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2026年4月17日 (金)

甲府城!と言えば やっぱりオベリスクと満開桜かな!

カーナビをセットし、甲府城を目指した。

甲府城、別名舞鶴城を訪れるのは2度目だ。

調べてみたら、前回から早9年も過ぎていた。2017年2月の訪問だった。

走りながら街の様子を窺うと、以前に比べ大きな建物が増えたように感じた。

すると石垣が目の前に出現。

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2017年時に撮影、ここは今も変わらず

さらに駐車場を探しながら進むと、右手にJR線のものと思われる架線が見えた。

甲府駅の傍まで来たのだ。あったぞ地下駐車場の入り口。

進入した。でも、駐車チケットを得るゲートに行きあたらぬままに駐車スペースに着いてしまった。

表に出ると、そこはヨドバシカメラの店舗駐車場だった。

大きな爬虫類が歓迎し、送り出してくれた。

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客用の無料駐車場かな等と思ったのだが、戻ってきて分かった。

入り口ですぐ理解させられた。料金の精算設備があり、ディスプレイに駐車開始の凡その時間を入力せよと指示があった。次に車両ナンバーを書けと出てきた。

入力するや、なんと、我が愛車のナンバープレートが映し出されたではないか。入庫時刻まで表示された。

間違いなければ金を投入せよとでた。まさに監視社会。どこで我が身が盗撮されているかわからないね。

まあ、そのことで様々な犯罪者がつかまり、犯罪防止にもなっているのだからやむを得ないか。

でも、今どこかで画策されている「国家情報局」創設=日本版CIAはいらないよな。

駐車場のAI化とでも言おうか、初期投資は大変なんだろうけど、人手不足の折、また人件費などの経費削減にもつながるのだろうね。まあ、仕事を奪うなとも言いたくなるけどね。

このようなシステム、私は2度目の経験だった。地元で時々利用する公的施設でこの方式が採用されていた。だんだんと何処でもこうなっていくのかな。

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さて、舞鶴城公園 甲府城跡に着いた。「内松陰門(うちまつかげもん)」から入城した。

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突き当たりに見えるのは稲荷櫓(いなりやぐら)。ここは、江戸時代には武具蔵として使われていたとのこと。現建物は平成16年に再建された。

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自由に入館できた。ここには、城跡からの出土品やパネル展示があった。

石段を上ったところで、振り返ると公園の主要構築物が目に入った。

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天守台やオベリスクが望める。

碑の土台が16.4mと高く、加えて碑身自体が18.18mもある。城内のみならず、甲府市内の各方面からも見える。

建造されたのは大正11年(1922年)。石和でも各所で見た明治40年(1907年)の大水害に因む建造物だった。

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桜越しに見た鉄門と謝恩碑。桜もなかなか見事であった。

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家族連れなのか、あちこちでシートに座り花見を楽しんでいた。

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ここ甲府城(舞鶴城)は2000年代に入り整備事業が進められ、2006年に日本百名城の一つに選ばれた。

武田信玄が活躍したこの地であるが、この城は武田氏滅亡後に秀吉の命により築城されている。

江戸時代に入ると江戸城の防衛線として位置づけられ、徳川家から城主が送られたり、信頼のおける諸大名が城主となり甲斐国の統治拠点としてきた。明治に入ると建物が取り壊されることもあったが、昭和に入って復元事業が始まり、現在のような形で残ることができたようだ。

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遠くに雪山が頭を出していた。

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天気にも恵まれ、美しい桜も観ることができ、素晴らしい時を過ごすことができた山梨滞在だった。

2026年4月10日 (金)

久しぶりの名所旧跡訪問、先ずは武田神社!

「石和びゅうーほてる」、なかなか良かったよ!

で、何故ここを宿泊場所として選んだのか?

