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書籍・雑誌

2024年7月 4日 (木)

さあー、ながら読みを再開だ!まずは沢木耕太郎さんからだ!

私、小説などを読むことが好きだったんだけど、なんやかんやと忙しいこともあって、この数年、というか10年近くかな、じっくり机に向かっての読書などは、ほとんどせずにきた。

その前もできていたと言うほどでもなく就寝時にスタンドを横に置き、眠りにつくまで読むといった「寝ながら読み」だった。

寝そべってだったけど、小説のシリーズ物はいくつか読むことができた。当然、難解な物や深刻な物ではなくて娯楽物に絞ってだったけどね。

たとえば、和田竜さんの「村上海賊の娘」とか。

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船戸与一さんの「風の払暁」とかだ。

"ながら" であれば当たり前だけど、読み終わるまでかなりの月日を費やした。

一つ心がけたことは、どの本も投げ出さずに読み切ることだった。

でも、そんなことも過去のことになってしまっていた。

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その昔、営業職ではなかったが業務で外に出ることが多く、関東一円各所を電車で訪ね歩いた。昼時などは喫茶店でランチを食べながらとか、移動中の電車の中やらで文庫本などを読んだ。今じゃダメだろうが、当時は日々そうしていた所為か、若かったからか、億劫にも感ぜず続いた。

その後、担当業務も変わり、ランチしながらの読書などは難しくなった。

長編物やちょっと頭を使うものからは早々に遠ざかっていった。読書自体も少なくなっていった。そして、時が過ぎて先のような状態になったわけだ。

そんな時のコロナ禍だ。

TVも新聞も連日コロナ報道が繰り広げられた。

だからだったか、新聞の読み方が変わってきた。

届いた朝刊をくまなく目を通すのはやめた。

ざっと見出しをみて自分的琴線に触れたり、私の粗目の網に引っ掛かる記事や特集だけを読むことにしたのだ。

そんなであっても世捨て人にならずに済んだのは、やはり時代かな。何をしていようが、スマホにニュースが飛び込んでくるんだものね。しかも鳴り物入りでピンポンと。

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2020年8月1日連載開始 著者 池澤夏樹

その延長線で新聞小説に目が留まり読み始めた。読んでみると、結構面白く連載最後まで続けて読めた。以来、著者が変わっても新聞小説読みが続いている。

それに加え、TVドラマ関連本だ。先般の「三体」などそうだね。それらが呼び水になったのか再び本を読んでみるかと内なる何かが蠢きはじめた。

だからといって、机に向かってねじり鉢巻とはならない。

やっぱり寝ながら本だ。

新聞小説の著者の中でも、再び本を読む気にさせてくれたのが沢木耕太郎さんだった。

沢木さんは一年半前の2022年10月1日にスタートした週一掲載の新聞小説「暦のしずく」(朝日週末別刷be 掲載)の著者だ。 今も連載は続き6月29日で84回に達している。

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沢木さんは新聞小説のスタートに会わせるかのように「天路の旅人」(2022年10月25日発行)というノンフィクション本も上梓した。そんな旺盛な仕事ぶりに、読みやすい文体や頭に入りやすい文章を思い出し、ちょっと読んでみるかとなったわけだ。

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彼の著作は以前いくつか読むことがあった。

我が家を探したら単行本の「深夜特急第二便 ペルシャの風」(1986年5月25日発刊)が出てきた。

表紙カバーは既になく丸裸だった。もう一度読んでみようと思いたった。

寝ながら本にはハードカバーの単行本はちょっと重い。

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そこで古本屋に行き文庫版6冊と「旅する力 深夜特急ノート」を取り揃えた。

古本屋さんは、この円安・物価高時代にはありがたい存在だ。

探し物の在庫さえあれば文庫本などは一冊120円ほどで買えた。しかも、古本とはいえ売り物、綺麗なもんだった。

早速、読みに入った。新聞小説読み習慣が始まって3年目の秋、昨年の11月ごろからだったかな。ここに来てやっと読み終えた。面白かった。まあ、眠りながら読書で仕方ないことだけど、7冊読了に半年以上かかっちゃったね。

この本、昔、いわゆるバックパッカーのバイブルとまで言われた旅日記、紀行文、エッセイだ。

私はバイブルとするほどには信奉しなかったけどアジア旅のお供にはなった。

と言うよりもバックパッカーとして旅するほどには、時間も金もなかったというのが本音。

私が実行できたフリー旅は一都市滞在型のフリープランを利用したものだった。バンコク、クアランプール、デリー、北京、上海、西安等々かな。それぞれ一週間から10日ほどの旅程だった。行き帰りの時間を除くと5日から7日ぐらいがフリー行動可能だったかな、電車やらバス、タクシー等を使って彷徨した。タイでは船も使ったっけ。面白かった。

文庫版深夜特急1は「香港・マカオ」だ。

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香港が出てきたのでちょっと横道にそれる。

1991年秋、私と友人たちはツアーであったが香港から中国本土に入り昆明、桂林、広州と巡って香港に戻り帰国した。

深夜特急の本文にも出ていたけど、その当時の香港啓徳空港は着陸時にとてもスリルを味わうことができた。機内から見ているとビルすれすれに降下しているように感じ、スリルというよりは冷や冷やだった。降りると周りは海だった。

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ビルの中に滑空するかのような香港啓徳空港

この時、中国は文化大革命終息から早15年も過ぎていたのだけど田舎ではまだ人民服姿の人々を見かけることがあった。やはり思い立つ日が吉日。可能なら即行動だね。その時しか見ることのできない情景を記憶に刻めるものね。

あと、この旅行で得難い経験をすることになった。

利用した旅行社の手配の関係から思いがけないことが起きた。

エコノミークラスのはずの私たちに用意されていた座席がファーストクラスになっていたのだ。まさかだね。

キャンセルが出たからか知らぬが、初にして二度とない経験となった。

成田から香港という短い空路ではあったが楽しく贅沢な思いを味わった。

Img20240625_205856501_20240627165001二度とあり得ないファーストクラスの搭乗券

ちょっと横道というか自分旅の話になってしまった。

沢木本に戻れば私が以前読んだのは単行本の「深夜特急第一便と第二便」だったようだ。確か第二便の最終章「シルクロード」までを読み終えていた。バイブルにはならなかったけど旅の意欲を掻き立てたシリーズだった。

