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映画・テレビ

2024年4月26日 (金)

やはり、朝ドラは放映翌年にまとめて見るのがいいね。ブギウギ一気に102 話!

4月8日をスタート日として朝ドラ前年放映の「ブギウギ」を見始めた。それから三週目に入った。主人公は言わずと知れた福来スズ子(モデル笠置シズ子)。

一話の幕開けは終戦から三年後、昭和23年の東京の劇場。

舞台で福来シズ子がダンサーと共に「東京ブギウギ」を歌い踊る場面からだった。

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NHK朝ドラ「ブギウギ」第一週より

これを視聴して以来、なにかというと頭の中で「東京ブギウギ、リズムウキウキ、心ズキズキ、ワクワク」の冒頭部分が鳴り響く。しかも笠置シズ子でもなく趣里でもなく自分の声でだ。

そんな感じで始まり、最初の一週間で28話まで進み、スズ子は梅丸少女歌劇団へ入団し、歌と踊りの世界に進んだ。

1話から5話までは子供時代だ。最近いつもそうだけどドラマに登場する子役の名役者ぶりには本当に感心する。様になっているのだ。

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6話から10話は歌劇団入団から6年経った頃からだ。

この時、日中戦争が勃発する直前。

1928年には張作霖爆殺事件、1931年(昭和6年)には柳条湖事件から満州侵略戦争に突き進んだ。世の中だんだんきな臭くなっていく。

11話から15話では昭和恐慌の影響もあって歌劇団は人員整理で凌ごうとした。

そこで持ち上がったのが「桃色争議」だった。歌劇団員がストライキをするというのだ。

結局争議はうまく展開したが、これをきっかけとしてスズ子は東京に行くことになった。

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1938年には運命の作曲家羽鳥善一(モデル 服部良一)との出会いがあった。羽鳥を草彅剛が演じた。楽曲演奏、歌唱スタート時の「スリー、トウ、ワン、ゼロ」のかけ声が当時の時代背景の中にあっても状況におもねることなくモダンでとても良かった。

それから三年後、太平洋戦争開戦の二日前(昭和16年12月6日)、勇んで出征した義理の弟がインドシナ半島沖で戦死した。

スズ子にとって大変なショックだった。

1943年には婚約者となる村山愛助(モデル 吉本潁吉)と出会うことになった。

この話の元になった実話にも驚いた。

彼、「愛助」は吉本興業の創業者の次男、吉本潁吉だった。同棲していた二人の間に女の子が産まれたのだが、悲しいことに潁吉の病死直後だった。その女の子は無事成長し現在も健在で吉本創業者の唯一の血を引く者だというから凄いね。

先週末には早くも第61話まで進み、茨田りつ子(モデル 淡谷のり子)さんも福来スズ子さんも兵士や市民への戦時慰問活動に忙しく動いていた。そして広島に原爆が投下されたという話も出てきた。

そして今週に入って102話まできたのだ。終戦後の闇市での出会いもあり紆余曲折ながらスズ子は活躍を続ける。そして子育てしながらも銀幕の女優、ブギの女王として活躍するようになった。

物語の残りを来週中には見ることができるかな。

ところで、笠置シズ子さんは1985年に70歳で亡くなられていた。

私は彼女の存在と顔は知っていた。TV ドラマや映画にも出演されていたようだが、多分リアルタイムには一度も観たことはなかったような気がする。ウィキペデイアで見たところ黒澤明監督の「酔いどれ天使」にも出演したとあった。もしかしたらと我が家の録画ライブラリーを探ったがなかった。

顔を知ったのは雑誌かなにかで見たのか、訃報を知らせるニュースで見たのか定かでない。その姿をみたいと思った。「もしかしたらあるかも」と調べたのが武田鉄矢さんの番組だ。

その名は「武田鉄矢の昭和は輝いていた」だ。

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ありました。2023年4月7日録画 BS テレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていたスペシャル[10周年記念!東京への思い・・・昭和歌謡曲]」で笠置シズ子さんが紹介されていた。しかも歌っている動画まで。

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BSテレ東2023年4月7日放映

観ることができて、しかも番組出演者のあれこれのコメントもあって、笠置シズコさんを以前よりは理解できるようになった。

ところで現在の世相(ウクライナ、ガザ、ミヤンマーなどの殺戮)も反映してか、ドラマを通してストレートではないものの戦争は良くないという意思は伝わってきた。

でも、現実では為政者は戦争をやめさせようともせず、自らも戦争を絶対回避しようとも努めず結果として物騒な状況を推進している。

この一週間ばかりの動きだけど、岸田さんは訪米中にバイデンさんとファーストネームで呼び会う仲だとアピールしながら、本来ならば国内でじっくり議論し検討しなければならないあれやこれや、国民の税金の支出が伴う巡航ミサイル大量購入などの軍装備のアメリカからの調達を、あたかも自腹を切るかのように約束してきた。アメリカ軍需産業は大喜びだ。敵基地攻撃能力などもっての外だ。

その矢先、ヘリ二機が衝突する事故も起きた。

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25日の新聞朝刊一面を見て驚いた。麻生さんの行動だ。

首相が現役大統領と会ったばかりだというのに、太郎さんはトランプさんと会談をしているのだ。

麻生さんは「トランプ復権」を睨んでのことだと仰っているが、バイデン陣営からしてみると「二股外交」であり大ヒンシュクものだととらえたようだ。

この辺りの情勢というか、捉え方について共感できる新聞インタビューがあった。

朝日新聞2024年4月19日朝刊13面オピニオン&フォーラム 元内閣官房副長官補 柳沢協二さんへのインタビューだ。タイトルは「戦争の犠牲 目背けずに」「戦地に『命』送る側 臆病であるべきだ イラク派遣の反省」。これぐらいにして詳しいことは折を見て。

笠置シズコさんに戻るが、私自身ほとんど彼女については知らなかった。そこでネットで調べたのだが、その中でウィキペデイア(wikipedia )の彼女に関しての解説文の長さには驚いた。

印刷モードで見たらA4判36ページにも及んだ。

トランプさんがわざわざ会ってみようと思った麻生さんも検索してみた。さすがだった。

なんと笠置さんの倍近く71ページもあったのだ。世界中に情報発信しているのかな。これじゃあ、トランプさんも会う価値ありと思ったのか。

参考に同時代を生きた淡谷のり子さんは14ページ。山口百恵さんは25ページ。

ついでに岸田文雄さんは43ページもあった。

いや勉強になりました。

2023年5月18日 (木)

このところオードリー・ヘプバーンの名をよく見たけど、幾つかの節目が重なっていたんだ!

