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歴史・地域

2023年10月19日 (木)

十数年ぶりに静岡市での泊り。「どうする家康」の聖地巡礼をしてきたよ!

「寄り合い」があって、静岡市に泊りがけで行くことになった。

ならば、駅近辺に限られるが「どうする家康」の聖地巡礼をしようと決めた。

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とは言うものの、実は「どうする家康」を私はまだ一話も見ていない。

我が家のドラマ視聴ルールというかパターンに因るのだが、連続物などはリアルタイムでは見ることをせず基本的に見たいと思ったものを録画して、完結したところで見始めて一気に見るのだ。

大河ドラマなどは一年間も放映されるのだが、最終回放映後しばらくしてから視聴を開始して長くても一か月半で全編視聴完了となる。

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これは深い意味やら理由などはない。一週間もたつと前回の話を忘れてしまうという私や奥さまの私的特性の為だ。いや、私だけの特性かな。

ただ、予告と言うか、コマーシャル的にドラマのシーンが流されているので家康(松本潤)を中心としたイメージは頭の中にあるけれどね。

静岡駅北口を出ると早々に聖地ならではの物にお目にかかれた。

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左の若武者はなんと家康若かりし頃、幼名竹千代の像だった。右に控えるお方は今川家当主今川義元。

家康が数奇な運命をたどったことは万人の知るところ。6歳で信長の人質となり8歳で人質交換により今川家(駿府)に引き取られた。でも、岡崎城の若様として遇されたようで1555年には当地で元服もし、それから5年後の1560年に岡崎城に戻った。

現在の静岡市は県庁所在地らしい様相を見せていた。

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静岡駅と駅前

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この日はそのまま「寄り合い」の会場に向かった。立食パーテーイがあった。

そこでの参列者にたまたまであるが、一週間前にモンゴルから帰国したばかりだと言う人がいた。

となるとTVドラマ堺雅人主演「VIVANT 」(別班)が話題になるのは必然か。

先に触れたTV視聴の続きになるけれど、私はこの「VIVANT」は放映完了後即録画再生で全編視聴を完了したばかりだった。視聴率も瞬間最高で20%の大台に乗せたようだしね。

物語の是非はともかくとして砂漠は美しかった。ウランバートルでは日本人旅行客が大分訪れていたそうだ。

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ドラマ「VIVANT 」より

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その日は十数年ぶりとなる静岡駅近くのビジネスホテルに宿泊した。

朝食がなかなか良かった。見映えだけでなく味も納得。

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朝飯を美味しくいただき、さあ、聖地巡礼だ!

 駿府城址に向かった。

ホテルは駅南口だったので改札前通路を北口に抜けると地下道入り口の向こうに銅像が見えた。

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久能山東照宮国宝指定記念之碑の横に立つのは徳川家康だ。

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 ところで家康が駿府にいたのはいつ頃か。調べてみた。生涯三つの期間駿府で生活していた。

一度目が、先に触れた人質時代。

二度目が1586年から1590年の間で家康45歳から49歳までの働き盛りの時期だ。

駿府城は1587年に修復が完了したようだ。翌年には家康は秀吉に忠誠を誓っている。

駿府三度目は1605年に将軍職を秀忠に譲り大御所となり、1607年になって駿府城を隠居城とした。

それから1616年、家康75歳で亡くなるまで駿府で生活したようだ。

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お濠端に着いた。

デーンと構えているのは巽櫓(たつみやぐら)。

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すると正面に見える東御門橋を潜って来る和船が目に入った。

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この船お濠を回遊する「葵舟」。現在は土日、祝日のみ運行されているとのこと。

東御門の正面に来た。

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さあ、駿府城へ入城だ。

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門を抜けると緑豊かな公園が広がっていた

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城内ではいくつものイベントがやられていた。

 

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その傍らでは発掘が続いていた。

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家康の大御所時代の像が行事や発掘を見守っていた。

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一巡して城外から坤櫓(ひつじさるやぐら)を仰ぎ見て帰途に就いた。

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なかなかよかった。

発掘が順調に進み、天守閣が復元されると又ちょっと違った印象になるね。

2023年9月21日 (木)

メキシコ、やはり行ってみたくなった ‼

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到着!

