ウェブページ

2026年10月
日 月 火 水 木 金 土
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 2026年6月 | トップページ | 2026年8月 »

2026年7月

2026年7月30日 (木)

先輩が入院した!とても重篤だという。見舞いに駆け付けた!

先輩とは長い付き合いだ。山登りが好きで、たまに誘ってくれ、共に歩き一緒に汗をかいた。

このところはラインでのやり取りが主になっていた。

最近は、世の中が物騒と言うか先が見えない状況もあって、政(まつりごと)のよもやま話や、「文学」の話をしていた。

「文学」などと言うと何か高尚な印象を与えてしまうのだが、今回はたまたま先輩が物書き仲間と作る同人誌に小説を寄稿したことを話題にしていたのだけどね。私も読ませてもらい感想などを伝えてあった。

それが、突然の入院話になったのだ。

入院先は東京科学大学病院。

Img_61101

Img_61012

切迫した病状を伝え聞いていて心配だった。お会いしてみれば、横たわり痩せた姿は一瞬見紛うようであったが、変わらぬ笑顔を見せてくれた。

「昨日もアポなしで見舞ってくれた人がいた。今日もか」と笑いながら言った。私も「アポ取ろうとすれば拒まれるからね」と返した。奥さんもいらっしゃって、一時間近く世間話ができた。しっかり養生することを約して病院を出た。

ところで、この病院の所在地は以前には東京医科歯科大学病院があった所だ。

友人の家族が入院して見舞いに来たこともあった。

東京科学大学とは2024年10月に「東京工業大学」と「東京医科歯科大学」が統合してできた国立大学だ。

結果付属病院は以前の病院名を変えるだけでそのままの場所にある。まあ、追加工事や増設はあったかもしれないが。

ここへは電車で向かった。

御茶の水駅で降り、線路脇を流れる神田川を下に見て、お茶ノ水橋を歩いて渡るとすぐA~D棟までの四棟の大きな病棟が目に入る。

先輩はこのビル群のA棟15階の部屋に入っていた。眺めは良かった。

Img_6113 ただ、とても驚かされたのは、御茶ノ水駅がすっかり変貌していたのだ。隣の水道橋や秋葉原、そして飯田橋などは下車し街を歩くことがあったが、御茶ノ水は下車することも意識することもなかった。

電車を降りて改札への階段を目指したのだが、何か今までとは違う。

階段を上ったところで視界に入ってきたものに本当に驚かされた。

まさに未来へタイムスリップした思いだ。

眼の前に展開した景観は頭の中にあった御茶ノ水駅像とは大きくかけ離れていた。

Img_60901

以前はホームからの登り口が二か所にあって、秋葉原寄りの階段を上ると、どちらかと言うと狭めの聖橋口改札になり、水道橋寄りの階段を上ると御茶ノ水橋口改札となっていた。ところが、ホームを覆うように建物ができ両側の改札を広い通路が繋げていたのだ。それでも御茶ノ水橋口を出た所は古い面影が残っていた。

Img_60967

ところが聖橋口は全く変わっていた。

2607231136242256

聖橋から駅舎を眺めてみた。

2607231132428989

入ってきた中央線の電車の真上に、大きな建物が横たわっている。

Img_60934

まだ河岸工事が続行中だ。御茶ノ水橋から聖橋の方を見ると次のようだ。

Img_61003

ホーム上の二階建ての建物はエキナカ商業施設で「エキュートエディション御茶ノ水」との名称で昨年2025年5月に10のショップがオープンしたとのことだった。知らなかったー!

ところで、駅に関するこんな経験はこの数年で他に二回あった。一つは地下鉄銀座線の渋谷駅で降りた時だ。地下鉄ホームなのに下方に渋谷の街が見えたのだ。

もう一つは上野駅の公園口で降りた時だ。改札前の自動車道路が無くなっていた。

Img_05467_20260727103501

上野駅公園口 2023年8月 撮影

でも、今回の御茶ノ水ほどの衝撃はなかった。

都心の変貌は凄くて、面白い。

でも、28日の熊本の震度7と破壊には驚かされた。

こんな変貌はクワバラ、クワバラだね。

 

2026年7月24日 (金)

茹だるような暑さ、セミも早々に引き上げる。でも、花々は暦どおりに咲き誇る!