4月4日の夕刊「美術館博物館」情報を見ていたら「オードリー・スタイル 飾らない生き方」と言うタイトルの写真展が開催されることが出ていた。

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朝日新聞4/4付夕刊より

調べたところ上記のタイトルで2020年から国内巡回が始まっており、今も、静岡で開催されているようだ。

もう一つ別の「オードリー・へプバーン写真展 AUDREY  in  Cinema 」は2017年から巡回が始まっていた。現在、熊本で開催中だ。

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最近、よくオードリーの名前を聞いたり見たりすることがあった。どうやら何周年と話題にできる節目があったからのようだ。

2019年が生誕90年(1929年5月4日生)。そして2023年の今は「ローマの休日」公開70周年(1953年公開)。さらにオードリー没後30年だった。(1993年逝去 享年64歳)

このような区切りは、天国に召されたご本人よりも残されたものが思い出を振り返るのにいいね。

実際、節目に関わるイベント等に触発されて、場合によっては宝の持ち腐れになってしまう物を再発見、再浮上させることになる。

今回も写真展を訪れたいと思ったけど、あれこれ重なり行くことを断念した。

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たまたま電車のつり広告で見た

そこで、我が家の録画ストックからオードリーを探した。良いものが出てきた。

幾つかのドキュメントと映画だ。

本は積ん読もいいけど少しずつでも読んだ方がよいし、ビデオも録画しっぱなしより観ないと本当にもったいない。

観たのは三つのドキュメントと二つの映画。

オードリー・ヘプバーンについて改めて理解が深まった。写真展で見られたかもしれない写真もディスプレイを通して一部であろうが見ることができた。

危うく宝の持ち腐れになるところだった録画が生きた。

ドキュメントの一つはスター・チャンネル「オードリー・へプバーン特別番組 Audrey  Hepburn  A  to  Z 」(2019年1月24日録画)

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「Audrey Hepburn A to Z」

アルファベット順に作品とエピソードや生い立ちまでを紹介した。

有料放送のスター・チャンネルだけど、その後に予定されていたヘプバーン特集のコマーシャルだったことから無料で視聴できた。 大づかみであったが彼女の生い立ちや映画界に入るきっかけ、そして作品群について知ることができた。

さらに、掘り下げて教えてくれた番組が二つ。

一つは「武田鉄矢の昭和は輝いていた 永遠の妖精 オードリー・へプバーン」(BS テレ東2019年10月4日録画)

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ファシリテーターは武田鉄矢さん。ゲストはオードリーと親交を結んでいた加藤タキさん(1971年のCM 撮影で接点が出来て以来)とオードリーについての著書「オードリー・ヘプバーンという生き方」がある山口路子さん。

三人のお話を聞いて私が知っていたオードリーは本当に一部であって、それも幾つかの主演映画のタイトルと顔や容姿だけだったと自覚することになった。

オードリー本人が言うように、生まれも育ちも「もし私が犬なら、ごちゃ混ぜの雑種ね」の通り多事多難な生い立ちだった。国籍はイギリスで、生まれたのはベルギー、父親はアイルランド人、母親はオランダ人、そして父は彼女六歳の時に家を出ていってしまった。母との生活の場はオランダだった。そこで第二次世界大戦の戦禍に見舞われ、餓死寸前の状況までに追い込まれた。幼い頃から励んだバレーも身長が高すぎることで諦めた。そして生活のため映画界に。

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ところどころで彼女の人生観が紹介された。

「私たちには生まれたときから

愛する力が備わっています。

それは筋肉と同じで

鍛えなくては衰えていって

しまうのです。」

「自分を客観的に

見なければなりません。

ひとつの道具のように

自分を分析するのです。

そして欠点から

目をそらさずに向かい合い

欠点以外のものに

磨きをかけるのです。」

なるほど!!!

 

二つ目の番組は「ザ・プロファイラー 永遠の妖精の知られざる苦悩 ~オードリー・へプバーン」(NHK BS  2018年12月20日録画)

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 MC 岡田准一さんの歴史エンターテイメントだ。

ゲストは斎藤由貴さん、立川志らくさん、そして眞鍋かをりさんの三人。

この番組のため取材して浮上したことや、三人が語ったエピソードも興味を引いた。

プリマ・バレリーナを目指した彼女は秘密のバレエ公演に出演し、得た資金を対ナチスレジスタンスに提供し、そればかりでなく連絡係も努めていたという裏話も出た。

マイフェア・レデイで自身の歌唱が認められず吹替えにされたことや、その後9年間も映画界から姿を消したことなどもはじめて知った。

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59才でユニセフ親善大使に任ぜられ63才で亡くなるまで身命を賭して活動をした。

このドキュメントも、当然オードリーの生涯をたどったものであったが、前者ドキュメントと相互補完するように彼女の全体像を浮かび上がらせてくれた。

そして特にこちらプロファイラーでは期せずしてゲスト達の人生観なり映画観を語らせた。

MC そしてゲストの皆さんが語った。

斎藤由貴さん「オードリーは世界の現実に直面した時、自分にできることは何か、考えずにいられなかった。」

立川志らくさん「映画に出るよりユニセフの活動のほうが自分らしいと気づいた」

眞鍋かをりさん「家族の愛に囲まれるようになったことで『人のために何ができるか』考えるようになった」

岡田准一さん「純粋さを持ち続け、最後まで美しく生きたことで自分たちに人生を考えさせてくれる人」

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オードリーの晩年の言葉も残されていた。

「子どもたちの幸せこそ大人の最も重要な責任。

大人たちが戦うことで子どもたちは死にます。

平和こそ、私が望むものです。

平和がなければ、

私たちは何も生み出すことができないのです。」

 

映画は二本観た。

一本は「パリの恋人」(1957年公開 監督スタンリー・ドーネン 共演フレッド・アステア)。

オードリーのダンスは素晴らしかった。さすがプリマを目指した人だと感服した。それと音楽にジョージ・ガーシュウィンが関わっていたり、衣装をジバンシーが用意したりと、現在振り返るとすごいなと思うメンバーだ。

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 「パリの恋人」よりダンスシーン

二本目は「許されざる者」(1960年公開 監督ジョン・ヒューストン 共演バート・ランカスター)。

スットクの中に同じタイトル「許されざる者」が他に二本あった。

一つは1992年の作品でクリント・イーストウッドの監督映画。

もう一本は2013年の日本映画で監督李相日、主演渡辺謙だった。日本映画は1992年のクリント作品のリメイクだった。これはアカデミー作品のリメイク邦画としては初物だった。そして、二本ともオードリー映画とは全く別物だった。

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 久しぶりの西部劇観賞となった。テキサスの荒野が昔懐かしく感じた。

物語はここで暮らし働く牧場主たちと先住者であるカイオワ族との確執が柱だ。先住者と植民の描きかたが差別という点で過渡期にあったなと感じた。

昔は先住者を一律インディアンとして悪者にしていたような気もしたが、そこはちょっと違った。

カイオワ族を少し調べたら、テキサスやらアリゾナだけにとどまっていたわけでなく、なんとマヤ族がいたメキシコから南米まで遠征したこともあったようだ。当時のアメリカ政府はそんな人たちを狭い居留地に押し込めたのだからひどいって言えばひどいね。

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 まあ、それはともかくオードリーは、「ローマの休日」の姫でもなく、「パリの恋人」のファッションモデルでもない演技を見せてくれた。

良かったよ!

 

 

 

2022年12月 9日 (金)

崔洋一監督が亡くなった。松田優作に引っ張られたんだって! そして、偶然の発見、これは奇跡か?