東京国立博物館平成館 特別展「古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」だ。

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子供の頃、テストの結果がどうであれ歴史は好きだった。

最古のチグリス・ユーフラテスのメソポタミア文明やらハラッパ・モヘンジョダロのインダスそしてナイルに黄河と古代四大文明は中学でも、高校でも教えてくれた。

しかし、マヤ、インカなど新大陸の文明については個人的趣味・関心に留められていたような気がする。    

それも尤もかもしれない。

今回知ったのだが、現在に至ってもメキシコ国内だけでも多くの遺物や遺跡の新発見が続いているようであるし、発見はされても未発掘の遺跡も相当あるみたいだ。マヤ遺跡のひとつパレンケなどは未だ全体の2%ほどしか発掘が進んでいないそうだ。私の子供時代ではなおさらで、教科書にこういう文明だと断定的記載はできなかったかもしれないな。

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私は1990年代に海外回遊を始めた。先ずは近くて気軽に渡航できた中国へ何回か訪れ、遺跡も巡った。(現在も近いことは変わらず、市民同士は親しく交流できるのだけど、双方の為政者がどうもね。)

それから何年か経過し2020年になって漸く念願のエジプト旅行が実現した。

そして次はメキシコだと頭の中でプランを巡らし始めた矢先、世界がコロナウイルスに襲われた。

私たちも危機一髪のところだった。ナイル川クルーズでアブシンベル神殿などを訪れたのだが、私たちが乗船した数日後のクルーズ船でコロナ感染者がでたことを帰国後に知った。まあ、その時点ではこれほど大ごとになるとは考えてもいなかったけどね。

それから3年間わが家の禁足令は未だ解除せず、海外渡航はできていない。でも、今回の古代メキシコ展での出土品等を見て再びメキシコ旅行への衝動にかられた。

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ジャガーの土器 マヤ文明 A.D.600~900年

今回の展示物も写真撮影可であった。

展示の構成は四章に区分けされていた。

第一章 古代メキシコへのいざない

第二章 テオティワカン 神々の都

第三章 マヤ 都市国家の興亡

第四章 アステカ テノチティトランの大神殿

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鳥型土器 テオティワカン文明 A.D.250~550年

最近どの展示会場に行っても感心するのは、観覧者にとって臨場感たっぷりとなる映像の活用やディスプレイだ。

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モニュメントを身近に感じとてもリアルだ。

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いつものことだけど今回のような展示企画に参加すると新たな発見がある。展示物だけでなく、掲示されている解説文の中に出てくる表現・概念もそうだ。

解説の中に初めて見る表現があった。浅学にて知らなかった。「メソアメリカ文明」だ。

調べて分かった。北米大陸のメキシコ高原・ユカタン半島一体に存在した古代文明の総称なのだそうだ。(appendix list より)

「メソ」とはギリシャ語の接頭語で「中央にある」という意味だと。つまり中央アメリカ文明だ。そこで推測した。

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球技をする人の土偶 マヤ A.D.680年~950年

もしかしたらメソポタミアの「メソ」も同じかも。調べた。当たりー!