わが家のハクモクレンと桜桃の枝々に2週間ほど前からセミが立ち寄るようになった。

今年は飛来が遅いなと思っていたところ、一匹のクマゼミが鳴き始めたのが2週間前。

朝6時ごろから、シャ、シャ、シャ、シャーと。

ところが鳴きはじめから2時間もしないうちに静かになる。それが、ここずっとのセミの活動スタイルになっている。違うのはここ幾日かの間に一段と飛来数が増えたことか。

今朝など、鳴きだしはほぼ同じ6時頃だったが、音量が違った。

外で確かめた。ハクモクレンだけで8匹ほどが各枝に止まり鳴いていた。

Img_62323

レンズに収まった3匹、私を恐れず鳴き続けた

この集団が桜桃の葉陰でも鳴いているのだからすごい音量になるわけだ。

賑やかなのは嫌いでないから宜しいのだが、一つ心配なことは、ちょっと昔は、最初になき始めたのがアブラゼミだった。そして、続いて小ぶりのニイニイゼミが飛来し合唱が始まっていた。

クマゼミなどは滅多に鳴き声さえも聞くことがなかった。今ではクマちゃんだけだ。ミンミンゼミなどは散歩していると何処からともなく聞こえていたのだが我が家近辺では皆無となった。

酷暑化やら、開発の進展による地表面の変化・・・セミは土の質にこだわる所もあるみたい・・なども影響しているのかな。調べたところニイニイゼミは絶滅危惧種のようだ。

ところで先日、都内の公園を歩いていたら「ミンミンミー」の鳴き声が耳に届いた。ミンミンゼミにはふさわしい居場所があるのだ。少しホッとした。

昆虫はどうも温度に敏感のようだ。

かつては花々が咲きはじめるとアゲハなどがいつまでも庭の花から花へと飛びかっていた。

ところが、今朝もそうだったが、姿を見せたものの蝶にしてみれば猛スピードで飛び去ってしまった。

でも、何種かは木陰で休んだり、蜜を夢中で吸っているものもいた。

Img_60101

Img_62523 このチョウが吸う蜜の花はランタナだ。

今年に入って、各種の花の開花を紹介した。今回は第5弾だ。2月に紅梅、白梅、3月にはハクモクレンや桃の花。4月に入るとツツジやモッコウバラ。今年はかつてなく満開だった。

そしてひと月飛ばして6月にアジサイを紹介した。

アジサイはほぼ使命を果たし退きつつある。今を盛りに咲き誇るは、ランタナとタイタンビカスだ。

ランタナは別名七変化と呼ばれるように多彩な花をつける。

Img_58889

Img_60612

Img_62701

Img_62756

Img_625678

Img_62667

中には自然な形で自家受粉したのか初めて見るような花色を見せてくれるものもある。

そして、華やかに咲くのがタイタンビカス。

Img_57601

赤は白の後を追って10日後ぐらいに開花した。

Img_60167

さらに、庭を賑やかにしてくれたのが、何処からか飛んできたのか知らぬものの子孫達が活躍してくれている鬼百合だ。

Img_58256

暑い中で、へばって動きを止めていた者がいた。

Img_57290

玄関の前でじっとしていた。人が近づいても動きがない。死んだものとばかり思って塵取りに入れようとした。なんと動きだしたのだ。その内にいなくなった。

ニホンヤモリのようだ。

さらには、雨が降っても雷が鳴ってもジッと待機しているものもいる。

Img_60745

夏はやはり、水がいいねと遊ぶ者もいた。アメンボだ。

Img_61834_20260724172001

家の中に戻り、ふと曇りガラスを見ると何かが張り付いているような影が見えた。

そっと窓を開けると、なんと早朝からの鳴き合戦につかれたのか、網戸に張り付き羽根を休めるクマゼミがいた。

Img_62990

ゆっくり休んで、また元気に活動してね!

暑さはまだまだこれから、気を付けよう!

2026年7月16日 (木)

懐かしいなマレーシア、身内が久しぶりの海外旅行、東南アジアを満喫だ!!

某国大統領の千変万化とも言えるような言動もあって、期待した戦争収束も覚束なくなった昨今だけど、我が身内は危機を回避しながらマレーシア、シンガポールへの旅を楽しんできた。

中東での戦は東南アジア方面には直接災いが降りかかることはないものの日本と同様にじわじわと生活に影を落としつつあるようだ。

そんな中ではあったが、楽しい旅を終え、お土産と撮影写真を持って寄ってくれた。

私もアジア諸国を何度か訪れているけど、マレーシアは2007年3月に訪ねた。はや19年も経ったんだな!