料理がいい、温泉がいい、アクセスがいい等などもそうだけど、実は集合メンバーの中にお犬様がお一人(一匹)いたのだ。最近はどの地でも、インバウンド客増などへの対応もあって、様々な点で寛容精神に触れることが多いのだが、動物共々宿泊となるとおいそれとOKにならぬのが実情。

よって、こちらのお宿はよろしかったのだ。

Img_33667_20260408171901  ペットと共に泊まれる和室が一室あったが、それなりの条件を示されたようだ。

三つの条件。①トイレの躾がしっかりできている。②無駄吠えしない。③噛み癖がない。

もっともな条件だ。

勿論、和風ホテルとしての良さもあった。

「趣のある和の粋に、雅な時が薫る」とのコピーを見た。

カウンターで手続きして振り返ると、ロビーの先に「雅」があった。

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中庭の池だ。鯉が優雅に泳いでいた。

露天風呂のある風呂場脱衣所から出ると池にかかる木道に通じ、傍に行くことができた。足を一歩踏み出すと、すかさず鯉が寄ってきた。

魚たちは私たちの姿がどのように見えているのやら。

わが家でも、上り端にちょっと大きめの金魚鉢を置いてあるのだが、その中で長生きし巨大化した金魚が二尾生息していて、朝方私達が傍に行くと、跳ねるように大暴れするのだ。「餌くれ・・・!」と。

与えると競うように食し、その後は当たり前のように知らん顔をされる毎日だ。

屋上から外を眺めるとこんな風景が目に映った。

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さて翌朝、出かけたのは武田神社。我が家族にとって初めての訪問となった。

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山梨は満開だと聞いていたが、ここも見事であった。境内に入るには周りに巡らせた濠にかかる橋を渡る。その名も「神橋」。実は甲府駅北口から真っすぐ伸びる道を歩くと、この橋に到達するのだ。まるで神社専用駅であり、参道のようだ。名は「武田通り」。

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私達は車でこの通りを抜けたのだが、両側がずっと桜並木となっていて、なかなか見事だった。

参道を進むと、最初に手水舎があった。

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そのそばに、こんな写真入り看板が立てられていた。

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神社から甲府駅に向かう途中に太宰治のかつて住んでいた家跡を示す石碑が立っているとの掲示だった

それによると、太宰は昭和14年1月から8か月の間、妻と共に住み、いくつかの作品を執筆したそうだ。

そして、いま、私たちが見ている桜を彼も愛でたとのことだった。

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この日は吉日なのか、参拝者が長い行列を作り、また産後一か月前後と思われる赤ちゃん連れの夫婦が何組かお宮参りに訪れていた。さらにめでたいことに本殿では結婚式も執り行われ、賑わっていた。

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神主も巫女の皆さんも大忙しだった。

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神社のあるこの地は元々、武田氏の舘跡であり、神社は後年造られ、比較的歴史は浅い。

武田氏の評価も紆余曲折して、明治時代には信玄を悪人視する動きもあった。しかし、自由民権運動が発生する中で地域の偉人を崇拝する感情を尊重する方向に舵が切られ、大正に入り天皇の即位記念として武田信玄に従三位が追贈されるなどもあって、1919年に神社創建に至ったという。

この神社の御利益は「勝運」だそうだ。

いわゆる勝負事のみならず、「人生そのものに勝つ」「自分自身に勝つ」という御利益だそうだ。

境内は広かったが、社殿など建物はそれほど多くはなく、裏手に回ると、やはり戦国武将の舘跡だなという印象を持った。

社務所の近くに甲陽武能殿と名付けられた舞台があった。

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この名は、甲斐武田氏の軍学書である「甲陽軍艦」から引用されたもので、甲陽とは甲斐の国が輝く様であるとのこと。解説によれば古来より、武芸を嗜(たしな)む者は同時に舞も嗜むのだそうだ。武(ぶ)、舞(ぶ)で能を舞うんだって。初めて聞いた。

地域の歴史も少し掘り下げると面白く、もっと知りたくなる。

さあ、次は甲府城だ。

 

 

2026年4月 4日 (土)

一週間ほど前、山梨で桜が満開と報じられた。三家族で山梨に集合!