こちらの方がもっと分かりやすい説明だった。「メソ」とは「~の間」というギリシャ語で「ポタモス=川」と合わさって川の間にある地方となる。つまりメソポタミアとはチグリス川とユーフラテス川の間の地方と言うことのようだった。ついでにメソアメリカの説明もあった。南と北のアメリカの間だそうだ。(YAHOO !知恵袋)

古代ギリシャは学問発祥の地と言われるが、歴史的な事物を表す言葉の語源にはギリシャ語が多いのかな。

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火の老神石彫 テオティワカン文明 A.D.450年~550年

中南米の文明に関連してはペルーのマチュ・ピチュやナスカの地上絵、マヤのピラミッド、そして1532年のスペイン人フランシスコ・ピサロの侵攻、彼らが持ち込んだ病原菌による多くの人たちの死などが浮かぶ。

この間、関連するTV番組がいくつか放送された。展示物の説明文に合わせて、テレビの放送が私の理解を助けてくれた。

一つが「上白石萌音のはるかなる古代文明 マヤ」NHK総合 8/10放送

二つは「ぶらぶら美術 マヤ文明の至宝が上陸」BS日テレ 7/26放送

三つは「生と死 古代メキシコの世界」NHKBS 8/12放送

四つは「南北アメリカの歴史」放送大学 BSキャンパスon 

NHKがずいぶん時宜を得た番組編成をするなと思ってチラシを見たら今回の特別展では東京国立博物館と同じく主催のメンバーだった。だからか上白石さんは展示会場での音声ガイドのナビゲーターでもあった。

奇跡の初来日と言われたマヤの「赤の女王」も。

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7世紀後半 パレンケ 13号神殿出土

赤の女王

 この展示会を通して認識が変わったことのひとつがアメリカ大陸の文明は非常に多彩で広域でなおかつ長い歴史なのだということだ。少年時代に頭にあったのはインカとマヤだけだった。でも、下図を見れば一目瞭然のようにメキシコだけでも多彩で長い歴史がある。

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放送大学「南北アメリカの歴史」より

いくつもの文明の盛衰があった。

そして何よりも言えることは、マヤ・メソアメリカの都市国家は何らかの事情で消滅したり、滅ぼされたけれど、その文化や伝統、そしてそこで生きていた人々の子孫がおり、今も続いているということだ。

上白石さんの「・・・遥かなる古代文明」(NHK)の終盤でマヤの現在が紹介されていた。ユカタン半島には今なお800万人以上の「マヤ人」が暮らしていて、風習を継ぎながら、なおかつ驚いたことはマヤ語が使われているとのこと。その人たちへのインタビューで「学校ではスペイン語しか教えないけどね」と話が出た。

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鷲の戦士像 アステカ文明 A.D.1469年~1486年

もう一つ特筆できるのは彼らは我々と同じモンゴロイドだということだ。

彼らがシベリアを経由してアメリカ大陸に移動してきたという話は、昔からよく聞いた。

でも、科学的根拠がはっきりしていなかった。ところがDNA鑑定などで裏付けられたようだ。

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「南北のアメリカの歴史」より

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DNA鑑定によればアメリカ先住民の源郷はシベリアのようだ。

以前何かで見たのだけれど、日本人のDNA はユーラシア大陸の東部から南部にかけて分布しているようだ。そして、中でも集中して見られるのがバイカル湖周辺だと聞いたことがある。(真偽不明)

もしかしたら先祖を同じくする人たちがアメリカ大陸にいるかもね。

メキシコに行けば会えるかも!

2022年9月 2日 (金)

頼朝公が出陣するぞとの報を受け、私も馳せ参じたのだ!

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いざ、出陣だ!

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皆の者、いくぞ!

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姫たちもお供します!

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私も何を措いても馳せ参じることとした。

三嶋大社(静岡県三島市)の大祭がコロナ禍の中で三年ぶりに執り行われた。

恒例の「頼朝公旗挙げ行列」に「本物」の頼朝が登場するとあって期待が高まった。

実は現在放映中の「鎌倉殿の十三人」(NHK 大河)に出演している方々が役名・装束そのままで登場したのだ。

源頼朝(大泉洋)、安達盛長(野添義弘)、源範頼(迫田孝也)、仁田忠常(高岸宏行)のみなさん。

そんな話題性の中で観客が詰めかけた。

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人があふれるようだった。

新聞報道によれば過去最多の25万人もが街頭に繰り出していたのだ。

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コロナ第七波進行中にあって感染が心配になったのだが、その後の報道によれば現在に至るまで祭りを境にしての感染爆発はなかったようで安堵した。私は6年ぶりに訪れ、久しぶりの祭りを堪能した。勿論感染していない。祭りは熱狂の中で屋台の引き回しや、しゃぎりの競演で大いに盛り上がった。