今回はその時に撮影した写真と直近の写真で現地の様子を見てみよう。

今回の夕景写真には圧倒された。

1782171163062_20260715180201

マレーシア マラッカの水上モスク

17817073864_20260716162301

1781707386419

1781707386383

私もマレーシアで印象に残ったエリアはいくつもあった。

ペトロナスツインタワーもそうだ。1996年の完成だった。

事前に調べで分かっていたツインタワー建設での韓国と日本の企業の競い合いと協力に注目しながら出来栄えを見た。

Img_01934

2007年撮影 タワー1日本(左) タワー2韓国(右)

1781486335762

2026年撮影

バツ―洞窟も大変魅力的だった。

0535

2007年撮影

この長い階段を上ったところに洞窟がある。

現在はヒンドゥー教の聖地となっているのだが、1989年の平和協議まで、この地はゲリラのアジトだった。

今もミヤンマーやタイで続く軍事政権など、決して人々にとって安穏に暮らせているとは言えないものの、第二次世界大戦後から続いたベトナムやカンボジアでの戦争やここマレーシアでのイギリスからの独立戦争や内戦等々は収まり、現在は平和な日々が続いている。1940年代の日本軍の進駐など日本も無関係でないけどね。

0516

階段の上からふり返って見た

人々がハーハー云いながら洞窟を目指していると左手の岩の下の木陰から覗いているものがいた。

0267

猿の母と子だ。人を恐れず、また何かをねだるでもなかった。

さて、クアラルンプールでは夜ごとライブハウスでロックを楽しみながら、アルコールも嗜んだ。

0035

0027

その際のことだけど、たまたまその日その時間は外国人は私だけだったようで、リーダーらしき人がステージから降りてきて、私に声をかけ握手を求めてきた。マレー語でなくて英語でね。わかる範囲でうなずき対応した。演奏後の拍手のタイミングが良かったからかな?

市内も散策。

2304

中華街かな?

セントラルマーケットの中でこんな方ともお会いした。

1503

マンツーマンのライブもとても良かった。

そしてマラッカに向かった。

2987

左手はキリスト教会の遺跡だ。

外見はしっかりしている風だけど、中に入ると壁が周りを囲んでいるだけで天井のみならず屋根もなかった。

石造りなので雨が降れど大丈夫なんだね。

そして、右手に立つ方はかの有名なフランシスコ・ザビエルさん。

2968

近づいて拝顔すると、何か違う。日本の教科書で馴染んできた印象と違うのだ。

たまたま昨年2月に放映された放送大学の「歴史の中の人間 第7回 フランシスコ・ザビエル」の中で教科書でよく見た「ザビエル像」が紹介されていた。

Img_58513

17世紀初頭に描かれたとされている

そう、ヘアースタイルが違うのだ。マラッカのザビエルは現代人を思わせるダンディなヘアーだ。

日本に来た時とマラッカにいた時では歳が違うのではと思ったのだがそうでもない。

ザビエルは1506年4月生まれで、1552年12月に亡くなっている。46歳だった。若かったのだ。

生まれたのはスペインに併合されたバスク地方。

1541年になり、キリスト教伝道の旅を開始する。リスボンを出港して一か月後にインドのゴアに到着。

1545年9月にマラッカ。この時39歳。

1547年12月にマラッカで日本人アンジローと出会った。日本滞在中はアンジローが通訳を務めた。

いったんゴアにもどり1549年4月、ゴアから日本を目指して出港。43歳だった。

8月15日薩摩に到着。島津家では鷹揚に対応してくれた。

キリスト教への改宗者も増えつつあったが列島全域での布教は実現できずいったん中国大陸に渡った。

Img_58502

1552年になり中国・上川島で不運にも発病し、12月3日死去された。

マラッカのザビエルと日本滞在中の彼との年齢の差はわずかだ。ヘアースタイルの違いは日本での苦労が大きかった所為かな?

さて、我が身内はシンガポールに渡った。

17817073864

Img_57969

マーライオンのお土産だ。楽しい旅、そして無事の帰還良かった!

1781707386255

2026年7月 9日 (木)

「茅の輪くぐり」って知らなかった。近辺で「茅の輪」探しをしてみたら結構あったよ!