 この第二便は文庫版出版の際は「3 インド・ネパール」、「4 シルクロード」と二分冊になっていた。

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文庫版のシリーズ「5 トルコ・ギリシャ・地中海」と「6 南ヨーロッパ・ロンドン」は、当時まだ出版されておらず読むこと能わぬ単行本第三便「飛光よ、飛光よ」に収まっていた章だ。

文庫版をあらためて読んで良かったのは、各冊共本編のあとに付録のように著者と著名人との対談がついていたことだ。

文庫版「5」巻末の「旅を生き、旅を書く」と題した対談(編集者、エッセイストの高田宏さんと1992年に)を読んで分かったことがあった。単行本の第三便「飛光よ、飛光よ」は第二便を上梓した6年も後の1992年10月に出版されていた。旅した時から17年後に書かれていたのだ。納得だー。さらに「旅する力」(2008年11月26日発行)は第三便から16年後だった。✳(高田宏さん 2015年11月逝去)

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対談で面白かったのが文庫版6分冊の巻末のもの。井上陽水さんと「森の少女とカジノの男」と題して話をしている。

感心したのは陽水さんが意外にも多くの旅をしていたことや論客であることだった。沢木さんはまさかと思うギャンブラーだった。

つけ加えるように買った「旅する力」がなかなか面白い。

序章の冒頭で「旅とは何か?」と問いかけ、沢木さんの得心がいったのは「大言海」(国語辞典)の説明だった。

「家ヲ出デテ、遠キ二行キ途中二アルコト」だとし、「ここから人生は旅に似ている。旅は人生のようだ。人生もまた途上にあることと定義されるからだ」と仰っていた。

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大言海は収録語8万もあって近代語や方言だけでなく古語も多く収められているそうだ。

特色としては語源解釈だそうだ。確かに「旅」も「人生」もその言葉としては途中にある時を指すよね。

たまたまだけど6月22日の朝日新聞朝刊一面の「折々のことば」(鷲田清一)に「途上にある」とは微妙に異なるかもしれぬけど「人生の意味は何かある目的の達成にあるのではなく、日々の歩みの在りように懸かっている」とあった。そうか、途上の在りようなのだ。

ちなみに広辞苑では次のようにでていた。旅:「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと」。

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2004年3月 タイにて

「旅する力」を読むと沢木さんが早熟の旅人だったことが知れる。旅は小学生の時から始まり、「気がつくと、大学を卒業するまでに日本全国を旅していた」というから凄い。

さらに「深夜特急」の旅に至るエピソードなど多くの "なるほど" が満載だった。

旅費工面のあれこれや旅に持ち歩く物の選定やらと工夫も凄かった!! 

訪れた国の言葉についてどうしたのだろうかと言うことも読者としては関心があることだ。

沢木さんと雖も万国共通言語となっている英語は学校で学んだ以上ではなかったようだが、最低限の簡単なやり取りには間に合ったようだ。とは言うが、本文を読むと各国からの旅人と情報交換が結構できていたようだったけどね。

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2004年春 タイ

一口に英語と言っても、皆が皆ネイティブスピーカーではない。私などの経験からしても東南アジアに行くと、現地の人々も英語は外国語でしかないため、発音は私たち日本流に近く、かえって聞き取りやすかったことがあった。・・・負け惜しみか。

沢木さんが、もう一つ、必ず実践したことは、先ず新しい国に入る時に1から10までの数字を現地語で覚えること。そして、7つの単語、「いくら、何、どこ、いつ、こんにちは、ありがとう、さようなら」を覚える。これでなんとか切り抜けたそうだ。

私もタイではそれをした。サワディカップ、コップンカー、マイペンライ・・・・・。

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彼のようなライターの仕事に関して興味を持たせるのは、彼らは見たこと聞いたことをどのように保持し、執筆に至るのかという点だ。

先般、新宿で作品を鑑賞させてもらったばかりの山下清さんは作品を作る際、スケッチなどはせずに記憶を基に描いたり、貼り絵を創作したと言われている。抜群の映像記憶力があったようだ。

それと同じくライターの方も抜群の記憶力で文章を書くのかと思った。

沢木さんは違ったようだ。

ザックに大学ノートをいれてあった。

ノートの左ページにその日の行程と使った金の詳細を書いた。右ページには心構え風の単語や行動の断章。

それだけでなく手紙を書いて日本に送った。時には便箋20枚にも及んだそうだ。受け取った知人、友人たちは大切に保管してくれていた。

そうだよな、あれほどの旅の記録を記憶だけで書くというのは常人には真似できないものな。深夜特急の本文には手紙に書いた文章も活用されていた。この辺りの苦労というか工夫は「旅する力」の第4章で詳しく述べられていた。(p258)

こんな苦労のあれこれを知り、以前より身近な人になったよ。

この章の終わりの所で、小田実さんの「何でも見てやろう」との対比がでていた。

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 前出の高田宏さんが新聞の時評の中で二人の違いを述べていた。

「二人の生きる時代が変わってしまったことに加え、二人の資質も別だ。『何でも見てやろう』を優れた文明批評と読むことができても文学作品と呼ぶことはためらわれる。『深夜特急』は、旅のなかで自分の底に降りてゆく、これは一つの文学作品である。」と。

私が『何でも見てやろう』を読んだのは高校生の時だった。上記のような評価は何もできなかったけどね。

いずれにしても面白かった。さあ、眠りのお供の次を探そう!

2023年6月 1日 (木)

何故まあ、こんなに物騒なことが続くのかね!ちょうど「文藝春秋」の特集を読み始めたところだった!

奈良、和歌山に続いて長野県そして、東京町田市(5/26)。

何で今時テロ騒ぎが続くの?

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たまたま町田の事件発生直後に身内が現場近くにいたそうだ

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何で今?という事では、ウクライナでの戦争もそうであるし、「核」やら「第三次世界大戦」という文字がそちこちで散見されることもそうだ。

私などの20世紀生まれにとっては21世紀は大いに科学が発達した世であり、その中にあって人々は平和と民主主義を十分に謳歌しているのではないかと半分は期待していた。

でも半分?何故か?