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三島は大祭のみならず水の都としても注目されている。

午後三時を回っても暑さが収まらない中、帰途についた駅への道すがら、羨ましい光景があった。清流のせせらぎの中で子供達が楽しく涼やかに遊んでいた。

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 後日知ったのだが、毎年発表される「移住希望地ランキング」で2020年、2021年の両年に渡ってトップだったのが静岡県で、その中でも県内市町別のトップ(2021年度)に躍り出たのが、この三島市だったそうだ。

水の都と呼ばれる環境とともに新幹線の駅(東京まで1時間弱)があることや移住・就業支援金等の補助金制度の存在が影響しているのではとのこと。(朝日新聞8/28)。

なるほど!

2022年4月29日 (金)

世界文化遺産がウクライナカラーでライトアップだ!

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伊豆の国市「韮山反射炉」

何気なくYahoo!ニュースを見ていたら「韮山反射炉、ウクライナカラーに」の見出しが目に入った。

反射炉所在地の伊豆の国市市長が「民主主義と人権を無視した戦争犯罪は許せない」との思いでライトアップを決めたと出ていた。(時事通信社配信)

ウクライナの戦争については多くの方々もそうかと思うのだが「21世紀の今、なぜ武力で領土拡張を?」「なぜ人々が犠牲にならなくてはいけないの?」と感じつつも手をこまねくばかりで忸怩たるものがあった。何かをしなきゃと思うのだがまずは連帯の気持ちを込めてライトアップの現場に行こうと決めた。

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韮山反射炉は2015年世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産の一つだ。

多くは九州5県に存在し、他に山口県、岩手県そして静岡県の8県にまたがっている。有名なところでは松下村塾、長崎造船所、旧グラバー住宅、官営八幡製鉄所などが含まれている。

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明るいうちに訪れ午後七時には帰途についた。

今回は反射炉だけでなく「江川邸」と江川家の菩提寺「本立寺」にも寄った。

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江川太郎左衛門英龍像

江川邸は60年ぶりの主家屋根の吹き替え工事中で臨時休館だった。

残念に思いつつ外観のみの見学としたが、邸外には久しぶりに目にする懐かしい情景や季節物があり思わぬ感動があった。

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なかなか趣のある代官屋敷跡である。テレビの時代劇でも何回かロケに使われていたようだ。

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外回りをぐるっと回ったところ、竹林の中にニヨッキと伸びたものを発見。タケノコだ。だいぶ成長しているが久しぶりだ。

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そして嬉しかったのが子供たち三人が木登りして遊んでいるところに出っくわしたことだ。

こんな風に遊んでいる子供を近頃見ることがなかった。

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観光地だからか、子供達も客あしらいに慣れているのか声をかけてきた。しかも英語で「Hi! Hello!」。

どいう子達なんだと思ったが、私も彼らを写真に収めながら「Thank you.  goodbye」と返して菩提寺に向かった。

菩提寺「本立寺」(ほんりゅうじ)は頭で描いていた以上の姿を見せてくれた。

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それほど大きくない山門であったが、くぐると境内は外からの印象とは違っていた。

眼前に自然が広がっているのだ。

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参道を歩き、本堂への階段を上ると、厳かな雰囲気に覆われる。

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自然とのコントラストがいい。

左手では日蓮像が参拝者を迎えてくれる。

奥に見えるのは仏殿位牌堂。

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この寺、日蓮との縁は深く、なんと1261年から1263年の日蓮伊豆流罪以来なのだ。

本堂前にある梵鐘は鎌倉東慶寺にあったものだそうだ。

歴史の詰まった寺のようだが、なんと秀吉の小田原攻めに関係するものもあった。Dsc00486

鐘楼の後ろに見える鳥居・・・寺に鳥居?

