世田谷美術館で藤原新也さんの回顧展を見てきた!砧公園は広かったな~!
一月早々、新聞夕刊 ART 面を見ると「藤原新也 祈りとともに50年」との見出しが飛び込んできた。(朝日新聞1月10日夕刊)
藤原さんの個展開催のお知らせと作品紹介だ。
この展覧会では藤原さんの「半世紀にわたる表現活動の中から、写真や絵画、書など約250点」を厳選し、藤原さんが自ら記された「言葉とともにその旅路を振り返り」「生と死のにおいが濃厚に立ちこめるインドやチベットの写真とともに」(新聞同頁)、東北の被災地、香港の民主化運動の現場、コロナ禍で人が消えた街などの写真が展示されているのだそうだ。
読み進む内に思い出したのは秋に視聴した「日曜美術館」(10/23 NHK E TV )の「死を想(おも)え、生を想(おも)え、写真家・藤原新也の旅」だった。
そこではご本人が登場し語り、創作の裏話などが聞けた。興味を引いたのは父親がなくなる時の笑顔について語っていたことだった。
世界を放浪しながらいくつもの死と向き合ってきた彼が言うには「最期にニコッと笑って死ぬ人生は最高の人生」だということだった。
往生の際にいる父親をファインダーから覗きながら「チーズ」と声をかけたのだ。父は見事に笑顔をみせた。口をチーズと言うよう開きながら。そして直後に息を引き取った。
俄然、行ってみようと思い立った。その時点では展覧会はまだ三週間先まで開催されていた。ところが時間が過ぎ行くのは早い。結局、会場に滑り込んだのは開催終了間際だった。
行こうと決めた日は、あいにくの空模様で都心にも雪が積もる恐れありと予報されていた。
電車とバスを乗り継いだ。
小田急の成城学園前からバスに乗り、砧(きぬた)公園で下車した。バス停から公園脇の道に沿って歩き、美術館に向った。樹木が鬱蒼と茂り、野趣を感じた。
カラスが十数羽も巨木の下で人も恐れず遊んでいた。
美術館の敷地に入ると今度は猫達が彫像観賞をしていた。
入館した。
最近鑑賞した美術館は多くが写真撮影可能になっていた。
世田谷美術館でもタレントがモデルになっている作品を例外としながらも写すことが許されていた。
藤原新也さんは多彩な仕事をする。写真ばかりでなく、エッセイ、絵画、そして書まで。
今回の展示も、写真や書などの作品に必ず藤原さん自身の言葉が添えられていた。
この大きな蓮の写真。「世界の始まり」と題した言葉が添えられていた。
バリ島で撮影したもので、花開くまで沼に半身を浸けたまま待っていたようだ。東の空から日が昇るとともに花弁がゆっくり広がりはじめたことを次のように記していた。
「世界のはじまりは こんなに美しいのかと 息をのむ」

そうだと思うのだが、たまたま2月9日の新聞一面コラム「折々のことば」で映画監督小津安二郎さんの「蓮」をめぐる言葉が引用されていた。
「・・・この蓮もやはり根は泥中に在る・・・」
蓮の映像表現について「根ごと描くのと、花のみを描いて根と泥土を想像させる方法」もあるというのだ。
まあ、そうだね。
ゆっくり会場を巡っていたところ、瀬戸内寂聴さんの大きな写真が現れた。
そこに、添えられていた文章は藤原さんが寂聴さんの生前に送った書簡の一部だった。
お二人で、こんなやり取りがあったとは知らなかった。
後日、買い求めた往復書簡集
ところで、藤原さんを知ったのは友人夫婦と私たち夫婦でチベットに旅した時だ。
行くにあたって情報収集のため読んだのが「チベット放浪」(朝日選書 藤原新也著)と「チベット旅行記」(中公文庫 河口慧海著)だった。共にガイドブックどころでない重厚な内容で、驚き感心するばかりだった。でも、それなりの気分で旅を楽しめた。
インドに行った際は、残念ながら「印度放浪」は読んでいなかった。読んだのは堀田善衛「インドで考えたこと」と椎名誠の「インドでわしも考えた」だった。でも、今では藤原さんの「印度」も蔵書になっている。
美術館には2時間余滞在鑑賞し周辺を散策して帰途に就いた。
外は寒風が吹き始めていた。
砧公園と世田谷美術館、なかなかの佇まいだった。































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