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小説・映画

2024年5月16日 (木)

読んでから観るか、観てから読むか?三体は視聴後読書が正解だった!

小説「三体」をようやく読み終わった。

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ながら読みというか、寝ながら読みは時間がかかる。知らぬ内に夢の中なのだ。

でも、読み始めると、すーっと物語に入り込めた。

連続30話ものテレビドラマを見ていたおかげだけどね。物理学やら数学の理論が時々会話に入っていたりして、多分、TV ドラマでアウトラインを知っていなければ小説を読むだけでは理解が大変だったかもしれない。

また、テレビを見ながらでも、引っ掛かるところがあったのだが、それは小説の中に詳しい答えが出ていた。映像化の中では敢えて説明をカットしながらも、視聴者を引き付けるものがあったのかな。いずれにしても私にとっては「三体」はTV 先行で正解だった。

まあ、ドラマや映画を観たら原作を繙くのも一興だな。

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子供の頃からSF は大好きだった。当然子供向けSF 小説を図書館で借りて読んだ。子供なりの想像力を働かせて情景やら登場するあれこれを頭に描いていたけど。

もちろんその頃でも月面のクレーターやら重力が地球とは違うとか、火星はこうだ、あるいは火星人はタコみたいだとか多くの人と共有できるイメージはあったことはあったけどね。だから、子供なりに膨らましたイメージは「当たらずとも、遠からず」だったかな。

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後になってスターウォーズやハリー・ポッター、未知との遭遇、エイリアンなどを視てやはりジョージ・ルーカスやクリス・コロンバス等の監督はさすがプロというか、私たちに提供してくれる宇宙像とか異次元像は凄いと感じた。

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未知との遭遇

それに加えて、最近の科学的発見やら事象も理解を助けてくれる。

最近も新聞で木星の衛星エウロパを覆っている氷の厚さについて触れ、少なくとも20キロの厚みがあると報道されていた。(朝日新聞夕刊5/8付 アメリカ・国立天文台シュミレーションによる)

これなども、宇宙空間には人類の想像を越えたものが存在することの証左だ。

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太陽フレア (NASA太陽観測衛星の写真)

つい最近起きた太陽フレアもそうだった。5月8日から13日にかけて大規模な太陽フレアが連続して発生し、各地で低緯度オーロラが観測された。日本でも見ることができたと報道されていた。「三体」でも太陽は重要な役割を果たした。

TV に助けられたのは人物像だ。史強(シーチャン)や汪淼(ワンミャオ)は読書中もずっとテレビの登場人物の姿で頭のなかにいた。

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猿の惑星

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他にも具体的なイメージで助けられたものはたくさんある。

飛刃(フライイング・ブレード)としてのナノマテリアルの切断機。

VR の成り立ち。三体文明を地球文明の歴史に重ねて表現していた。

地球三体運動の分派・降臨派が三体人との交信の中で造ったものだった。

光速に近い速さを出せる宇宙船。それでも地球到達には450年もかかるメカニズム。

それゆえの陽子を利用しての人類の科学発展の阻止

乱紀の脱水、恒紀の喜び

結果から見るとTVと文庫版小説は私の理解を相互補完してくれたことになった。

もうひとつ面白いと思ったのは、新聞で特集が組まれたことだ。

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朝日新聞 5/1 文化欄

世界的ブームを起こした劉慈欣さんの作品であるから当然なんだろうけど、私にしてみればタイミングよく特集してくれたもんだと嬉しくなる。朝日新聞5月1日付文化欄で「二つの『三体』垣間見える中国事情」との見出しで私が視聴した中国制ドラマに加えて、アメリカ版ができたことを紹介していた。

アメリカ版では舞台を中国からイギリスに移し、登場人物も多様な人種の人達となっているようだ。物語の展開もスピーディで中国版では30話で第1部のみで幕となっているのだがアメリカ版では8話で第2部の途中まで到達しているとのこと。さらに、私も気になっていた文化大革命の取り上げかたも違うようだ。

