「野火」市川崑作品、塚本晋也作品ともに観た! なんで人の命がこんな風になる?
映画「野火」はレイテ島での日本軍敗走の阿鼻叫喚を綴った大岡昇平の小説が原作だ。
時は1944年10月、今から81年前、マッカーサー率いる米軍20万人の兵団がフィリピンに接近した。当初日本軍はルソン島で迎え撃とうした。
ところが米軍は前哨戦として台湾を襲った。その際大本営は誤った情報を下に作戦変更をした。台湾で米軍を迎えた日本軍が大戦果を挙げたと言う海軍の誤報を前提に決戦の場をレイテ島に変更したのだ。
第一師団は一週間で勝てると見込んで戦いに臨んだのだが米軍の猛烈な砲撃で苦戦を強いられた。
また、短期戦を予想していたため物資が十分でなかった。
帝国陸軍、海軍は既にこの時点で、ミッドウエイ海戦、ガダルカナル、ニューギニア等々で徹底的にやられていた。当然制空権は、はやアメリカが握っていた。
日本軍兵士のレイテへの集中移動が多くの犠牲を伴いながらもできたものの、武器弾薬、そして肝心な食料を積載した船は何隻も撃破されていた。映画はそんな状況下にある島内分隊拠点の部屋から始まった。
市川崑監督作品では主人公田村一等兵を船越英二が務め、塚本作品では監督自身が演じた。
田村は肺を患い、お荷物扱いされ、分隊長から、お前は何が出来るのだと罵られビンタを食らいながら部隊を追われ、野戦病院では肺病ぐらいでここに来るな、食糧が足りないのだと入院を拒否された。分隊長のダメ押しは病院で受け入れを拒まれたら手りゅう弾を使えとの言葉だった。自決しろと言うことだ。
傷病兵の命などなんとも思わぬ軍の非情がさらけ出されている。

塚本監督の演じた田村
映画は共にポイントとなるエピソードや大筋は小説に忠実に描いていた。ただ、演出はそれぞれ個性的だった。塚本作品はテンポ良かった。でも、戦争への不安と嫌悪感は共に強く胸に響いた。
田村が野戦病院を追い出されると、すぐ傍の林に、やはり治療を拒否された傷病兵逹がたむろしているのが眼に入った。彼等は何処にも行くところが無く、木陰で雨風をしのぎ、島民が残した畑の芋をかじりながら命を繋いでいた。
市川作品より
その中に足に傷を負った男がいた。安田だ。彼は何故だかタバコの葉を隠し持っていた。その男に付き従うようにいたのが永松。永松は安田の指示に従いタバコの葉を兵士達に出会う度に売り込んでいた。代価は芋だった。その分け前をもらって永松は生き延びていた。
村田、安田、永松がストーリーの伏線的存在だったかな。米軍の攻撃でいったんバラバラになったものの終盤で顔をそろえ、終章に入って行った。
市川作品では安田を滝沢修、永松をミッキー・カーチスがそれぞれ演じた。
ミッキー(左)と船越(右)
録画ストックを調べていたら面白いものが見つかった。
2019年4月録画の「徹子の部屋」だ。
まだお若い黒柳さんと三人の俳優や歌手だ。
左から上條恒彦、山本圭、そしてミッキー・カーチスだ。この中の二人は既に他界している。
山本さんは2022年に81歳でお亡くなりになり、上條さんは今年7月に85歳で出発(たびだ)った。
なんとミッキーさんは健在。現在87歳。面影を残しつつも風貌はすっかり変わった。
一方、塚本作品では安田をリリー・フランキー、永松を森健作が演じた。
分隊や野戦病院を追い払われた村田はジャングルをさ迷った。途中島民がもぬけの殻になった集落にたどり着いた。
そこで若いカップルと遭遇した。女性は驚きのあまり奇声を発した。その拍子に村田は引き金に指をかけ射殺してしまった。男は逃げた。
やらねば自分が遣られるという切羽詰まった状況であるにしても殺人を犯した。
でも、殺人の現場だった教会の床で大量の塩を見つけた。
そんなエピソードを挟みながら映画は進行していくのだが、村田が野戦病院を再度訪ね、再び追いやられた直後に米軍の猛烈な砲撃が始まり分隊も野戦病院も焼け落ち、全滅した。
塚本監督は自らの映画について、「けして市川作品のリメイクではなく」、監督自身が「原作から感じたものを映画化した」といっているが、原作を読むと私も戦場にあって正気でいられない心の動きが折々表現されているのを感じる。
原作では分隊も野戦病院も破壊されたあと行く当てもなくジャングルをさ迷う田村の心情を次のように現していた。
「臓腑を抜かれたような絶望と共に、一種陰性の幸福感が身内に溢れるのを私は感じた。行く先が無いという、はかない自由ではあるが、私はとにかく生涯の最後の幾日かを軍人の思うままではなく、私自身の思うままに使うことが出来るのである」と。絶望の先の達観とでも言いたくなる。まだ、導入部文庫12ページの所だ。
終盤近くの文庫153ページでは人肉食について書いてあった。死に行く将校が「俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」と田村に言う。田村が躊躇していると、雨が来た。「山蛭が水に乗って来て、蝿と場所を争った。虫はみるみる肥って、屍体の閉じた眼の上辺から、睫毛のように、垂れ下がった。私は私の獲物を、その環形動物が貪り尽すのを、無為に見守ってはいなかった。もぎ離し、ふくらんだ体腔を押し潰して、中に充ちた血をすすった。私は自分で手を下すのを怖れながら、他の生物の体を経由すれば、人間の血を摂るのに、罪も感じない自分を変に思った」恐ろしい状況であるが、実態はこんなものではなかっただろう。
結果、投入された8万4千人の兵士の内8万人が亡くなった。
市川作品も塚本作品も基底をなすものは大岡作品であるが、フィナーレはそれぞれ個性的だった。
それにしてもガザの破壊と飢餓、ロシアのウクライナ兵士捕虜の処遇、愕然とする。
台風22号が伊豆諸島に接近中の西の空(10月8日)

















少し新しい文庫本と比較してみると、大きな差があった。



























































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