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崔洋一監督が11月27日に73歳の若さでお亡くなりになられた。

4月に開催された「崔洋一 トークイベント・ラストショー」において今年の始めに彼自身が公表した癌に罹った時のことを語った。

「病名を知ったときは、優作に30年後に引っ張られたのかなと、不思議な気がした」(The SANKEI NEWS 11/27)

たまたま30年前に逝去された松田優作さんと同じ部位の癌だったのだ。

崔さんと優作さんは同い年で27歳から亡くなるまでの13年間付き合った仲だったが、人前に出るときは「監督と著名な俳優を、お互いに装っていて」、周りに与えた印象はクールな関係であったようだ。

でも、いつも優作さんの命を奪った癌への恨みを口にしていたそうだ。(ディリー新聞 11/28)

ご冥福をお祈りします!

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寒さが本格的になってきた今なのに

ヤツデは満開で、朝から小さな虫が群がっている

崔さんが6月に朝日新聞の連載「人生の贈りもの」に登場し、読み始めた。それが面白く、彼の監督作品及び出演映画を観ることになった。そのことは既にブログに書いた。(2022年6月18日付)

たまたまチャンスがあって知り、興味を持つようになったことで、それまで何とも感じなかった事が面白いことになると言うか、もっと知りたくなるというのも楽しいことだ。

崔さんの映画人生やら優作さんとの出会い等の感想をしたためたブログの最後に「さあ、次は松田優作さんの映画を何本か観てみるか」と次の映画観賞目標を書いた。

その時、観てみようと思ったのが崔さんのお薦め作品だった。

崔さん曰く「松田優作という立体像を結ぶためには、ドラマ『探偵物語』と映画『家族ゲーム』、『ブラックレイン』があれば十分だと思います。彼は燃焼しきって亡くなった。そんな俳優がいてもいいんじゃないか。」(2022/5/19 人生のおくり物)

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今年はアロエが久しぶりに開花しそうだ

これら作品なら全部我がライブラリーにあるぞと喜んだ。

ところが、我が家にあった「探偵物語」は角川映画の薬師丸ひろ子と松田優作共演の作品だった。(1983年公開)。優作主演でタイトルが同じであるものの全く別物だった。崔さんの言う「探偵物語」は連続テレビドラマの「探偵物語」(日本テレビ:1979年9月から1980年4月まで全27話)であり、伝説化されたドラマだった。

がっかりして、映画鑑賞はストップした。

ところがである、神の御導きと言うしかないのだが、テレビの番組表を眺めていたら、目に留まったのが「探偵物語」。気になり、制作年月日やら出演者を調べたところ諦めていた幻の番組の再放送ではないか。

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見つけたのは2022年9月18日日曜日。放送日は9月22日(テレビ神奈川:TVK 毎週木曜日)。早速録画予約をセットした。残念というか、まだ良かったといった方がいいのか、一話、二話は放映済みで第三話からだった。でも、まだ二十五話もある。諦めていたものとこんな風に出会えるなんて一種の奇跡だ。(現在は11話まで録画)

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奥様が7月に誕生日プレゼントとしていただいたアンスリウム。長持ちだ。

はや、師走であるが、ここにきて松田優作ドラマを観た。

先のお勧め作品等については、同じく盟友であった水谷豊さんも語っていた。

「『最も危険な遊戯』『探偵物語』、そして『家族ゲーム』。それからちょっと置いて『ブラック・レイン』という流れは、優作の変化の歴史なんですよね。アクションスターとしてスタートした優作が、俳優として、そこを脱却したいというのはあったと思います」(日刊大衆2020年5/1)

やはり観なくては!

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開花期を7か月も過ぎた今も根を伸ばし枝を伸ばす金魚草

「探偵物語 第三話 危険を買う男」を観た。画質は現代のものに比べるとかなり劣るもののドラマはとても面白い。

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第三話タイトル

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カーチェイス

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崔さんが助監督として

おかげで代表作が手元に揃ったことだし、水谷さんの言われるような視点で「最も危険な遊戯」あたりから見直してみようかな!

※アナザストリーズ「松田優作"ブラック・レイン"に刻んだ命」(NHK 総合2022/11/11放送)では病と闘いながら演じた最後の姿と思いが描写されていた。

2021年12月17日 (金)

油断しちゃいけないと思ったが、久しぶりに「007 」と劇場で再会したよ!

油断と言ってもスナイパーの狙撃に対してでなく、アフリカから広がったオミクロンというコロナ変異種にだ。ちょっと気がかりだったけど「007 NO  TIME  TO  DIE 」を映画館で観てきた。

※ それにしてもワクチンの供給と接種が地域アンバランスだね ! 結果、感染増加の地域が生まれ、そこから変異種が出現するみたいだし

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「007 NO TIME TO DIE」映画館掲示ポスターより

銃身のライフリングの向こうにボンドが現れた。ここは伝統的名オープニング。流れるテーマ曲もそうだ。共に好みだ。ただ、シリーズの何作かは幕開けには出てこなかった。あれーと思っていたら終幕後に出てきた。

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前作「スペクター」2015年オープニングより

映画館で映画鑑賞など本当に久しぶりだ。最後に観たのは3年半ほど前、池袋CINE LIBREで上映された「モリのいる場所」(沖田修一監督 主演 山崎努&樹木希林)だった。

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映画はよく観る。とは言っても、最近は40インチのテレビディスプレイでだ。

映画館のスクリーンはいい。カーチェイス場面など、観ている私のところに突進してくるかのようだ。腹に響くドルビー音響も加わり思わずのけぞってしまう。臨場感は言うことなしだ。

劇場のコロナ対策は、上映期間最終週だった為かディスタンスは十分すぎるほどオーケーだった。(客が少なかった)

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映画館でいただいたチラシ

今回の007はボンドを務めるダニエル・クレイグの卒業作品だと公開直後から聞いていた。

10月1日封切り当日の朝日新聞夕刊で佐藤美鈴さんのインタビューにダニエル本人が応えている。「ボンドのキャラクターは複雑で、だからこそすごく面白い。ボンドは誰なのか考えながら、16年かけてやっと分かったような気がします」。

今回は本当に最後?という質問に「ほんとうです。ほろ苦くはありますが十分やりきった」と。

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前作「スペクター」より 小型機と車のチェイス

ダニエル・クレイグは六代目ボンドであり、彼が初登場したのは「007シリーズ21作目カジノロワイヤル」(2006年)からだった。

この作品は原作小説(著者イアン・フレミング)の第一作を下敷きにして「00 ダブルオー」許可証を得たばかりのボンドの初任務を描いたものだった。クレイグはこの時まだ38歳。2021年の現在53歳だ。

この初任務に着いたばかりのボンドを演じることから始まったことや、今回のストーリ展開からも改めて感じたのはボンドを演じる俳優がチェンジする度に「ジェームス・ボンド」という名と殺しの許可証は同じであっても、それぞれが異なった時代に生き死にする別々の男達だということだった。

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007シリーズ第一作「ドクター・ノオ」1962年

冒頭シーン、ソフトハットをかぶっている 

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それはともかく、今作「NO  TIME  TO  DIE 」でも、カーチェイスから肉弾戦まで常人にはとても及びもつかない離れ業をやってのけた。それは見るものを圧倒し一種の感動を呼んだ。

しかし、今回はストーリーを追うにつれダニエル・ボンドの最期が伺え、高揚感が満たされるものの寂寥感も被さってきた。

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「ロシアより愛をこめて」007第二作 (1963年)

ショーン・コネリー フィナレーの息抜きシーン

いつものボンドはミッション達成後に海原のクルーザーに横たわり、隣には美女がはべる等というエンドパフォーマンス(上写真:ヴェネチア運河にて ボート上のショーン・コネリー:ボンド)が多かった印象だが、今回のエピローグは死を覚悟したボンドだった。

でも、先に書いたように「007」は再び新しいボンドを生み、彼は新しい敵と切り結んで21世紀社会で大暴れするんだろうな。

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007第一回作品 監督 テレンス・ヤング

ネタバレになるので「NO  TIME  TO  DIE 」の中身には触れないけれど、アクションばかりでなくストーリーも楽しみたいとなると、やはり前作「スペクター」も観た方がいいようだ。私もそうした。さらにはクレイグ主演第一作から観るのがいいという論評もあった。私はそれを始めた。

2021年10月 8日 (金)

ゴルゴ13! 高倉健版&千葉真一版デューク東郷 ! 映画を観た!