日本語版文庫本でも文革批判は所々で見られた。

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2000年北京旅行で行った 天安門

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文庫版 P408には「この時代、すべてのものに政治的な意味を見出だす風潮は、不合理なレベルにまで達していた」とし、紅衛兵が隊列を組んで歩くときは右折が禁止され常に左折だったと落語のような話も出ていた。P461では、さらに林彪、江青等を三種人として批判していた。

ただ、ドラマでの文革等の描き方については現在の中国国内では賛否両論あるようだ。

日本での評価も多様で「展開スピーディーな米国版」「キャラ重視の中国版」と出ていた。

機会があれば米国版も観てみたいものだ。

 

2023年9月 7日 (木)

カズオ・イシグロ、結構面白いじゃ!

小説「日の名残り」(著者 カズオ・イシグロ)、読み終わった。

臆せず挑んで良かった。

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カズオ・イシグロが私の頭の隅に入ってきたのは、村上春樹のノーベル賞獲得なるかと日本中が注目し沸きたっていた真っ最中、春樹を飛び越えてイシグロが文学賞を受賞した時だった。2017年のことだ。

でも、その後、イシグロを頭の隅っこに置きながらも、敢えて読むことをせず今日に至った。

と、言うか難解だろうという根拠のない先入観から手を出さなかっただけだけどね。

ところが、最近イシグロが黒澤映画をリメイクしたとの話が伝わってきた。

黒澤明監督作品「生きる」をイシグロが改めて脚色して「生きる LIVING」のタイトルで舞台を1953年のロンドンに移したリメイク映画が制作されたとの情報だった。

先ずは黒澤作品「生きる」を再度観た。

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志村僑

面白かった。笑い転げる面白さではないが終戦直後の世相を反映したあれこれやら、市役所の雑然とした情景、行政機関の官僚主義、人間関係。そして死に直面した男の「生きる」行動。

これをイシグロはイギリス版でどんな風に脚色したのか興味が湧いた。

とりわけ志村僑演じた役所の課長と伊藤雄之助演じる小説家との出会いや行動がどのように描かれるのかが面白そうだ。

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 伊藤雄之助と志村喬

先般小津映画を話題にしたが、ここでも繋がっていた。

イシグロは1954年生まれで来年古稀を迎えるのだが「生きる」を11歳の頃見たのだそうだ。

そのころ(1965年頃)イギリスで見られる日本映画は黒澤と小津などわずかしかなかったと言う。(朝日新聞2023年3月31日付文化欄)

今回イシグロ自身がリメイクした理由として挙げたことは「もし(「生きる」の)主役が笠智衆さんだったら、小津映画の笠智衆さんのように感情を抑えた演技だったらどんな映画になっただろうとずっと思っていた」(前掲朝日新聞)。そのイメージの延長線上に英国俳優ビル・ナイがいたのだそうだ。

彼は笠智衆に比肩しうる役者だという。

プロデューサーに単にリメイクしようではなく「ビル・ナイの『生きる』をやらないか」と提案し映画ができたようだ。(朝日新聞3/31夕刊 プロデューサー スティーブン・ウーリー)

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「ハリーポッターと死の秘宝」 

2010年

魔法大臣役のビル・ナイ

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パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト

2006年

ディヴィ・ジョーンズ役

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MINAMATA ミナマタ

2020年

「LIFE」誌 編集長 ロバート・ヘイズ役

ビル・ナイという俳優を意識することはなかったのだが、実はいくつかの映画で彼を見ていたのだ。

特に、パイレーツ・オブ・カリビアンとMINAMATAはそれぞれジョニー・デップが主演している映画だが、そこで共演していた。ビルと言う新たな知り合いができたみたいで映画を観る楽しみが増えた。

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2017年 ノーベル文学賞授賞式

そんな新たな出会いや視点を得て、昔録画して大事にしまってあった映画「日の名残り(ひのなごり)」を観ようとモチベーションが高まった。どうせなら原作(日本語版)を読んでからにしようかと言うわけで小説を読み始めた。

読み始めると、心配された難解から来る躓きは杞憂となり、読み進めることができた。

とても分かりやすく読みやすかった。

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映画タイトル「THE REMAINS OF THE DAY」

