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歴史・芸術

2024年12月19日 (木)

博物館で「はにわ」に会ってきた。彼らは人気者なんだね。凄い人出だった!

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東京国立博物館に行ってきた。

「『埴輪 挂甲の武人』の国宝指定50周年を記念する特別展『はにわ』」だ。(12/8まで開催されていた)

何故か今、古墳ブームだそうで、各地の古墳に絡めたイベントは盛況だそうだ。(10月14日朝日新聞)。

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この日は休日で天気もまあまあだったこともあって、博物館は久しぶりに行列だった。長蛇の列の最後尾についてから館内に入るまでに20分もかかった。

これから埴輪見学体験を記すけれど、その前にネット情報に頼りながら埴輪について少し整理してみよう。

埴輪の誕生はどうやら古墳時代のようだ。西暦で言えば3世紀中盤から6世紀にかけてだ。

縄文、弥生に続く時代で、いわゆる飛鳥時代の手前だ。およそ350年間続いた。

列島における支配の力関係を見ると、この時代はいわゆるヤマト王権が成立しつつあった頃だ。

ヤマトは3世紀後半には西日本から東海まで勢力を延ばし、4世紀には関東、北陸まで勢力圏を広げた。そのころ前方後円墳なども築造された。その古墳の上や周囲に立てられた素焼きの土製品が埴輪だ。中には1メートルを超える大きなものもあったようだ。

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重要文化財「円筒埴輪」メスリ山古墳出土

この円筒のもの、埴輪の中でも最も出土している種類だそうだ。驚くのはその数。

群馬県の保渡田古墳群の八幡塚前方後円墳には6000本以上の円筒埴輪が張り巡らされていたとのこと。

写真の円筒埴輪は奈良県のメスリ山古墳のもので日本最大級であり、高さ2.4mもある。

今回の催しで配られた目録によると展示埴輪は182もあった。

先ず会場で迎えてくれたのはソーシャルダンスを楽しんでいるようなポーズの埴輪だった。

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この埴輪、日本で最も有名だそうだ。いわゆる「踊る人々」だ。

右が男性で隣が女性だそうだが、今のところ、学会では踊っているのではなく馬を引いている姿だという説が有力らしい。男女の区別で言えば一見右側の像が女性ではとい思いがちなのだが、右側の髪型が男性特有の「美豆良(みずら)」だそうだ。

踊っているようなポーズの埴輪は他にもあった。

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ノリノリで、まるでサタディ ナイト フィーバーだね。

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陳列を目録の章立てで見て行くと第一章が「王の登場」ではじまり、続いて二章「大王の登場」、三章「埴輪の造形」と続くのだけど、何といっても目玉は「挂甲の武人」だ。

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リーフレットの写真を使わせてもらった

挂甲の武人5体が一堂に集められたのは史上初めてだそうだ。すべて群馬県での出土だ。国宝は一番左手のものだ。左から三番目の像はなんとアメリカからやって来た。(シアトル美術館蔵)

国宝の埴輪をしっかり見てみよう。

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兜の造形がなかなかリアルだ。

武人像は群馬以外でも発掘されている。

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左の武人像は大阪府の今城塚古墳での出土だ。右は女性像で「捧げ物をする女子」と名付けられている。出土は同じく今城塚古墳。なにか表情が3DCGアニメみたいだな。

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彩色復元された武人

1500年以上前に造られたものだけど最初にお披露目されたときはこんなに派手だったんだね。

展示品182体を全部紹介するわけにいかないけれど、一通り観て感じたのは学校時代に学び覚えた埴輪とはずいぶん印象が違ったことだ。

素朴なことは間違いないけれど、人物像でいえば表情がいい。穏やかであり、癒される。

動物もそうだ。建造物埴輪もかなりリアルで精巧だ。

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人物埴輪について新聞に面白い記事が出ていた。

千葉県の山倉1号墳からの出土埴輪について市原市埋蔵文化財調査センターの研究で明らかになったことが報じられていた。

埴輪の仕上げに関わった作業あとや工具などから、この古墳で埴輪づくりに関わった工人が少なくとも13人いたというのだ。なかでも1人のエースがいて「手のかかる人物埴輪などを一手に引き受けていた」のだそうだ。それでは他の工人の方々は何をしていたかと言うと、先にも出ていた円筒埴輪を作っていたようだ。人物埴輪の写真も掲載されていたけれど、たしか皆、良い表情をしていた。(朝日新聞12/13付 文化欄)

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楽器を奏でたり、跪いて挨拶したりと所作も表情も多彩だ。

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鳥たちが、こんなに生き生きと表現されている。

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見返り美人じゃないけれど、鹿たちが振り返り何を見ているのか?