さいとう・たかをさんが9月24日にお亡くなりになった。享年84歳。

「ゴルゴ13」で知られる劇画家だ。

この7月に「単行本 ゴルゴ13 201巻」が発売され、その巻をもって「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」のギネス世界記録と認証されマスコミを賑わしたばかりだった。

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SPコミックス 「ゴルゴ13」112巻 死臭の聖者 表紙カバー

(1999/4/26 初版第1刷発行)

その二ヶ月前の5月、 WOWOW で「生誕90年 高倉健特集」があり、「鉄道員ぽっぽや」「居酒屋兆治」など計19本が放映された。「ゴルゴ13(1973)」もその中の一本だった。(健さんは1931年生まれで、7年前、83歳で没された。)

我がライブラリーには健さん映画は既にほとんどあったが「ゴルゴ13」はなかった。いや、そもそもゴルゴの実写版があることさえ知らなかった。早速録画した。

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SPコミックス「ゴルゴ13」121巻 贋作工房 表紙カバー

(2001/8/5 初版第1刷発行)

さいとう・たかをさんはゴルゴ(デューク東郷)の人物を作り上げていく上で30歳代の高倉健さんをイメージしたということは聞いていた。(2014年 ダ・ヴィンチ3月号)その辺りの縁もあって、映画も創られていったようだ。

お読みになった方もいらっしゃるでしょうが、ウィキペディアで紹介されているエピソードが面白い。

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1973年版映画タイトル

1973年版映画だから、1971年か72年頃だろうと思うが、さいとうさんが東映に「ゴルゴ」の映画化を打診された。「ゴルゴ」の連載は1968年からだから、まだ3年目か4年目の頃だ。あまり乗り気でなく、無茶なことを言えば諦めるだろうと、条件として「オール海外ロケ」「主演は高倉健」と返事をした。ところが東映は受け入れ、映画製作が始まったのだそうだ。そして高倉版デューク東郷が生まれた。

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東映1973年版「ゴルゴ13」より

映画を観賞した。

健さんゴルゴはカッコよかった。海外ロケはイランだった。

ただ、映画の展開がちょっと冗長だった。オープニングで、ゴルゴが依頼者の前に出現するシーンでも感じたが、最終盤に至り敵のヘリを撃墜するまでは良かった。だが、その後、熱砂をさまよいながら最後の標的を目指して進むのだが、ここが必要以上に長いと思いながら観ていたら、突然ターゲットがライフルの照準器に収まっていた。突拍子もない飛躍があった。

もっとも、当時のイラン・パフレヴィー王朝(当時日本ではパーレビー王朝と表記されていた。)の開発独裁体制の中で思うように撮影が進まなかったと回想されてもおり、多分様々な制約があったことによりシーンも切り刻まれツギハギ的な印象を残すことになったのだろうな。

それから6年、1979年になり、王朝はイスラム教原理主義勢力に権力を奪取され潰え去った。ちなみにアメリカとの対立はこのあたりから深まって現在に至るようだ。

千葉真一版デュユーク東郷も観た。香港が舞台だった。

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ゴルゴ13 九竜の首 1977年公開より

ユーチューブなどで予告編はあったのだが、当然ながら本編はない。

チェックしていたところ、rakuten tvで観られることが分かった。楽天はこれまでもホテルの予約などで利用しており、登録もしてあったのですぐ観ることができた。

千葉真一さんはうまい具合にメーキャップされていた。シーンによって印象は違ったが、劇画から抜け出したかのようにゴルゴそのものになりきっていた。ストーリー展開は4年前の作品よりぐっと良くなり面白く見ることができた。

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劇画も物置から引っ張り出して読んでみた。(観てみたか?)4冊あった。

なかなか面白いではないか。弟たちが見たものか、息子たちが買ったものか分からないが、私自身は劇画と接することはこれまであまりなかった。

ギネスを機にさいとうさんがTV.新聞などのインタビューに応え、ゴルゴが長く続いている要因をお話しされていた。一つはテーマが多彩であることだ。コミックを読み始めてその辺りは、まったくそうだなと共感することが多かった。

7月に大学教授でゴルゴ愛読者である土岐寛さんが新聞に語っていた。(朝日新聞2021年7月5日)

「領空侵犯など、日本が置かれている国際的な緊張関係も取り入れている。常に「現代」に訴える内容が、読者がついていく魅力になっている」「ストーリー展開も巧みだと思います」

そして、これを可能としているのは「作品が共同作業でつくられている」からだというのだ。原作・脚本や作画が斎藤さん一人でなくシナリオ作家から直木賞作家まで含めた多彩な専門家によって担われているのだそうだ。これならマンネリにならないね。斎藤さん自身も3年前の連載五十年に際して語っている。「ドラマを考える才能、絵を描く才能、構成する才能は本来別なんですよ。全部持っていなければいけないってのはムチャクチャですよ」(2018年10月17日朝日新聞)

そうだよね。それに加え画面構成というか割付について劇画という言葉を作り出したさいとうさんならではに語っているのは「手塚治虫先生の「新宝島」に出会い、紙の上で映画ができると衝撃を受けた」(2019年6月 手塚治虫賞受賞時スピーチ)ということであり、映画の画面構成そのものを紙の上でつくることがずっと貫かれてきたことが大きいなと感じた。

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さあ、観始めたコミックスをさらに観続けよう!