大邸宅での執事の仕事のあれこれから始まったのだが、情景も登場人物の思いや語りもリアルに感じた。

旅先での小事の顛末を語りながら邸宅でのあれこれの回想が挟まるのだが、唐突感もなくエピソードが相俟って面白くした。

読んで感じたのは、この小説はイシグロのプロットの素晴らしさと英語での文学的表現力が卓越していると言うのは当然なのだが、原文でなく日本人の私が日本語の文章を読んで面白いと感じたのは、なんといっても翻訳を担った土屋政雄さんの豊富な語彙や表現力によるものだったのだろうな。

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小説のメイン舞台であるダーリントン・ホールとキツネ狩りに行く客人

映画より

 もうひとつ感心したのは、イシグロが体験していない、それどころか体験することなど不可能なシチュエーションや人物をリアルに表現していることだ。

その事に応えてくれるようなインタビューのやり取りがあった。

「文春オンライン」に雑誌「文学界」2006年8月号からのインタビューが転載されていた。

質問者はイシグロの小説作法について聞く際に小説家シリ・ハストヴェットが言った「小説を書くということは、実際に起こらなかったことを思い出すようなものだ」に同意できるかと問うた。

これに応えイシグロは日本を題材にした小説を創作していたころに触れながら「自分がやっていないことを思い出そうとするようなもの。それは記憶と想像の奇妙な混合。小説家は架空の世界を想像する。リアリズムのモードで書いていてもそう。現実の世界に作家自身の世界が重なる」と応え小説作りについて彼がいかにテーマを探求するか語った。さらに、その為にも現代史について本をたくさん読んでいることも加え、シリの発言に同意した。こういった思慮や思索が決して経験したことなどないであろう貴族の館での執事の行為や思いを表現できるのだろうな。

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ダーリントン・ホールでの晩餐  映画より

2017年のノーベル賞授賞式を前にNHKがイシグロに単独インタビューをした。

その時のイシグロの話が私の小説読後感、映画鑑賞感想に重なった。

初期のころは 人生を振り返って、自分が最も誇りをもっていたものや業績は、『実は恥ずべきことだった』と気づいた個人について書きたいと思った。彼らが気づかなかったのは自分の貢献や仕事がより広い世界でどう使われているかといった視点がなかったからです。それが私のテーマでした。」 

実際、小説でも映画の中でも第一次大戦の戦後処理・対ドイツ融和策の是非の議論やらナチの労働政策やユダヤ人排斥を肯定する者などを明確に描写し、暗に批判もしていた。さらにはダーリントン卿の戦間における言動がはっきり否定されていた。

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新しい主人ファラディ氏の愛車ダイムラー

(小説ではフォードとなっている)

執事であるスティーブンスは長く仕えていたダーリントン卿の死後、新しい主人としてアメリカ人ファラディ氏を迎え、彼にドライブでもしてきなさいと勧められ、ダイムラーの利用も許され一週間ほど旅をした。旅先でのエピソードとダーリントン卿のもとでの執事としてのあれこれが回想され、イシグロの創作テーマに沿った話が展開された。

執事の難しい立場や職務を知ることができた。また戦間、戦中を通してヨーロッパ上流階級の百家争鳴状況も分かった。

映画観賞中は小説を読んだ際に私の頭の中で作り上げられた登場人物と背景のイメージをプロの脚本家や映画監督が映像化したものを比べるような感じであったが、そんなに大きく食い違うこともなかった様な気がする。でも、アンソニー・ホプキンスなどの名優の演じる登場人物を見ているうちに、だんだん人物が小説を読んでいたときも同じ顔だったような気になってきた。

面白かった。

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2023年2月16日 (木)

戊辰戦争・長岡藩家老河井継之助を初めて知った。司馬遼太郎さんの講演集で。

数年前に家を改装した際、本箱やらタンスなどを片付け、あれこれを段ボールに詰め込んで物置やら貸し倉庫に押し込めた。書籍なども捨てるのも惜しく処分をせずに突っ込んだ。