建築物もこんなに見事な建物があったのかと驚かされる。

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たまたまだけどテレビを見ていたら、ちょうどこの時代に関わることが話題になっていた。「下戸 げこ」=(酒が苦手)のDNAについてタレント達が盛り上がっていた。

日本人の成り立ちの中で、従来の縄文人、渡来弥生人、そして混血と言う定説でなく、いわゆる3系統あるいは三重構造の混血の中で日本人が誕生しており、その中で酒の弱い遺伝子を渡来弥生人が持ってきたという話だった。

理化学研究所の研究グループによれば、縄文人となった人たちは2万から1万5千年前に大陸から渡来した人たちで、彼らホモサピエンスはアフリカを出発して前進し、途中で出会ったネアンデルタール人やデニソワ人とも交雑しながらDNAを引き継ぎ進化した(旧モンゴロイド)。大陸を横断しきって、海を越えて列島に到達した。

弥生時代には北東アジアに起源をもつ集団(新モンゴロイド)が、また古墳時代には東アジアの集団が渡来して混血が進んだ。

研究グループの発表によると縄文系遺伝情報の割合(祖先比率)は沖縄が1番高く28.5%、次いで東北で18.9%と出ていた。それが故、その地方には下戸が少ないんだ。

※旧モンゴロイドはアルデヒド脱水素酵素2の正常活性を持つ遺伝子型のNN型。白色人種や黒色人種はすべてNN型。だから縄文人系は、ヨーロッパ人などと同じく酒が強い。一方弥生人系・新モンゴロイドはND型(NN型の1/16の活性しかない)かDD型(活性が全くない)で酒が弱いか全く飲めない・・・のだそうだ※

そう言えば我が家族は、基本的に皆飲兵衛だということは、弥生系の遺伝子割合が低いのかな。

時代を越えて渡来し、日本民族を形造ってきた彼らだけど、たぶんそのころは列島はすでに大陸と地続きでなく、多分、筏や舟でやってきたのだろうな。

そんな彼らの船の発展途上を示す埴輪もあった。

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いや、埴輪についての認識を新たにすることができて、あわせて縄文、弥生、古墳時代についてもおさらいができた。面白かった。

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上野公園 博物館前広場の噴水

 

2022年8月19日 (金)

始皇帝最強軍団の来日だ!

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「キングダム」映画実写版 監督佐藤信介 東宝より

タイトルの「始皇帝の最強軍団云々・・・」は案内チラシの裏面に書かれていた呼び込み文句。

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チラシ裏面

確かに秦は最強だった。周王朝が弱体化する中で春秋時代に入り、戦国時代を迎える。戦いが続く中で紀元前230年に韓が滅び、燕、魏、楚、趙と続き、最後に紀元前221年斉が滅亡した。

紀元前221年に中国大陸で初めての統一帝国が成立した。始皇帝の秦だ。

ところがこの秦、十数年の天下で滅亡する。そして漢の時代に入っていく。

そして、前漢、後漢の凡そ400年間が秦の時代と共に以後の中国王朝の諸制度、文化等の礎となっていった。

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秦、漢の遺物を見る前に一階ロビーの一角で休んだ。落ち着くスペースだ。

考古学の対象となるような遺跡や遺物を見るといつも感じるのが、これらが紀元前に作られ、使用されていたのかという驚きだ。

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彩色双耳陶壺

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青銅製の香炉

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蓋付き扁壺

この「蓋付き扁壺」と呼ばれる青銅器など、繭型デザインは今にも通じるようだし、機能的なところでも蓋があるだけでなく刻まれた線により「加熱しすぎず、熱を放射させない」仕組みになっているとのことで驚かされる。

テクノロジーの先端を行くのはやはり武器なのか?

「弩(ど)」(大弓)の構造に凄さを感じた。

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青銅製とはいえ恐ろしくなる刃物。

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ここまで来て、さあいよいよ兵士と軍馬だと思いコーナーを回ったところ現れたのが・・・。

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キングダム特設展示だった。

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アニメとのコラボレーションで秦の時代と始皇帝を紹介していた。

家に戻ってから我が家の録画ストックを探ったところ映画「キングダム」(監督佐藤信介 東宝)があった。そして直ぐに再生観賞した。

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若手俳優の山崎賢人や吉沢亮、そしてベテランの大沢たかおが起用され、それなりに面白く、また秦の時代のアウトラインを見ることができた。現在「キングダム2 遥かなる大地へ」が上映されているようだ。

このところジャンルをまたがって漫画の評価が上がっているようだ。8月7日の朝日新聞夕刊に「演劇界 漫画・アニメに熱視線」とのタイトルで「千と千尋の神隠し」や 「四月は君の嘘」が舞台化されチケット完売の実績を残したことなどの論評が出ていた。そして美術館・博物館展示解説も文字のみならずアニメ急浮上と言ったところか。