Photo_20260701172801

6月30日の数日前から新聞やネットで「茅の輪くぐり」と言う語が目についていた。

「茅(ち)の輪くぐり」とは神社の伝統行事のようだ。

記事では古来よりの伝統だったものが、少子高齢化などに伴う担い手不足などから実施できなくなってきたことも伝えていた。

なお、そもそもすべての神社が実施してきたわけでもないんだよね。詳しくは知らないけれど、同じく神社と名が付けど系統やら信仰などに違いがあるようだね。

Img_79857

私には神社はもっぱら祭の場だった!

私などは、幼い頃から最近まで、「茅の輪」も「くぐり」も知らなかった。実施する神社など近くになかった。見たことも聞いたこともなく育ち当然分からないね。

デジタル版新聞で「茅の輪くぐり」と記事検索をしてみた。なんと遡ること12年、2014年の記事までヒットした。各年とも、数件分の記事をまとめ、全国の神社で「茅の輪くぐり」が行われていたことを報じていた。

直近の記事は、地域の人達が宮司の呼びかけに応えて伝統行事としての「輪くぐり」を復活させたことを報じるものもあった。

そこで、我が住まい近在でどのくらいの神社が実施しているかを確認したくなり、ひとっ走りした。

もともと神々からは縁遠いものだった私は、鳥居などが主要道に面していて良く知られている神社は別として、何処にどんな神社があるかなどの知識・情報は無に等しかった。故に探索は一日では済まなかった。

結果、10神社も巡ることになった。

何と、そのうち4神社で輪をくぐることができたのだ。

複数の神々に祈るような、さもしい不埒な行動が怒りを呼んだのか、神罰が下ったかのように、その日の夕方から腰痛が始まってしまった。

Img_55878

Img_55890

何処の何という神社の名を出すことはやめよう。神々を比較したり、評価したりしたら、さらに神罰が下る。

素朴な印象から神々しいものまで様々な神社の個性を見ることができた。

Img_55945

Img_55989_20260701181101

 ところで、そもそもこの催事はどんな謂われがあるのか。なぜ「茅の輪」なのか。

或る報道で見たら次のように説明していた。

無病息災を願う「夏越しの大祓」を行うために「茅の輪」を作るのだそうだ。

「夏越」って「なつこし」じゃないんだよね。

じゃあ「大祓」は「だいふつ」でもない。

「夏越しの大祓」で「なごしのおおはらえ」って読むんだって。

Img_56489

Img_56545_20260702151201

それでは「輪」は何を材料にどう作るのか。

かや=茅を材料にして作るのだ。茅、つまりススキ、チガヤ、スゲなどの総称だ。

だもんで、最初、私は「かや」の輪と読むものだと思った。「ち」なんだ。

ある新聞記事に作り方が出ていた。

それによると「農業用パイプを組み合わせて、直径2mや3mの芯を作って茅を巻き付けるのだ」そうだ。

何故、茅か?

「茅(かや)」の由来は物事を清め祓うものと言われ、輪になることで、よりたくましい強い力を持つのだそうだ。

そして出来上がった茅の輪を潜るのだけど、ちゃんとした作法があって左、右、左の順番に「8」の字を描くように3回潜って参拝するのだそうだ。

Img_56701

Img_56712

それでは「何故、この時期(6月末)」かと言う疑問には次のような答えがあった。

1月以来の半年にたまった罪や穢れ(けがれ)を祓い(はらい)、心身を清め、この後の半年の健康と厄除(やくよけ)を祈願する神事だって。したがって、6か月後の12月末にも執り行われる。

4つの神社の「茅の輪」を撮影し、潜ることができたのだけど、私の無知はともかくとして知らなくて当然でもあった。

4神社の内、一神社は今年から開始、そしてもう一つは昨年からで第二回目だった。

コロナ禍の中で、町内会やら、自治会の集まりなど地域住民の交流が少なくなっているこの時期、神、仏はともかくとして、人々が集まれることは良いことかもしれないな。

2026年7月 2日 (木)

美術館の周辺も中々趣があった。感動しつつ石廊崎へ!