最近少しずつ引っ張り出して、再び本棚に並べ始めた。

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その中に何冊か司馬さんの文庫本もあった。

積ん読だけではもったいなく、改めて目を通し始めたのが「司馬遼太郎全講演」シリーズだ。「この国のかたち」や「街道をゆく」なども読みやすかったが、講演は話し言葉でざっくばらんで頭にすっと入ってくる。

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でも「全講演(3)」の最終ページの解説者・出久根達郎さんが仰るには「直接ではなかったが、CDで司馬さんの生(なま)の話を聞いた。大らかで、自由闊達に語っていて心地よかった」「だが、活字になったものは、講演記録であっても実は語ったものそのままでなく速記を文章に仕立て、その際、無駄な語りや重複の箇所を刈り込んでしまっている」というのだ。結果、何となく物足りないのだそうだ。司馬さんの講演はむだ話が面白いとのこと。

確かに、読んでいくと本題が佳境に入る直前に「その前に○○の話をさせてください」と横道のような所に入っていく。でも、それが話の全体像を鮮明にする。速記から起こされたものにしてそうなのだ。とにかく該博ぶりに驚くと共に分かりやすかった。

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どれも面白かったが読み進めるなかで戊辰戦争に纏わる話がいくつかあった。

その中に「そうだったのか」と改めて私の皮相な御座なり勉強を再自覚させることがあった。

江戸末期の長岡藩(現在の新潟県にあった小藩)についてだ。

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戊辰戦争というと鳥羽伏見の戦いの中での慶喜の海路逃亡だとか、勝海舟登場しての江戸城無血開城、上野・彰義隊壊滅、そして会津での白虎隊の自刃、最後に五稜郭での榎本武揚等の抵抗等々はそれなりに見聞きしていたのだが、新潟・長岡の戦いは頭に入っていなかった。

中でも長岡藩家老河井継之助のことなど全く知らずにいた。

人に言わせると「坂本龍馬と並び称された英雄」なんだそうだ。

しかし、知らなかったと落ち込む必要はないようだ。

司馬さんは、河井継之助について調べるため新潟県を訪れた時の話をしている。

長岡では芸者衆が継之助のことを歌や踊りの素材にして酒席に興を添えていた。地元ではそれほどにまで良く知られ親しまれた人物だったのだが、三国峠(新潟と群馬の境の峠)を越えて上州(群馬県)まで来るとほとんど知る者がいないことが分かったそうだ。(司馬遼太郎全講演1 p211~212)

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狭い地域内での情報共有に止まっているのはある思惑によるものだったようだ。

現在大河ドラマで松本潤さんの家康が注目されているが、この家康の越後を恐れての措置だったらしい。越後は上杉謙信にみられるように時の権力者にとっての強敵が生まれる地のようなのだ。そこで家康は越後を小大名・小藩分立の地にして寸断したというのだ。(全講演1 p212)

そんな新たな知見に接して面白がっていたところ、なんとこの継之助の物語の映画が放映されるではないか。good  timing だ!(WOWOW 2023年2月7日放映)

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主演 役所広司 監督 小泉堯史

「峠 最後のサムライ」monthly  program guide

早速、視聴した。役所広司さんの演技も素晴らしいが、映画そのものも良かった。ストーリー、テンポ、映像、そして何よりも演出。監督の小泉堯史さんを贔屓にしてしまった。小泉監督作品は我が家に5本もストックがある。ゆっくり見てみよう!

河合継之助は諸国漫遊の中で培ったグローバルな視野で藩政改革を実行した。

戊辰戦争勃発後は明治維新政府にも旧幕府軍にも与せず長岡の地と民を守ろうとしたが、長州・薩摩の軍は河合の戦わずという嘆願を聞き入れなかった。武装中立で西軍とも東軍とも等距離を保ち初志貫徹しようとしたが叶わなかった。結局新政府軍に攻め込まれ河合も深手を負った。

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死を前にして「武士(もののふ)たる者とは常在戦場と言うことを忘れまじきことぞ」と配下の者に言いながら一方で福沢諭吉を取り出して「リバティとライト・・民の教育こそ国の礎」と言い開明派としての本分を全うしようとした。