もう半分は未来にあまり希望の持てないイメージが同時に流されてもいたからだ。

この数年我々自身が渦中にあったコロナ・パンデミックなどもSF 小説や映画の題材としては時々扱われていて、そう言う事もあるだろうな、もしそうなったら恐いなぐらいに受け止めていた。

ソ連崩壊やら東欧における旧ユーゴ等々の内戦なども起こるはずがないものが勃発していたけれど、そういう体制転換やらもありうるものとして理解していた。加えて映画や小説で描かれた未来では専制国家の下、人々は暴政に耐え怯えながら日々を過ごすと言った実際そうなってほしくない日常も描かれていた。

ジョージ・オーウエルの「1984」とかテリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」などの世界かな。おまけに言えばスターウオーズの宇宙を支配する帝国もそうだな。

これらがサブリミナル効果のように潜在的不安と予測を脳内に醸成していたかもしれない。現実はそれに近づいているのかしら。現実にテロ事件が続いている。

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映画「未来世紀ブラジル」のタイトル

実際、世界を見渡すと、何故これ程と言うぐらい独裁者や特定宗派が牛耳る国、又内戦最中やら収束しきらぬままの軍支配が多いのも現実だ。近くではミヤンマー、スリランカ、アフガニスタン、シリア、スーダン等々から近隣の国まで。その中で多くの市民が犠牲になっている。

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町田市の事件は当日の報道によれば人々の目前で銃撃があり、現場は血の海化し、凄惨な状況だったようだ。翌日実行犯だと名乗る者が自首し暴力団抗争だったとされた。

身内がたまたま近くで買い物をしていて現場のそばを撮影した

長野県の事件は対人関係に悩む者が悪口を言われているとの思い込みでの犯行だと報道された。

安倍元首相の暗殺から半年を迎えて朝日新聞は社説で強調した。

「どんな理由があろうとも、問答無用の暴力は、言論を積み重ねて形作るべき民主社会にとって最大の敵である」(朝日2023年1月14日付社説)

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数年ぶりに花を見せたアマリリス・・ずっと葉だけだった

ちょっと横道にそれるけど、最近の我ら夫婦の朝の行動パターンが変わった。

何しろ今5時起床で工事の職人さんが来る前に食事から何から済ませなければならない。

結果として朝の時間にゆとりができた。新しい習慣が始まった。

それは新聞をじっくり読むことだ。当日の朝刊を分けあって読むのではない。配達されたばかりの朝刊はもっぱら奥方様が読む。私は2、3のコラムと連載小説を読んで直ぐ奥方様に渡し、そして何日か前の朝夕刊をチェックし、読むべきものを選別する。その後選ばれたものをしっかり読む。朝刊のページ数は多くて38ページ短くて28ページだが選択するのはその内せいぜい3~4ページ分。満遍なくさらっと読むのでなく絞りこんだものにしっかり?目を通すのだ。そんなことをしている内に職人さんがお見えになるのだ。

これなかなかいいかも。熟読とはいかないが、もしかしたら脳軟化進行阻止に効いているのじゃないかな。

 

で、 この習慣で数日前の新聞に目を通していたところ下段の雑誌広告が目に飛び込んできた。

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雑誌のトップ記事に驚いた。

「朝日襲撃赤報隊の正体」とあったのだ。大昔の事件だ。

この事件自体を詳しく知っているわけではないのだが、たまたま定期購読紙が朝日であって、しかも36年前の5月3日に事件が起きたことから、毎年5月になると憲法記念日に関連させて必ず何らかの論評が掲載されてきた。

今年も5月2日「『阪神』襲撃36年 言論の自由を守り抜く」というタイトルで社説が出ていた。そのこともあって事件のことは脳裏にあった。

書店にぶらっと入ると正面に平積みされている雑誌が目に入った。つい手が出てしまい購入した。そして読み始めた。

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全文で24ページにもなり雑誌記事としては長文だった。

読み終わった。

1981年の米国総領事館放火未遂事件から1990年の愛知韓国人会館放火まで続く、いわゆる「警察庁広域重要指定116号事件」と称されるものだ。

本文に、いくつかの固有名詞が出てくる。日本民族独立義勇軍、赤報隊、国民前衛隊、一水会、リクルート等など。

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読んでみると、断定はしていないものの、確かにこの組織とこの人が関わっていたのかと、素人でも推論できる内容だった。個人名も出てくるが、多くがすでに世を去っている。

誰だとか、ネタバレ的な事は控えよう。

ただ感心したのは文藝春秋の執念だ。

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アスレチックで遊んでいいから、鋭いくちばし気を付けてね!

 「116号事件」の時効は2003年であった。

文藝春秋がこの事件に関わる取材班を結成したのがその一年前2002年で、現在まで取材が続き今回の記事掲載に至ったと言うから驚き、感心した。

先にも触れた、今年5月2日付の朝日新聞社説を一部引用して、我が家の朝の習慣変化に絡む話は終わりにするか。

「政治への不信や将来への不安、閉塞感が高じれば、何者かのせいにして怒りをぶつける風潮が強まる」

「だが、暴力に訴える発想自体が誤りであり、いかなる同情にも値しない。民主主義は様々な考えがあって成り立つ、主張が異なっても、話し合うことが原則だ」

そうだそうだ。

 

 

 

2021年11月 5日 (金)

久しぶりに小説を一気に読んだ! 片岡義男作品だよ!

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東京湾浦賀水道近くに浮かぶ大型船 2021年10月

先週、片岡義男さんが登場した新聞連載「語る~人生の贈りもの~」を紹介した。この連載、私がよく目を通す一つだ。

この欄で片岡さんの前に掲載されていたのは映画評論家の山根貞男さんのインタビューだった。

何編か彼の映画評論を読んだかな。

山根さんもなかなかだ。

映画雑誌「キネマ旬報」で映画時評を34年以上こなし、今年刊行した「日本映画作品大事典」などは22年間もかけて発刊にこぎ着けている。御年81歳。たいしたものだ。

 

「人生の贈り物」欄では登場者がインタビューに応えながら、それぞれの語り口で人生の喜怒哀楽やら艱難辛苦、現在の心境、仕事のことなどを自由に語る。

 

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2021年9月20日朝日新聞掲載

 片岡さんの語りとエピソードに興味を引かれながら読み進めたけど、彼の言ってきたこと、やってきたことが少し分かったような気になった。

片岡さんのイメージは前回触れたところだけど、関心を持ったきっかけは「青空文庫」で彼の作品を見つけたことからだ。

✳青空文庫は、著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品のテキストを公開しているインターネット上の電子図書館。(wikipedia より)