中央自動車道を西に進み、笹子トンネルに入った。

何度も通っているのだが、この日はどうしてかトンネルが随分長く、また照明が暗いことを感じた。

このところ新しくできた自動車専用道路をいくつか走ってきた。

山間部に新道路を通すのでトンネルが多いのだ。しかも、結構長い。でも道幅が広く照明もしっかりしていて快適だ。

新東名が典型例。

明るく広いので制限速度120キロフルであろうと怖さを感じない。まあ、それも危険だけどね。

笹子は、それらに比べてトンネルはさらに長く、照明の設置場所も光度も旧来の物だからなのか。

それはそれで年代物故か制限速度も所々で80キロ、場所によっては70キロなどに下げていたが、トンネル内での走行は緊張した。

トンネルを抜けると、暫くしてカーナビが笛吹八代インターを出てくださいと告げた。

一般道を進むとさらに右折せよと指示が出た。

なんと目の前に見事な桜が出現した。

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洋菓子銀座ウエストの山梨工場直売店の来客者駐車場の敷地だった。

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菓子も魅力を感じたが昼時にはまず飯だ。

道路を挟んだ向うに古民家をあつらえたようなレストランが見えた。

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桜を観つつ、レストランに入った。ところが残念、「間もなく、団体のお客様がお見えになるので・・・」と丁寧に断られてしまった。

やむを得ず車で進んだ。でも、カーナビによれば目的地は間近なようだ。

少し走ったところで目的地到着。

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実は、集合場所はここ。

石和温泉のホテル。「石和びゅーほてる」だ。

笛吹市の石和町。石和には何度か来たことがあったが、ほとんどが通過点であって宿泊は初めてだった。

皆との待ち合わせ時間は夕方5時過ぎ。

昼飯をいただきながら暫く散策することにした。

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ホテル本館の裏手にある駐車スペースにこんな観音像が立っていた。

傍にその由来が記されていた。

それによると、この辺りは明治40年以前には笛吹川が流れていてここは川の中だった。明治40年と43年の大水害で川の流れが変わって本流は他所に移った。その後20年ほど廃河川敷として放置されていたそうだ。昭和になって開墾、開拓が始まり、農業に励み、その結果、いま見られるような果実郷となった。さらに昭和36年になり温泉の湧出があって、脚光を浴びた。先駆者の努力があればこその現在であることから、開拓魂を忘れてはならないと、この地に眠る霊魂の加護と平和を祈り、有志によって白衣観音が建立されたとのことだった。

笛吹市の各所に「明治40年水害伝承碑」が建立されているが、それとは少し違ったようだ。

でも水害はひどいものだったようだ。233人が亡くなり、全壊1267戸、流出4500戸だというからすごい。そんなことを見ているうちにもう一つ知識が増えた。なんと山梨から静岡へ流れ駿河湾に至る富士川は、笛吹川が釜無川と合流した川だって。初めて知った。

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石和駅前

ホテルの近辺に食事処があるだろうと歩いたのだが、見当たらなかった。

石和駅まで来た。

駅周辺は、ホテルの周りと比べ、新しい建物が並び、モダンな雰囲気だった。

大きなショッピングセンターがあった。

ここならレストランか何かがあるだろうと当てにして入った。あった!漸く食事にありつけた。

ほとんど車で移動していたはずなのだが、万歩計は早、1万歩近かった。

ホテルへの道すがら見たイベント物やら桜はなかなかだった。

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石和温泉足湯広場

Img_32790Img_32812 先に進むと近津川用水(ちかつがわようすい)に出た。

この用水の両岸が東西1キロに及ぶ桜並木となっていた。さくら温泉通りだ。

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ホテルの前はちょうど中間点位だったろうか。

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そして、夜も!

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さあ、次は武田神社だ。

2026年3月26日 (木)

ウンナンオウバイって知っていますか ?  花の名により昔の旅がよみがえった!

時々寄ることのあった市民会館入り口の鉢に、利用者の目を和ます花があった。一昨年の秋、花の盛りが過ぎて数か月たったころかな、その小さな苗がポットに一つずつ納められ、入り口に幾つも置かれ、「自由にお持ち帰りください」と掲示されていた。

二株をいただくこととした。

家に帰り早速二つの鉢に植えた。春3月~4月に花が咲くと記されていた。でも、翌年春には蕾もつかず、上へ上へと伸びていくだけだった。今年の2月の時点でなんと2・5メートルにも達していた。

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そして、先週始め頃から枝に新しい芽が付いてきた。もしかしたらこれらが蕾になるのではと期待した。