 そして、妻へ今生の別れを告げた。

「愛とは、互いに見合うことではなく、同じ方向を見つめることだ」・・云々なるほど。

・・・古今和歌集の句が流れた。

 形こそ 深山がくれの 朽木なれ 心は花に なさばなりなん」

私、詩歌の素養は何もないのだが、映画の流れと合わせて詠むと、感ずるものがあった。

継之助の妻を演じた松たか子さんも、とても良かった。

もうひとつ、good timing な特集が録画されていた。

Dsc05608 NHK スペシャル 新幕末史グローバル・ヒストリー 2022年10/16放映「 幕府vs. 列強 全面戦争の危機」と10/23放映「戊辰戦争 欧米列強の野望」だ。

維新を薩長と徳川の覇権争いとしか見ていなかったのだが、実はその当時、産業革命を経た欧米列強の帝国主義、植民地主義による国際的なせめぎあいがあり、日本も各国それぞれの思惑の中にあって戦況を左右されていた。

ヨーロッパで勢いづいていたプロイセンなどはビスマルクの指示のもと、東アジア進出の足掛かりとして北海道植民地化さえ目論んでいた。

江戸末期には幕府に肩入れするフランス、倒幕派に接近するイギリス、そしてイギリスの動きをけん制するロシア等の蠢きがあった。

ところが彼らの祖国自体にも様々な問題が発生し、即日本侵略とはならなかった。

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アメリカは南北戦争(1861~65)があり国内問題に忙殺され、フランスはルイ・ナポレオンの失政とその後の普仏戦争(1870~1871)の敗北などで力を失せた。イギリスはアロー号事件に引き続いた第二次アヘン戦争(1856~1860)で主たる力を中国に注がざるを得なかった。そしてロシアもクリミア戦争(1853~1856)での敗北もあって失速しつつあった。そんな力関係もあり、疾うに列強の餌食になってもおかしくなかった日本がなんとか持ちこたえていた。

これらの事情やらイギリスの薩長への政権移行を望む策謀もあって、自国民の保護を名目にしながらではあったが列強の戊辰戦争局外中立が成立した。(イギリス、フランス、アメリカ、プロイセン、オランダ、イタリアが参加)

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ガトリング砲

その間隙をぬって登場したのが武器商人たちだった。

商人は局外中立から除外されていた。

彼らはアメリカ南北戦争終結で市場にダブついた兵器を捌きたかった。

現在に至っても未だアメリカ史上最大の戦死者を出した南北戦争だったが、今度はその銃器が日本人同士の殺しあいに使われることとなった。とりわけ長岡藩の抵抗や奥羽越列藩同盟の戦いは薩長を怯ませたが壮絶であり多くの血が流された。

いずれにしても幕末の実相は世界の大きな流れに翻弄されていた。

そして、この間に見られた国際的力関係は、その後の日清戦争、日露戦争、そして第一次世界大戦へと続いていく。

 

現在もウクライナをめぐって列強が蠢いている。

プーチンさ「ロシアの勝利なくば、人類の滅亡だ」なんて恐ろしい二者択一の独り言を言わないで!

 

2022年11月12日 (土)

悪党、悪人、悪名、わるいやつら! 秋が深まっていく!

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今年も咲いてくれた我が家の自生菊

人に「悪」を付けての呼び方はいくつかある。表題に並べた「悪」もそのいくつかだ。

今回、なぜこんな表題を付けたのか。それは。

コロナの感染が広がって早や3年が過ぎようとしているが、人々はもともと状況の変化に適応する術を心得ているかのように、さまざまな方法で新たな生活パターンを編み出してきた。私の生活の在り方もそうだ。

そんな在り方の変化の中で、多様な「悪」を知ったと言うわけだ。大袈裟な言い方になったけど、ただ小説と映画を読み観て知っただけなんだけどね。

但し、政府の言うところの「ウイズ コロナ」と言う話は、政略的、眉唾的規制緩和なんだと感じてしまうな。

まあ、それでも経済的な面で助かる方々もいらっしゃるし、私の行動範囲も広がっているのも事実なので何とも言えないが、それでも心配だね。

実際、第八波の到来がつぶやかれはじめているしね。

「第8波が近づいている。すべての都道府県で感染者が前週を上回った。」(11/7 NHK  19時ニュース)などをはじめとして連日いよいよ8波と報道している。

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何か月も花を咲かせ続ける七変化 (ランタナ)