私は「文庫」では著作権が消滅した作品だけが公開されるものと思いこんでいたので突然現役作家が紛れ込んできたのかと驚いた。著者検索で「カ行」の誰かを探していた際にヒットしたのかも知れない。

もう一つ不思議に思ったのが、書店に行っても彼の本が見つからないことだった。

なんと、ほとんどが絶版になっていた。見つからないはずだ。

 古本屋でようやく見つけたのが「文房具を買いに」(平成22年5月初版 角川文庫)だった。

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「青空文庫」はインターネット環境があれば誰でも読むことができる。

我が家でも結構重宝している。映画や演劇を観た時、ネタは何だろうと調べると以外にもいわゆる文豪であったり、一世を風靡した作家の著作であったりする。原作を読みたくなった時など書店の棚で見つからなくとも「文庫」には所蔵されているのだ。坂口安吾などもそうだった。

 

片岡さんの作品が「青空文庫」で何故読めるのか本人の弁があった。

「載せませんかと言われて『はいどうぞ』と了解した。 僕は無料で貰うのはあまり好きではないけれど、無料で人が自由に使うと言うのは非常に好きなんです。」と応えていた。(book  shorts プロジェクトのインタビューにて)

そんなことで「人生の贈りもの」連載を面白く読ませてもらった。

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「文房具を買いに」表紙帯

連載第一回はオノマトペに触れながら日本語の面白さを語り始めた。「ズキズキ、ズケズケ、ズコズコ」と。

第二回は父母について語った。

お父さんはハワイのマウイ島で生まれ育った日系二世だった。成人してアメリカ本土で働きながら、金がたまると太平洋航路の船で日本に来て東京や横浜で遊んだ。祖父の実家が岩国だった。そこから見合い話が出てきて、結局結婚したのが義男の母となる人だった。1939年に義男が生まれるのだが2年後太平洋戦争が勃発。結局父母はハワイに戻れず日本での生活となった。義男は父の英語、母の日本語に囲まれて育ち、両国語を身に着けた。・・・ここまで知っただけで著作に触れたくなった。

ついでに言えば彼の父もかなりしたたかだ。戦後、GHQで働いたんだそうだ。

こんな風にして15回分を読んだ。

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 カワサキ650 RSW3

 「文庫」には片岡著作が12作品もある。(2021年11月現在)

その中で二作品を選んだ。一つは「彼のオートバイ、彼女の島」これを読み、二つ目は短編集「波乗りの島」に収録された「白い波の荒野へ」を読んだ。久しぶりに中編小説を一気読みした。面白かった。

彼のオートバイは写真の「カワサキ650 RSW3」そして、彼女の島は「瀬戸内の島」。片岡の祖父、母の実家も瀬戸内海に面している町だった。バイクの走りや、メカニックについての描写はさすがだ。

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1999年7月の瀬戸内海---旅の途上にて

「白い波の荒野」の舞台は父の生まれ故郷ハワイだが、島は故郷マウイ島の隣りのオアフ島。

この「白い波・・」は片岡の初めての小説だった。(1974年春「野生時代」創刊号掲載)

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2019年6月4日放映 NHKBSプレミアム「街歩き太平洋の島スペシャル」より

二編を一気に読んだが、片岡の小説表現はイメージをリアルに浮かび上がらせる。

「彼の・・彼女の・・」の二章では長野県上田市内で雨に降られ無料の公共浴場で雨宿りするのだが、その湯船の中で昼に出会った運命の女性に再び会う(混浴と言うか、区分のない湯船だった)。前後の表現が分かりやすくリアルに頭に入ってきた。

続く三章ではカワサキで走行中、悪ガキカップルが運転する車が、面白がって彼のバイクを煽り幅寄せをしてきた。結果はバイクの主人公が断固とした反撃に出た。悪ガキ運転者を同伴者の前でボコボコにし、おまけに車もガードレールにぶつけ大破させた。とても暴力的で、私などとてもできないことだけど現場がクリアーに見えた。

他にも、仕事先の先輩と彼の妹をめぐってバイクを走らせ決闘をした。中世の騎士のごとく馬上で槍を持って闘うようにして決着をつけた。瀬戸内海に浮かぶ彼女の島でのこともそうだった。なんと言うか、ドキュメンタリー的進行に会話を加えながら文学的にしたような印象を持った。

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オアフ島の波・・・パイプライン・・「世界ふれあい街歩き」NHKより

片岡はこのあたりの「文学的極意」について連載第9回で語っていた。

「波乗りも、バイクも好きだった。当時一番面白いと思っていたことを書こうとした」

サーフボート、バイク等々「ある種の道具立てに頼らないと話を作れなかった」

読む端から面白いといえばコミック。コミックを小説で書けばいい」と思った。等々。

この辺、「ゴルゴ」のさいとう・たかをさんが劇画つくりについて語っていた「映画の画面構成そのものを紙の上につくる」ということに、何か通ずるように感じた。

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我が家で咲き始めた菊

「彼のオートバイ、彼女の島」は大林宣彦監督によって映画化された。

映画では最後に上田市の湯船で知り合った女の子がバイク事故で死んでしまう結末だった。小説を読み進む中で、できるならばそんなジ・エンドでなければいいなと思い始めていた。願いが通じたわけではないのだが事故にも合わず、死ぬこともなかった。良かった~!

 

 

 

2019年10月19日 (土)

百田さん!ヨイショ感想文は効果あったかも!