案の定、数日前にポツンと黄色い頭が見えた。3月23日、期待通りの第一輪が開花した。

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花弁の大きさも色彩も中々だ

二株いただいた時点で簡単に開花時期や剪定の仕方が示されたペーパーも渡されたのだが見ることなくしまっておいた。花の名前も確かめずに会館でもらったことから「会館花」とのニックネームを付けて水だけは絶やすことなくあげていた。ここにきて改めてペーパーを引っ張り出して確認した。花の名は「ウンナンオウバイ」=「雲南黄梅」だった。

名前に「梅」とつくが、梅とは縁もなくモクセイ科常緑低木でジャスミンの仲間だそうだ。そして出身地は中国雲南省だ。初めて日本に御目見えしたのは明治時代初期だって。

雲南と言えば、今から三十年ほど前になるかな、私が中国大陸に初上陸した時の目的地の一つだった。

香港を経由して大陸に入った。最初の目的地が昆明市だった。雲南省の省都だ。

海外旅行2度目の事だったのだが、後にも先にもありえないような「奇跡」が起きた。

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私達は、総勢4人の旅。5泊6日の日程で、普通のホテル、そして行きも帰りもエコノミークラスの飛行機で成田と香港の往復の予約だった。成田に着いて旅行会社の方の説明を聞いて驚いた。どういう「手違い」なのかは知らなかったけど、渡された航空券が上掲のものだった。そう、ファーストクラスなのだ。しかも、帰りもビジネスクラスだった。追加の請求はなかった。その後、何度も飛行機で移動する機会があったけれど、そんな「棚牡丹」的幸運は再来することなく現在に至ってる。

香港で中型機に乗り換えて昆明の空港に降り立った。

その飛行場は特別な雰囲気だった。

滑走路の周りは草茫々で、驚いたのは、草むらの中で重機関銃を構えた兵士がいたのだ。

確かに雲南には国境があり東南アジアの国々と行き来がある場所柄だからか。

チェックインして最初に向かったのは石林(シーリン)。

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乗り物の領収書

なかなか素晴らしい所だった。

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石灰岩が隆起して浸食されてできた景観だ。

たいした迫力。

この地は少数民族のサニ族が暮らしている。

観光客が寄る所では彼ら彼女らは民族衣装を身に纏い、すれ違う旅行客に声をかけていた。

我々もかなりセールス対象にされ、迫られた。

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雲南省は奇遇の出会いの花により久しぶりに記憶を蘇らしてくれた地だった。旅の話はここまでとし、続きはまたの機会としよう。

わが家の花にもどろう。

1月以来、花々は咲いてきたが同時に咲き競うことはほぼ無く、うまい具合にバトンタッチしながら開花が続いた。

雲南黄梅はこれから次から次へと開花していくのだろう。新しく我が家の花仲間になってくれた。楽しみである。今は同時に咲いているものが数種類ある。

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アネモネ

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小粒ながらピンクパンサーも美しい。

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今年も水仙は次から次へと咲いてくれた。フィナレーを飾るのは鈴蘭水仙だ。

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そして、毎年隙間のないほど枝間が花で埋まるモッコウバラ。

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少しずつ咲きはじめたよ!

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これから賑やかになりそうだ!

おまけに野草も! クローバーも一雨降るごとに葉を大きくし、広がってきた!

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今年は四つ葉がいくつ見つかるやら?

2025年12月26日 (金)

あと6つ寝るとお正月♪♬ 今年の最後を飾るのは熱海紅葉のライトアップだ!

時は過ぎ行くままにでいいのだけど、時間が経つのが早いね!

子どものころ、♪ もういくつ寝るとお正月 ♬ て歌ったっけ。

今日はクリスマスの翌日で12月26日。

昨晩のボジョレ・ヌーボーも美味しかったけど、正月に飲もうと、屠蘇(とそ)代わりに用意してある「にごり酒」(熱海で購入)も楽しみだ。あと6晩寝ればお正月だ。

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そうそう、熱海っていえば梅園のライトアップを今年のフィナーレとしよう。

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夕闇迫る4時半過ぎ、点灯が始まった。

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モミジを跨ぐ橋もいい。

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橋から仰ぐ紅葉ライトアップもいいね!Img_08656_20251226144801

 ライトの光の先で、三日月が輝きを増した。

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枯れ枝に光がそそがれると、なにか趣があるな。

そう云えば熱海梅園の「もみじまつり」は今年で第39回にもなるのだって。

梅ばかりが有名だと思っていたら、園内には梅と共に約380本ものカエデ類があり、「日本一早咲きの梅」(11月上旬から開花)と共に「日本一おそいもみじ」(11月下旬から色付き)もあるのだそうだ。

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夜空を覆うもみじ。

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出口に近づいたのか?道標のように光が長く横たわっていた。

Img_09134Img_09145こりゃ蛇か?