そんな感染禍の下で、私自身は旅にでるも憚り、それに代わることには全くならぬのだけど、以前には見向きもしなかった新聞小説を読み始めたのだ。

最初は「ガリバー旅行記」(著者 ジョナサン・スウイフト)の新訳版(訳者 柴田元幸 朝日新聞連載開始2020年6月12日~2022年2月18日完)。

続いて「著者 池澤夏樹」の名に釣られてスクラップし始めた「また会う日まで」(連載開始 2020年8月1日~2022年1月31日完)。

そんなことが新しい習慣となって? なんと、今も続いているというのが現状だ。

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庭木でも始まった紅葉(1)

今、読んでいるのが「人よ、花よ、」(毎日掲載 著者 今村翔吾 朝日新聞朝刊連載)と「暦のしずく」(週一回土曜日掲載 著者 沢木耕太郎)。

この内の「人よ、花よ、」に悪党が出てくるのだ。楠木党だ。

でも、悪が付いても現代的意味合いとはちょっと違う。

この小説の時代背景と舞台は建武中興以後楠木正成も亡くなり南北朝の争いが少し鎮静している時、楠木家では親に代わって長男、楠木多聞丸正行(まさつら)が御屋形様(おやかたさま)と呼ばれている頃だ。

※楠木正行:生誕年未詳、死没 1348年2月4日

以前、歎異抄(親鸞の弟子・唯円 著)に「悪人」が出てきたことを書いた。

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2018年11月にこのブログで触れた「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の「悪人」だ。

これについては、いわゆる浄土宗、浄土真宗で説かれる「他力本願」とのかかわりで、庶民は「煩悩を滅することができるかと言うとほとんどできない」。つまり、われわれはすべて煩悩を滅することができない「悪人」なのだと。では「善人」とは何だとなるのだが「自分で修業して煩悩を消し去り悟りを開ける人」だそうだ、だから、できないあなた方悪人は堂々と他力本願になって南無阿弥陀仏を唱え救いを求めなさいよと言うことだった。

「できない」というのは、平安末期から鎌倉にかけて修行の場は比叡山や高野山だったのだが、そもそもそこの修行僧になり、「戒律や学問」を修めることができるのは貴族などの次男坊、三男坊つまり家督を継げない者達で金にゆとりある所のご子息だった。そしてやっぱり寄進次第だった。

「しょみん」には到底無理だったのだ。そんなところからすると、金(寄進)にものを言わせて「悟り=煩悩を滅」したかのような外観を取り繕おうとした貴族達の方がよっぽど悪いやつだね。

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庭木の紅葉(2)どうだんつつじ

では鎌倉から室町にかけての「悪党」とは何を指すのか?

「人よ、花よ、」では第7話で「悪党」が初出する。以後何回か「悪党」が登場する。長い引用になるが紹介すると「守護と対立する在地領主、土地を持たずに海で割拠する者、あるいは野盗の類いまで、ひっくるめて・・・・悪党」(第7話)

第12話では「(正行が正成を思って)父も帝を敬う思いがなかった訳ではない。ただ、楠木という家は、体制の枠外にある。己たちが幾らこの地を故郷と主張しようが世間から見れば、悪党に過ぎないのだ」

第28話で「悪党には悪党の戦いのやり方がある」と戦術が語られ、潜伏したり、奇襲をしたりと鎌倉側を大混乱に陥らせたことが書かれていた。これなど悪党どころか戦術戦略の巧者以外の何者でもない。

第29話では「御家人の戦いの常識を覆す戦法であり、父が言うようにまさしく悪党の戦法である」

そんな訳で悪党とはいっても現代的な悪い奴では全くないのだ。

それでは「悪名」は?