「読書がすんだらヨイショせよ」とは作家本人であったならば決して口には出すことはないかもしれない。

というかちょっと古い時代の小説家ならばお世辞に怒り「俺の文学が理解できないなら百遍読んでから出直せ」ぐらい言ったじゃないだろうか。

癇癪持ち(?)の漱石なんかだったら激怒ものか。

でも漱石は今の私たちにもよくわかり、ヨイショを求められずとも凄いと思う。

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実は、私のおっちょこちょいの話だ。

上の写真広告は新潮社が百田尚樹さんの作品「夏の騎士」を宣伝するための企画として読書感想文を求めたものだ。

ちょっとユニークなのは、読後感がどうであれ「ヨイショ」を求めていることかな。

それが、ネット上で炎上?し、批判や揶揄がどっと来たようで2日で中止された。

そんなことがあって、我が頭に刻まれていた。

書店に行き、他の書物を探していたのだが、文庫本のコーナーで「百田尚樹本」がどんと平積みされていたのだ。

てっきり炎上本だと思ってしまった。カバーの帯に著者初の自伝的小説とあったので面白そうと買ってしまった。

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ところがである、家に帰って手に取ってみると違うではないか、炎上感想文を仕掛けたのは新潮社であるはずが、なんと幻冬舎の文庫本だ。

しかも書名は新潮社が宣伝したのは「夏の騎士」であるのに手元に有るのは「錨を上げよ」だった。

幻冬舎は意図せぬ釣果にほくそ笑んだかも。

百田さんについては「永遠の0」はそれなりに読み、映画も観たのだがその言動は私の考えるところとだいぶ違っている。

ま、それでも何も知らずに批判をしたら風評をあたかも自己の深慮の説のように唱えるヘイトスピーカーになってしまう。

そこで考え方が異なる方の言説でも面白そうだと思うものは読んだり、紹介されているところには行ってみたりするのだ。

節操がないと言われそうだけどね。

最近そういえば東京都の条例に「ヘイトは良くないよ」と啓発するものがあって、この条項に抵触した初めての摘発があったと報道されていた。

実は、今回のような出版社への貢献をもう一つやっってしまったのだ。

新聞の書籍広告欄に次のようなものが何回か掲載された。

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ちょっと前にも触れた辻政信さんの著書だ。

この御仁も評価は様々だ。

有名なのはノモンハン戦争時に参謀として積極攻勢の主導をしながら大敗を喫したことや、ガダルカナルやインパールにも関わり、かなり否定的に見られていることが一つ、しかしそれでも名将と称える人もいることも事実。

私はどちらかというと前者なのだが、実はこの辻さんの親族だと自称する人とよく酒を飲んだとやはり自称していた方と何回か酒を酌み交わしたことがあるのだ。(ややこしいけど、私は「親族」という方とは面識がなかった)

残念ながら既にお二人共に鬼籍に入られているが。それで再々辻政信の話を聞かされたわけだ。したがっていいも悪いも頭の中に辻政信の名が残存しているのだ。

それはともかく、買って読み始めた。

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読了したら、それぞれヨイショでない感想文を書く事にしましょう!

2019年8月23日 (金)

「騎士団長殺し」の聖地巡礼で小田原の山に行ってきた!

8日間も入院して、しかも重篤でなければ使える時間はたっぷりある。とは言っても筋トレは鼻に響くし、病室から抜けられないからジョギングも無理だ。そうなると、うつらうつらとまどろむか、本でも読むしかない。

4冊持参した。一群は村上春樹さんの「騎士団長殺し」の第1部の下、第2部の上下(新潮文庫)、そして「新海誠の世界を旅する」(平凡社新書)。折もおり新海監督作品「天気の子」が7月19日に公開されて以来、現在までに750万人動員し、興行収入は100億円突破というからすごいね。(8/23 朝日新聞朝刊)

我が親族も初日に映画館に足を運んだ。

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文庫本カバー

とりあえず[騎士団長]は読み終え、[新海本]は4分の3ほど読んだ。

村上さんはノーベル賞候補にもなり、国外でもよく知られている。この半年の間に旅した香港、カンボジア、ベトナムでも日本人作家の代表のように書店の棚に並んでた。

でも、国内では評価は様々だ。評価といっても文学論的評価からはじまり、あまねく知らせる書評、読書感想文などなど、さらにはそれぞれの方法論についての流派もあるから多様であって当然だ。

私なんかは、面白けりゃいいのだ。私は最近の村上作品などはファンタジーのように読んでいる。地下に潜ったり、異世界やそこの住人と出会ったりと、「不思議の国のアリス」のようじゃないか。ある評論家は「なぜ、同じ話を書き続けるのか?」と提起しながら論じていた。大江健三郎なども四国の森が再々出てきたけどね。

他の小説でも同じように地下に潜り異世界と交流するのだが、今回は「主要登場人物」が画家であり、私の知ることのない画家の内面がさらけ出される。

描画に際しての対象との関係性やら、そこに至るまでの「段取り」など面白い。たまたま、この前読んだ原田マハさんの登場人物もキュレーターという絵画に関わる仕事をしていたので似たような登場人物というそれだけでも面白かった。

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文庫本帯1

もう一つ面白いなと思ったのは、登場する女子中学生と画家との会話だ。

他の小説などを読むと、いろいろな年齢やら人生経験を積んだ人たちが難しい話を誰彼構わず同レベルでする場面に出っくわすこともあったが、私などはこのシュチュエーションや登場人物の設定では「そんな小難しい話はしないでしょ」といつも思った。

ところが、この小説では私の内心を見透かしたかのようなやりとりがあった。

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文庫本帯2

画家と少女のやり取りでも何回かあったが、第四分冊の後半に出てくる少女と騎士団長のやりとりに次のような会話があった。

騎士団長「スズメバチにはくれぐれも気をつけた方がいい。それはどこまでも致死的な生き物であるから」

少女「チシテキ?」

騎士団長「死をもたらしかねないもの、ということだ」

騎士団長「ここはそんじょそこらの普通の場所ではあらないのだから。やっかいなものが徘徊しているのだから」

少女「ハイカイ?」

騎士団長「うろつきまわっているということだ」

まあ、こんなふうのやりとりが各所にあって私は「中学生には馴染みがない言葉だよな」と共感した。

もう一つ、興味を引きつけたのは舞台が神奈川県小田原市の山の中だということだった。

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小田原の街に近い山・・家が点在している

小説の中では主要な登場人物が、谷を挟んだ向こうの山に家を構えているという設定だった。

読み終わってすぐ、小田原だったら行けないとこでない行ってみようということになった。

ただし、山がどうなっているかは知らない。箱根山の登り口ぐらいかなという知識。

そこで思いついた。そうだ、秀吉の小田原・北条攻めの際の一夜城の山があるではないかと。

調べてわかった。笠懸山の山頂に構築された城跡があるところで、今は石垣山一夜城と呼ばれているところのようだ。

カーナビに導かれて行った。何回かカーナビが別のところを案内し、一度など箱根山の鬱蒼とした森の中に入ってしまった。

なんとか、たどり着いた。想像以上に良いところだった。

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ここを抜けると石垣が崩れたものの広いところに出た。

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こんなところを抜けて眺望のきくところに出ると見えた。城だ。

北条氏が見上げたと同じように、秀吉は小田原城を見ていたのだ。

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左に小田原城が見える。(但し、江戸時代のものの復元)

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思わぬところで、アニメでないのだが聖地巡礼をすることになった。

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小説の中でも出ていたが、同じ山の中の家でも、海の見え方で建物や土地の値が変わるのだそうだ。

これだけ見えると高いかな!