着いた、入り口だ!

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それでは、2026年が良い年になりますように!戦禍が絶える世界でありますように!自然災害が皆無でありますように!期待したいな!

2025年7月17日 (木)

えっ!アメリカで内戦?米大陸が沈没?「civil war 」&「America Is Sinking」(映画)

リアルにありそうな映画だった。「civil war」(2024年)観ていて緊張した。

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憲法で禁止されている大統領三選が力ずくで実行され、その流れでFBI 連邦捜査局も解散させられた。寛容なアメリカ市民も怒った。50の州の内19の州が合衆国から離脱し、その内カリフォルニアとテキサスは連携し「西部勢力」となり、軍を組織し連邦政府と戦闘に入った。他にも「フロリダ同盟」やオレゴンの毛沢東主義「新人民軍」も生まれていた。

アメリカは分裂した。

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ちなみに、映画タイトル「civil  war」は内戦の意味であるが、この頭に「The」がつくと「南北戦争」を指すようになるそうだ。

南北戦争は現在に至るまで、合衆国史上、内も外も含めて、戦争で最大の死者数が記録されている。今回描かれた戦いが、それだけ大きな内戦だということも示したのか。

映画ではジャーナリスト3人と彼らに憧れるカメラマン志望の娘がスクープを求めてワシントンを目指す。

摩天楼の街を抜けると、眼前に展開するのは「ガザ」状態と言ってもいいような瓦礫化した街であり、死臭の漂う所だった。

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たった今も内戦状態にある国はミヤンマーなどいくつかあるが、戦端が開かれるならばどこであろうと荒廃は、あっという間だと感じた。先進国といえども例外ではないだろう。

実際、この数年の間にみられたアメリカでの出来事を見ても頷ける。

トランプさん煽動の議事堂突入やら、最近では移民問題での州兵やら海兵隊による鎮圧などがよい例だ。

あの人の誕生日に国軍のパレードとはね!

映画は終盤で議事堂やホワイトハウスへの突入、そして大統領射殺で幕を閉じるのだが修羅場での人間性喪失などあっけないものだと強く感じた。

同時に現在のアメリカが映画以上に危うい状況にあることを実感させたことも間違いない。

そうこうしている内に、なんとホワイトハウスや議事堂を襲ったのは軍でなくて津波だって。

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2023年制作映画「America Is Sinking」(邦題 アメリカ沈没)の映像だ。

この津波、北極圏の氷山崩壊によって引き起こされた。ただ原因がトランプさんの「石炭掘りまくれ策」により引き起こされるだろう絶望的温暖化ではなく、北極での磁場異常に起因するプレート活動の活発化と、太陽からの放射熱があいまって地震やら氷山の融解が発生したことからのようだ。

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津波は太平洋側からも、大西洋側からも押し寄せ甚大な被害をもたらしていた。

そこで、科学者や軍人が考えた解決策が奇想天外だ。

アメリカの各地に深い穴を掘ってそこに海水を流し込むというのだ。

名付けて「水瓶作戦」。水瓶の穴の深さは16キロ。そして数は15か所だという。

時間は48時間しかない。どうするのだ。

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出てきた答えが「モグラプロジェクト」で開発が進んでいた地中を掘って進み敵に奇襲をかける爆弾システムだ。海中でなく地中だけど魚雷のように進む爆弾「モグラ」だ。

漫画的発想だけど、つい最近アメリカ軍がイランの核施設爆撃に使った「バンカーバスター GBU-57」を髣髴させるではないか。もっともバンカーバスターは最大地下60メートルまで到達し対象を破壊する性能だそうだけどね。

まあ、映画も衝撃的だけど、現実も怖い事態が進行している。

トカラ列島の群発地震やウクライナの戦争、そしてトランプさんの諸奇策。

あれこれ穏やかに治まってくれることを願う!