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映画「悪名」 監督 田中徳三 大映 1961年作品タイトル

この映画2017年5月に録画して観た。出演者の多くが既に亡くなられている。

主人公の朝吉を勝新太郎、子分となるモートルの貞を田宮二郎、そして女優陣に水谷良重、中村玉緒などが出演。みな若く、美男美女。往年の姿から想像できないぐらいだった。

原作は今東光さん。たまたまこれは読んでいた。

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 この「悪名」あたりからだんだんと現代的悪いやつに近づいてくる。

でも、この物語は昭和の初めのことで、舞台は関西だ。主人公は遊び人で、ヤクザ組織の客人にもなる輩。

口も荒ければ気も荒く、喧嘩早いけど、優しいところもあってなおかつ愛嬌もある。そして偽善者や権力者を退治するという人物なのだ。芸者のためにヤクザの女親分との約束を破りひどく打擲されるのだけど耐え抜く。それを見た女親分は「わしはお前に負けた。今にいい男になる。名も売れる男になる」と言って去っていくのだけれど、それを聞いた朝吉は「名が売れるか? だとしても、何もならない悪名だ」と自虐的につぶやく。

これがタイトルの意味なのかと最後にわかる。まあ、映画はなかなか面白かったけれど、人情ある渡世人の自戒を込めたセリフと聞けば聞ける。まあ市井の人からすれば、そろそろ「悪」の線引きしたくなるような領域に近づいているな。

最後に「わるいやつら」。

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映画「わるいやつら」 監督 野村芳太郎 1980年松竹作品

この映画の「悪」の主人公は片岡仁左衛門が演じる世間知らずのプレイボーイ。

親のおかげで総合病院の院長に収まったボンボン医者なのだ。

登場人物の一人が松坂慶子。

松坂はこの時28歳。2022年の今年70歳になった。そして、今も活躍中で味のある人気俳優だ。

現在進行中のNHK ドラマ「一橋桐子の犯罪日記」で希望を失って終のすみかを「刑務所」に求めたおばさんを演じている。最近独居の高齢者が軽犯罪を繰り返し、おばさんと同じことを考える人たちがいるようだ。いずれにしても美女と惚けたおばさんの落差が楽しい。

ところで片岡の演じる医者は本当に悪い奴。

片岡は演技だけでなく容貌まで「悪」ぴったりに見えてくるから面白い。失礼しました!!

このドラマは、素人の私としてはあまり楽しいものではなかったけれど松本清張原作サスペンスとして観たり読んだりも一興だね。

悪人、悪党は悪くない。でも、本当に悪い奴らはいるのだ。

(自らの悪のイメージを整理しました)

2022年5月27日 (金)

新聞の連載物にモチベーションをもらい、やっと溜め取り映画を見たよ!季節はそろそろアジサイが花開く。

我が家ではBlu-rayデッキが二台稼働中だ。

一昔前、いや三昔前のVHS ビデオとは比べようもないほど機能が進化している。

同じ時間帯の番組を同時に5本(つまり5TV局の番組 )も録画できるのだ。つまり見逃しそうなものは殆どデッキに納められることになる。ライブラリーは日々充実していく。

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アジサイ開花一番乗りは柏葉アジサイ

だが、肝心なのはそのライブラリーがどう活用されているかだ。映画で言えば1日5本と言ったら平均二時間として毎日十時間分の映画がストックされていく勘定になる。まあ、録画したいと思う映画はそんなにないけれどね。

ともかく時間は限られておりコンスタントに見るのは不可能である。結果として録画が自己目的化されてしまうは理の当然。

中高生の頃を思い出す。

中間、期末テストを前に意気込んで英語の単語帳を作りはじめるのだが、いざ活用というときには試験日到来なのだ。それならまだ良い。往々にして単語帳は出来上がっていないのだ。

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まあ、期末試験には間に合わなかったが長い目で見ると無駄にはならなかったと思うのだけど。

そんな状況であるが、生きていれば色々縁があるもの。

新聞連載で愛読している小説や回想録が溜め録映画との間を取り持ち映画観賞のモチベーションをくれた。

新聞小説「白鶴亮翅」(作 多和田葉子)、そして「人生のおくりもの」(崔洋一特集)だ。

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白鶴亮翅、はや連載112回(2022/5/27)