 

2019年7月19日 (金)

原田マハさんの本、面白く読んだよ!

正直に言えば原田マハさんのことは全然知らなかった。

一ヶ月に何回か書店に寄り、本棚を一覧するのだが、この日は「騎士団長殺し」(村上春樹)の文庫本が出たということで覗きに来たのだ。村上さんはすぐ見つかる。たいてい平積みしてあり、目立つのだ。文庫のコーナーに差し掛かっただけで確認できた。

そんなことで、そこは通り過ぎながら棚を眺めていると、飛び込んできた背表紙があった。

「キネマの神様」(原田マハ)だった。

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実は「キネマ」が目に飛び込んできたのだ。

時々ブログにも書くのだが、今、ブルーレイ録画で映画(キネマ)やらドキュメンタリーの私的ライブラリーを構築中なのだ。

最近WOWOWだけでなくNHKや民放でも新旧の多彩な映画が放映されている。それらを整理して保存しているに過ぎないのだけれどね。

でも、それなりに溜まってきている。最新のものではミッション・インポシブルの全シリーズだとか007の全シリーズ、更にランボーシリーズやらカリブの海賊シリーズ、インディジョーンズのシリーズなども。

邦画で言えば是枝裕和監督の「万引き家族」他一連の監督作品、山田洋次監督の「寅さんシリーズ」他の一連の作品。古いものではアランドロンやジョンウエイン等の主演映画から黒沢監督や小津監督等まで。

ところが、暇人であるはずの私なのだが、溜める一方でほとんど視ることが出来ぬまま現在に至っているのだ。

これでは、整理保存する意味がないね。いや、孫子のために残すのもいいではないかといわれても、この間そうであったように、今主流の記憶媒体などは遅かれ早かれ骨董品になり、再生できなくなるのがオチだ。

そんなことで時間があるときはなるべく視ようと決意した。その際できるならば、評価の定まったポピュラーな作品は見落とすことなく視たいものだと思った。安易な道を選び、映画評論などのベストテンとかを参考に視始めようと考えていたのだ。

そこに「キネマ」が飛び込んできた。

それ以来一ヵ月が経過したが、原田マハ本は三冊読み終えた。

二冊目に読んだのが「本日は、お日柄もよく」。

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この本などは、政治家の演説をサポートするスピーチライターが主人公。

リアルタイムで選挙戦真っ只中という今、感想などを書きたいところだけど、北海道警察に「選挙妨害だ」などと罪名をつけられて捕まるのも嫌だから読後感を述べるのは選挙結果がでたあととしよう。

それにしても「消費税増税反対」を言っただけの婦人を四、五人の屈強な警官がつかまえに来るなどひどい。特高警察でもあるまいし。忖度極まれりだ。放火事件といい、今、私はどこの国にいるのだ?

そして、先週読み終わった三冊目が「楽園のカンヴァス」だ。美術館のキュレーターが登場しピカソやルソーの作品をめぐって物語が展開する。

面白かった。

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録画ライブラリーには美術館物などのドキュメントやらレポートも含まれているので、整理のモチベーションが上がった。

 

ところで7月18日の朝刊に最新の芥川賞と直木賞の結果が掲載されていた。

原田さんは直木賞にノミネートされていたのだね。

残念ながら受賞できなかったけれど、偶然とはいえ発表の日までに三作品を読むことができたのは幸いであった。

それにしても、選挙やら直木賞などもからんで奇遇だね!なにかの神の引き合わせかな?

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本の神様だー。

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キネマの神様の帯。

 

 

2018年5月12日 (土)

さすが本屋大賞!面白かった「村上海賊の娘」読了!なんと、時の町、今治とつながった!

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「村上海賊の娘」・・・4月中旬のブログで神戸からのクルーズに参加した際、読み始めた小説の舞台がまさに船上から見えるその海・「瀬戸内海」だったというを話した。
昨日この「海賊娘」を面白く読み終わった。
そしたら、今朝の新聞でまたまた神のお導きがあって再びつながった。
 
どこにつながったかというと今治市だ。
愛媛県今治市の加計学園獣医学部にかかわって愛媛県知事が元首相秘書官柳瀬氏の言動に「県の信頼に関わる」として反論を開始した事だ。
合わせて同席した今治市の職員も柳瀬氏と名刺交換したことを明らかにした。
そしてその名刺がまさに名刺サイズで掲載されていた。
これに関わる記事が朝刊一面と二面に掲載されていた。
そしてもう一つが一面下段のコラムに「奄美大島 徳之島 沖繩」の世界遺産登録についてユネスコが延期を発表したと書かれていた。
 
 
今治と世界遺産をあれこれ調べていたところ「日本遺産」というものが浮上してきた。
今治市が村上海賊の日本遺産認定申請をしていたのだ。つながった!
 