 

2025年6月26日 (木)

山中湖.・花の都公園は心地好い場所だった!四季を感じるね!

5年ぶりに訪れた山中湖・花の都公園。前回は10月だった。迎えてくれた花々は全く違うけれど、心地好い時間を過ごせた。Img_72156

花の都公園第一ゲートにつながる「花の都大橋」入口だ。山中湖畔からは右手の道を走ってきた。10分もかからずに着いた。

橋の南西には農地が広がり、その先に富士がそそり立っていた。

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どんな作物を育てているのだろうか。トラクターでの農作業。けん引しているのは耕運機か。のどかだ。

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第一ゲートに到着。

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4月から10月まで各種花々が咲き競う。6月のこの時期には何を見られるかな。

花の都大橋の前に咲いている花、何かな?

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入場の際にいただいたチラシによると「ネモフィラ」のようだけどね。

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ぐっと伸びた茎の先に咲くのはポピーかな。下に咲く花は何なんだろう。

前回来所したのは2020年10月21日だった。その時咲いていたのは次の写真。

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百日草かな?

本当に四季の変化を実感する。

10月も末ともなると富士山の雪もこんなに違う。

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この度は、外回りの散策だけでなく「フローラルドームふらら」(全天候型温室)も覗いてみた。

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各地の熱帯植物を見ることができた。

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前回同様、明神の滝や三連大水車にも寄って、前には気付かず素通りしてしまった「溶岩樹型地下観察体験ゾーン」なども見た。

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この日は、運動不足の私にとっては少しは挽回できそうな良い機会となった。

歩数一万歩を超えた。

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ちょっと疲れたけど、爽やかな汗をかいたな。

でも、やっぱり締めはこれだね!

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さあ、次は何の花を見ようか。

年間の開花予定を見ると、いくつか来てみたいと思わせるものがあった。

4月下旬から5月上旬の「チューリップ」。8月中旬から8月下旬の「ひまわり」。

そして、12月上旬から1月上旬の「イルミネーションファンタジウム~冬の煌めき~」だ。

12月にスノータイヤを履いて来てみるか!

2025年6月19日 (木)

まだ6月なのに! この猛暑って何! 行くぞ涼を求めて富士五湖へ!

気象予報士のお姉さんは、連日、明日は此処と彼処で36度を超える猛暑になりますなどと教えてくれている。

でも、ただ暑いというだけでなく、陽射しの強さが違うのだ。まさにギラギラと太陽が照りつけるのだ。

これを視覚的にどう表現するか、陽を浴びた枝葉が落とす影を撮影してみた。強い光でこそできる影だと思って。

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そして、そのそばで温度をはかった。気温38度に湿度46%だって。

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湿度表示の下に「快適」と出た。「え!」だ。確かに46%という湿度だけで判断するならばそうだろうけど。でもそこに立つ私にしてみれば数分たりともじっとしていられないような暑さだった。それにしても、こういうデジタル機器は温度と湿度合わせての総合評価で快不快を示してくれると思っていたんだけどね。まあ、安価だから仕方ないか。

今、やっと6月が下旬に入るというこの時期にあっては尋常じゃない。いや、真夏であってもあまり経験したことないな。

ということで、急展開となるけれど涼を求めて、ちょっと跳んで富士五湖を目指した。

着いたー!湖だ。

Img_73734Img_73812 白鳥がゆったりと浮かび遊んでいる。

富士五湖の中でも最も富士山に近い湖、山中湖だ。見上げればそこに富士が横たわっていた。

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頭上では、太陽が熱光線を放っている。でも、ここは大丈夫。私の体には湖面を吹き抜けてきた涼風があたり爽やかさに包まれていた

湖沿いにはサイクリングロードと言うか、遊歩道を巡らせてあり、この日も異国からのお客さんたちが自転車で湖の周回を楽しんでいた。最近は観光地のみならず、どこに行っても彼らとお会いする。

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少し前の時代とは違って、私達も傍に異国の方々がいる情景が当たり前の日常となった。彼らと目があえば、お互いニコッと笑顔で挨拶する。かと思うと先方から話しかけてきたりする。この時もバス停前で声をかけられた。日本語混じりのどっかの言葉でね。

 