崔さんは別の機会に譲って、多和田さんから。

「白鶴亮翅」(朝日新聞連載106回目)で「動物園(ドイツの街)の近くの映画館で日本の映画をやている」と主人公のミサ(美砂)に友人のパウラから電話があった。

ロベルトも加え三人でいくこととした。

題名はと聞くと「なんとかバラード」だと答えが返った。

映画館の今回上映の謳い文句は「社会福祉を考える。古今東西の名作を二週間に渡って上映」だ。

ミサは映画館に来て「なんとか」が何であるか分かった。ドイツ語で「ナラヤマバラード」とあり、漢字で楢山節考と書き添えられていた。漢字文化圏の者でなければ読めないわけだ。

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もう一息だ!

 「楢山節考」は深沢七郎が中央公論新人賞を受賞した短編小説で映画化は二回されている。木下恵介監督と今村昌平監督の作品だ。いわゆる口減らし、姥捨て山が軸になっている映画だ。映画館としては老人福祉を考えさせる材料とでも考えたのかな。今村作品は1983年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞している。キャッチコピーは「親を捨てるか、子を捨てられるか。」だって。

我が家にも今村監督作品で録画されたものがあった。でも、姥捨てがどうもドロドロしたイメージで、観ることを遠慮していた。

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今村作品タイトル

ミサは楢山節考が始まると軽い違和感を感じた。(連載107回)

大変貧しい村が舞台のはずなのだが、登場する若者がピチピチした肌と肉体を持ち合わせているのだ。

私も観たのだが確かに若者の中に瘦せこけた者はいなかった。そして囲炉裏の鍋には山菜だろうか食材が沢山入っていた。

連載108回目になるとロベルトが感想を言い始めた。

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ロケ地となった長野県北安曇郡の廃村

ロベルトは「糧なき土地 ラス・ウルデス」というドキュメントを観た中で「100年前にはヨーロッパも日本の村よりもっと貧しかった。それなのに日本のような残酷な国民性は育たなかった。」と言い始め、ミサと言い争いになった。ちなみにミサ、パウラ、ロベルトは大学のゼミで知り合っている。ミサはすでに学業を投げ出しているが二人はまだ通っている。

そんなやり取りに加え多和田葉子さんは、はや連載12回目にはこの映画の伏線を張ってあった。夫が日本へ帰り、一人住まいになり引っ越しすることになったのだが、その片付けの中で捨てられない本があった。

タイトルは「姨捨山の史実と神話」だ。

※姥捨山(うばすてやま)でなく姨捨山(おばすてやま)。意味は周囲から疎外されて老後を送るところ。

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ミサはこのタイトルの女偏に異民族を指す「夷」の字を組み合わせた「姨」の字を眺めているうちにこの本だけは捨てることができない気がしてきた。ミサは「老女といえば哀れだが、姨の字には誇りと強さと謎がある。姨はわたしの人生を貫くテーマになるかもしれない」と思った。

等々に感心しているうちに私も意を決して「楢山節考」を観ることとした。

観賞後、先入観とは違った印象を持った。雪山の中に白骨死体が散らばる情景やら人の所業を動物の生態に重ねての描写など特異な印象を持つところもあったが、総じて美しく、物語の流れにも違和感や飛躍もなく悪印象は残さなかった。

話は飛ぶが、動物の生態といえば庭で雨後の花々の様子を見ようと花壇の傍に立ったところミミズが移動していた。邪魔をせず、どこまでいくのやらと少し眺めて他のところに行った。

15分ほどで戻ると、なんとミミズは何十匹もの蟻に運ばれていた。

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来週はもう6月だ。植物の生育も勢いを増すが、昆虫など動物の動きも活発になっていくのだろうな。

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既にこんなに見事に咲いているアジサイもあるよ!

家には古典と呼ばれる映画も何本かある。きちっとした評論もいいけれど普通の人の何気ない感想に相槌打ちながら見るのもいいかもしれないな!