十代後半から二十代ぐらいの頃は、仲間の中で本が話題になれば、書店に立ち寄り買い求め、電車の中やら、喫茶店でコーヒーを飲みながらなど、それなりに読むことができていた。
その後、車通勤になったり、仕事の忙しさにかまけてとかで書籍を購入はするものの「積ん読」状態が増え、さらに映像録画機器の改良進歩と、そんな機器を入手できたことで、結果、残したい映画等の「録して観ず」状態が常態化した。つまり現状、読むべきものやら観るべきものに数多囲まれているのが実情だ。
そんな日々ではあるのだが、時折、新聞記事やらエッセイが目に止まり、目を通すことで何とはなく動機づけられ、クローゼットの奥などから本やら録画ディスク等を引っ張りだし読み、観始めることがある。
今回もそうだった。
8月2日付け朝日新聞オピニオン欄で映画監督塚本晋也さんがインタビューを受けていた。
タイトルは「『野火』の上映は続く」、サブタイトルに「戦争ダメの熱薄れ、不安増す世の中、世界の底が抜けた」。
たまたまではあったが最近「野火」が気にはなっていた。
どういう分けか、ずっと以前に録画したのか、Blu-rayのケースに書いてあったタイトル、「野火」が目についていた。でも、すごく凄惨でドキュメントタッチの映画だということを聞いていたこともあって、観るのを先延ばしにしていたのだ。
そこで、塚本さんに触発されてなのだが、遅くなったけれど原作「野火」(大岡昇平さんの文庫本)から取りかかってみるかと言うことになったのだ。
初刷は昭和二十九年四月だ。約七十年前だ。読み始めた文庫は平成二十九年八月の百十七刷だったけどね。文庫表紙に広告帯が巻かれたていた。そこに"NHK 「100分de名著」で話題!"と出ていた。
この番組、今も放送が続き、時々観るが、もしかしたらその時も、視聴しており、さらに録画もしたかもと探してみた。
あった。2017年(平成29年8月)に録画したDVD があったのだ。もう8年も前のことだね。結局、番組に刺激され、文庫本を買ったみたいだ。でも、やはり積んでおいたんだな。
塚本さんのインタビューは次のようなお話だった。
今から10年前、2015年7月に映画「野火」(監督・主演 塚本晋也)を製作し公開した。塚本さんは以来10年もの間、終戦の日に合わせて「野火」の上映を続けてきた。
それは、戦争への不安、嫌悪感を伝えたかったからだそうだ。
その嫌悪感について「いきなり弾が飛んできて、体から内臓が噴き出て、人生が終わる。そんな戦場を肌感覚で体験してほしいと思って(映画を)作りました。殺されるのはもちろん、人を殺すのは、どれほど嫌か。理屈抜きで戦争への嫌悪感を伝えたかったのです」(2025年8月2日付朝日新聞オピニオン欄)と。
そして、福島の原発事故も製作を促した。
核のごみを何万年も地下に埋めることに驚愕し、地形が変化したらどうなるかという思いがあった。
しかし原発推進当事者は「未来の子供たちの危険よりも目先の経済を重視」「一人一人の命はそれほど大事にしなくていいんだと言われているような気がして、これは戦争とつながっていると感じました」。そして与党の憲法改正草案にも驚かされ、もう待っていられないと、映画の自主製作を決めたそうなんだ。
そんなお話を聞いて私もそうだそうだと賛同しながら、先ずは原作を読む決意を固めたわけだ。
ちょっと時間がかかったけれど、なんとか読了した。
文庫本の巻末に吉田健一さんが解説を書いている。
大岡作品について驚くような評価をしていた。
「日本の現代文学に、始めて小説と呼ぶに足るものが現れたという感じがする」と。
ただ吉田さんの執筆は昭和29年4月だから、およそ70年も前だもんね。その後川端さんや大江さんがノーベル賞を受賞しているからな。
トランプさんはまだだけどね。あ、彼は文学でなく「平和」賞狙いか。
私は文学論は語れないけれど、大岡さんの表現されたことは文学的言い回しやら、使われた語彙でしっかりイメージできた。
いずれにしても、その描写で凄惨な現場が頭の中に広がった。