ところで、数日前に新聞で紹介されていたのだが、富士山の谷筋に雪が残っていて、それがちょうど鳥を描いたように見えるという話を思い出した。

「農鳥(のうとり)」と呼ばれるもので、出現するのは4月後半から5月中旬だって。

今回は観るには「時すでに遅し」だった。

コメ問題が毎日取沙汰されているけれど、この鳥の出現は、近くの農家にとっては田植えのタイミングを教えてくれるものだったとさ。

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鳥は見られないけれど、まだこれだけの残雪があった。

今回訪れた山中湖は、位置としては富士山の東側にあり、五湖の中では最も南にある。隣の河口湖は、国道138号線を北西に進んだところにある。先ほどの農鳥が見えるのもその辺からのようだ。

18日のNHK ニュースで河口湖が渇水状態で水位が大分下がっていると報じられていた。話によると4月には通常水位より3メートルも下がってしまい、ボート乗り場も機能不全だったとのこと。でも、このところの雨で50センチほど上がったようだ。

山中湖のボート乗り場はこんなだったけどね。

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さて、今日はもう一つの目的地、花の都公園に寄って帰ることにしよう。紹介は次回。

 

 

 

2025年5月15日 (木)

池田二十世紀美術館が開館50周年だって。そんな訳で伊豆半島東岸を走ったよ!

 池田二十世紀美術館を訪れたのは20数年ぶりになるだろうか。

国道135号線を南に進み、伊東市街を通り抜けたところで森の中に入って行った。

しばらくすると、右手に一碧湖(いっぺきこ)の広がりが見えた。

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美術館に行く道とは反対の方向に行くと一碧湖のボート乗り場があり、そこへは数回訪れたことがある。

今回は目指すところが異なり別ルートを通ったおかげで新発見があった。

右手に湖が見えた際、道路の反対側を見た。すると、湿地帯のようなところが広がっているではないか。沼池(ぬまいけ)だった。存在さえ知らなかった。

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一碧湖と沼池は共にできた火口湖だそうだ。10万年前に5つの火山が噴火し、とりわけ一碧湖と沼池は、マグマと水が触れ合う場となり、結果大爆発が生じ、その落とし子として湖と池が生まれたようだ。

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葦のような抽水植物の向こうに東屋が建っていた。しばらく散策し、美術館に向かった。

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午前中だった為か駐車場には数台しか停まっていなかった。

この建物は駐車場から見た展示館だ。外壁は日本で初めて採用されたステンレススチール張りだ。

1975年5月開館でちょうど50年だ。

デザインといい、光沢といい、まったく古さを感じさせない。

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周辺の様子は記憶から失せていたけど、正面入り口は覚えのあるものだった。

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収蔵されている絵画彫刻は、20世紀中に制作されたもので「人間」をテーマとするもの約1400点。(美術館リーフレットより)

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美術館50周年と共に新聞記事で記憶に残っていた話題は小室山のツツジ満開のことだった。

ただ、少し前の記事だったので花の具合はどんなかな。小室山を目指した。

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まだ花は残っていた。でも、最盛期は過ぎたようだった。

ちょうど昼時、リフト乗り場併設のレストランで天ぷらそばを味わった。美味しかったよ。

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ここを訪れたのは2回目だ。リフトで山頂を目指した。

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ちょっと雲が多かったけれど、相模湾の眺めは美しかった。

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美術館は50周年だったけれど、もう一つ区切りの良い「周年」があった。

アジア太平洋戦争終戦80周年だ。そんなになるんだね。

5/5付の朝日新聞に「(戦後80年)慰霊碑、守り、残す」というタイトルで全国の戦没者を慰霊する忠魂碑などの内一割もが存続の危機にあると出ていた。

管理を担っていた人や遺族が高齢化し、老朽化対策などの費用の捻出が難しくなったからだそうだ。

戦没者関連で言えば、与党参議院議員の1人が5月3日に沖縄で行った講演の中で沖縄師範女子部、第一高女の生徒職員を合祀した「ひめゆりの塔」の展示内容について「歴史の書き換え」をしていると発言し野党のみならず仲間の与党議員からも批判が出ていたな。

たまたまだけど本日は「沖縄 日本復帰53年」(朝日5/15付)だって。

小室山の麓には忠魂碑が無事そびえていた。

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小室山ではツツジが盛りを過ぎていたけれど、もう一つ情報をつかんでいた。

