懐かしいなマレーシア、身内が久しぶりの海外旅行、東南アジアを満喫だ!!
某国大統領の千変万化とも言えるような言動もあって、期待した戦争収束も覚束なくなった昨今だけど、我が身内は危機を回避しながらマレーシア、シンガポールへの旅を楽しんできた。
中東での戦は東南アジア方面には直接災いが降りかかることはないものの日本と同様にじわじわと生活に影を落としつつあるようだ。
そんな中ではあったが、楽しい旅を終え、お土産と撮影写真を持って寄ってくれた。
私もアジア諸国を何度か訪れているけど、マレーシアは2007年3月に訪ねた。はや19年も経ったんだな!
今回はその時に撮影した写真と直近の写真で現地の様子を見てみよう。
今回の夕景写真には圧倒された。
マレーシア マラッカの水上モスク
私もマレーシアで印象に残ったエリアはいくつもあった。
ペトロナスツインタワーもそうだ。1996年の完成だった。
事前に調べで分かっていたツインタワー建設での韓国と日本の企業の競い合いと協力に注目しながら出来栄えを見た。
2007年撮影 タワー1日本(左) タワー2韓国(右)
2026年撮影
バツ―洞窟も大変魅力的だった。
2007年撮影
この長い階段を上ったところに洞窟がある。
現在はヒンドゥー教の聖地となっているのだが、1989年の平和協議まで、この地はゲリラのアジトだった。
今もミヤンマーやタイで続く軍事政権など、決して人々にとって安穏に暮らせているとは言えないものの、第二次世界大戦後から続いたベトナムやカンボジアでの戦争やここマレーシアでのイギリスからの独立戦争や内戦等々は収まり、現在は平和な日々が続いている。1940年代の日本軍の進駐など日本も無関係でないけどね。
階段の上からふり返って見た
人々がハーハー云いながら洞窟を目指していると左手の岩の下の木陰から覗いているものがいた。
猿の母と子だ。人を恐れず、また何かをねだるでもなかった。
さて、クアラルンプールでは夜ごとライブハウスでロックを楽しみながら、アルコールも嗜んだ。
その際のことだけど、たまたまその日その時間は外国人は私だけだったようで、リーダーらしき人がステージから降りてきて、私に声をかけ握手を求めてきた。マレー語でなくて英語でね。わかる範囲でうなずき対応した。演奏後の拍手のタイミングが良かったからかな?
市内も散策。
中華街かな?
セントラルマーケットの中でこんな方ともお会いした。
マンツーマンのライブもとても良かった。
そしてマラッカに向かった。
左手はキリスト教会の遺跡だ。
外見はしっかりしている風だけど、中に入ると壁が周りを囲んでいるだけで天井のみならず屋根もなかった。
石造りなので雨が降れど大丈夫なんだね。
そして、右手に立つ方はかの有名なフランシスコ・ザビエルさん。
近づいて拝顔すると、何か違う。日本の教科書で馴染んできた印象と違うのだ。
たまたま昨年2月に放映された放送大学の「歴史の中の人間 第7回 フランシスコ・ザビエル」の中で教科書でよく見た「ザビエル像」が紹介されていた。
17世紀初頭に描かれたとされている
そう、ヘアースタイルが違うのだ。マラッカのザビエルは現代人を思わせるダンディなヘアーだ。
日本に来た時とマラッカにいた時では歳が違うのではと思ったのだがそうでもない。
ザビエルは1506年4月生まれで、1552年12月に亡くなっている。46歳だった。若かったのだ。
生まれたのはスペインに併合されたバスク地方。
1541年になり、キリスト教伝道の旅を開始する。リスボンを出港して一か月後にインドのゴアに到着。
1545年9月にマラッカ。この時39歳。
1547年12月にマラッカで日本人アンジローと出会った。日本滞在中はアンジローが通訳を務めた。
いったんゴアにもどり1549年4月、ゴアから日本を目指して出港。43歳だった。
8月15日薩摩に到着。島津家では鷹揚に対応してくれた。
キリスト教への改宗者も増えつつあったが列島全域での布教は実現できずいったん中国大陸に渡った。
1552年になり中国・上川島で不運にも発病し、12月3日死去された。
マラッカのザビエルと日本滞在中の彼との年齢の差はわずかだ。ヘアースタイルの違いは日本での苦労が大きかった所為かな?
さて、我が身内はシンガポールに渡った。
マーライオンのお土産だ。楽しい旅、そして無事の帰還良かった!







































































































































































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