 
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もともと、私は村上一族の拠点である島は瀬戸内海にあるという程度の認識で今治だとは露知らずだった。
小説の最初のページに古地図がついている。
よく見るとどうも愛媛県のようだ。
更に仔細に見てようやくわかったのだ。
無知の知・少しは利口になった。
 
村上海賊は、能島村上家、来島村上家、因島村上家の三家で成り立っていた。
そして、この三家が拠点にしていたところが「瀬戸内海しまなみ海道」で繋がっている島々なのだ。
本州からスタートすると広島県尾道市の向島、因島からはじまり今治市の諸島を経て四国につながる。
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      ここは瀬戸大橋。何年か前に夫婦で旅をしたとき撮影。
 
 
この島々について今治市と対岸の尾道市が文化庁に対し「日本遺産」の申請をしていた。
そして2016年4月「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島ーよみがえる村上海賊の記憶ー」として認定された。
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恥ずかしながら日本遺産のことも知らなかった。
まあ、2015年創設だから仕方ないか。
 
それじゃ日本遺産って何なんだ?
短くまとめた説明文があった。
「世界遺産登録や文化財指定は、いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い、保護を担保することを目的とするものです。一方で日本遺産は、既存の文化財の価値付や保全のための新たな規制を図ることを目的としたものでなく、地域に点在する遺産を「面」として活用し、発信することで地域活性化を図ることを目的としている点に違いがあります」(文化庁パンフレット)とのことだ。
 
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「村上海賊の娘」の読後感を書こうと思ったのだったが加計学園その他の話になってしまった。
でも、この「娘」村上一族の中では醜女とされ己の自覚もそうであったが、違う地域では美人と評価された。目鼻立ちのはっきりした風貌であったようで、その頃の美人は天平美人でみられるような下膨れで切れ長の細い目が美人だったからか,旧来の観念に取り込められている人々にとっては「ブス」でしかなかったようだ。
評価基準は千変万化なのだ。
物語の時代背景は信長が本能寺でなくなる前、そして上杉謙信も存命しており、そこに毛利も絡み何時天下の均衡が崩れるかという状況だった。
窮地に陥いって万事休すであるはずが、そこを脱して動き始めたり、絶体絶命だと思ったところがむくりと起き上がったりと奇想天外なところもあったけど面白かったよ。
室町から戦国にかけては天下人の動き以外のところを見ていくと面白い。
建武新政、応仁の乱然りだな。

2017年10月28日 (土)

増刷されたばかりのカズオ・イシグロ本に挑戦したよ!ミーハーかもね!

ミーハーだと言ってもわからない方々が多くなっているかもしれないね。

昭和の初め頃から使われ始めた俗語だそうで、ある事象等について元々何も知らなかった、あるいは興味も示さなかったのにテレビなどで話題になってから飛びつく人のことを指すようだ。

私はその典型かもね。今日はノーベル賞のカズオ・イシグロだ。

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ああ、その前に、やはり直前の衆議院選挙にミーハー的コメントを入れておかなきゃ面目が立たないね。

結果は自公与党の大勝となった。

与党の獲得議席が310議席とすごいのだけれど、国民の意識がそのまま反映されているわけではないようだ。

自民党で言えば議席占有率は74.4%と圧倒的なのだが、全有権者の中で獲得した得票を見ると25%に過ぎないのだね。

言い換えると国民の四分の一しかはっきり自民党だと言っていないのだ。もちろんこれは他党にも言えるけどね。

小選挙区制度が良いのだか悪いのだか?どんなもんじゃろな?

一方対抗馬として注目された希望の党はというと雲行きが怪しくなってしまった。

あれこれの政策について自民党と大差ないことが分かったり、組織運営手法が安倍さんに負けぬ上意下達であったりと急速に期待がしぼんだ。細川護熙さんに言わせると小池さんの「おごり」も大きいようだけど。

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                                         選挙終わってどんなもんじゃろね

その間に動いた前原さんは民進党内部では総スカンを食らうような事態に追い詰められた。一定所帯の党首として選ばれながら、直後の選挙で無所属で出馬とは前代未聞だ。しかし、彼はそれなりに貢献した。

何かといえば、民進党内部の左右ウイングの幅や伸びやらのはっきりしないものを少し変えることにつながったからだ。

憲法や原発についてこれがひとつの綱領のもとに活動する政党かというほどに百花争鳴が続いていた。

支持母体である「連合労組」内の電力会社労組やその他微妙な利害を持つ企業労組などの思惑もあって「稼働反対」「軍事費を削れ」などが言えなかった。

この辺りがこの選挙戦を通して国民には分かりやすくなったかもね。枝野さんの固い決意の元に「立憲民主党」が創設されたしね。

隠しごとのない情報によって作られる民意を掬いあげ、市民の利益に反する政策を強行突破・遂行しようという勢力への対抗の中心となるように期待したいもんだ。

さて、本来のミーハー的話題に戻る。イシグロだー。

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ノーベル賞が発表されたその週には大きな書店にも関わらずイシグロ本は一冊もなかった。(複数の大型書店を覗いた)

そもそもイシグロ本の版元である早川書房のコーナーが縮小されて以前より奥に移動していた。

次の週、代表的な作品が平積みされ始めた。

私は、そこで意を決しイシグロ本を購入して読み始めた。そして読み終わった。

先ほど書店に様子を見に行ってきた。

大きな紙が目に付いた。ベスト本を紹介する掲示だった。イシグロ本がベストワンにランクされていた。

世の中の急激な変わりように驚いたのはそこに書かれていた文句。

イシグロ本が売れ切れたようで、「版元で重刷しているからしばらくお待ちください」とお詫び文が出ていたのだ。

私といえば、久しぶりのことであるが、まどろみの友としての小説読みでなく、まさに机に向かって読んでみた。

もちろん小説は寝ながら読むのが私流のメインの方法であることには違いがなく、もう一年越しになる船戸与一さんの「満州国演義」を床右の書としてとお付き合いしている。

これもようやく最終第9巻「残夢の骸」に達した。

中国からアジアに拡大されていった戦いの緻密な記録としても読めそうなドキュメントタッチの物語だ。

まあ、年内に読み終えずもう一度正月を迎えることになるのかな。

 

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眠る前読書は遅々として進まない。まあ、日に数ページだろうか。

それに対し、机前読書はすごい。気が付くと数十ページ進んでいた。

004_2でも、原稿用紙7500枚の大作だからね。しかも船戸与一最後の作品。

 

 

それはともかくイシグロ本として「遠い山なみの光」を選択し読んだ。

理由は単純。長崎が舞台になっていると聞いたからだ。

日本敗戦前後のことも出てくるのだが、読み始めてすぐ戸惑った。

思い込み、決めつけていたイシグロ自身の長崎在住時の回想ではなかった。

メインの登場人物は、もうすぐ子供が生まれる悦子という女性。

そして話は悦子と人々との関わり?会話が綿々と続く。

そして時空を超えて舞台がイギリスの田舎であったり、長崎になったりと行き来する。

長崎は朝鮮半島で戦争があった頃のようで1950年代。一定の復興がなされている。

イギリスは長崎にいた当時お腹にいた子が成人し、精神を病み自殺したとあるから1970年代終りから80年代にかけてぐらいだろうか。

原本は英文なのだが、小野寺健さんの訳が素晴らしく、私自身が子供時代に聞いた大人たちの脈略なく噛み合わない会話を再現しているなと思った。

まあ、解説によれば「価値の転換期に遭遇した人物が心の中で自分の過去をどう精算すれば良いか悩む」というのがテーマだそうだ。まあ、確かにそこは感じた。新任の教師が戦前恩師だった人に対し間違いを指摘したり、長崎へ投下された原爆についても会話の中に数回登場した。