 

 

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2021年8月20日 (金)

縁あって藪の中

縁あって藪の中に分け入った。

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密を避け、一人竹藪を彷徨った

山の竹藪に分け入ったのも間違いないけど、実は、芥川龍之介の小説「藪の中」をさらっとでなく辞書を片手に読んだのだ。

私にとって見れば、今更ながら芥川を読み返すなど特別の縁がなければすることはないのだが。

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ま、縁などと言ってはみたものの大それたことじゃない。

前回観賞した映画「野良犬」に続けて、この際、黒澤関連映画を一気に観てみるかと思い始めた。

黒澤関連のドキュメントを視聴したり、映画本をめくっているうちに、我が家のライブラリーに黒澤映画のリメイク版があることに気がついた。ヴェネツィア映画祭金獅子賞「羅生門」のリメイクだ。それが二本もあったのだ。

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黒澤映画で三船敏郎が演じた多襄丸を二人の俳優が演じている。一つは小栗旬が演じる「TAJOMARU」。二つ目は「MISTY 」。こちらでは多襄丸を豊川悦司が演じ、天海祐希、金城武が共演する。

そして、その原作が龍之介の「藪の中」と「羅生門」なのだ。

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どうせならばと、原作を読んでから映画を見ようと読み始めた。とはいってもそれぞれ短編なのであっという間には読み終わった。

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「藪の中」は全15ページ

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「羅生門」は全10ページ

ところが、読み始めると、結構見慣れない漢語が混じっている。

そこで電子辞書を片手に読み始めたわけだ。後で気がついたのだが、難しいのは多くが名称などの名詞で、今では日常に見られないものが主だった。わからなくて当然。落胆しなくていいのだ。(各文庫版巻末の注釈も充実している)

 ex蘇芳(すおう)=染料植物、  牟子(むし)=市女笠の周囲に等身の薄い布をたらしたもので山野を行くときに使う、  市女笠(いちめがさ)=菅(すげ)または竹皮で編んだ笠で中央部が高くなっている、菅は「すが」でも「スカ」とも読まず「すげ」、上流階級の女子が使った。 

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市女笠と牟子をかぶった女性(映画「羅生門」より)Dsc05687-3

法師髪(ほうしがみ)=馬のたてがみを坊主のように剃ってしまうこと、  如露亦如電(にょろやくにょでん)=露のごとくはかなく稲妻のごとく一瞬にして消え去ること。等など。

そもそも芥川龍之介が小説の下敷きに古典=今昔物語集を使っているのだから当然だね。平安期に成立した説話集だものね。これを橋本忍と黒澤が脚本に仕立てたわけだ。凄いし面白い。「今は昔、あるところに・・・・・」

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藪の中も多彩だね!

 先ずは本家黒澤映画「羅生門」を典拠の芥川小説に照らしつつ鑑賞し、次いでリメイク版を小説及び黒澤版との対比で観たらどんなことが頭をめぐるやら。

ちなみに、以前「隠し砦の三悪人」(1958年公開)と、そのリメイク版、タイトル同じく「隠し砦の三悪人」(2008年公開)を観た。キャストは阿部寛、松本潤、長澤まさみ、など当時も今も頑張っている俳優達だったのだけれど全く別物に近い映画だった。この時の私の軍配は黒澤作品だった。

 

2021年8月 7日 (土)

猛暑凌ぎにゴクゴクとビールで喉を鳴らしたい!一番うまそうなビールの映像は「野良犬」(黒澤明監督)の一場面だったって!

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新東宝・映画芸術協会共同製作1949年作品(以下同じ)

この映画「野良犬」は1949年公開の黒澤明監督作品だ。主人公は刑事役の三船敏郎と志村喬。

三船は1946年に東宝ニューフェイスとして映画界に入って四作目(??)の作品になるのかな。

黒澤明は1943年に「姿三四郎」でデビューして一躍注目され、世界大戦終了後の初監督作品は「わが青春に悔いなし」(1946年)だった。三船を起用したのは1948年の「酔いどれ天使」に次いで二度目が「野良犬」だ。

三船はまだ29歳だった。

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この下手うま手書きの配役名がいいね。

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それで、何故「野良犬」なのかだ。

実は、三週間前(7/20)のことになるのだが、新聞のコラム(朝日新聞 天声人語)に「ビールのグラスを傾け、『おいしい』と言うだけのCMは究極のワンパターンながら、やっぱり喉が鳴る」と、酷暑乗り切りの術である冷えたビール愛飲話の続きに映画の中の美味しいビールのシーンを紹介していた。「野良犬」の一場面だった。

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こんな高級ビールが登場したわけではない。

これは、我が家で自分へのご褒美として、たまのたまに発泡酒でなくビールを飲む際の特別の缶なのだ。

一昨年の夏までは、暑くなれば何度も、また遠く電車を乗り継ぎながらも友人たちと居酒屋やらビヤガーデンやらと飲み歩いたものだ。しかし・・・昨年、今年と、お上の御達しで家に軟禁状態となり飲み屋巡りは叶わぬこととなった。

(8月6日金曜日)コロナ国内感染 累計100万人超える。

8/7 東京オリパラ組織委員会は大会関係者感染が409人になったと発表。

さらにたまには、下のようなもう少し値の張るものも飲む。

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このビール意外にいけた!

話を戻せば、幸いにも黒澤作品の録画は我が家に何本かあって「野良犬」も観ることができた。

美味しそうなビールの場面を探してみた。

ビールは、なかなか登場しない。

 

物語は村上刑事(三船)が満員バスでピストルを掏られたことから始まった。不運なことにその拳銃を使った犯罪が発生し必死に犯人を探すのが前半の展開だ。

それにしても終戦直後であり、今とは銃器についての認識も違うのだろうが、警官が射撃場で訓練をしたあと、実弾が7発も入った拳銃コルトを無造作に私服のポケットに入れ、そのままバスに乗るのだからな。

結局、ギュウギュウ詰めのバスの中で横に居た女スリにピストルを盗られた。

現在考えれば盗まれて当然の無用心だ。この当時、バスなどの乗り物でスリを働く者は「ハコ師」と呼ばれていたようだ。

 

この不祥事を上司に報告する村上が「自分は、自分はどうしたらいいのですか」と責任をとろうとするのだが、聞く上司が「自分はなどと言うな!ここは軍隊でない」と咎めながら「免官などという野暮な裁きはないよ」と返す。

このやり取り、「敗戦と戦後民主主義」の時代を感じさせた。

 

苦労の末にスリ犯を突き止め、女は「お銀」であり、ねぐらもわかった。彼女はとぼけて知らんふりをするのだが、村上の粘りに負けて折れてくる。

深夜23時30分、外で待機する村上にお銀は「お前さんには負けたね」「お食べ、ビールも冷えているよ」とつまみとビールを持ってきた。

でも、これは、紹介された美味ビールの場面ではなかった。この時も飲めば美味しかったろうけどね!

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ピストルはとうにお銀の手を離れていたが、行方について「ヒントだけよ」と言って「ピストル屋を探してごらん」と教える。

村上「ピストル屋?」

お銀「もぐりだね」(そんなことも知らないでという意味で)。「ピストルの出物が流れていくところがあるんだよ。そこで売り買いしたり、損料で貸したり、物騒な話さ」

村上(三船)はこのヒントを下に捜査を始める。復員兵の姿に身をやつした潜入捜査だ。

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日本の敗戦からまだ四年。汽車はこんなだったし、街中では街頭理髪店が成り立っていた。南、東南アジアの旅の途上でもこんな風景にでっ食わしたことがあったっけな。

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さまよい、疲れながらもホンボシにたどり着いた。その者は、野球観戦が大好きだということも分かった。

間もなく、ジャイアンツ対ホークスの試合があるという。当時の野球ファンには見逃せぬゲームなのだ。そのホシは必ず現れるという確信のもと試合当日球場で張り込むことになった。

 ※(ホークスについて)※

1938年にチームは南海軍としてスタート。その後二回の改名を経て1947年6月に南海ホークスとなり以後ホークスがチーム名の最後に着くようになった。1985 年福岡ダイエーホークス、2005年福岡ソフトバンクホークスとなり現在に至る。

張り込みの前後の時間に佐藤刑事(志村喬)が村上(三船)を家に招いた。

そこで出てきたビールが「一番うまそうなビール」だった。

コラムでは「『配給のビールがあるのを思い出してね。』とベテランが若い刑事を家に誘い、一緒に飲む。終戦直後の夏の日、汗みどろになって聞き込みをした刑事たちの喉の渇きを思う。配給という言葉の響きとともに。暑いさなかの得がたい冷たさ、そんな飲み物、食べ物は長く記憶に残る」と。

ただ残念ながらゴクゴクと美味そうに飲む場面はなかった。

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配給のビールだ!