扁額には「峰女王」とある。

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女王様が祀られているのかと、石段を上った。

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石灯籠があるのみで何もなかった。あとで調べて分かった。

ここ一帯は本立寺付城(つけしろ)跡であり、鳥居は登り口だった。

秀吉の小田原攻めの際、北条氏規が韮山城で応戦し、そこを攻め落とすための陣城として築かれたのだ。

指揮を執ったのは蜂須賀家政だったそうだ。家政はなんとあの有名な蜂須賀小六(正勝)の長男だった。

いや、後日知ったことだけれど、おもしろいものだ。

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ゆっくり散策して反射炉に向かった。

ウクライナ侵略戦争が早く終わりますように!

2021年3月19日 (金)

東日本大震災から6ヶ月と23日過ぎた日、被災の地に立った・・・・東北旅の途上にて!

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気仙沼から西に向った途上で  2011年10月4日撮影

今月11日は東日本大震災からちょうど10年目の日だった。この日を挟んだ2週、被災について「忘れてはいけない」と肝に銘ずる日々だった。テレビや新聞が珍しくコロナのことでなく3.11に時間やスペースを割き特集を組み報道をした。

一か月前の2月13日深夜に発生した東北の震度6強の地震が、図らずも当時を思い起こさせた。我が家で感じた揺れは場所は違えど3.11に体感したものとそっくりだった。

まあ一方で、世間の心配・不安をよそに、この間も「ガース親子」やら総務省やらと賑やかだったことも確かだけれど。

10年というと特別なのだろう。新聞でもテレビでも東日本大震災に関わる記事やら特集を見ない日はなかった。

私もそれらをチェックしながら録画や切り抜きをした。

驚くことに、この間の大震災に関わるTV録画だけで100ギガディスクがいっぱいになった。大震災がテーマなのだがドキュメントやらルポルタージュのみならずドラマや映画まであった。

ひとつの事件、そしてその後10年の情報が一市民である私にこれほど多く入るのだからすごい。歴史的出来事をテーマにした番組が放送されるが明治時代ごろまでの史料は現代史料に比べれば格段に少ない。しかし、それであっても百家争鳴のごとしだから面白い。先般の明智光秀像の実像を巡ってもそうだった。震災・原発も激論を交わしながら教訓を引き出しつつ利権を排除し具体策を進めてほしい。

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気仙沼の港に残っていた傷跡 

石巻や気仙沼の震災当日の津波映像は私を震撼させた

ところで、3月13日付の朝日新聞に作家の川上弘美さんの寄稿が掲載されていた。

それを読んで、2011年の秋に友人たちと訪れた東北のことを思い出した。

川上さんは福島原発のメルトダウンの報道を見ながら感じたことを語った。

「建屋の水素爆発を見ながら『東京もきっとダメだろう・・』と漠然と思っていた。チェルノブイリの人々が土地を離れざるを得なかったのと同じように東京を離れるしかないだろうか。・・・日常は、ある日突然、取り返しようもなく変化してしまうものだなあ・・でも結局は避難を行うこともなく、被害もほとんど受けず・・・震災の数ヶ月後には『変化した日常』ではなく。『元と同じ日常』を送るようになる。・・・・震災の一週間後は原発事故の『当事者』だと思っていた。けれどいつの間にか私は『傍観者』になっていた。」等など。