1960年に五歳で渡英したイシグロが、記憶し温めていたものではまさかありえないだろう。つまり、その辺りが普遍的であると評価されるところのようだ。純然たる英文学であるのだが日本人としても違和感のないものとして読めた。

Dsc06625_2             改築途上で世話のできない我が家のホウキグサ

 

でも、ノーベル文学賞がよくわからないといったところが私の本心。

ニコニコ大百科やwikipediaを見ると世界で最も権威のある文学賞であり、作品・作家の活動全体に対して与えられる賞とのこと。

ま、ミーハーもこの作品に出会う機会が作られ読むことができたのだから良しとしよう。

 

 

 

2015年5月 6日 (水)

片岡鶴太郎は名優なのか・・・TV「軍師官兵衛」と小説「播磨灘物語」を比べて




岡田准一が官兵衛を演じた大河ドラマ「軍師官兵衛」の録画を見終わってしばらく間が開いたが、今、官兵衛を主人公とした「播磨灘物語」を読み進めている。

司馬遼太郎作品である。

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この間、佐伯泰英作品「交代寄合伊那衆異聞」を21巻「暗殺」まで読んだとブログに記録した。

この「暗殺」は2014912日第一刷であった。半年に一度の刊行であるので当然この三月に22巻が出るのを待っていた。

やはり出た。313日第一刷22巻「血脈」だ。そして、これは買ったその日に読んでしまった。

シチュエーションとか登場人物など、物語の流れがほとんど頭に入っていることから可能となったのかも。

文体も分かりやすく、使用されている語彙も難しくないことから一気に読み込んでしまったのだろう。

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それに対し、播磨灘物語はどうか。司馬遼太郎は何冊か読んでいるが、文体は全く違うけれど、これもまた読みやすいのだ。

「交代寄合・・・」の創作物語と違ってどちらかというと歴史事実を踏まえた評伝のようなものだ。

司馬遼太郎自身も、この「播磨灘物語」の冒頭で「官兵衛の祖父や曾祖父のことといっても、遺されたわずかな文献や現地で想像できるだけで、よくわからない。随想風に書いてみるのが、無難かと思われる」と書いている。

これは祖父、曾祖父に限ったことでなく全編、その趣がある。

だからエッセイでも読むように頭に入ってくるのだろうか。


 人によってなじみやすい文体があるのだろうな。


 実際、この間読んだものでは浅田次郎の「蒼穹の昴」から始まる中国清朝末期を舞台にした物語(全
9冊)とか吉川英治「私本太平記」(全8冊)は読みにくかった。

でも、物語に入り込んでしまうと西太后やら足利尊氏に感情移入して読み進むのだけれどね。


 ところで、表題の片岡鶴太郎に話を振ろう。

片岡鶴太郎はドラマなどで時々見ることがあった。

ただ、印象は「このところ随分頬がこけてきたな、病気でなければいいのだが、」ぐらいだった。

そして「軍師官兵衛」にも登場した。

黒田家官兵衛の父の代から家老として仕えた小寺家の当主小寺政職としてだった。

TVを観ながらこんな戦国武将がいるのだろうかと疑いながら、一方で片岡鶴太郎の過剰な剽軽演技かと思っていた。


 しかし、「播磨灘物語」を読み進むにしたがって、特に二巻目あたりの織田につくか毛利につくかという場面で小寺政職の周章狼狽ぶりが描かれていて、はっと思った。

片岡鶴太郎の演技はまさに「播磨灘物語」に描かれた小寺そのものだと。

鶴太郎さんはもしかしたら「播磨灘物語」を相当読み込んだのかなと改めて感心した。勝手な想像だけど。


 他の役回りでも、実は
TVで演技していた人たちの顔が浮かんでいるのだが、柴田恭兵が演じた官兵衛の父や竜雷太が演じた黒田重隆なども読んでのイメージに近いものだった。

官兵衞の岡田准一は「永遠のゼロ」の零戦パイロットと重なるものの、司馬官兵衞とはちょっと違った。

小説から抜け出したようだと言って名優とは言えないかもしれないがね。

2014年12月11日 (木)

肝を冷やすよ!堤未果さんのレポート!

堤未果さんの「沈みゆく大国アメリカ」集英社新書 2014年11月19日 第一刷発行を読んだ。

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著者がアメリカの貧困を鋭く指摘していることは知っていた。

「自由の国アメリカ」の現在のレポートを見て愕然として肝を冷やした。

オバマが就任して以来私が期待し注視していたのは国民皆保険への取り組みだった。

マイノリティへ手を差し伸べる姿勢に共感し応援したい気持ちが募った。

しかし、皆保険の実態は見事無残であったとのレポートを見てしまった。

堤未果さんによる報告である。

結論から言えば、皆保険といっても日本にある制度とは全く別ものであるということだ。

また、民間保険会社に依存しているということ、いや支配されているということだ。

また、高齢者や身体障害者に対するメディケイド、メディケアなどがあるが依拠する制度により診療報酬に違いがある。治療しようとしている人が医療機関を訪れても医師が診療に躊躇する仕組みにもなっている。薬価についても国が関与できないという基礎的部分に大きな違いが有り、支払いがかさみ、薬代・医療費で自己破産するという日本では今のところ考えられないような事態も発生しているようだ。

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アメリカをよしとし、後追いしているような日本。優位にあると思われる制度が潰される。

金融ビッグバーン以降の日本国内でのあれこれの動きもアメリカ資本上陸の露払いでしかなかったようだ。

日本の現在の姿はアメリカがたどった道を確実に進んでいるように見える。

会計制度における国際基準準拠、保険制度における共済の排除、混合診療の導入の意図、企業の寡占化、各種規制緩和。

自分の目でしっかり見たほうがいいかも。