そして、球場での張り込み。Dsc05544-3

昭和24年の巨人対南海の戦い

後楽園かな?満席だ。

それに比べ、いま進行中のスポーツの祭典では、残念なことに無観客。スタンドが空いている。

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ユニホームは今の方が断然スマートだけれどね。

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でもスターはいた。背番号16番の川上哲治だ!(ジャイアンツ川上元監督の選手時代)1920年生まれの川上もこの年やはり29歳だった。

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最終盤、佐藤刑事も村上刑事も犯人の銃に撃たれた。佐藤は深い傷を負うが、軽症の村上が死闘の末に逮捕した。

モノクローム映画で、時代も70年も昔のこと、ではあったが今の刑事ものに比べても遜色がなかった。

この映画、当時キネマ旬報の評価で日本映画第三位(1949年度)になった。ちなみにその時の一位は小津安二郎監督の「晩春」だった。

コロナに終りが見えない中である。篭もるしかなければ、これからも映画の感想やら、花々草木の様子、たまに読む本の読後感などをボチボチ綴ってみるか。

それにしても、政権のコロナ対策のお粗末さが戦前末期の指導部に重ねられ語られるようになってきたね。

「あの失敗、国民を苦しめた元凶」と同じだと言われ始めたけどどうなんだろうね。

 

2021年7月 2日 (金)

ドラゴン桜を見た!桜木(阿部寛)の吐く言葉、乱暴だけど正論か?

4月25日に始まったドラマ「ドラゴン桜」第二シーズン。6月27日に大団円を迎え、今期最高の視聴率を取った。

初回14.8%からスタートし、3回では12.6%まで落ちたが、その後は回ごとにアップを続け最終回に20.4%まで行った。

開始3週前の4月5日には第一シリーズの第一話(2005年)が再放送され、旧ファンを呼び覚まし、新たな視聴者を掘り起こした。

Dsc04770-2第一シリーズタイトル

この第一シリーズで暴走族上がりの弁護士として登場し、生徒を東大合格まで指導したのが桜木建二(阿部寛)であり、落ちこぼれ生徒の一人が水野直美(長澤まさみ)だった。彼女は今では東大卒の弁護士だ。この桜木と水野がタッグを組み奮闘し、再び落ちこぼれ生徒を東大に合格させる物語だ。

Dsc04810-2第二シリーズタイトル

我が家では第8話までの溜め録ができたところを見計らって第1話からの連日視聴となった。

冒頭からかなり乱暴で、ブーイングが巻き起こりそうな言葉が飛んだ。

「バカとブスこそ東大へ行け!」

「搾取されるだけの人間になりたくなければ、不満ばかりいう人生を送りたくなければお前ら勉強しろ!」

「世の中は平等だ、国民は自由だ、差別なんか1つもねえ。そう刷り込まれて来た。」

「ルールを作っている奴らはな、この状況が美味しいからこういう仕組みにしているんだ」

「本質を見抜き、自分なりの答えを出す力をつけろ」

「そのためには勉強するしかないんだ」・・・・。

まあ、桜木の言うこと語調はともあれ、正鵠を射ている。

Dsc04813-2いよいよ本番。試験会場だ。

校内に作られた合格を目指す「東大専科」がスタートした。

遅れを取り戻すために中学の復習から始まった。

この辺も真っ当だ。

桜木は学習方法について生徒たちに時々鋭く発破を掛けていた。

このあたりも学力アップの正道だし、聴く人によれば「俺もこの方法でやれば・・・」などと思ってしまうようなアドバイスだった。

勉強法1.中学生の参考書で勉強の基礎を固める。・・・3週間で5教科の問題集を最低5回やる。

勉強法2.わからないところを教えあう。

勉強法3.己の弱点を知ることが合格の近道。

勉強法4.大学共通テスト対策として高校レベルのドリルを2週間で最低5回やる。

勉強法5.語彙力を高めるためにゲームをする。ゲーム「マジカルバナナ」等のお題の言葉から連想される同義語や類義語、反対語、その他関連する言葉を答えていく。

勉強法6.知識は実際に使わないと使えるようにならない。人に教えるなど。

勉強法7. 勉強方法は性格にあわせて選べ。

 ●計画的で慎重な性格者:1、勉強する場所は固定しろ。2、一日ごとのノルマを決めろ。3、仲間と進捗状況を報告しろ。4、今持っている問題集を徹底的にやれ。5、最初からハイレベルな問題に手を出すな。

 ●好奇心旺盛で飽きっぽい性格者:1、勉強する場所は気分で決めろ。2、ノルマは5日間の中で自由に調整しろ。3、憧れの人をロールモデルにしろ。4、テンションが上がる問題集を一冊見つけろ。5、ゲーム感覚でハイレベルな問題に挑戦しろ。

などのほか心構えやら、東大受験生がいる家庭で大事にすることなども語られた。

いずれにしろ仲間が大事みたい。

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専科の中に発達障害の生徒がいた。

この子は虫に夢中だった。結局この生徒も合格するのだが、人間が虫と共生できる社会を目指して学者になるという目標を持っていた。

私事だが、視聴開始した直後にたまたま「発達障害」に関する講習会に参加する機会があって行ってきた。そこで紹介された書籍を読んで東大受験もいいけれど、乳幼児の時の過ごし方が人としてとても大事だなと思い知った。

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 この本の中で著者は、かつての教え子との問答を通して自説を深めているが、いくつも得心のいくものがあった。

著者が現役保育士の片桐さんに子供にはどのような経験をさせたいのかを尋ねる。

片桐さんは応える。

「子供の時にしかできない『遊び』をたくさん経験してほしい」

「必要なのは『人とのコミュニケーション』。友達ができて、一緒に遊ぶ楽しさ。思いがうまく伝わらないもどかしさ。喧嘩をして仲直りする喜び。一緒に何か達成したうれしさ。考えて乗り越えられた達成感。」

「人と接することで、さまざまな感情が生まれ、葛藤するなかで成長してほしい。」

「人との出会い、かかわりの中でたくさん遊ぶ。この体験が必要。」

遊びが脳自体を発育させるのだね。

こういう体験をして育ち、学齢期に入ったなら桜木の方法論を学び実践するなら東大も射程に入るし、間違っても経産省のキャリア官僚のように庶民を舐めながら自らの愚かさを自覚していない人間、コロナ関連給付金詐取のような恥知らずな行為をする人間にはならないだろう。(6/25朝日新聞)

彼らだけでない。東芝と結託して物言う株主へ圧力かけた先輩キャリア官僚(6/11毎日新聞)やら忖度だけが己の職責かと思わせるキャリアの存在を最近よく聞く。(6/23赤木ファイル)

東大卒者の官僚志望減の報道も合点がいく。

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ドラゴン桜面白かったよ!東大五人合格!