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※※ 写真があるのだけれど、立ち寄った市町の名が分からなくなっていた。何枚もの写真を見ているうちに道路標識やビルの看板などの文字に気がついた。道路むこうの二つのビル。そこの看板の臼福本店と(株)勝倉漁業が目に入った。調べてみた。なんと震災を乗り越え現在も当地で活躍されていた。二社ともに漁船を何隻も保有する遠洋漁業を営む会社だった。そこから気仙沼市だと分かった。(両社におかれましては社名を使用させていただき失礼しました。ご活躍を嬉しく思います。)※※

今回の各報道と地震体験によって期せずして傍観者化しつつあった己を省みることになった。

SDGs(持続可能な開発目標)も現在の知見からそうだと思うが、昨年からの大型台風や大雪も温暖化の影響のようだし、回遊ルートが変化した魚の不漁もそうみたいだ。原発はいうまでもないが、やたら人為的に海に土や石を投げ入れている辺野古の基地造りも生態系を乱し自然にとっては有害だな。まあ、マントルの活動と地震はそういう次元ではないけれどね。でも天災と言っても必ず人災的面があるよね。

まずは震災6ヶ月目に撮影した現場写真を見ることから始め、追って今回録画しスクラップしたあれこれの感想を記してみよう。

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安達太良山

2011年10月3日から友人達と二泊三日の東北ドライブ旅行を敢行した。

福島に入って安達太良サービスエリアに立ち寄った。

まだ、震災の爪痕を見ることはなかった。

安達太良山が聳えていた。あの山の向こうには磐梯山がひかえ、その麓には猪苗代湖が広がる。

ここで食べた鴨蕎麦は絶品だった。蕎麦が良かったのか、汁か、それとも鴨肉か。

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この日の目的地は秋田角館だ。

武家屋敷跡などを散策し地酒を楽しみながら一泊し翌日には日本海側から列島を横切り太平洋側、宮城に着いた。

ここで、いくつかの被災現場に立ち寄ることになった。

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このような建物が道路脇に残されていた。

気仙沼と柳津区間の鉄路が寸断された。

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建物も襲われた。

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そして粉々に破壊された!

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東日本大震災の六ヶ月後の状況だった。

この後、私たちは山形県銀山温泉に向かった。

 

2019年6月21日 (金)

新大久保で三・一独立運動を考えた!

トランプさんとジョンウンさんのやり取りが注目されて以降、韓国では政府中枢から市民までが待望の半島平和実現を期待した。

その一方で日本と、と言うよりも安倍政権と韓国の関係がギクシャクしている。

報道では竹島問題であるとか慰安婦問題がクローズアップされているが、それも当然として、尚且つ江戸末期からのアジア史を振り返る中で感じるのは、国際的な大きな事件の真相・「事実」報道がどうも各国によって、とりわけ市民レベルに伝えられる情報が異なって(改竄?)いるみたいだということだ。当然世論は大きく異なってくる。

そんな関心から議論の中に時々出てくる五四運動(中国)や三・一独立運動(朝鮮)をネット検索してみた。

そうしたところ、ヒットした。

企画展示「3・1独立運動100年を考えるー東アジアの平和と私たち」高麗博物館。というものだ。

新大久保にある。早速行ってみた。

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最初、高麗   と聞いて、記憶を呼び起こし、たどり着いたのは高麗美術館だった。

前に行ったことがあったな、あそこで開催されているのかあーだった。でも、新大久保ではなかったよなと思いながら、出かけた。記憶では繁華なところでなく建物が木々に囲まれていたような気がした。途中で思い出した。博物館と美術館の違いだった。美術館は京都に行った時に寄ったのだ。

西と東、大間違いだった。

気を取り直し、新大久保の賑わいの中、住所地に向かった。

さすが韓流の街。

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ダンスグループが踊り、ファンが取り囲んでいた。

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賑やか!