 仏教館の仏像たちの微笑みに見送られて外に出た。

庭の向うに観音像とアーティフィシャルな白糸の滝が見えた。

Img_54012_20260628111601

周辺は小高い山が取り囲み、木々が生い茂っている。

右手山腹に向陽寺。

オブジェの横に寺への登り口が見えた。

Img_54312

境内に入って驚かされた。

仏教館顔負けの石仏が立ち並んでいたのだ。

Img_54389

なにか既視感があった。

3年前に下田公園を訪ねた際、ロープウエイに乗って着いた寝姿山で見た石像群だ。

Dsc076001

2023年6月16日撮影

ここでは石像群は海を見下ろしていた。

Dsc076089

2023年6月16日撮影

Dsc076103

しかも、似ていたのは林立した像ばかりではなかった。

寝姿山の像の傍らには、法隆寺夢殿を模した御堂(愛染明王堂)があった。

Dsc076045

ここでも、同じような御堂があるのだ。先の観音像の左手の小高い所に見えていた。下田達磨大師の建物の一つだ。

Img_54567

Img_54578

寄ることができて、とても良かった。上原美術館には、改修が終わる2年ほど先にまた訪れてみるか。

仏像たちとお別れし、石廊崎に向かった。

石廊崎は下田市の隣町南伊豆町にある岬だ。

昔、小学生の頃だったろうか、父親の仕事関係の団体旅行で来たことを薄らと覚えている。

その当時は同じ天城越えでも、街道は整備も進んでおらず細い道がくねくねと続き、深い谷ぎりぎりにゆっくり進んだような記憶がある。大昔のことだ。

美術館を出ると、下田駅方面に向かった。駅傍の十字路を熱海方向とは反対に曲がり、数キロ走ったところで川の流れが見えた。流れに沿って下流に向かった。後で調べたら「青野川」のようだ。少し進むと海が見えてきた。

Img_54690

突堤の先に何かが造られていて人もいたのだが、不思議な感じがした。

そこから、沖を見ると美しい光景が広がっていた。

Img_54723

帰りも同じ道を来たのだが、行きとは逆方向から見えたのは、弓なりになった砂浜だった。

確信を持って言えないのだが、「弓ヶ浜海水浴場の南端」だったかもしれない。

海を眺めつつ一路、石廊崎を目指した。

Img20260630_13035

標識を見ながら前進した。最初に着いたところが「遊覧船乗り場」だった。

ちょうど遊覧から戻った船が桟橋に横づけになり客が下船していた。

駐車場の前で停めて様子を見ていると、切符売り場の叔母さんが声をかけてきた、「ここからも歩いて灯台に行けるけど、もう少し先の『石廊崎オーシャンパーク』の方が近いよ」と、わざわざアドバイスをくれた。

街中では、こんな風に気を回してもらう機会は少ない。

礼を言って車を走らせた。

Img_54745

駐車場に入った。向うに灯台が見える。

石廊崎オーシャンパークだ。

先に触れた父親たちとのバス旅行で訪れ、記憶していた灯台周辺と、全く違う印象だった。

Img_54801

14時近くになっていた。遅い昼食をとることにした。

260612135008284if_1_burst260612135

海鮮かき揚げソバだ。美味しく、値段も手ごろだった。

オーシャンパーク休憩棟の入り口の反対側の扉が灯台へ続く遊歩道に続いていた。

Img_54934

先ずは石室(いろう)神社の鳥居をくぐる。

しばらく歩くと、断崖絶壁と紺碧の海が見えてくる。

260612142018656if_1_burst26061214201

Img_55056

灯台に近づいた。

Img_54989

1871年にイギリス人建築士ブラントンによって建てられたというから、もう155年も経っているのだ。

さらに進むと、石室神社の社殿がある。

Img_55112

この階段を下る。

Img_55123_20260630161501

社殿の屋根だ。

Img_55167_20260630161601

なかなかの迫力だ。

そして先端まで行った。

Img_55345

ここには海上安全の神・熊野権現が鎮座しているのだ。

戻ろうと歩き始めた所、なにか神々しいものが目に入った。

Img_55301

百合のようにも見える花が、土もわずかな岩の間から枝もなしに開花していた。初めて見た岩に咲く不思議な花だった。

上原美術館、石廊崎、とても良かった。

明るいうちに再び伊豆縦貫道に乗り、帰途についた。

※そういえば、先日の台風7号、8号襲来の6月27日、所々で被害をもたらしたのだが、石廊崎から半島西海岸を北上した地にある波勝崎で土砂崩れがあったと報道されていた。そこの「モンキーベイ」というエリアに野生のサルたちが生息している。無事だったろうか。石廊崎も大丈夫だったろうか。神々しい花は?ちょっと気になるな。※

 

« 2026年6月 | トップページ | 2026年8月 »