 

2021年5月22日 (土)

朝ドラ「エール」全編視聴完了!薬師丸さん、お母さん役が様になっていた。あわせてデビュー作品も観たよ!少女だ~!

半年遅れとなったが、連続テレビ小説「エール」全120回分を5月4日に視聴開始しておよそ二週間かけて全編観終わった。

私の忘れっぽさや直ぐ眠くなる性癖にはリアルタイム視聴より録画後連続視聴が打って付けだ。

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この物語、作曲家古関裕而さんの生涯を虚実交えながら描いていた。

朝ドラ物語は大方が功成り名を遂げた方々の山あり谷ありの人生をたどりつつ、笑いや涙などを誘い、大団円を迎える。私のこれまでの数少ない朝ドラ視聴経験からの独断と偏見。

この物語もいじめられ子でしかなかった古関少年(ドラマでは古山裕一)がある時、自らの音楽の才能を自覚し、良き出会いや繋がりが生きて成功談となっていたが、そもそもは東日本大震災10周年にちなんでの応援物語と聞いていた。

そして、古関裕而がオリンピックマーチの作曲者であることから五輪の盛り上がりにも繋げるものだったようだ。

古関は福島県出身であり、おあつらえ向きだった。

Dsc03253-2_20210521161701福島の海かな?

ドラマは冒頭の原始人の登場やらコミカルな幽霊を出現させたりするなどの奇抜な演出に加え、戦争の悲惨場面などのシリアスなものも織り込んだりと全体として考えさせられながらも面白く観れた。

戦争については放映中から少し話題になっていたが、インパール作戦や原爆投下された長崎に触れることで戦争の理不尽や悲惨さを伝えていた。

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特に、古関の軍歌作りと絡めながら、心の揺らぎを描いていた。

私は、このドラマで初めて知ったのだが、「露営の歌」や「ラバウル海軍航空隊」も古関作曲だったんだ。

幸いにもこの時代には私は未だこの世の人でなく直には「勝ってくるぞと~」は聴くことはなかったけれど、戦争映画やドラマで何回も聞いて知っていた。

実際はどうであったかは定かでないが、古関はビルマ(ミヤンマー・インパール)に軍の慰問に訪れたのだが、出征していた恩師と出会ったのも束の間で眼前で師の戦死を見届けざるを得なくなったり、自分の作った曲に鼓舞され戦地に赴いた兵士たちが次から次へと果てる姿など阿鼻叫喚にショックを受けた。

その後、しばらく曲作りができなくなった。

Dsc03265-2_20210520204201東京オリンピック入場行進(エールより)

物語は、終戦後に移り、ようやく気を取り直した古関が「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」そして「オリンピックマーチ」などを作曲し終盤を迎えることになる。

まあ、そんな大筋だった。様々な関心興味を持たされたのだが、なかでも古関と妻のそれぞれの母親を演じた女優さん達について興味を持った。それと山田耕筰を演じた志村けんさん。

古関の母「古山まさ」を演じたのが菊池桃子さん。そして妻「音」の母親「関内光子」を演じた薬師丸ひろ子さんだ。

お二人共、現在の実年齢が50代であり、ドラマのなかでも孫を授かるお婆さんを演ずるのだがいつまでもアイドルといった感じで明るく若々しい姿を見せていた。

志村けんさんは悲しいことにコロナに罹患し急逝されてしまった。昨年の3月29日のことだった。(享年70歳)今回ドラマで拝顔したのが亡くなられて一年一ヶ月過ぎたところだった。ドラマのなかでどう起用されているかと見たのだが、貫禄充分な姿で山田耕筰を演じ最後は手紙に言葉を残すという形で上手く収まっていた。

そして、薬師丸ひろこさんの映画デビュー作品「野性の証明」(1978年作品)が5月13日WOWOWにて放映された。

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観た!なんと、まだ14歳の頃の作品だ。

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角川映画が米軍の協力を得ながら制作した自衛隊特殊部隊の暗躍を柱にしながら地方で権勢を振るう集団との絡みや殺戮を描いたアクションものだ。

そこに、親を殺された薬師丸が絡んでくる。

この映画についても少し触れようかと思ったのだが、次の機会にしよう。実は、この映画は「高倉健生誕90周年記念特集」の一本なのだ。基本的には録画できるものは録画したので、高倉出演作品の主なものが揃ったかな。順次鑑賞しながら想いを綴ってみるか。

ところで、この特集の映画の冒頭に必ず出てきたのが、次の字幕だ。

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高倉さん出演作品と田中邦衛さんは少なからぬ縁があったようだ。この「野性の証明」にもワンシーンだけど出演していた。バーのマスター役だった。

そして、これらを観ている最中に発表されたのが田村正和さんの訃報(4月3日逝去)だった。

これには本人は出演していないが、偶然にもお兄さんの田村高広さんが出演していた。

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自衛隊特殊部隊の描き方が防衛庁には気に入らなかったのか協力を得られなかったのだが、結局アメリカカリフォルニアの州兵訓練施設キャンプロバーツで戦車やらヘリコプターなどを派手に登場させた戦闘場面が撮影された。結果、それなりに迫力あるものとなった。

この作品での自衛隊特殊部隊は権力に抵抗するものは躊躇せず抹殺するというものだった。なるほど、防衛省(庁)は顔をしかめるか。

そう言えば今朝の新聞コラムに外国人収容問題でクローズアップされている入管施設のことが出ていて戦前の弾圧機関であった特高に属していた人達が少なからず公職追放を免れ、戦後入管の仕事に携わったそうだ。

かつての体質を引きずっているのではと。怖い怖い。

ミヤンマー、イスラエルが頭に浮かぶ。香港もか!

2021年5月 1日 (土)

「寡黙な父、気弱なヤクザ、初老の夜間中学生」を演じた田中邦衛さんが亡くなられた!

俳優の田中邦衛さんが今年3月24日にお亡くなりになった。88歳だった。

表題に用いたカッコ内の言葉は4月3日付朝日新聞夕刊「素粒子」に掲載されていたものを引用させていたただいた。

「寡黙な父、気弱なヤクザ、初老の夜間中学生。見る人の心に、それぞれの田中邦衛が住む、そんな俳優が逝った。」(4/3朝日夕刊一面)

この四週間で私も遺作を何本か観た。画面上の邦衛さんを見ながら「素粒子」の評価に共感できた。

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4月14日配信の「映画com」で丸の内東映の企画が紹介された。

「高倉健生誕90周年 & 田中邦衛追悼上映」というものだ。

そこで初めて知ったのは、邦衛さんが「網走番外地」と「仁義なき戦い」に共に出演していたことだった。

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映画 網走番外地より

上映予定映画は我が録画ライブラリーにも何本かあった。

実は、ヤクザ映画はあまり好きではない。でも、監督別、俳優別に整理していると、TV番組表で代表作を見つければ録画したくなるものだ。

高倉健さんで言えば「網走番外地」シリーズは外せない。また菅原文太、深作欣二監督と言えば「仁義なき戦い」シリーズは言を俟たない。それでしっかり録画してあった。しかし、と、言いながら一度も再生視聴していなかった。