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電信柱だけ見ると半島のどこかの街のようだ。

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この日はヘイトスピーチの集団もいなく、国籍を問わぬ老若男女がショッピング・散策を楽しんでいた。

着いた。どちらかというと新宿歌舞伎町に近いところだった。

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チラシをもらった。

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NPOが運営する小さな博物館だった。展示場は小さなビルのワンフロアーでオフィスを改装したような感じだった。

展示もどちらかというと絵解きや現物展示というよりもパネル上の文字説明が多かった。でも、あらためて学ぶ動機付けをしてくれた。

そもそも三・一独立運動とは何か。

1919年3月1日に京城から始まった日本の朝鮮植民地支配に対する朝鮮の人々による独立運動だ。朝鮮の研究者の資料によると3月から5月までの集会に参加した人の延べ人数は202万人にもなり、死者7509名、負傷者1万5849名、逮捕者4万6303名だった。

これに至るまでの簡単な経緯を年表で見ると次のようだ。(放送大学:日本外交史より)

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日露戦争が始まった年の「日韓議定書」から始まり、1910年の韓国併合という流れの先にある1919年だ。

日露戦争自体が満州と朝鮮半島の権益をめぐっての日露の戦いだった。

でも、ことは単純でなく日本は脱亜入欧の証のような日英同盟にこぎつけ、片隅とはいえ帝国主義列強の一員とされるなかでの開戦だった。単純な日露二国間の戦いではなく1914年に始まった第一次世界大戦の前哨戦のようなものだったと言う学者もいる。

そういう中での日韓併合・植民地化だった。

三・一独立運動にもどれば「教材工房」の世界史用語解説によると大変興味深いことが書かれていた。

この運動開始時の日本の首相は平民宰相と言われた原敬だ。

この原敬の日記によれば、原は長谷川朝鮮総督に対し「今回の事件は内外に対し極めて軽微なる問題となすを必要とす。然れ共、実際に於いて厳重なる措置を取りて再び発生せざる事を期せよ。但外国人は最も本件に付注目し居れば残酷苛察の批評を招かざる事十分注意ありたし」と対外的及び日本人に対し、大事件でないように扱うように指示し、一方で事実として大変であるから運動を弾圧せよと行っているように見える。

その結果、日本では「万歳事件」と報道され一部暴徒の示威行動にすぎないものとされた。日本警察は先ほど示した死者数などとは違った死傷者数を発表した。死者357名、負傷者802名と大幅に縮小され、些細な事件とされた。

そういう点で時の支配者のやることは今も、昔も変わらないね。

老後2000万円問題に至るまでのあれこれも同じだね。

ところで、私たちが半年前に滞在したばかりの香港で「逃亡犯条例」をめぐる市民の大きな反対デモがおきたね。

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香港2018年年末

香港旅行ブログに書いたのだが、書籍販売所で「雨傘運動」の本が売られていた。

新聞報道によれば今回のデモで目立つのは、五年前の運動に加われなかった「ポスト雨傘」世代の若者たちだそうだ。(朝日新聞6月18日夕刊)

そして彼らは雨傘運動の教訓を学び、市民の支持を得られないことはやらないと言って「道路の占拠はやめよう!」と呼びかけた。そして、やはり現代っ子、それらの呼びかけをSNSを使って周知徹底しているというから面白い。ハンドマイクなどでは10メートル四方の人々にしか伝わらないのだが、電波に乗れば遠く離れている人にも伝わるものね。しかもどんどん拡散していく。結果、香港政府の行政長官が謝罪した。しかし撤回はせずに、無期限延期方針だということなので予断を許さない。

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安倍政権は、選挙を前にこの件の動向を注視していただろう。場合によっては野党攻撃やら自らの合理化に使ったのだろう。中国の政権は独裁だ。怖い。だから尖閣はなどなど言いながら。

しかし「無期限延期」だとしても当局が住民の声に応えたことは、沖縄などの声を全く無視して工事を進めたり、データーをごまかしながら陸上イージス基地を造ろうとする強権政治には手痛い結果を招くかもね。

高麗博物館企画展、あと二日、6月23日までだよ!