた。

それによると、この辺りは明治40年以前には笛吹川が流れていてここは川の中だった。明治40年と43年の大水害で川の流れが変わって本流は他所に移った。その後20年ほど廃河川敷として放置されていたそうだ。昭和になって開墾、開拓が始まり、農業に励み、その結果、いま見られるような果実郷となった。さらに昭和36年になり温泉の湧出があって、脚光を浴びた。先駆者の努力があればこその現在であることから、開拓魂を忘れてはならないと、この地に眠る霊魂の加護と平和を祈り、有志によって白衣観音が建立されたとのことだった。

笛吹市の各所に「明治40年水害伝承碑」が建立されているが、それとは少し違ったようだ。

でも水害はひどいものだったようだ。233人が亡くなり、全壊1267戸、流出4500戸だというからすごい。そんなことを見ているうちにもう一つ知識が増えた。なんと山梨から静岡へ流れ駿河湾に至る富士川は、笛吹川が釜無川と合流した川だって。初めて知った。

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石和駅前

ホテルの近辺に食事処があるだろうと歩いたのだが、見当たらなかった。

石和駅まで来た。

駅周辺は、ホテルの周りと比べ、新しい建物が並び、モダンな雰囲気だった。

大きなショッピングセンターがあった。

ここならレストランか何かがあるだろうと当てにして入った。あった!漸く食事にありつけた。

ほとんど車で移動していたはずなのだが、万歩計は早、1万歩近かった。

ホテルへの道すがら見たイベント物やら桜はなかなかだった。

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石和温泉足湯広場

Img_32790Img_32812 先に進むと近津川用水(ちかつがわようすい)に出た。

この用水の両岸が東西1キロに及ぶ桜並木となっていた。さくら温泉通りだ。

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ホテルの前はちょうど中間点位だったろうか。

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そして、夜も!

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さあ、次は武田神社だ。

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