熱海の姫野沢公園のツツジがやはり満開なんだそうだ。

135号線を北に向かった。

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熱海温泉に近づいたかな。

温泉街を抜け、伊豆スカイラインへつながる道への登り口にある姫野沢公園に着いた。

そこの光景を見て思い出した。

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そうだ、五月と言えば鯉のぼりだ。

このところ個人宅で鯉のぼりが泳いでいるのを見なくなった。

一方公園であるとか、川辺ではよく見る。

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そして、ツツジもしっかり咲いていた。

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思い付き、即実行した小旅行だったけど良かった!

2025年3月 6日 (木)

墓参で訪れた寺の梅が満開だった。我が家の植え込みも日を追うにつれ賑やかになっていく!

2月29日。閏年の2月最終日だ。(直近では昨年2024年がそうだった)

4年に一度しかこの日はないのだが、何と偶然か、親族にこの日に亡くなった者が二人いるのだ。そんな訳で、閏年でない年は2月28日か3月1日のどちらかに墓参することにしている。今年は我が家の梅もいつになく咲いてくれたが、寺の梅も見事だった。

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元々信仰心に欠ける私なんだけど、いずれ私も納まる場だろうと思い、せめて綺麗にしておこうとゴミ拾いやら野草の除去に訪れる。

ご先祖様二人の話に戻せば、お一人は71年前の1954年2月29日に59歳で、もうお一人は57年前、1968年2月29日45歳でお亡くなりになった。そしてこの二人は何の因果か母子なのだ。

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ただ面白いというと、不謹慎かもしれないが、先に亡くなられた母親の墓標には没年月日が3月1日と刻まれているのだ。

終戦直後だったからか、あまり正確性にこだわらず、毎年間違いなく迎えることのできる月日であるのが良いと判断されてなのかな。

まあ、そのころの現実として、生年月日についても事実と異なる届けがされていたと聞く。例えば大晦日やその数日前に生まれた方は1月1日が誕生日だと届けられ、役所でも受け付けたようだ。ましてや墓標に書いて良いこと、ダメなことなど法律では決めていないよね。でも、親族は事実を皆承知していた。だから70年以上たった今、私が事実として語れるわけだ。

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それではこの母子の夫であり父親だった方はどうだったかというと、何の宿命やら、息子の寿命とほぼ同じだった。墓標には96年前の1929年1月に44歳で没と刻まれていた。

私はその係累であるのだが、この宿命を引き継がず、今も生き続けている。現在で見れば40代で亡くなるなど、まさに早死になのだが、ただ1925年前後に生まれた方は第二次世界大戦真っ只中にあって中国戦線や東南アジアの戦場に駆り出され、戦死や戦病死した方も多かった。また、乳幼児死亡率も高かったと聞く。

以前聞いて驚いたのだが、1923年生まれの方の中で40歳台まで生きた方はなんと50%前後だったと知り耳を疑った。そんな親族の墓前に線香を供えた。

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ここにも水仙が咲いていた

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水仙の花は多彩で可憐だ。

二週前に我が家の花々を紹介したけれど、開花する花が少しずつだけど増えて、賑やかになりつつある。

我が家で三種目の水仙の花が開いた。ラッパと言っていいのか中央の部分がバラエティで面白く美しい。

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クリスマスローズも白い花が顔を見せた。Img_37367

白クリスマスローズは紅に2週間以上遅れて開花した。周りには開花を控えた白蕾がいくつか膨らみ待機している。

今週は、天気予報通りに天候が変化し、滅多に雪を見ない関東甲信越から東海地方東部まで雪がパラつき、雨も降った。その為か、枯れ木まがいであった何種かの木が元気を吹き込まれたように小さな芽を見せ始めた。

楽しみだ。

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満天星も若芽が見えてきたが、その足元で可憐に咲いた芝桜の花。

次に開花を控えているのが桃の花だ。でも後二週間ぐらい先になるかな!

こんな花の開くを待つ陽気になったのだけど岩手では8日以上も山が燃えている。

昨日になり大船渡でも雪や雨があった。まさに恵みの雨。なんとか完全鎮火してくれれば!

 

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