この高い評価は国内にとどまらないようだ。

たまたま書店で平積みされていた雑誌「サライ」(2022年9月号小学館)。

表紙にでかく印字されていたコピーがすごい。

「(日本漫画が)近年は世界的に評価が高まる、生き方を学ぶ奥深き『名作』の数々。日本漫画は大人の教養」だとさ。

さていよいよ戦士が登場だ。

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かなり昔、丸暗記した「殷周春秋戦国秦漢」のおさらいができたようで頭の中に少しよみがえったかな。

帰りは定番であるが東名高速上り線富士川サービスエリアに入った。

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富士山は、まだ厚い雲に覆われていた。観覧車を下から眺めながら抹茶ソフトクリームを味わいつつ、本日の見たこと聞いたことを反芻した。

2022年8月12日 (金)

久しぶりに兵馬俑の戦士や軍馬に会ってきたよ!それにしてもデジタル化急速進行中だ。

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新聞の美術館・博物館案内で「兵馬俑と古代中国」展が開催されていることを知った。行ってみようかとなった。

会場は静岡県立美術館だ。

先ずはチケットをネットで購入。これで手続き完了!ではなかった。

コロナの渦中にあって、密を避けるためのもう一つの手間が求められた。

入館に30分毎の人数制限があるのだ。

希望する見学日の10日前から美術館のウエブサイトにアクセスし手続きをしなければならなかった。そこで観賞希望日と時間の申しこみをした。OKの場合はQRコードが割り振られ指定アドレスに送信される。当日のQR チェックで入館の運びとなるのだ。

そう言えば、コロナワクチンを接種するときも全部スマホでの手続きだった。

良いんだか悪いんだか?デジタル化がジワジワと進行しているね。

13時から見学することにした。昼飯はどこかで弁当でも買って美術館の駐車場で食べるのがいいなとなった。

東名高速富士川サービスエリアで私はスパゲッティを買った。奥様はサンドイッチ。

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天気さえよければこんな風景を見れるのだが、あいにく青空より雲が多かった。(建物の中にあったパネルを撮影)

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こんな佇まいのスターバックスでゆっくり食事をするでもよかったけれどね。

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由比パーキングエリアからの駿河湾

12時ごろに美術館に着いた。

ゆっくり腹ごしらえをして入り口に続く森を散策した。

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ここへは2015年の5月に篠山紀信展で訪問している。7年ぶりに来た。

そして調べてみたところ偶然にも同じ年2015年の11月、上野の国立博物館で開催された「始皇帝と大兵馬俑展」に行っていた。始皇帝のお導きか?

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コロナ禍では考えられない混雑ぶりだった。国立博物館平成館前。

今回のメインは兵馬俑であったが、せっかくの機会と思い、美術館に続く彫刻プロムナードやロダン館の作品、そして「こんな催しもあるんだ」と感心させられた街の写真館常連ユーザーのフイルム写真展などもゆっくり観賞した。

最近、美術館などでうれしく思うことは、写真撮影が奨励されていることだ。

先にも触れたデジタル化がここでも有効活用され、入り口に「大いに撮影してSNSで情報発信してください」というようなことが書かれていた。

もちろん当然ながら制限もある。

フラッシュは禁止。そして作品によって可否があった。

今回訪れた美術館は彫刻やら遺物は全てOKだったが絵画は撮影禁止だった。先ずは彫刻プロムナードの作品とロダン館の作品を紹介し、兵馬俑関係は次回のアップとしよう。

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舟越保武 《杏(あんず)》

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清水九兵衛《地簪(ちかんざし)》

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掛井五郎《蝶》

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久しぶりに森の中を歩いた。

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入館した。時間によって人数制限がされているので、今回は並ぶこともなくスムーズだった。

最初に、写真展に入った。

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すばらしい写真が74点出展されていた。写真屋さんが主宰しているのでトリミングで作品がどう変わるのかなどの技術的な解説もあった。先ずは、撮影スポット、そして撮影のタイミングとシャッターチャンス、これだけでも大変だ。朝駆け夜討ちだ。これら作品を観られただけでも来た価値があった。

次にロダン館に入った。

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カレーの市民

カレーの市民像は世界各地にある。これまで何度も見てきたのは上野の国立西洋美術館の群像だった。ここ静岡では個別の人物像だ。ハタと思ったのは「カレーの市民は何故あちこちにいるのだ?」だった。

調べて納得した。オリジナルの鋳型からエディションとよばれるものが鋳造されているのだ。ただ、無制限にできるわけでなく、数が12と限られているとのこと。国内ではポーラ美術館や大原美術館も所蔵している。

但し、ロダンの手によるものに違いはないのだが作品完成前の試作品の鋳型鋳造もあるようだ。

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バスティアン=ルパージュ 制作年(1887ー1889)

ロダン40代後半の作品

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母と子 制作年(1913)

作者 ジャック・リプシッツ(リトアニア)

さあ、つぎは兵士と軍馬の俑だ!