実はそこに邦衛さんがいたのだ。

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この汽車で囚人が護送されてきた(網走番外地より)

 「番外地」の第一作は1965年に上映されている。驚いたことは同年中に一気に第三作まで公開されたことだ。

この当時は、どの映画製作もそんなペースだったようだ。

当時、高倉は34歳、邦衛は一歳下で33歳だった。若い。(以下、敬称略)

邦衛の登場は、冒頭の護送囚人を乗せた蒸気機関車が網走駅に着いた場面からだった。

監房の中で牢名主に各々自らの罪状を明かす場面があったが、邦衛は前科13犯だと得意になって話すのだが犯罪人集団の中にあっては微罪を重ねたヒヨッコでしかなかった。

この時の邦衛の喋りは歯切れよく寅さんなみに見えた。でも、やはり根が優しい、気弱なヤクザだったかな。彼特有のはにかんだような愛嬌はここでも見られた。

以外だったのだが、その頃のヤクザと言うか任侠映画について言われてきたことに鑑賞後に客が劇場を出ると主人公と一体化したかのように外股で胸を反らして歩くというようなことがあったが、そんな情動を「網走」は私には引き起こすことはなかった。どちらかと言うと痛快な冒険活劇を観たような感じが残った。最後のトロッコでの逃走場面などはインディージョーンズ顔負けだった。

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時代を追って触れると、次は同時代の「若大将」シリーズか。

たまたま今週日曜日4月25日にNHKBSで「アルプスの若大将」が放映され、観ることができた。

若大将シリーズは1961年「大学の若大将」に始まり、1971年の「若大将対青大将」で終わる。10年後に「帰ってきた若大将」が加山の芸能生活20周年として制作されたがそれは別とする。

邦衛はお金持ちのボンボンの「青大将」としてシリーズ全編に登場し、若大将加山に対抗する滑稽な者を演じた。

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アルプスの若大将に登場する人工芝スキー場

「アルプス・・」は大学スキー部所属の加山が競技に勝ち抜きウイーンの国際大会に出場するまでを柱とし、そこに青大将が絡み、航空会社に務める星由里子がガールフレンドとして登場するといったような物語だった。

邦衛の青大将はここでも本領を発揮し、本格的悪さはできないガキ大将のような振る舞いをしつつ、先が読めないままに思い込んだことを実行して情けない結果を招くというキャラクターを演じ切った。

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アルプスの若大将より

この映画は1966年に制作されている。「番外地」の翌年の作品だ。

映画としては、ストーリー云々というよりも、加山のヒット曲紹介映画のようだった。

面白かったし、邦衛のバイプレーヤーとしての存在感を十分確認できた。

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そして、時代的に次は「仁義なき戦い」に続く。

菅原文太主演で1973年に公開された。

舞台は終戦直後の広島だ。

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進駐軍の兵士が交通整理する画像の中に文太、松方弘樹、次いで登場したのが田中邦衛だった。

この映画は、東映任侠映画などと比べると極めてリアリズムに徹している。

タイトルの直前に原爆投下による広島市上空のキノコ雲が出てくるかと思えば、文太がヤクザ同士の揉め事の落とし前に指を詰めるところとか、目を背けたくなるような場面が続いた。

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逮捕されたあとは腰縄・編笠で刑務所へ。

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請負業を看板にしているがヤクザ組織。仕事は進駐軍などから、その繋がりで朝鮮戦争にも動員される

内部抗争のようなイザコザが勃発し、殴り込みで決着つけようという勇ましい話になったが、まとまらず個々の意志を確認した。

邦衛はこの時も親分のお供をし、いかにもヤクザといった風体で組衆の寄る場に来ていたのだが、出入りの話が始まると突然泣き出し喋り始めた。

「わしゃ、死ぬう言って、問題なっか、女房がのう、腹に子があって、これからのことを、思うとったら、可哀そうで」と。

結局邦衛は外された。

文太は当然参加するのだが、だからと言って殴り込み・出入りに行く者が勇猛だとか男気に富むとかいうものでないと思った。多くの日本人が直前まで国の命により殺戮の現場におり、戦地から引き上げてきたばかりだった。そして狂気を内地に持ち込んでいた。

殺す殺されるということが現在とは全く違い、物事の解決手段の選択肢の一つとして頭に浮かんだのだろうか。

その点、弱気の邦衛は軍国主義とは違う戦後民主主義の空気が漂い始めた頃の国民の戸惑いやら、躊躇を表現していたのだろうか。まあ、「気弱なヤクザ」をしっかり演じていた

演技を通しての田中邦衛の印象は、ここまではヤクザとボンボンの違いがあったとしても通底するものがあった。

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そして、俳優としての評価が高まったのが「北の国から」だった。

私はこのドラマも評判を聞きながらも、一話たりとも観ていなかった。

今から一か月前の4月3日に再放送されたのが、「北の国から ’87 初恋」だった。

「北の国」は脚本が倉本聰さん、そして主演が田中邦衛だ。舞台は北海道富良野。

ドラマとしては1981年から翌年にかけ放送され、1983年以降はドラマスペシャルとして2002年まで8本が放送された。

このドラマシリーズで邦衛は「寡黙な父」を演じた。

このドラマと映画「学校」が田中邦衛の俳優としての評価を確かなものにしたのだろうか。

この二つの物語と邦衛の人物評価についてはこの一ヶ月に新聞などに掲載された関係深い方々の言葉を引用させて頂く。

倉本聰さんの言葉(2021年4月4日朝日新聞文化欄)

「彼ほど純粋で真面目で無垢で、家族を愛した男を知らない。彼はあたかも僧籍にいる人のようだった。敢えて、珍妙な天使だったと云いたい。然り邦さんは決して完璧な聖人君子ではなかったかもしれないが、彼の育った昭和という時代の、いつくしみ、思いやり、倫理道徳の中で、それをかたくなに貫いてきた絶滅珍種の漢(おとこ)だった気がする。」

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「学校」は1993年11月に公開された。監督山田洋次。

出演は西田敏行、竹下景子、萩原聖人等。舞台は夜間中学で、邦衛は中年になるまで文字が読めなかったイノさんとして登場した。

この映画での邦衛について4月7日の朝日新聞コラム「天声人語」に評価が書かれていた。

「俳優の田中邦衛さんには不器用な男の役が染みついていた。その染みがいちばん濃かったのが、映画『学校』で演じた『イノさん』かもしれない。」「見ていて演技であることを忘れそうになるのが、この人のすごさであろう。」「ある人にとっては青春スターのライバル、別の人にとっては小ずるいヤクザ。いくつもの存在感を残して88歳の生涯を閉じた」「きらびやかではないとしても強い輝きを放ちながら、長い長い距離を走り終えた」

最後に映画「学校」を監督された山田洋次さんのコメント。

「善良が服を着て歩いているような人だった。一緒にいるだけで楽しい気持ちになるような素敵な人だった。あんな俳優が、あんな日本人がいたことを誇りに思う」(朝日新聞4月3日社会面)

ちなみにこの映画で田中邦衛は第17回日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞を受賞している。(1994年)

ここで紹介した五本の映画・ドラマを見て改めて寡黙な父、気弱なヤクザ、初老の夜間中学生を演じた田中邦衛さんについて見直すことができた。

安らかにお休みください!

 

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