戦場と言うよりも、まさに腐臭漂う現場だった。
歴史写真館 村田さん撮影 1944年学徒出陣
♬~勝って来るぞと勇ましく、ちかって国を出たからは、手柄たてずに死なれよか~♪(露営の歌 作曲古関裕而)
と、家族と涙ながらに分かれたのだが、第二次世界大戦で日本人はおよそ310万人が亡くなった。
その内軍人・軍属は230万人も死に至った。さらに驚かされるのはその死者の内60%以上の140万人が戦闘ででなく、餓死やマラリヤなどの病死だというからひどいではないか。
よく引合いに出されるのがインパール作戦だ。東インドのインパールへの侵攻作戦だが。イギリス・インド軍の猛攻と補給の途絶で悲惨な退却となった。この地では兵士の8割以上の3万人が飢餓と病で命を絶たれた。
インド北東部kohimaからビルマへの撤退途上の日本軍
様々な戦場で軍上層部は自らの戦闘能力の過信・・つまり相手の戦力を正しく見ないことや自軍の武器や食料の補給を無視しての作戦実行で、そんな結果を招いた。
野火の舞台となったレイテ島はフィリピンの島の一つなのだが、この地では、もっとひどかった。
派遣された兵士8万4000人の内9割近くの8万人が命を落とした。
フィリピン全体での戦死者は50万人にも上ったと言われているが、その内の40万人が餓死だそうだ。
「野火」ではその実態が見えてくる。
当然、現地で先祖代々生活してきた人達の多大な犠牲も。
戦争はジャングルでなくとも飢餓をもたらす。ガザ、食糧空中投下。
Microsoft Bing
いずれにしても、これら提示している「事実」については厳密なるファクトチェックが必要なことは言うまでもない。そんな中で、面白いことが検索でヒットした。
「総力戦研究所」だ。
太平洋戦争直前の1940年9月に設立されている。
内閣総理大臣直属の機関であり、官民軍の垣根を超えた純粋な研究機関だったそうだ。
研究の中でも特筆されるものとして二つが挙げられていた。
一つは「皇国戦争指導機構ニ関スル研究」。
陸海軍の統帥権に関する提言で、総力戦段階に適合した戦争指導は軍部による統帥権独立はふさわしくなく、「政府を戦争指導の実行責任者とする機構。陸海軍は『強力なる支援』の立場にあるべき」というものであった。
二つは「第一回総力戦机上演習総合研究会」で報告されたもの。
その結論は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争末期にはソ連の参戦もあり、敗戦は避けられない。ゆえに戦争は不可能」と言う「日本必敗」のシナリオだった。(出典 Wikipedia、読売新聞オンライン、飯村和彦さんBLOG)
真珠湾攻撃:映画「Pearl Harbor」より
そしてこれらの報告は当時の近衛文麿首相や東條英機陸相などの前で行われたが、東條英機の「これはあくまでも机上の演習」「軽はずみに口外するな」で内密にされ、結果「必敗」の戦争に突入していったのだそうだ。思い上がりと忖度の蔓延か。いや、異論発言必罰か。さらに、国籍問わぬ普通の人々の命の軽視。
そして、戦争から80年が過ぎた。
ぴったり80年目の8月15日の朝日新聞天声人語に「第二次世界大戦では、飢餓や栄養失調に関連する病気で少なくとも2千万人が亡くなった」とでていた。
昨日10月1日の天声人語も面白いエピソードを紹介してくれた。
終戦直後、当時外相だった吉田茂が戦後の危機的状況を前にしてGHQ に数百万の餓死者が出そうだと救援を求めた。ところが、後にマッカーサーに数字がでたらめだと叱られた。それ自体面白いが、吉田茂の言い分けがいい。
「当たり前だ。統計が正確なら、あんなバカげた戦争はしない」だって。
戦争、内戦が止まらない。やはり、塚本さんなどの意思と実践は大事だ。
さあ、映画「野火」を観よう。
先ずは1959年の市川崑監督作品から、そして塚本晋也監督作品だ。
白彼岸花も見事に咲いた!
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